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屍たちの夜明け Dawn of the Past  作者: 星野彼方
26/28

5-5 合流

 ――十字弓を握り締めた。

 足をしっかりと地に立て、倒れるのを防ぐ。


「あああああ!」


 何もかもを吹き飛ばすように、大声を張り上げ、踏ん張った。

 体勢を立て直す。


 夢を見ていたのは、ほんの一瞬のことだったらしい。

 目の前には、今にも杭を振り下ろそうとしている男の姿。


 ――お兄ちゃん、あたし、あたしね、


 今も耳元に。

 妹の声が聞こえる。


 ――お兄ちゃんの妹で、良かったよ。


 忘れては、ならない。

 僕は、僕だ!


 十字弓を突き出す。

 素早く、正確に。

 何の躊躇いもなく。


 杭を振り上げた男の姿。

 その眼が、驚愕のあまり見開かれる。


 僕は男の肩を撃ち抜いた。


 男が後ろ向きに倒れる。

 杭が、音を立てて床に転がる。


「悪いな」


 僕は、男に刺された腹に触れる。

 傷一つ無い、腹。


「僕は、普通とは違うんだ」


 あのとき――


 ――両の手で、自らの血と妹の血が、混じり合っている。


 あのとき。

 妹の血は、僕の体内へと取り込まれた。


 呪われた血。

 微量であるが故に、僕は吸血症にはかからなかった。

 けれども、その呪いの一部を受け取った。


 傷口から僕の体内に入り込んだ妹の血は、僕の血の内に溶け込んだ。

 その血は、僕の細胞に変化を促し、そうして。

 僕は、簡単には死なない身体となったのだ。


 もちろん、吸血症患者ほどのものではない。

 他人よりも少しは老けにくいだろうが、不老というわけでもない。

 その代わり、銀も十字架も平気だし、光にも影響を受けない。


 僕は、非感染者でありながら、呪いを受け取った。

 どうして、と論理的に説明することは、僕にはできない。


 それが妹の血だったから。

 血の繋がった妹の血だったから。

 僕が殺した妹の血だから。

 そういう風にしか、僕には説明できない。


 妹の血は、僕の中で生き続けている。


 さあ、来いよ。


 僕は、何もかもを見据えて呟いた。

 苦痛も、悲劇も、僕の中の身勝手な哀しみも、ここまでだ。

 完膚無きまでに叩きのめしてやる。

 これ以上ないほど打ちのめしてやる。


 宗徒が駆け寄ってくる。

 僕は地を蹴った。


 進化した運動能力。

 宗徒の顔面を蹴り上げる。


 次の宗徒が杭を突き出してくる。

 コンマ秒差で、僕はその杭を回避する。

 と同時に、相手の顔面に裏拳を叩き込む。


「悪鬼!」


 もはや聞き飽きた声が聞こえてくる。

 仲多が、仁王立ちしていた。

 その足下には、杭を胸に突き刺された、動かぬ屍。


「悪鬼め!」


 仲多は、屍から引き抜いた杭を僕に向け、突進してきた。


 仲多益美。

 僕は、微かな哀れみすら覚えた。

 突進してきた仲多の杭を避け、足で、相手の膝を払う。

 仲多が、獣のような声を発しながら、倒れた。

 その手から、杭が離れる。


 僕は、その杭を空中でキャッチし、くるっと回転させ、尖っていない側を、そのまま仲多の顔面にぶつけた。


 ぐっという呻き声。

 仲多が倒れ込む。


 僕は杭を投げ捨てた。

 起き上がれる宗徒は、誰一人、残っていない。


 屍も、無事に残ったのは、どうやら一体だけのようだった。

 その一匹が、未来に走り寄ろうとする僕の前に、立ち塞がる。


「手を貸してくれて、礼を言う」


 僕は屍に言った。

 まさか、屍に話しかけるときがくるとは、思わなかった。


「戻って、九条に伝えろ。僕は、あなたとは違う、と」


 僕がそう言うと、屍は、僕の後方に目をやった。


 何だ?

