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カミサマと一緒

カミサマと一緒 その1 腹が減っては戦ができないって本当だ

作者: シベリウスP

幕前 基本的に幕前は面白くないから読み飛ばしてもいいが後悔するぞ


 時は近未来――世界は一国家となり、なんと全世界を日本が統一していた。日本の世界統一はその精神性にあった。曰く……武士道。

 しかし、その実は、世界的大企業であるマウント・フィフス社――日用雑貨から軍事産業、土木建築や農林漁業など、すべての産業を支配下に収めている巨大企業――と手を握り、その『企業傘下の国政運営』によってもたらされた、パックス・ジャポニカであった。

 その日本では、社会構造や経済構造など、社会の根幹的な部分は基本的に現代と変わらないが、「社会を強者の論理で統治しよう」という『新経済理論派(官僚派)』と、「社会的弱者が生きやすくしよう」という『新精神理論派(サムライ派)』が激突し、10年に及ぶ内乱が国の内外を揺るがした。

 西暦2080年を過ぎたころから、内乱に勝利を収め、国政の実権を手中にした官僚派は、荒れ果てた『東京』を捨てて、『新東京』に首都を移転し、そこで日本の政治をほしいままにしているのである。

 一方、敗れたサムライ派は、『東京』や地方都市で細々と活動を続け、政権奪取を狙っている。

 官僚派は警察機構や軍隊を牛耳っているが、一方のサムライ派も大きな幹をいくつか持ちながら、私設武闘集団を組織してゲリラ活動やテロ活動(「官僚派」の言い分。「サムライ派」は「聖戦」と呼んでいる)を行っていた。

 この物語は、そのような激動の時代を熱く生きた人間たちの物語である――――。

 え? 時代背景がイマイチわからない? しょうがないなあ~、の×太君ったら~。

 じゃあ、年表を掲載しとくから、きちっと読んで理解してくれたまえ。

 なお、ここ、テストに出るから、きちんと予習・復習しておくように。いや、予讐・復讐じゃなくてね……。

 (略年表)

 2063年(永生元年)…「官僚派」が日本国首相として永山鉄山(42)を擁立。永山は世界的経済界の雄・マウント・フィフス社の日本支局長だったため、日本の社会的機構に大改革を行った。その『聖域なき規制緩和』により、日本の経済界(と言ってもほぼ中小企業だけだったが……)は大打撃を受ける。

 2064年(永生2年)…「サムライ派」の重鎮・宮辺貞蔵(44)が「新精神政策論」を発表し、政権を非難する。永山政権は宮辺を弾圧。宮辺は郷里の肥後に逃れる。

 2065年(永生3年)…肥後の「サムライ派」の雄・宮﨑八郎眞郷(30)が、「岱山郷塾」を開講する。

 2070年(永生8年)…永山鉄山首相が暗殺される(享年49。この暗殺は、永山に利用価値を見いだせなくなったマウント・フィフス社の陰謀であった)。マウント・フィフス社と組んだ軍需相の小田信名(27)がクーデターを起こし、軍事政権樹立。信名は永山首相暗殺実行犯として宮﨑眞郷を投獄、処刑する(眞郷の享年35)。

 2071年(永生9年=明示元年)…4月6日、宮﨑眞郷門下生が小田政権に反旗を翻す(永生・明示の乱勃発)。サムライ派の主な人物として、武田春信(31)、上杉剣心(25)、毛利元成(33)、伊達正昌(22)、西郷大盛(35)らがいる。12月改元。

 2077年(明示7年)…3月、八神主税(20)を局長、鳴神雹(20)を副長、犬神主計(20)を参謀として、200人の兵力で『協同隊』が旗揚げする。『協同隊』は、当初、武田春信の甲州軍に属して東京の制圧を狙い、新政府軍と戦う。

 2078年(明示8年)…5月、武田春信戦死(享年38)。10月、毛利元成病死(享年41)。

 2079年(明示9年)…8月、後世に残る『サムライ派』最後の大勝利である『利根川の合戦』が起こる。サムライ派は上杉剣心(33)を大将とした約3万人、官僚派は陸軍中将・第1師団長である佐久間信守を大将とする約2万人。この戦いに『協同隊』(隊士300人)も参加し、特に副長・鳴神雹(22)はその鉄の軍紀から“鬼の副長”、その華麗で凄絶な戦いぶりから“双刀鬼”の異名をとり、一躍サムライ派の伝説となる。

 2080年(明示10年)…3月、上杉剣心死去(享年34)。5月、最大の決戦である『東京の戦い』でサムライ派が完膚なきまでの敗北を喫する。サムライ派は西郷大盛(44)を大将に、中村半太郎(34)、篠原主幹(33)、村田新吾(32)、別府晋作(30)、永山一郎(31)、池上弥四郎(30)の6個連隊・約2万人。これに鳴神雹(23)たちが属した『協同隊』(隊長・八神主税、参謀・犬神主計、副長・鳴神雹=“双刀鬼”)500人などを含めて2万5000人。官僚派は陸軍中将・第1師団長である柴田束家を大将とし、第2師団長・明智光正、第3師団長・橋場秀吉、第4師団長・庭秀長、第5師団長・竹川一益、第6師団長・前田俊英の計14万人。西郷は自刃、中村と篠原、永山、池上は戦死。村田と別府は行方不明。『協同隊』も、八神主税はじめ雹の親しい友人たちが戦死する(八神の戦死は未確認)。

 2083年(明示13年)…この物語のスタートです。

 では、第一幕から、張り切って行ってみよう!



