表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
屍たちの夜明け Dawn of the Past  作者: 星野彼方
27/28

幕間 夢

 僕は、どこか、薄暗い海岸を歩いていた。


「お兄ちゃん」


 隣で遙名が、僕の腕を引っ張った。


「静かだね」

「そうだな」


 海岸の波打ち際を沿うようにして、二人、歩く。

 左に海、右には森。


 静かな波の音。

 潮の匂い。

 時折、風が吹いて、木々を揺らす。

 微かな葉音。


「大丈夫。心配しないで、お兄ちゃん」


 遙名が優しく言う。


「未来は助かるから」


 言われて僕は、これがただの夢ではないことに気がつく。

 僕は遙名に目をやる。


「幻だと思ってる? お兄ちゃんの見てる、ただの夢だって」


 遙名は、悲しく首を傾けた。


「信じてくれなくてもいいよ」


 けどね、と遙名は続ける。


「私は、今、ここにいるんだ。信じてもらえないかな」

「いいや」


 僕は遙名の頭を撫でる。


「いいや、そんなことはない」


 えへへ、と未来が駆け足で前に進む。


「ね、お兄ちゃん」

「何だい」

「もし生まれ変わっても」


 前を歩いていた遙名が、後ろ手を組んで、くるっと振り返った。


「また、遙名のお兄ちゃんになってくれる?」


 ああ――。

 ああ。ああ。もちろんだよ。


 涙が溢れそうになる。

 けれど、その涙も、遙名の明るい笑みを見つめていると、どこかへ消えてしまった。


「さて、と」


 遙名が、微かに目を伏せる。


「お兄ちゃんは帰らなきゃ。分かってるでしょ?」

「僕は」

「待ってくれている人たちがいるんでしょ。ね?」

「――ああ」

「じゃあ、帰らないとね」


 遙名の笑み。


 そうだ。

 これが、夢なのだとしたら。


 光と影、生者と死者、僕と遙名、そして、朝と夜を繋ぐものなのだとしたら。


 夢は、朝へと繋がるものだから。

 明日へと繋がるものだから。


 僕は、目覚めなければならない。

 そして、朝へ、明日へと、進まなければならない。

 それが、夢というものだから。


 夢は、過去を懐かしむ場所ではない。

 過去を未来に繋げる場所だ。


「見て」


 遙名が、細波の向こう、水平線を指差す。


「太陽が、昇るよ」


 細い光の筋。

 水平線に沿うように、広がっていく。


 それと同時に。


 僕と遙名の背後、地面にひびが入る。

 二人を繋いでいる、この世界が、夢が、崩壊しようとしているのが分かった。

 ひびが広がる。

 音を立てて、周囲の闇が崩れ始める。


「これからどうなる?」


 遙名に問う。


「帰るの。お兄ちゃんはお兄ちゃんのいるべき場所に。私は、私の行くべき場所に」


 遙名が、再び笑みを浮かべる。

 けど、その笑みは、どこか無理をしているように見えた。


「遙名」


 妹の肩を抱く。

 すると、妹は、僕の胸に顔を押し当ててきた。

 その手が震えている。


 妹は泣いていた。


「嫌だよ」


 声を上げて、妹は泣いていた。


「怖いよ、お兄ちゃん。一人になるのは、怖いよ」


 大声で、まるで赤ん坊のように泣きじゃくりながら、遙名は言葉を紡いだ。


 強がって、兄貴を励ましてみせた妹。

 僕の方が、妹を支えてやらなければいけないのに。

 ごめんな。


 妹は、僕に必死でしがみつき、泣いた。


「ここにいたいよ。いなくなりたくないよ。私、消えたくないよ」


 大粒の涙を零しながら、妹が苦しみを、悲しみを訴える。

 僕は、真摯に耳を傾ける。


「怖いよ。怖かったよ。ずっと、ずっとずっと、怖かったよ」


 僕は、遙名の頭を優しく撫でた。


「大丈夫。いなくなるわけじゃない」


 屈んで、遙名の目を、正面から見つめる。


「遙名は、僕の中に、ずっと残ってる。だから、いなくなるわけじゃない」

「もう、お兄ちゃんと会えないよ」

「夢で、会えるさ。今のように」

「本当?」

「本当だ」

「重荷じゃない?」

「そんなわけないだろ」


 心細げな妹。

 小さな、僕の妹。

 僕は、自らの心に決断を下す。


「よし。分かった。僕も、ここに残るよ」

「え?」

「ここに、二人でいよう。そしたら、寂しくないだろう?」

「そんなの……駄目」

「いいんだ」

「駄目だよ、お兄ちゃんは、」

「遙名」


 僕は遙名を抱きしめる。


「ここにいよう。僕はそれでいい。それが僕の望みだ」


 しばしの沈黙の後――。

 遙名は、僕の胸から、少しだけ身を離した。


「お兄ちゃん」

「うん?」


 ありがとう。


 とん、と遙名が僕の胸を押す。


「遙名――?」


 僕は、バランスを崩し、ひび割れた地面へと倒れていく。

 遙名の、悲しそうな、けれども幸せそうな瞳が、こちらを見つめている。


 ここで、


 遙名が囁く。


 ここで、お兄ちゃんと一緒にいたかったよ。

 でも、そう思ってくれるだけで充分なの。

 それだけで、充分なの。

 幸せなんだよ、お兄ちゃん。


 遙名。


 どこまでも落ちていきながら、その名を叫んだ。


 長く、長く。

 ぐんぐん遙名の立つ地が遠ざかっていく。

 遙名が小さくこちらを見下ろしている。

 その瞳から零れ落ちた涙が、すうっと突き抜けてきて、僕の頬に当たった。


 さようなら、お兄ちゃん。


 唇が、そう紡ぐ。


 それが妹の覚悟なのだろう。

 それならば、僕も、その覚悟を背負って、生きよう。


 僕は自然と微笑みかけていた。


 落ちていく。

 現実へと、落ちていく。

 繋がる明日へと、落ち続けていく。


 さようなら。

 さようなら、僕の妹。


 僕は、明日へ行くよ。


 お前の夢を渡って。

 お前の夢を背負って。


 明日へ、行くよ。


 ありがとうな。


 落ち続けていく闇が、一斉に輝き始めた。


 これが夜明け。

 光に呑まれながら、僕は思う。

 明日への、夜明けだ。


 夢は、朝へと繋がるものだから。

 明日へと繋がるものだから。


 これが夢なのなら。

 妹の夢が、辛く悲しい夢になるのではなく。

 温かく、爽やかに次の日を迎えられるような夢であるように。


 僕は、この夢を、守ろう。


 光が周囲を埋め尽くし、やがて、何も見えなくなる。


 僕を見つめる妹の姿も。

 薄く、光に溶け込んでいった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