 僕は目を細める。


「それが君の答えか?」


 振り向かなくても分かった。

 九条の声だ。


 がっと、首筋に衝撃があった。

 殴られたらしい。

 膝をつく。


 足音。

 背後に立っていたらしい九条が、僕の前へと回り込んできた。


「私を否定するか」

「否定はしない。理解もできる。だが、僕とは違う」


 ふん、と九条が笑い、僕の腹に蹴りを入れた。

 激痛。

 僕は膝をついたまま前に倒れ、額を床にぶつけた。


「少し教育が必要なようだね、辰比良君」


 喋りながら、ポケットに手を突っ込んだ格好で、僕に蹴りを入れ続ける九条。


「残念だよ、君の血は本当に美味しかったんだが」


 顔面に蹴り。

 床に倒れる。


「駄目じゃないか、大人の言うことに逆らったりしちゃあ」


 反撃しようとするが、九条はすべて先読みし、攻撃してくる。

 まるで隙がなかった。


「君なら分かってくれると思った。だからこうして力も貸してあげたのに」

「一緒に、するな、」

「おや。何だって?」

「変態……野郎」

「言うじゃないか」


 蹴り。

 口から血が出た。


「痛いだろ。苦しいだろう。そこから逃れたいと思うだろう」


 僕の周囲をぐるぐると歩き回る九条。


「なんと脆弱な……脆い……」


 九条の言葉が闇にこだまする。


「すべてはね、君を仲間にするために組み立てたんだよ」


 一人は寂しいからね、と九条は笑う。


「それなのに、君は私が思ったような人間ではなかったらしい。残念だ。非常に残念だよ。君には失望した。君は小さな人間だった。ごく普通の、その辺の屑と一緒だった」

「一人、で、狂う、のは、怖かった、んだな」


 僕は必死で言葉を紡ぐ。


「だから、仲間、が、欲しかった、んだ、自分、を、肯定して、くれる、傷を、舐め合うような、仲間、が、自分、が、自分、で、安心、できるよう、に、」

「もういい。喋るな」


 格別重い蹴りがきた。

 図星だな、とぼんやり思う。


 確かに九条、僕とあなたは似ていたんだ。

 そうも思う。


 けれど、僕はやはり、あなたとは違う。

 何故なら。


「あなたは、一人だ」


 九条が、動きを止める。


「みんな、狂っている、という、証拠、が、欲しかった、んだろ、自分では、なく、世界が、世界の人間、すべて、が、狂っている、という、証拠が」


 僕は、顔を上げ、笑みを浮かべて見せた。


「あなたは一人だ」

「馬鹿を言うな!」


 九条が声を張り上げる。


「そんなに、お仲間が、欲しい、なら」


 僕は両手に全神経を集中させ、起き上がろうとする。

 口を動かし続ける。


「周り、を、見て、みろ」


 倒れている宗徒たち。

 九条が忌み嫌う非感染者。


「仲間が、転がって、る、ぞ」


 それは、強烈な侮辱だったらしかった。

 九条が、勢い良く足を振り上げた。


 動け!

 僕は全力を両手に注ぎ、一気に上半身を持ち上げると、九条の足をつかんだ。

 そのまま、思いきり強く捻る。


 九条が呻き声を上げ、倒れ込む。

 その上に僕はのしかかり、その顔を殴りつけた。


 天井から唸り声。


 拳を止める。

 頭上を見上げる。


 屍が、少なく見て十数匹、天井を蠢いていた。


 九条が起き上がり、僕を放り投げる。

 僕は、悲鳴を上げながら、壁に叩きつけられた。


 身を起こすと、既に九条の姿はない。

 逃げられたのだ。


 天井を見上げる。

 闇に蠢く、無数の影。

 そいつらが、一斉に、僕に向かって、降りかかってくる――


「竜平!」

「タツ!」


 声が響いた。

 突き刺すような強い光が、屍たちに浴びせられた。

 屍の悲鳴。


 光を連れて、南が現れた。

 その後ろから、来栖が飛び出してきて、近くの屍に槍を突き刺した。


 他の屍が奇声を発する。

 と同時に、その屍が、銃弾を食らって弾け飛んだ。


 小鳥遊。

 その手に握られた拳銃が、屍たちに向けられる。


「もうすぐ、増援も来るから!」

「どうして、ここに」


 身を起こしながら、訊ねる。


「あんたをつけてたのよ、ごめんね!」


 と南。


「どうして、どうして」

「あんたが心配だったから! 決まってるじゃない!」

「タツ!」


 来栖が槍を引き抜きながら叫んだ。


「俺たちが援護する! 助けろ!」

「え――?」

「その子を助けろ!」


 ああ――。


 僕は、大声で叫び返した。


「ありがとう!」


 未来のもとへと走る。


 磔にされた未来は、見るからにぐったりとしている。

 当たり前だ。

 相当に辛かったはずだ。

 可哀想に。


「ごめんな。少し我慢してくれ」


 呟いて、


 ――今、外してやる。


(僕は、ベッドに縛りつけられた妹に近寄ると、強固に結ばれている縄をつかんだ)


 未来の掌を貫通した杭に手をかけ、


(途中から、妹が暴れ始めたことを、僕はあまり意識していなかった)


 一気に引き抜いた。


(早く助けてくれ、そう言っているように思えた)


 もう片方の手も、すぐに引き抜く。


 ――大丈夫か?


「大丈夫か?」


(そう言って伸ばした僕の手を、)


 伸ばした僕の手を、


(妹は唸って弾いた)


 未来の唸り。

 弾かれる僕の手。


 しばし、世界が静止した。

 僕は呆然と、目の前の未来を見つめた。


 そこで思い至る。

 未来は、いったい、いつから血を吸っていない?

 夏休み前夜祭の、朝からではないか?


