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屍たちの夜明け Dawn of the Past  作者: 星野彼方
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1-2 狂信者

 騒ぎ声が上がった。

 野次馬の中からだった。


 一目見て、騒いでいるのは、勘違いしている面倒な連中だということが分かった。


 首に十字架をぶら下げ、木製の杭を手にした数人の男女グループが、警察官に向かって騒ぎ立てている。

 そうして、しきりに救急車の方を指差しているのだ。


「分からないの、こうしてる間にも連中は増え続けているのよ! あの中の死体も、今に起き上がって、人を襲うのよ! そうやって増えるのよ! 知らないの、読んでないの?」


 叫ぶ中年の女が、指で十字を切りながら、分厚い本を掲げてみせる。


「本に書いてあるわ! 殺すには、胸に杭を打ち込むしかない! 何故、分からないの!」

「あの、ですね」


 若い警察官が、困り果てたように、詰め寄る女たちを宥めようとする。


「救急車に乗せているのは、怪我をした人たちです。遺体では――」

「そう見えるだけ、分からないの! すぐに心拍停止して、そうして蘇るのよ! 吸血鬼に血を吸われたら、そうなるの! 私の旦那もそうだったわ! 分からないの!」

「やれやれ」


 来栖が嘆息を漏らした。


「ああいう輩は、どこの現場にもいるもんだな」

「吸血鬼は、血を吸った人間の意志を操れるとも書いてあるわ! あんたたちも操られているのね! 国から乗っ取る気なんだわ! 全員、首を見せなさい! 今すぐに!」

「おや、そいつは新説だ」


 と来栖。


「やだなぁ、ヒステリーだよ」


 と小鳥遊。


 問題の男女グループは、救急車の進行方向に立ち塞がっており、なかなか救急車が出発できない。

 怪我人を乗せているというのに。

 警察がグループに対して、しっかりとした対応を取れていないところに、世間にはびこる誤解の根強さを見たように思った。


「杭を打ち込むの! 起き上がる前に! さっさと、そこをどきなさい!」


 女の後ろで、杭を持った連中が、賛同の声を上げた。

 彼らの持つ杭は細く、その目的を達するには役に立ちそうもない。


「さっきの話を聞かせてあげたらどうですか」

「無駄だろうな。連中は自分たちの間違いを認めようとはしねぇ。違う二つの理屈があるなら、間違ってんのは相手の方だ、と思い込む連中だ。何度も何度も説明してきたんだが」


