第8話 母を守れ! 赤ちゃん人間
「大変だー!」
「教会の近くで火事があった!」
「魔物だ!魔物が教会に!!」
「教会が気の狂った魔術師に襲われてる!!!」
俺がファイヤーボールの呪文を使ったせいで、村は蜂の巣をつついたような騒ぎになっていた。村人の若い男達が血走った目で教会に踏み込んでくる。みんな、何かしら武器になりそうな物を手に持っている。木の棒、ナイフ、鍬や鎌などの各種農具。
……やばい。やばいやばい。うわあああああ……
「おぎゃああああ!おぎゃああああ!おぎゃああああ!」
取り乱した俺は泣き出していた。
「あ、赤ちゃんだ」
「赤ちゃんが泣いてる」
「それより、賊を探さないと!」
みんな、俺が犯人だということに気付いていない。ドタドタと教会の中を探し回っている。
「もう逃げたのか? 足が速いな……」
「いや、姿を隠せる魔物かもしれない。警戒を怠るな!」
「それにしても、賊の狙いは一体何なんだ?」
そうこうしているうちに、隣町に買い出しに行っていた司祭さんが帰ってきた。
「一体なんの騒ぎなんだ、これは」
司祭はかなり怒っていた。垣根は焼け落ち、武装した男達が教会をたむろし、部屋は荒れている。司祭にとって、かなり酷い事態になってしまった。主に俺のせいだけど。
「すごい音がして、垣根が燃えたんです。魔物とか、賊の仕業ですよ、きっと」
「適当な事を言って、私がいない時に家に大勢で入り込むのはやめてください!」
「いや、本当に聞こえたんですってば、音が」
みんなが証言しても、司祭は信じようとしなかった。皆が口裏を合わせて嘘をついていると思い込んでしまった。刻印に使った薬品が無くなったのも、火事場泥棒の仕業だとされた。
……うわあ。俺のせいで村人の人間関係に亀裂が入ってしまった……
とにかく俺は追及を免れたが、司祭と村人の関係は険悪なままだった。
-----------------
それから、約二週間後……
「魔族だ! 魔族の大軍が襲ってきた!!」
畑仕事をしていた村人がそう叫びながら、教会に駆け込んだ。でも、司祭は信じなかった。
「また適当な事を言って教会に入って盗みを働こうとしているんでしょう」
結論としては、違った。本当に魔族が襲ってきた。魔族というのは、ある程度以上高い知能を持った魔物の事だ。大抵は人っぽい形をしており、知能が高い以上、組織的な軍事行動を行う事が出来る。
「ゴブリンだ! ゴブリンの群れが来たぞ!!」
ゴブリンというとあまり強くなさそうに聞こえる。実際、魔族の中ではかなり弱い部類の種だ。緑色の肌をしていて、棍棒や斧で武装した人型で小柄な魔族。とはいえ、大した武装も訓練も施されていない農民とどちらが弱いのかといえば、農民のほうが弱い。
「ぐわああああっ!!」
村人がゴブリンの斧の一撃を受け、最初の断末魔の叫びを上げた頃、司祭はようやく危機に気付き、教会の鐘を鳴らした。
ガランガランガランガラン!!