第1幕 田舎者と言うが大都会に住んでる奴の半分以上は田舎者だ


 明示13年4月6日、汽車がガタゴトと音をたてながら、小さな町の真ん中にある駅に停車した。

 駅の名は『十二支町』。

 ここは、昔――と言ってもほんの数年前までは、東京都の新宿と言っていたところだ。今からわずか10数年前に起こった『永生・明示の乱』で、東京のほとんどは焼け野が原となり、今は『新東京』と呼ばれる大都市に首都機能が移ってしまっている。

 このまちも、その焼け野が原から新興住宅地として再生してきた町の一つであった。

 「小さな町だなあ……」

 僕はそうつぶやくと、思い切ったようにプラットホームに飛び降りた。荷物はボストンバックと風呂敷包みが一つずつ、そして、父上の形見の刀が二振……。この『関兼定』と『肥前忠吉』は、肥後藩で大番役頭を勤めていた父上が、命よりも大切にしていたものだ。

 「清ちゃん、ちょっと待って」

 「あ、姉上。すみません、荷物、お持ちしますね」

 僕は、少年が青雲の志を延べるには小さ過ぎる、どこか雑然として猥雑ささえ感じさせる街の雰囲気に憮然としていたが、背後から聞こえる姉の声にはっと我に返って振り向いた。

 「ありがとう、清ちゃん。でも、何をぼんやりしていたの?」

 姉が僕に優しい笑顔を向けて聴いてくる。

 姉のぎんは、弟の僕が言うのも何だが美人で優しい。今年二十歳になったが、あちこちから降ってくるような縁談を僕が一人前になるまではと断り続け、今回の首都遊学にもついて来てくれたのだ。

 僕の名は、佐藤清正。自分で言うのも何だが、肥後の藩校・時習館では秀才の部類だった。武道の方も、藩の正流である円明二天流を特別に習わせていただき、免許までいただいた。

 父上は、5年前に鬼籍の人となり、物心つくときには母を亡くしていた僕は、以来、姉上とこの東京にいる叔父の助力によって、ここまで成長してきたのだ。

 僕たち姉弟は、その叔父を頼って、できれば新政府の官吏になりたいと、この東京へと出てきたのである。

 「清ちゃん?……いやだわ清ちゃんったら、私を無視する気? 頭のてっぺんをそり上げて月代つくってあげちゃおうかしら?」

 ――いけない! モノローグに夢中になって、姉上のこと忘れてた!

 「あ……すいません姉上(汗)。ちょっとボーっとしちゃいまして……って、姉上、何すかそれ?」

 僕は、姉が汽車から降ろした荷物を見て絶句した。

 姉上の方は、そんな僕に相変わらず優しい笑みを向けながら、どことなくサドっ気を感じさせるような少し冬めいた声でのたまう。

 「何って、私の荷物よ。女性はどんな時でも、どんな所に来ても、大切なものは持っておきたいものなの」

 「……それは分かりますが、それはあんまり多過ぎ……」

 僕の抗議の声は、あっさり無視された。

 「じゃ、清ちゃん。私はこれを持って行くから、あとの荷物はお願いね?」

 そう言うと、姉はポーチとショルダーバックを持ってすたすたと改札口へと歩き始めた。僕は、その場に残されたボストンバック5個と大行李5個を前に、しばし途方に暮れるのであった。


 「で、どうするんすか? 姉上」

 僕は、やっとのことで改札口の外まで運び出した姉の荷物を見ながら、そう聞く。いったい何が入っているのかは知らないが、この荷物、やけに重たかった。姉上はどうやってこんな荷物を汽車に持ち込んだのだろう?――僕はふっとそう言う疑問が頭をよぎったが、とりあえずはこの荷物を叔父の家に運び込まなければならない。

 僕から聞かれても、姉は知らんぷりで、道行く人やすっかり変わってしまった『東京』のたたずまいを興味深げに眺めている。僕はため息をつきながら、

 「……こんなに荷物が多いんじゃ、乗合馬車や人力車じゃ無理ですよ。ちょっとお金はかかるけれど、辻馬車か貨物自動車をチャーターしましょう」

 そう提案した。姉はニコリとうなずくと、僕に優しい顔を近づけて、恐ろしく冷え冷えとした声で言った。

 「……できるだけ値切りなさい、清ちゃん。5千円より高かったら、姉さん、清ちゃんを殺しちゃうから……」

 「は、はい……」

 僕はそう答えるしかなかった。

 その時、『彼』が僕に話しかけてきたのだ。

 「よう、兄ちゃん。その荷物、俺が運んでやろうか?」

 僕と姉が振り向くと、そこには一人の男がニコニコとして立っていた……というより、スクーターにまたがっていた。

 その男は、群青色のネル生地の詰襟シャツと、同じく群青色のメンパンの上から群青色のブルゾンを無造作に羽織り、腰に巻いた太い革バンドに大小2本の木刀をぶっさしている。