 まさか。

 まさか、そんな。


 未来が、僕に飛びかかってきた。

 僕は、そのまま押し倒され、地を滑った。


「未来!」


 叫び、未来の肩をつかみ、必死で僕の首から遠ざける。


「未来! 駄目だ!」


 未来は、眼を血走らせ、唸り声を発しながら、歯を噛み合わせる。


「駄目だ、未来!」


 僕は、心の内で謝りながら、未来の腹を膝で蹴飛ばした。

 未来がぎゃっと叫んで、僕から離れる。


 急いで立ち上がると、僕は十字弓を構えた。

 ほとんど反射的な動作だった。


 何をする気だ、僕は。

 未来を撃つつもりか?


 未来が立ち上がる。

 こちらに顔を向ける。

 その歯が剥き出しになる。


 どうする。

 どうすればいい。


 ――他のやり方を、考えればいいよ。


 考えろ。

 考えるんだ。


 撃てば、それで終わるかもしれない。

 僕は簡単に助かるかもしれない。


 けど、それじゃ駄目だ。


 僕は、もうそのことを知っている。


 助かるだけじゃ、駄目なんだ。


 未来の目を見つめる。


 まだ、

 僕は必死で考える。

 まだ、間に合うはずだ。


 未来の身体はまだ、末期症状患者のそれまで変化していない。

 まだ間に合う。


 思い出せ。

 僕がここに到着したとき、未来は意識を保っていたではないか。

 今はまだ、末期症状患者へと移行しようとしている段階に違いない。


 血を与えさえすれば。

 まだ間に合う。


 こちらの出来事に気がついたのか、来栖が駆け寄ってくる。


「来るな!」


 僕が叫ぶと、来栖は立ち止まった。


「他の連中を頼む。こっちは、僕が何とかする!」


 来栖が、笑みを見せる。

 嬉しそうな笑み。


「任せろ」

「頼む!」


 僕は十字弓を構える。

 未来に狙いを定める。


 未来が両手を広げ、口を大きく開けて、唸った。

 やがて地を蹴る。

 素早く走ってくる。


 撃てば終わる。

 撃てば、いとも容易く、僕は助かる。


(暴れる妹を押し止め、僕は何度も、何度も、妹を殺し続けた。何度も、何度も……)


「来い!」


 ぐんぐんぐんぐん、未来が迫ってくる。


 僕は十時弓を強く握り締め、

 一歩踏み出し、


 飛びかかってきた未来を、思いきり殴り飛ばした。


 死なせてたまるか、


 腹の底から湧き出る叫びが、一挙に爆発した。


 死なせるものか。

 死なせない、死なせてはならない、何としても!


 僕は十字弓を投げ捨てた。

 そうして、ナイフを取り出す。


 素早く、正確に。

 躊躇うことなく。

 自らの腕を、ナイフで斬りつける。


 倒れ込んだ未来に、僕は駆け寄ると、片手で、その身体を床に押しつけた。


 呪われた血よ。

 僕に力をくれ。


 その進化した運動能力の全力をもって、暴れる未来を床に押さえつけながら。

 自らの腕を、未来の口に押しつけた。


「未来、飲め!」


 自分の腕から絞り出される血液を、未来の口内へと垂らす。


「飲むんだ!」


 未来の頭が持ち上がり、僕の腕に噛みつこうとする。


「違う、未来!」


 未来の顔から腕を遠ざけ、血液を垂らし続ける。

 未来は、血でいっぱいになった口の中で、ごぼごぼと喉を鳴らした。

 顔を横に向け、血を吐き出す。


「吐くんじゃない、しっかり飲むんだ!」


 僕は少し考え、自らの腕に口をつけた。

 自分の血を口に含む。


 そして。

 暴れる未来を押さえつけ、その唇に、自らの唇を押しつけた。


 血を、未来に向かって流し込む。

 空いている手で、未来の頬を押さえつける。


 未来は必死でもがきながら、僕を引き離そうとする。


 その喉が。

 一度、ごくん、と震えた。


 僕は唇を離す。

 もう一度、自らの血を口に含む。

 そして未来に与える。


 手応えがあった。

 何度か、未来は、喉を鳴らした。


 ほっと息を吐く。

 この調子だ、このままいけば――


 単純な油断だった。

 僕の手を振り解き、未来が素早く起き上がる。


 未来は激しく僕の首に噛みついた。

 瞬間的な激痛。


 未来は僕を押し倒すようにして馬乗りになり、僕の首筋に顔を埋めた。


 僕に血を注いでいるのか、それとも僕の血を吸っているのか。


 されるがままになりながら、僕は未来を抱きしめていた。


 未来の肩が震えている。


 泣いているのか?

 そんなはずもないか。


 遥名――


 僕はお前を救えただろうか。

 お前は、どこにいるんだ。

 元気にやっているんだろうか――。


 意識が薄れていく。


 もういいよな、遥名?

 最後は頑張っただろう?

 これも甘え、かな……僕は自分に甘いから。

 なあ、遙名。

 僕も、そっちにいくのか……今度は、同じ場所に立てるだろうか。


 それから。

 未来。


 僕は、ちゃんと、君の兄貴でいられただろうか。


 未来。

 ごめんな。


 二人の妹のことを思いながら。

 僕の意識は、闇か光かも分からない何かに、覆われていった。

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