 尾瀬の言葉に、来栖が、諦めたような声で答えた。


「初期症状と末期症状の区別も付いてねぇ。どんなにテレビや新聞で偉い学者や政治家が説明しようと、あいつらは古臭い伝説を信じる。単純明快な吸血鬼をな」


 警察官が数人集まって、男女グループを救急車から遠ざけようとした。

 救急車はようやく動き出したが、そこに、石が投げつけられた。


「悪鬼だ! あいつらは悪鬼だ! 何で分からないの!」


 そろそろ我慢の限界だった。

 僕は歩み出す。


「タツ」


 来栖の制止する声も無視し、騒ぎながら石を投げる女に向かって歩み寄る。


「悪鬼――何、何よ、あんた」


 僕は、手に持っていた十字弓を、ケーブル未接続の矢が装填された十字弓を、女の胸に向けた。

 女の顔が青ざめ、それを隠すように、より怒りで歪められる。


「あんた、悪鬼の仲間ね! そうなんでしょ! 何よ、やってみなさい! みんな見てるわ! あんたたちの大好きな夜じゃなく、白昼堂々、殺せるものならやってみなさい!」


 何も答えず、狙いを定めたまま、僕は女の後ろに立つ男の手から杭を奪い取った。


「こんなんじゃ駄目だ」


 十字弓を下ろすと、今度は、その細い杭を、女の胸に突きつけた。


「こんな細い杭じゃ殺せない」

「心臓を突き刺せば――」

「無駄だね。すぐに傷口は塞がる。伝説とは違うんだ。鵜呑みにしてると、こっちが死ぬ」


 杭の先端を、ゆっくりと、胸から首筋へと伝わせる。


「血を吸われるというのも誤りがある。末期症状患者は、血を注入するんだ。吸ってるわけじゃない。そうして、感染者を増やそうとする」

「同じことじゃないの! あいつらは呪われたんだ! 吸血鬼の血で!」


 女は救急車の走り去った方角を指差した。


「あんたたちが逃がしたんだ! また私のような人が増えるんだ! 私の旦那は――」

「さっき聞いたよ」


 僕は首を傾げた。


「旦那さんは? 噛まれただけなら初期症状だったはずだ。今は病院?」


 女は、ここで満足そうな笑みを浮かべた。

 歪んだ笑み。

 目をそらしたくなるような、張り倒してやりたくなるような、そんな笑みだった。


「杭を打ち込んだのよ。何本もね。寝ている間に。太い杭も使ったわ」


 私はやり遂げたのよ、と女はせせら笑った。


「あいつらは殺せるの。吸血鬼は、大声で悲鳴を上げて、旦那の声で命乞いしたわ。最後まで、私を騙せると思ってたみたいだけど。あいつらの目的は、私の血だけ」


 そうだ、と背後でグループの男女が声を張り上げたが、一睨みすると、すぐに止んだ。


「殺人だ、それは」


 僕はようやく言った。


「旦那さんを殺したんだよ、あなたは」


 女は笑ったまま、嘲るように首を振る。


「違うわ、吸血鬼よ。みんな、知り合いの顔をしたあいつらに同情して攻撃できず、逆に殺される。でも、私はそうじゃない。いつだって先手を打つのよ」


 どんなに親しい相手であっても、躊躇すれば、自らが犠牲者となる。


 心が冷える。


 もう見知った顔じゃない。

 悪魔が食ってしまった。

 だから先手を打たねば。


 気分が悪くなる。

 猛烈な嘔吐感。

 紅い記憶が追いかけてくる。


 そんな僕の変化に気付く様子もなく。


 女は、上手い言い草を思いついたというように目を輝かせた。


「それに、こうも考えられない? 私はあの人を、永劫続く苦しみから救ったのよ」


 それで最後だった。

 これ以上、目の前の女に喋らせるつもりはなかった。


「簡単には死ねないんだ、吸血症患者は」


 手に持った杭に力を込める。

 女の顔が、微かな痛みに苦しそうな表情を浮かべた。


「それでいて、他の人と同じように痛みを感じる。あなたの旦那は、長い激痛を味わったんだ。何本も杭を打たれ、しかし破損した肉体は再生し、延々と苦しみ続ける」


 今のあなたなら、と僕は続ける。


「ちょっとしたことで死ねる。簡単に死なせてやれる。でも今、それをする必然性はない。もしあなたが吸血症にかかって、末期症状患者になったら、その時は、簡単に死ねると思わない方が良い。太陽に焼かれながら死ぬ患者を見たことがあるか?」


 アスファルトの上――黒焦げの身体を顎で示す。


「間違った知識を持つのは構わない。あなたの勝手だ。その知識を周囲に振りまくのも、とてつもなく迷惑だが、あなたの勝手だ。問題は、いつかその誤った知識が、自分に降りかかる可能性もあるということだ。その時には、逃げず喚かず、筋は通してもらいたいな」


 杭を女の首筋から離すと、元々の持ち主に投げ渡した。


「な、何よ――」


 という女の言葉が聞こえたが、僕は無視して、仲間の元へと戻った。


「ああいうパフォーマンスはやめてもらえねぇか、タツ。俺にも立場ってのがあるんだ」


 来栖は渋い顔をしていた。


「あの女、新聞か何かで見たことあるぜ。仲多(なかた)益美(ますみ)とかいう名前だ。こういう現場で、度々問題を起こしてる奴だよ。タツ、あんな類は放っときゃいいんだ」

「竜平君、短気は損気、だよ」

「あんたは、すぐそうやって目立ちたがるんだから。あんなの、放っとけばいいのよ」


 小鳥遊と南も、それぞれ言い寄ってくる。

 南は、手で顔を覆う仕草をしてみせた。

 こちらに向けられたカメラを意識しているらしかった。


 放っとくわけにはいかないんだ。

 そうじゃないか?

 ああいうのを放置すれば、ばい菌のように連中は増殖する。

 それが分からないのか?


 軽い苛立ちを覚えながら、ああ分かってる分かってる、と軽くやり過ごす。


「僕、もう少し勉強しておきます。ああなりたくはないですからね」


 尾瀬の言葉に頷く。


 皆が興味を持ち、確かな情報を元に知識を得れば、吸血症患者にまつわる問題は、もっと解消されるはずなのだ。

 ああいう人間が、どんどん問題をややこしくしている。


 思わず溜息が漏れる。

 今日は疲れた、色々と。


 明日も朝早くから学校だ、と考えると、憂鬱で仕方がなかった。

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