 顔の方は、まあ、イケメンの部類だろう。切れ長の目、通った鼻筋、きりっとした唇に細いあご……しかし、その髪の毛が、特に僕らの目を引いた。

 年のころは25・6だろうけれど、手入れされていないようにもじゃっとしているその髪は、全部金髪だった。金髪と言っても、日の光を受けるとどうかすると赤や銀に見えたりするから不思議だった。

 「どうする、兄ちゃん? 見たところお引っ越しのようだが、せっかく俺たちの『十二支町』に来てくれたんだ。そうさな~、その荷物とおたくたち込みで、5千円でどうだい?」

 「僕らは『込み』ですか!?……っていうより、これだけの荷物、そのスクーターでどうやって運ぶつもりですか!?」

 僕は思わず突っ込んでしまった。すると男は笑って言う。

 「心配すんな、そちらの別嬪さんは俺の後ろに乗ってもらうとして、兄ちゃんはここに荷物と一緒にどうだい?」

 そう言うと男は、スクーターで引っ張っていたリヤカーを親指で肩越しに指した。

 「僕は荷物扱いですかっ!?」

 「リヤカーをバカにしちゃいけないぜ。大八車と違って車輪に空気入りのゴムタイヤがついてるから、乗り心地はバツグンだし、リヤカーに曳かれて風を感じるなんて、おつじゃねぇか? 何なら、お前さんが俺と二ケツして、別嬪さんを特別席でご案内でもいいぜ」

 男は、両肘をハンドルにつき、あごを手で支えた格好で言う。僕はそのふてぶてしい態度に少しカチンと来てしまった。

 「姉上を荷物扱いするなんて、そんな失礼なことできません!」

 僕がそう言うと同時に、一台のバンが近くに止まり、その助手席から男が声をかけてきた。

 「よう、兄ちゃん。その荷物運んでやろうか?」

 しめたっ! 渡りに船だ。僕はちらりと金髪の男を見ると、バンの男たちに答えた。

 「龍崩たつくえ区1丁目まで、3千円でお願いできますか?」

 するとバンの男はニヤニヤしながらうなずいた。

 「いいぜ、乗りな」

 僕たちの交渉が成立したのを見て、金髪の男がつまらなさそうにつぶやくのが聞こえた。

 「あ~あ、プリンを食い損ねちまった」


 僕たちを乗せたバンは、見知らぬ『東京』のまちをガタゴトと走って行く。僕は道が違うような気がしていたが、まちの姿が変わっているせいだと思うことにした。

 叔父の家には小さいころ何度か来たことはあるが、その後の戦乱で『東京』はすっかり様子が違っていた。きっと、見慣れた風景がないから、不安になるのだろう。

 不安と言えば、僕たちを乗せた運転席と助手席の男たちが、バックミラー越しに僕たちを何か値踏みするような視線で見ているのも気になったし、こそこそと何かを話しているのも、僕を不安にさせる一因だった。

 姉上はというと、僕の心配も不安も知らないように、揺れるシートの上ですうすうと寝息を立てている。まったく、この姉上がいつもこんなだったら、とうに嫁に行っていたに違いない。僕のことが心配と言いながら、姉上のどこかエキセントリックな性格が、結婚の大きな障害になっている気がしてたまらない僕だった。

 もうずいぶん走った。駅から叔父の家までこんなにかかるのだろうか……そう思っている僕の鼻に、まぎれもない潮の香りが届いた。海だ! 僕は直感的に『おかしい!』と感じた。なぜなら、叔父の家は海から遠く離れた山間にあったからだ。

 「あ、あのう……」

 僕は思い切って、男たちに声をかける。最初に僕に声をかけた助手席の男が、そのチャラチャラした茶髪をいじくりながら、めんどくさそうに言う。

 「あ~ん、なんだい? ボウズ」

 そのふてぶてしさに、僕はちょっと身体を固くしたが、何気ない声をして聞く。

 「なんか、道、違ってませんか? 僕たちは『十二支町』の『龍崩区』に行きたいんですが。潮の香りがしますよね? 海に向かっているなんて、全然方角が違うんですが」

 すると、男は――僕が恐れていたことだが――ニヤリと笑うと言った。

 「おやおや、俺たちが親切に乗せてやったのに、いちゃもん付ける気だよ、このガキャあ」

 すると、運転手もそのひげ面を歪めてこちらを向くと言う。

 「ボウズ、都会に来て知らないオジサンについて行っちゃだめだと、母ちゃんに習わなかったのか?俺たちゃ、ボウズには用はねぇんだ。そっちのねェちゃんと、おたくたちの荷物さえ頂けたらな」

 しまった!――僕が考えたのは、その一言に尽きた。何かおかしいと思ったが、あの金髪の男から逃れたい一心で、こんな奴らにつかまってしまうなんて! でも、僕は覚悟を決めた。

 ――姉上は、僕が守らなければ!

