1-1 血は紅く
背後からの光源――電気ランプが、闇の中から屍の顔を照らし出した。
青白く、凶暴に尖った歯を剥き出しにした顔が、僕たちを見つけて歪んだ。
「三川!」
命令する声に従い、元SAT隊員が散弾銃を構えて、一歩、踏み出した。
鍛え上げられた肉体と、洗練された動作。
闇と光の境目で、轟音が炸裂する。
屍の身体がくるくると舞い、部屋の壁へと叩きつけられるのを見た。
通常の散弾を用いた散弾銃。
その役割は、敵との間合いを作り出すことだった。
屍は、壁に叩きつけられると同時に起き上がり、素早く壁を伝って逃げ出そうとした。
三川の隣で、背の低い、小柄な少女が歩み出た。
小鳥遊結衣。
その手に握られた拳銃――オートマチックの拳銃――九ミリの銀の弾が込められた拳銃――それこそ、屍にとって、本当の脅威だった。
最初に、頭が射貫かれた。
続いて胸に二発。
それらが、一秒未満の間隔で、行われた。
素早く確実な動作。射撃の名手。
屍は苦悶の叫びを上げ、本物の死体と化して、床を滑った。
「二」
残りの屍の数を、別の少女が告げる。
背も体型も一般的に見て平均的、こちらの生命線である電気ランプと、探知機を手にして索敵している少女――南梢。
定期的な電子音が、近くにまだ敵がいることを示している。
南が、探知機の筒のような先端を、来た道とは反対の扉に向ける。
電子音が強まる。
どこかの誰かの比較的裕福な家――その居間を横切り、台所に足を踏み入れる。
電気ランプの光に怯えた声が、天井から響き、僕たちは一斉に上を見た。
天井に張り付く屍の姿。
飛びかかろうと身構えていた屍を、電気ランプの強力な光が足止めする。
来栖泰羅が、銀製の槍を、屍、目がけて突き上げた。
我らが班長――そして僕の同級生である男は、正確に屍の胸を刺した。
他の仲間と同じく、服装は、一般特殊部隊の突入用装備と同等。
普通の装備と異なるのは、ところどころに鉄のメッシュ素材が用いられていることだ。
現代風の鎖帷子。
防弾バイザー付きのヘルメットが、血飛沫から来栖の顔を守った。
「一」
探知機を確認しながら、南が告げる。
この縄張りには、突然変異体の屍が一体いるという話だった。
突然変異体は、銀に対して免疫があり、銃や槍がほとんど効かない。
簡単に殺す方法は、一つしかなかった。
南の背後で、唸り声が上がった。
僕は、南を強すぎないよう押しのけ、居間から襲いかかってくる屍の姿を確認する。
足を踏ん張り、十字弓を構えた。
屍は、女性の顔をしていた。
美人であったのだろう、と思う。
躊躇うことなく引き金を引いた。
巨大な矢が放たれ、屍の胸に突き刺さると、見事に銛の役目を果たした。
矢の後方に接続された鋼のケーブルが、勢い良く矢に追いついて伸びていった。
「引っ張れ!」
来栖が無線で指示を出した。
その指示を受け、弛ませた状態で家の玄関から引いてきていたケーブルが、どんどん張っていくのが目に見えて分かった。僕らの後方へと、ケーブルが引っ張られていく。
巻き揚げ機が動き始めたのだ。
ついにケーブルが限界まで張られ、矢を強く引いた。
矢の刺さった屍は、つんのめるようにして倒れ、引き摺られ始めた。
屍は、胸を貫かれながらも、暴れ狂いながら悲鳴を上げた。
近くにあったテーブルを一撃で粉砕し、飛散した木片が僕たちに当たる。
回収されていくケーブルは勢いを増し、屍を、強く引き摺っていく。
ケーブルと床の擦れ合う音が、屍の唸りと同調する。
屍は、その強大な力から逃れようと、爪の伸びた両手を振り回し、尖った歯を剥き出しにして唸り、足をばたつかせながら、着実に、家の中を引っ張られていく。
玄関をくぐる瞬間、屍は断末魔の悲鳴を上げた。
真夏の太陽の下にさらし出され、屍の身体は、炎を上げて焼け爛れ始めた。
皮が剥がれて灰と化し、炎と共に風で千切れる。
その動きが止まるまで、そう長くはかからなかった。
肉の焦げる、むせ返るような苦い匂い。
炎が消えて黒煙に変わり、アスファルトの上で、動かなくなった肉体が泡立っていた。
それで終いだった。
仕事を終えて外に出る僕たちと入れ替わりに、清掃担当の処理班が家へと入っていく。
家の周囲には野次馬の取り巻きができており、現場に入れないよう、警察官たちが封鎖していた。
そんな警察官自身も、好奇心に満ちた目で、こちらを見つめていた。
民放各局が、関係者にぶら下がり取材を行っている。
僕たちが出た瞬間、どの局のカメラマンも、一斉にこちらにカメラを向けてきた。
