第3話 知れ! 赤ちゃん人間
「アキラ、いい子にしててね」
メアリは今日もまた、麦の収穫に行くらしい。そして俺は家で留守番……じゃなかった。今日は俺は教会にいた。
教会っていうのは、この世界(エメリアという名前らしい)に存在する十二柱の神々を祀り、自然界や人間界の様々な現象、特に魔法の行使などを円滑に進めるための宗教団体、もしくはその団体が持っている宗教施設の事を指すらしい。
なんで知ってるのかって? 本にそう書いてあったからだ。
いやいや、赤ちゃんは字が読めないでしょ、って? そんな事はない。家に置いてあった本を使って勉強したのだ。
メアリの家は見るからに貧しかったし、この世界では本はある程度貴重品らしかったが、家には一冊だけ本が置いてあった。教会が布教用に配っている本だった。
内容は神々が世界を作って、人間を作って、手違いでその世界に魔物や魔族も作ってしまって、だから人間は神々と協力しながら魔物や魔族と戦っている、というような話だった。基本的には多神教で、ギリシャ神話なんかと似た宗教観っぽい。
充分な教育を受けていない人のためにわかりやすい言葉で書かれていて、版画の挿絵が豊富に使われた本だった。その分内容はアテにならなさそうだったけれど、とにかく俺はその本を眺めているうちに文字が読めるようになった。
文字が読めるようになった俺は、教会に連れてこられて嬉しかった。教会には沢山の本があるからだ。沢山といっても、所詮田舎の村の教会なので百冊ぐらいしか置いてなかったけれど、とにかくこの世界について情報が得られるなら嬉しかった。
本を手に取って読んでみると、期待通り色々な情報が手に入った。
まず、この世界には魔物や魔族がいるらしい。伝承によると人間の傲慢さや欲の強さが原因で生まれたらしい魔物と魔族は人間に襲いかかり、多くの被害を与える事もあるという。魔王は魔物や魔族を統率していて、魔王に率いられた軍勢は人間の城や大都市を奪って破壊することもあるという。
これに対抗するために人間の小国群が集まって、強大な軍事力を持ついくつかの大国ができた。俺がいる村を統治しているセンフォード王国――通称『王国』もその一つらしい。
しかし200年ほど前に人間の軍勢が魔王の軍勢に大勝して魔王の勢力が弱体化した頃から人間の国々の結束が乱れ始め、各地で人間同士の戦いが続いているらしい。
とりわけ俺のいる村は七部族連邦――通称『連邦』という国との国境に近いので、農業生産力の低い連邦の軍による略奪の被害に遭う事もあるんだとか。
他にも色々読んでいるうちに、この世界の技術水準なんかがなんとなくわかってきた。
この世界……少なくとも俺が今いる王国は、魔法が使えるのと銃器がないのを除けば17~18世紀ぐらいのヨーロッパに似ている。
大半の人が農民として食料生産に従事していて、たぶんメアリもその一人だ。残りの人々は冒険者や軍人として魔物や人間と戦ったり、商売や工業をやったり、教会で聖職をやっていたり、支配階級になったりしている。
俺は大きくなったら、一体何をするんだろう。農民はつまらないだろうなあ。でも冒険者として魔物と戦うのも大変そうだ。軍人になって人を殺すなんてもっとイヤだ。
じゃあ日本での知識を活かして何かしらの商売をやるんだろうか? それも大変だろうなあ。特に商売の元手になるお金を稼ぐのが大変そうだ。貧しい農民がどうやったら、店を開ける程度のお金を稼げるのかわからない。
技術の話に戻ると、150年ぐらい前に活版印刷ができるようになってから本の値段が大きく下がったらしい。それまでは本は一文字ずつ手で書き写すものだったので、本一冊で家が一軒買えるぐらいの値段が付いたこともあったそうだ。
今ではそれが二十分の一ぐらいの値段になって、俺も村の教会で沢山の本を読むことができている。印刷技術様々だ。
そんな風にして本を読んでいたら夕方になって、メアリがやってきた。
「ちょっとアキラ、何をやってるの! そんなに本を散らかして!」
俺は本棚から本を引っ張り出してきたのはいいものの、戻す事ができないので床に置きっぱなしにしていた。
「まあまあ、いいじゃないですか。好奇心旺盛な子供で」
メアリと一緒にやって来た男――教会の司祭らしい――がメアリをなだめた。
「好奇心旺盛っていっても、まさか文字が読めるわけじゃないでしょう」
「それはないでしょうけれど、挿し絵を見て楽しんでいるのかもしれません。良い事です。きっと良い信徒に育ってくれます」
司祭が笑顔で言った。確かにたくさんの挿し絵がある本もあった。
「そ、そうだといいですね。さあアキラ、もう帰りましょう! 司祭様、息子がご迷惑をおかけしました」
「いえいえ。構わないですよ」
鷹揚な司祭に対して、メアリはどこかピリピリした様子で謝った。
「おぎゃ! おぎゃ!」
できればこのまま本を読んでいたかったけれど、メアリの機嫌を損ねたくなかったので大人しく家に帰ることにした。それにどのみち、もう少ししたら日が暮れるし、電灯とかがないから日が暮れたら本は読めないのだ。