 僕は、手元にあった父上の形見の一振り、『関兼定』の柄を握ると、心を落ち着けて言った。

 「降ろしてください。僕たち、ここから歩いて行きます。お約束の3千円はお支払いしますから」

 すると、助手席の男は笑って言った。

 「ふざけんなよ、ボウズ。たった3千円ぽっちで俺たちがてめぇらを解放するとでも思うか?」

 僕はカッと頭に血が上った。そして、『関兼定』を抜こうとした時、それよりも速く男は懐から拳銃を取り出すと、僕の額にぴたりと狙いを付けて言った。

 「ボウズ、物騒なもんはしまいな。ボウズは『サムライ』の子どもか? 廃刀令が出たっていうのに、侍さんたちは野蛮でいけないやね」

 男はそう言うと、僕の姉に向かって怒鳴った。

 「おい! 起きろ! いつまで寝てやがんだ、このアマ!」

 すると、姉はまだ寝ぼけたように目をこすり、僕の様子を見てびっくりしたように言う。

 「まあ! 清ちゃん! どうしたの? 何かのジョーク? でもエイプリル・フールはもう過ぎているわよ」

 「姉上、すみません。僕のせいでこんな奴らにつかまってしまって……。こいつら、強盗だったんです」

 すると男は苦笑いをして言った。

 「だから田舎もんは困るんだよ。ものを知らなくてな……ボウズ、俺たちゃな、そんじょそこらのチンケな強盗じゃねぇんだ。『十二支町』も含めてここいらをシマにしている『仏滅組』のもんだよ」

 「そうさ、おたくたちの荷物は、『東京』に来たあいさつ代わりに、うちらの親分、仏滅の小次郎さまに差し上げて、ついでにそっちの別嬪の嬢ちゃんも妾として献上するわけよ」

 運転手の男が、そう、下卑た笑いをもらしながら言う。それを聞いて、姉上がキレた。

 「あら、そうなの。でも……」

 姉上はニコニコ顔をして続けた。

 「おんどりゃみたいな下種に、好きにされるあたしじゃないわよっ!」

 ゴスっ! 姉上の言葉と同時に、運転手が特大のラリアットをくらって助手席の男にぶつかる。と同時に、パーンという乾いた音が響いた。

 「ぐへっ!」

 「わわっ!」

 バンは派手にスピンして止まり、男たちはダッシュボードに強かにぶつかって、目を回しかけていた。

 「清ちゃん、早く逃げるのよ!」

 姉上の声を聞き、僕も父上の形見の刀だけを持って自動車から飛び降りた。

 「姉上!」

 「こっちよ!」

 僕は、姉上を追いかけて近くの茂みの中に転げ込んだ。

 「畜生! あのアマ、見つけたらただじゃおかねェ!」

 男たちはやっと動けるようになったのか、二人とも自動車から出てきて僕たちを見つけ出そうとしているようだ。でも、見当違いの方向に二人とも走って行っている。今なら、何とか逃げられそうだ。

 「おい! ここに血の跡がある!」

 運転手の男が叫んだ。血の跡?……僕は別に痛くない……?

 「清ちゃん、早く逃げて……」

 僕は、姉の声がいつもと違って元気がないことに気づいた。急いで振り返ると、姉は左足を血に染めて、苦しげな表情で座っていた。息が荒い。それに、着物が見る見るうちに真っ赤に染まっていく……姉上に、さっきの拳銃の弾が当たったんだ!

 「姉上、しっかりしてください! 歩けないのなら、僕がおぶって行きます」

 僕がそう言うと、姉は血の気が引いた顔でいやいやをするように首を振って言う。

 「清ちゃん、あなたは肥後藩でも由緒ある佐藤家の嫡男。父上の志を継いで立派な侍にならなければなりません。私の事はいいから、清ちゃんだけでもお逃げなさい」

 「嫌です! 姉上一人を護れない男が、立派な侍になれると思いますか? 僕は姉上を見捨てたりできません」

 僕はそう言うと、姉上の左腕を僕の右肩にかけて、ゆっくり立ち上がった。その時である。

 「あそこにいたぞ!」

 運転手の男と助手席の男が、僕たちを同時に見つけて叫ぶ。よく見ると、さっきの銃声を聞きつけたのであろうか、奴らの仲間と思われる男たちが10人くらいこの場に駆け付けてきていた。

 ――くそっ! これじゃ逃げ切れない。

 僕は覚悟を決めて、『関兼定』を抜き放ち、左手に構えた。すると、

 「清ちゃん……あなただけを戦わせたりはしません」

 姉は気丈にもそう言って、『肥前忠吉』を抜き、右手で構える。

 「おうおう、これはとんだじゃじゃ馬だ。けれどいいのかい? そのままじゃ出血多量で死ぬよ?」

 男たちは僕らをぐるりと取り囲み、一斉に抜刀していた。その中で、駆け付けた一人と思われる人相の悪い三十がらみの男がゆっくりと冷たい声で言った。

 「私は武家の娘……死すとも守らねばならぬものがあります」

 姉は凛として言う。その様に男は何を感じたのか、さっきまで身体中からほとばしらせていた殺気を消して、静かに言った。

 「拙者は、『仏滅組』の小次郎親分に世話になっている、畠山忠時と申す。拙者も侍だ、そこもとの気持ち、よく分かる。死出の土産だ、名乗られい」

 「……肥後熊本藩、大番役頭・佐藤筑前が娘、ぎん!」

 「……同じく、佐藤清正!」

 僕らが名乗った時、間、髪を入れずに、すっとぼけた声が響いた。

 「そしてその助太刀、『頼まれ屋』の鳴神雹なるかみ・ひょう

 僕は、はっとして声の方を見た。いや、僕らを取り囲んでいたならず者たちも、残らず声の方を向いた。 そこには、駅前で僕たちに声をかけてきた、あの金髪の男が両手をポケットに入れて立っていた。