来栖が、血に塗れたヘルメットをかぶったまま、カメラに向かって手を振った。
そんな風に注目を浴びながら、僕たちは太陽の下で、仕事終わりの開放感を味わう。
黒焦げになった屍の身体を見つめ、その腐臭に耐えながら、南が溜息を吐いてヘルメットを脱いだ。
茶髪のショートカットが、焦げ臭い微かな風に揺れる。
「オールクリア。いつ見ても気持ちの良いもんじゃないわね、やっぱ」
「ナミちゃんってばデリケートだよ」
そう言いながら、同じくヘルメットを脱いで鋭角的なツインテールを現し、南に近寄ったのは、拳銃をホルスターにしまった射撃の名手、小鳥遊だった。
彼女は、南のことをいつもナミちゃんと呼ぶ。
だから、南をナミという名前だと誤解している人間は多い。
「焼き過ぎて失敗した魚って思えばいいんだよ」
「そんな脳天気な発想はできないよ、私」
「えへへ。コロンブス的転回、だよ」
「それ言うならコペルニクス的転回。勉強しないとね、小鳥」
「あ、隊長、隊長、どうだった、今日のあたし」
来栖は槍を壁に預け、血塗れのバイザーをタオルで拭っているところだった。
ヘルメットでぺちゃんこになっていた髪を、手で掻き上げる。
茶色く染めた、アシンメトリーの髪。
適度に輪郭の長い、女子受けする整った顔立ち。
「及第点」
「何それー。隊長、暑いからって、八つ当たりの辛口は駄目だよ」
「学生の本分は勉強だぜ。コペルニクス間違えるようじゃ満点はやれねぇよ」
来栖は、汚染されたタオルを処理班に渡し、家から出てきた。
「そもそも、髪の毛が銀色の奴なんて、女としても落第だね」
「この子の弾と同じ色なんだよ。強そうだし、格好良いでしょ」
小鳥遊がホルスターの拳銃を軽く叩いて見せる。銀色のツインテールが跳ねる。
「単に奇抜。ある意味、奴らも避けるかもしれねぇけどな」
「ひーどーいー」
「うるせぇ幼児体型」
そう言って、来栖は僕に目をやる。
「タツ、この後は暇だろ? 学食に行かねぇか」
「よく食欲が出るな、仕事の後に」僕は黒焦げ死体を目で示す。
「あんなの、焼き過ぎて失敗した魚って思ゃあ良いんだ」
「あー、あー、隊長、盗作、盗作! それ、あたしのだよ!」
「うるせぇ。俺のもんは俺のもん、小鳥のもんは俺のもんだ。何せ隊長だかんな」
「職権乱用だよー。竜平君からも言ってよ。こんなの発想のレイプだよ」
小鳥遊にすがられて、僕は苦笑を浮かべるしかない。
近くには最年長の三川幸三もいたが、まだあまり皆と打ち解けておらず、寡黙に立っているのみだ。
短く刈り上げた頭髪に、厳つい顔。
腕を組んでいるため、鍛え抜いた筋肉が隆起している。
「皆さん、お疲れ様でした」
そう声をかけてきたのは、巻き揚げ機の操作を担当していた尾瀬秀だった。
最近、雇ったばかりのアルバイトで、入社したのは金銭的な理由ではなく、憧れによるものらしい。
眼鏡をかけた、感じの良い少年で、学年的には一つ下だったように思う。
小鳥遊と同じだ。
「今日も、吸血鬼の奴らに一泡吹かせてやりましたね」
「尾瀬君、吸血鬼じゃなくて、吸血症患者」
と南が口を挟む。
「それも末期症状のな」
と来栖も補足する。
「ああ、すみません……伝説の怪物とはまた違うんでしたね」
「そうだよ、尾瀬君。伝説とは、全然違ってるんだよ」
ここぞとばかりに小鳥遊が身を乗り出してくる。
「例えば、にんにくも十字架も、よく頼ろうとする人がいるけど、効果はないんだよ。吸血症患者は、招かれないと人の家には入れない、というのも迷信だし」
「正確には、十字架は多少、効果があるけどな。パターン認識の問題で、発症患者は、ああいった図形に心理的不快さを感じるらしい。けど、それだけの話ってことだ」
「隊長、そんなの分かってるよー。それでね、尾瀬君。吸血症患者は、確かに人の血を吸うけれど、別に呪われた怪物に変貌したわけではないんだよ。血液に問題があるんだよ」
「血液、ですか」
「そう。吸血症患者の血は、正常な人間の血に触れないと、活性を保てないんだよ」
「一定間隔で人間の血を吸わないと、飢え死にしてしまう、ということですか」
「いや、そうじゃねぇ」
来栖が再び口を挟んだ。
「吸血症患者の血は、活性を失うと、別の性質を持つようになる。ウイルスとしての性質が強くなるのさ。感染力が高く、この世から絶えないために、感染を広げることを第一の本能とし始める。その本能は、宿主――つまりは感染者の行動をも操り始める。もはや意志も心も持たず、人を襲って仲間を増やすことだけを考える。それが――末期症状患者だ」