警報の鐘だ。しかし遅すぎた。村人が戦闘や避難の準備を始めた頃には、村に大勢のゴブリンがなだれ込みつつあった。
「逃げるよ。しっかり掴まってて」
メアリはそう言って、俺をおぶって避難しようとした。
「おぎゃ! おぎゃ!」
俺はオリハルコンのおまるを持って、叫んだ。
「それを持って行きたいんだね。持って行ってもいいよ」
「おぎゃ!」
おまるを持ったまま背負い紐でメアリの背中に括られた状態で、メアリと俺は避難を始めた。村の外に逃げ出すらしかった。村の見慣れた通りを移動していると、村が阿鼻叫喚の騒ぎになっているのが見て取れた。時々村人の悲鳴が聞こえる。罪悪感が襲ってきた。
俺が教会の中で魔法を使わなければ、司祭さんが人間不信にならなかったはずで、早く警報の鐘を鳴らせた。そしてみんなもっと早く避難を始められただろう。魔物の襲撃自体は俺のせいじゃなくても、大きな被害が出つつあるのは俺が原因だ。
メアリはゴブリンが現れたのとは反対の方向に走り、村の外れまでやってきた。メアリと一緒に、10人ぐらいの女性や子供も避難しようとしている。
「魔族の襲撃なんて、聞いた事ないわよ!」
「本当に魔族なの? 部族連合の略奪団の間違いでしょう?」
「いいえ見たわ。昔はたまにあったらしいけれど、まさか今時魔族の襲撃なんて……」
「魔族がやって来たとしても、もっと早く警報鳴らせなかったの?」
「まったくよ! おかげで息子が見つからないまま避難しなきゃならなくなったわ!」
さっきから魔族の姿を見ていないせいで緊張感が薄れたのか、みんな走りながら色んな事を言ってる。やっぱり、教会の件が悔やまれる。
その時、道の脇の茂みから五匹のゴブリンが躍り出た。そして、中年の女性に斬りかかった。
「きゃあああああああ!!」
女性は腹部から血を吹き出し、倒れた。
……やばい!!待ち伏せ攻撃だ!……
すごく危険な状況になった。まずゴブリンに逃げ道を塞がれているし、戦えそうな人々は村の前面で戦っていて、この辺りには弱い女性や子供や老人しかいない。反撃できない人間しかいないのがわかっているので、ゴブリンは手当たり次第に人々に襲いかかる。
「うわああああああ!!」
「きゃああああああ!!」
目の前で幼い少女の首が切り落とされ、地面に転がる。しかしゴブリンには誤算が一つだけあった。俺は、戦えるのである。
「おんぎゃああああ!!」
おまるを振りかざし、ファイヤーボールを放つように念じる。村人を誤射しないように慎重に狙いを定め、五連射。
「グギャアアアアアア!!」
一発は外れたが、残りの四発は二匹のゴブリンに命中。火だるまになって悶絶する。残りの三匹が、俺の存在に気付いた。
「グギャアアア!」
威嚇の声を上げるゴブリンたち。
「ちょ、ちょっと……一体なんなの?」
俺をおぶっていたメアリは困惑した。背中で息子がものすごい威力のファイヤーボールを撃った上に、生き残りのゴブリンが一斉に自分に狙いを定めたのだから当然だろう。
「グギャアアア!」
「おぎゃ!」
俺の放ったファイヤーボールがゴブリンのうちの一体に命中した瞬間、残りの二体がこっちに飛びかかってきた。
「きゃっ!」
メアリが恐怖のあまり、腰を抜かした。尻餅をついて倒れる。おかげでゴブリンの斧の横凪ぎの一撃をかわしたものの、もうこれ以上回避行動が取れない。戦えるゴブリンは残り二体。一体はファイヤーボールで倒せる自信があるが、その間にもう一体が襲ってきたら身を守れない。
「やだ。死にたくない……」
メアリが呟いた。このままだと、メアリが死んでしまう。メアリが死んだら、俺におっぱいを飲ませてくれる人がいなくなる。俺に愛情を注いでくれる人がいなくなる。そうしたら多分、俺も生きていけない。それだけでなく、あまりにも後味が悪い。
だから、俺は考えた。どうすれば生き延びる事ができるか、頭を振り絞って考えた。
「おぎゃああああああ!!!!」
結論は、力押しだった。ありったけの魔力で、ファイヤーボールを手当たり次第に撃ちまくった。
「グギャアアアアア!!」
二体のゴブリンはファイヤーボールを身に浴びて、断末魔の叫びを上げた。
そして運が良かったのか、他の村人にはファイヤーボールは当たらなかった。