 「……何だい、みんなでこっちを向きやがって。照れるじゃねェかコノヤロー」

 雹と名乗ったその男は、10人からが抜連れている白刃を見ても恐れる色もなく、ゆっくりとこちらに歩み寄ってくる。

 「何だぁ、てめぇは? 関係ねぇやつぁすっこんでろぃ!」

 運転手だったひげ面がそう言うと、雹さんはやれやれと言ったように首を振って言う。

 「俺はその二人の助太刀だって言いましたけどぉ~、聞こえませんでしたかぁ~? 顔だけじゃなくて耳まで悪いんですかぁ~?」

 するとひげ面は顔中を真っ赤にして、刀を振り上げざま雹さんに斬ってかかった。

 「なめんなよ、この若造がぁ!」

 バシッ!

 鈍い音が響いた。雹さんは左手で短い方の木刀を抜き打ちにしていた。その後ろで、ひげ面の男が泡を吹いてドスンと倒れる。驚いたことに、ひげ面の刀はぽっきりと折れていた。

 「ワリィ、俺を相手に突っかかって来るなんて、目も悪かったんだな」

 そう、すっとぼけた声で言って、今度は自分の周りを取り囲んで刀を突きつけているならず者たちに聞いた。ニヤリとした雹さんの顔が、ひどく冷たく見えた。

 「……あんたら、タイマンの稽古が好みかい? それとも一斉に来るかい?」

 右手は相変わらずポケットに入れたままで、左手の小木刀をだらりと下げたままの雹さんだったが、ならず者たちは一歩も踏み込めずにいる。そんなみんなを眺めながら、雹さんはさらに続けた。

 「早くしてくれよ。おめぇらみてぇな野郎どもに囲まれても面白くないんだ。どうせなら別嬪さんに囲まれて、キャーキャー言われたいぜ」

 そうしゃべっている雹さんに隙ありと見たか、後ろにいた男が刀を振り上げたが、雹さんの小木刀がぴたりとその男の鼻づらを押えると、その男は意気地なく刀を下げてしまう。

 「……何だい、天下の『仏滅組』が聞いて呆れるぜ。そっちから来ないのなら、こっちから行くぜ」

 雹さんはそう言うと、いきなり後ろを振り向いて、先ほど刀を振り上げた男をあっという間に突きで倒した。そして、後は……見ていた僕も何がどうなったか分からないほど素早く、雹さんは10人ものならず者たちを倒していた。

 「……なかなか巡り会えない好敵だな……」

 畠山という浪人は、ゆっくりと刀を抜きながら雹さんに言う。雹さんは右手で頭をかいていたが、

 「ちょっとタイム! アンタを相手にするなら、靴はしっかり履かないとな」

 そう言って、雹さんは黒いバッシュのつま先で地面をトントンと蹴って、履き直した。

 ――さっきまで、バッシュのかかとを踏んづけて戦ってたのかい!

 僕は思わず心の中で突っ込みを入れた。

 「……楊心流の小太刀とお見受けした。拙者は梶派一刀流、畠山忠時」

 畠山という浪人がそう言うと、雹さんは何を思ったか小木刀を腰に戻して言った。

 「……アンタ、侍だろ? 俺ぁホントの侍とは、主義の戦しかしねェことにしている。あの二人は俺のお客だ。それにあの別嬪さんも怪我している。詰まらねェ勝負で命かけてもしょうがねェと思わねェか? 畠山さん」

 「……ふふ、拙者は『仏滅組』に飼われたときに、侍の意地を捨てた。しかし、心まで堕落していく自分に耐えられないんだ。最後は侍の心を持った者に斬られたい、それが拙者の望みだ」

 そう言うと畠山は構えた。その身体に殺気が満ちていくのが、僕でも分かった。

 雹さんは、もはや何を言っても無駄だと思ったのだろう、一つうなずくと大木刀を抜き、地摺りの青眼に構えて一言言った。

 「……鞍馬流、鳴神雹」

 その途端、二人の身体が跳躍してすれ違った、キィィンという鋭い音を残して……。

 どれくらいの時が経ったのだろう……後から考えると、それは5分にも満たない時間だったが、僕には異様に長く感じられた。きっと真剣の果し合いを初めて見たからかもしれない。

 「ぐ……」

 やがて、畠山が苦悶の声を一声挙げてばたりと倒れた。その刀は雹さんの“担ぎ太刀”の一閃で叩き折られていた。

 「益体もねェ……。こんな勝負で命を粗末にしやがって」

 雹さんは木刀を腰に戻すとそうつぶやき、そして視線を僕たちに向けて言う。

 「兄ちゃん、荷物を運んでやるよ。その前に医者が先だな」


 「おかげさまで助かりました。その……鳴神さん」

 ここは、『十二支町』の『馬渡地区』にある『東京東総合病院』の待合室だ。姉上は、銃弾が左の太ももを貫通していたが、処置が早かったおかげで命に別状はないとのことだった。

