5-2 敵地
電話に告げられた住所。
古びたビルが建っていた。
鍵が開いていることを確認し、中に入ると、暗闇が僕を迎え入れた。
窓という窓は全て塞がれている。
闇の奥、手を叩く音が聞こえてきた。
「よく来た。頭が良いな」
「あなたと同じ。ひねくれているだけだ」
僕は、闇の中から歩んでくる人物に返答した。
闇から浮かび上がるようにして目の前に現れた九条は、ふむ、と眉を吊り上げ、僕の後方を、広げた手で示した。
もう片方の腕は、当然のことながら失われている。
「どうぞ。掛けたまえ」
振り返るとソファーがあった。
僕はそれを無視する。
「僕の妹はどこだ。お前は知っているはずだ」
「情報は金なり。この世界を動かすもの。それは情報だ。情報が全てを左右する。こんな情報化社会では尚更だ」
君は、と九条が人差し指を立てる。
「情報の断片を繋ぎ合わせて、ここまで来た。そうではないかな」
「今日は御託を聞きに来たわけじゃない」
僕は十字弓を構えた。
「妹はどこにいる」
「怖い顔をするな。モテないぞ」
「答えろ!」
九条は微かに笑みを浮かべた。
そのまま、自分の背後にあったソファーに腰掛ける。
「君は何と戦うつもりなのかな」
残された片手を広げてみせる。
「私とか。君の妹をさらった連中か。それとも世界とか」
答えない僕に、九条が笑みを浮かべた。
「いい加減に認めろ。君と私は似ている」
「答えろと言っている」
「君はどうも、自分の立ち位置が見えていないようだな」
九条は、覚えの悪い生徒に教え込むような口調で言った。
周囲から、獣の息遣いが聞こえてくる。
一体、何匹の屍が棲んでいるのか。
「今に限った話じゃない。君は自分の足場というものを知らない」
九条が哀れむ口調で続ける。
「君は何故、ここに一人で来た?」
「何だって」
「友情、絆、愛情。温かい仲間たちから離れて、どうして君は一人になった?」
どうしてだろう。
本当に、どうして。
「今や、君は孤立無援だ。君は一人だ。君自身がそれを望んだ。何故かな」
九条は、口調を優しいものに変えた。
「君は、何か頼み事があって、ここまで来たんじゃないかな」
僕は答えない。
「小さな小さなプライドは捨てたまえ。君の人生が傷つく」
「……妹の居場所を」
「そんなものは知らないな」
「仲多の居場所を訊いている。知っているだろ」
「知らないことはないな。そして、教えてやらないこともない」
含んだ物言いだ。
「何が望みだ、九条」
「君の血だ」
「何?」
「君の血が欲しい」
「どうして」
「君は特別だからさ。言ったろう。君と私は似ている。君の血の味が知りたい」
「あなたは腐った変態野郎だ」
「君も似たようなものだ」
「僕は」
「取引に応じるか否か。二つに一つだよ」
「もううんざりだ、あなたの世界観は」
「まさか、無傷で帰れるなどと甘えた考えでここへ来たわけでもあるまい。怖いのか?」
「……好きにしろ。僕の身など、どうなっても構わない」
僕は十字弓を下げた。
実際のところ、僕の命など、どうでも良かった。
僕が案じているのは、未来のことだ。
もしも僕が、ここで殺されるとしたら、未来を、いったい誰が助ける?
「狂った世界、罪の世界に生きてる」
九条が近づいてくる。
「原罪。人は誰しも罪を持つ。罪に無自覚であり、無意識であり、無関心であることこそ、最も大きな罪となりうる。君は自分の罪を知っている。だから特別な人間だ」
「思い上がり野郎」
「無知の知だよ、辰比良竜平君」
どこまで知ってる。
僕の何を知っているんだ。
恐怖。
自分の罪を、他人が知っているかもしれないという恐怖。
やはり、こいつを殺そう――。
そんな考えが脳裏を過ぎったときには既に、僕の首元に、九条の歯が近づいていた。
「時に光は、闇を覆い尽くす悪となる」
耳元で九条の囁き。
僕は一人だ。
首元に僅かな痛み。
一人で敵のど真ん中に来て、親玉に血を吸われている。
あいつなら、こんな僕の姿を見て、何と言うだろう。
意識が朦朧とする中で。
どういうわけか、真っ先に浮かんだ顔は、未来でも、遙名でもなかった。