 あの後雹さんは、ならず者たちの車を運転して僕たちをこの病院に連れてきてくれただけでなく、近くの番屋に行き、事の次第をお巡りさんに告げて僕たちの荷物を取り返してくれたのだ。あの立ち合いの腕といい、てきぱきとした今回の処理といい、僕はこの鳴神雹という人に、『見た目と違って頼れる人だなあ』という印象を強く受けていた。

 「礼にはおよばねぇよ。姉上も大したことがなくてよかったな」

 雹さんは腕組みをしたままでけだるそうに言う。僕はさらに続けて

 「僕がバカでした。雹さんのお誘いを受けていれば、姉上にこんなケガまでさせなかったのに……ははっ、僕って、やっぱり田舎もんでダメ男ですね」

 そう言うと、雹さんはつまらなさそうにあくびをして言った。

 「男ってのはなあ、失敗して強く賢くなっていくもんなのさ。女に騙されたり、金に困ったり、誰かにメーワクかけたりな……。でもよぉ、足掻いているうちに、少しずつましになって行くもんさ。そのためには少しくらいの背伸びは必要さ……」

 そして、僕を横目で見て言った。

 「兄ちゃんだって、自分を『田舎もん』って言うんじゃねェ。だから付け込まれるんだ。こんな大都会に住んでいる人間の半分以上は『田舎もん』なんだぜ。それを、『あたしぃ~はじめっから都会に住んでま~す★』なんて顔しているだけさ。自分に自信を持て」

 「鳴神さん……」

 感動している僕に、雹さんは照れくさそうな笑いを浮かべて言う。

 「おいおい、その『鳴神さん』って、柄でもねェからよしてくれよ。『雹さん』でいいぜ」

 「は、はい! 雹さん。よろしくお願いします」

 僕がそう言うと、雹さんはニヤリと笑って言った。

 「じゃ、荷物を運びこんじまおうか? どこに運べばいい?」

 「えっと……『龍崩区1丁目1の3、福島』までお願いできますか?」

 僕がそう言うと、雹さんはびっくり顔で僕を見つめて訊いた。

 「待て、龍崩区1ノ1ノ3の福島って、もしかして福島焼則のおっさんの家か?」

 「そうですけど……ひょっとして雹さん、焼則叔父さんの知り合いですか?」

 僕の言葉に、雹さんはさらに驚いて言う。

 「叔父さんって……じゃ、焼則のおっさんがいつも自慢していた甥っ子姪っ子って、兄ちゃんたちの事か。そうか~奇遇だなあ~」

 そして、不意に真剣な目をして僕に、驚くべきことを告げた。

 「焼則のおっさんな、一昨日、亡くなったよ」

 僕は頭の中が真っ白になった。

 「ウソでしょ!? 雹さんそれウソでしょ!? ウソって言ってください!」

 「こんな不謹慎なウソつくもんか。現に俺と方谷和尚がお葬式やったんだから、嘘じゃないよ」

 「お葬式?」

 「ああ、俺、神主と納棺士の資格持ってるから」

 ――どういう資格持ってんですか? 雹さんって資格マニアですか? 普通、納棺士や神主なんて潰しのきかない資格持たないですよねっ!?

 僕は、心の中でそう突っ込んだが、さし当たっては僕たちの住む場所と、明日からの生活をどうしたらいいのか、僕はさっぱり分からなかった。

 「どうした? 顔色悪いぞ」

 そう聞いてくる雹さんに、僕は思い切って僕たちの上京してきたわけを包まず話した。母が早く亡くなったこと、父が5年前に死んで禄だけでは暮らしが立たなくなったこと、叔父を頼って新政府の官吏になるための勉強をしたいこと、などなどを……雹さんは哀しそうな表情で、僕が支離滅裂に訴えることを根気よく聞いてくれた。

 「そうか……とにかく、荷物を焼則のおっさん所に運び込もうか、清正君」

 雹さんはそう言うと、まだ動転している僕の頭を優しくなでて言ってくれた。

 「姉上殿の帰るところをつくってやらねェとな?」


 僕は、雹さんのスクーターに乗って、懐かしい叔父の家を訪れた。雹さんは近くの班長さんに事情を話し、鍵を取って来てくれた。この鍵は、お葬式の時に雹さんが一時預かってもらっていたそうだ。

 班長さんも、小さかった頃見知っていた人だったので、僕たちがここに住むことを喜んでくれた。

 叔父の家は、たいして大きくはなかったが、それでもこの区画では唯一、築地を巡らして門も備えた、本格的な武家屋敷造りだった。部屋数は客間、居間、床の間、座敷、奥の間、そして納戸と風呂と台所とトイレを備えており、3百坪の敷地に建坪が百坪と、平均よりやや上の武家の屋敷だった。

 「姉上の荷物は、奥の間に運んでいただいていいですか?」

 僕が雹さんにそう言うと、雹さんは

 「ほいほ~い」

 そう言って姉上のボストンバックを両脇に抱え、両手に持ってすたすたと廊下を歩いて行った。

 ――何あれ!? 何で四つもいっぺんに運べるの? あれってすごく重かったよね?

 僕はそう思い、残った一つのボストンバックを試しに片手で持ってみた。

 「……お、重い……」

 「あ~それ、重いから持つときは腰に力入れないと、ぎくってするぞ」

 雹さんが戻って来つつそう言った。僕はその雹さんのブルゾンのポケットに思わず目が行った。あれってもしや……?

 「じゃ、あとこれを運べばいいのね~」

 すっとぼけた声でボストンバックを持とうとする雹さんに、僕は冷たい声で言った。

 「雹さん……それ……何ですか?」

 「? それって、何よ?」

 「とぼけないでください。ポケットから出ているそれです! それって、あ、姉上のパ……」

 すると雹さんは白々しい声で慌てて言う。

 「あ? あれ~? どうしてここにパンツが入っているのかな~? 神様からの贈り物かな~?」

 「んなわけねぇだろ!」

 僕はそう叫ぶと、顔を真っ赤にして雹さんの手から姉上のパ……パ×ティーを取り返した。

 「ちょっとちょっとちょっと、清正くぅ~ん。お手伝いしてあげたお礼にパンツの一つや二つくれたっていいんじゃないのぉ~? ね、オジサン、そんなのにとってもキョーミがある年頃だから」

 「アンタは中学生かい!」

 「そ~んなこと言って、清正君もキョーミあるんじゃない? 美人のおねえさんのし・た・ぎ❤」

 「気持ち悪いこと言わないでください! 姉上をそんな目で見ないでくださいよ!」

 ああ……せっかく好感度が上がっていたのに……この人って、何者なんだ?

 「それに……」

 「それに?」

 言いかけてやめた僕の言葉を、雹さんが先を促すように繰り返す。

 「それに、姉上はああ見えてちょっとエキセントリックって言うか、キレやすいところがあるんです。下着がなくなってるなんてばれたら、僕が殺されます!」

 すると、雹さんは痛ましそうな目で僕を見ていたが、やがてフッと笑って言った。

 「分かった。そう言うことなら、パンツは返すよ」

 そう言いながら、僕の頭に姉上のパン×ィーをかぶせた。

 「ちょっと、やめてくださいよ! これじゃ僕がヘンタイみたいじゃないですか!? それに、ああっ! ブ×ジャーを取ってくんじゃねェよ!」

 油断も隙もない、雹さんはいつの間にか姉上の×ラジャーを頭にかぶっていた。その姿は、つい2時間前にあのならず者たちをぶっ飛ばしてくれた勇姿とは似ても似つかぬ姿だった。

 「あれ? よく見るとこのブラ、Dカップじゃん! へぇ~、清正君のおねえさんって、見た目よりナイス・バディなんだねェ~」

 やっと雹さんに追いついて、その手からブラを取り返そうとしている僕に、雹さんがそう言う。まさにその時、ジャスト・タイム、玄関の戸が開いて、そこに姉上が立っていた。

 雹さんは姉上のブラを頭の上に差し上げたまま、僕は姉上のパ×ティーを頭にかぶり、ブラに手を伸ばしたまま、そして姉上はそんな僕らをニコニコとして見つめたまま……時が止まった……。

 「あ、姉上、もう歩いても大丈夫なんですか?……」

 「……む、無理しちゃいけないよ? 早く横になるか、座った方がいいよ~……」

 そう、ひきつった笑いで言う僕たちに、姉上は相変わらずニコニコ顔をしたまま、冷たい、そう、まるで自分の部屋に女の子を連れ込んで今まさに××××をしようしているところを目撃した母親のような声で言った。

 「清ちゃん、あなたの頭の上にあるのは何かしら?」

 しまった! 姉上のブラを取り返すことに夢中で、頭のパン×ィーを取るのを忘れていた! 僕は慌ててそれを取ると、懐にしまって言う。

 「す、すみません姉上! 雹さんから姉上のブラを取り返すのに夢中で……」

 「雹さん? その私の下着を持っている変態が雹さんですか?……違います。私を助けてくれた鳴神雹様は、もっと凛々しくて、そんなケダモノみたいな真似はしない、白馬の王子様のようなお方です」

 僕ははっとした、姉上の目が据わっている。これは……。僕は慌てて、雹さんに言った。

 「雹さん、危ない! 早く逃げて!」

 「え? 逃げてって……」

 事情が分からない雹さんはまごまごしている。そんな雹さんを姉上はドSの目で見据えて叫んだ。

 「人の下着で遊んでんじゃねェよ! このド変態がぁ~!!!」

 雹さんは、姉上の声とともに繰り出された必殺の左ストレートをまともに受けて、玄関をぶち破り、庭へとすっ飛んで行った。

 「雹さ~ん!」

 慌てて雹さんに駆け寄ろうとした僕の腕を取って、姉上が冷ややかにのたまった。

 「清ちゃん、詳しい話を聞かせてもらうわね……」

 仰ぎ見るその顔が、僕には鬼に見えた。

★  ★  ★  ★  ★  ★  ★  ★

 「はぁ~い、玄関の修理、終わりましたぁ~」

 次の日、雹さんは壊れた玄関の修理をしに、僕たちの家に来てくれた。

 「あら、お疲れ様。ありがとう変態さん」

 姉上がニコニコとして雹さんにお礼を言う……って、これってお礼って言うのか?

 雹さんはがっくりと肩を落として、姉上を見つめて言う。

 「ちょっ……俺はさぁ~『鳴神雹』って名前があんだから、やめてくれない? その『変態さん』ってやめてくれない?」

 「どんな名前があろうとも、女性の下着をもてあそぶなどという殿方の風上にも置けない変態的なことをするお方は、『変態さん』です」

 相変わらずニコニコとしたまま姉上は言う。

 「参ったなぁ~。昨日の件は、ちゃんとナインティ・ナインアイス買ってきて謝ったでしょ~? なんとか言ってくれよ、清正くぅ~ん」

 ――こっちに振るか!? 残念ですけど僕だって昨日、姉上からボコボコにされた手前、雹さんをかばうことなんてできないですからねっ!……かばいようがないし……。

 「姉上、キャラメル・リボンがなかったってご不満のようでしたけど?」

 僕が言うと、雹さんは大げさに頭を抱えて言った。

 「うっそぉ~! ちゃんとお店のおねェちゃんに聞いたのにぃ~! 今、オンナノコに流行っているのは何ですかぁ~って! そしたらチョコレートチップがお勧めですって言われたのにぃ~!」

 「……い、いや、だからと言って50個まるまるチョコチップって言うのも……。キャラメル・リボンとかスイートチョコとか、バニラとか適当に混ぜて買って来るもんでしょ?」

 僕が言うと、雹さんは真剣な顔でのたまった。

 「いや、お誾ちゃんに迷惑かけたから、その誠意を示そうと思って……」

 「ちょっと変態さん、気安く『お誾ちゃん』なんて呼ばないでくださいませんか? 不愉快ですから」

 「……はい、すいまっせん、姉上様」

 姉上の言葉に、ますます肩を落とす雹さんだった。その時、開け放した門から、ぞろぞろと人相の良くない男たちが入ってきた。

 「何か、ご用ですか?」

 姉上がそう言うと、50人ほどの男たちは僕たちを囲むようにして威圧する。その中から、一人の男が出てきた。

 「初めまして、私はこの『十二支町』と近隣の町々をみかじめしている『仏滅組』の佐々小次郎と言います。昨日はうちの若い者がお世話になったと聞いてやってきました」

 男は、30歳前後で非常に引き締まった身体着きをしていた。太い眉、威厳に満ちた目、そしてがっしりとした鼻と顎を持つ精悍な雰囲気の男だ。深緑色の袴の股立ちを取り、白い鹿の子染めの着物に紫の同じ鹿の子で染めた陣羽織を着て、非常に長い刀を差している。3尺2・3寸はあろうその刀の柄に片肘をかけ、男は続けた。

 「あなた方に手を出して、返り討ちにあっただけならば、その者達の不覚で事はすみますが、番屋に突きだしてもらった日にゃ、私たちの今後の活動にも支障が出るってもんでね」

 「落とし物と悪い人は番屋に届ける、犬のう○こは持って帰る……。私たち、寺子屋でそう習ったんですけど?」

 姉上はニコッとして答えた。

 「い、いや……うん○って、可愛い顔してそう言うこと言うんじゃないよ、お嬢さん」

 小次郎がうろたえ気味に言うと、姉上は心底不思議そうな顔をして言う。

 「なぜですか? ○んことかお○っことか、屁とか、みんな自然の生理現象じゃないですか? 恥ずかしがることなんてないでしょ? あ! それともあなた、小学校の時恥ずかしくて学校でう○こできなかったクチですか? 顔に似合わない繊細なところもあるんですね?」

 姉上の言葉に、雹さんが腕を組んでうんうんとうなずきながら言った。

 「確かに、小学校の時は何か恥ずかしくて、女子の前ではう○こに行けないやつがいて、よくもらして保健室に行ってたよなぁ~。なあ新八?」

 「新八って誰ですかっ! 別の作品じゃないすか!? ちょっとこの作者、『銀○』の読み過ぎじゃないすか?」

 僕のツッコミに、雹さんが裏情報で応えてくれる。

 「いや、作者は『○魂』、1巻も揃えてないらしいぞ。みんな貸本屋で読んでるそうだ」

 「コミック買いなさいよ! なんすか貸本屋って!? 『銀○』に愛があるんですかっ?」

 ――そう言えば、僕の役回りって、新○そっくりだな……って、今さら伏字使っても遅いか。

 そう考えていると、僕たちのやり取りにじりじりしていたのだろう、小次郎が突然叫んだ。

 「『○魂』なんてどうでもいいんだよ! 今日はそのお礼参りに来たんだよ、ふざけやがって!」

 すると雹さんは、ゆっくりと歩を進めて、僕たちと小次郎の間に入るようにして、すっとぼけた声で言った。いつの間にかその腰には、大小の木刀が差されていた。

 「はい、お礼なら聞きましたから、お帰りください。お疲れさんっした~」

 「あっ! 親分! ソイツですぜ! 俺たちのきょうだいを番屋に突き出しやがった奴は!」

 その声を聞いて雹さんは、そいつをちらっと見てニヤリと笑って言った。

 「おや、あの時一人だけ逃げやがった奴だな。お前、親分に言わなかったのか? 『そいつは俺たちには……』」

 そう言うと、雹さんは影のように素早く――少なくとも僕には、雹さんの動きを目では追えなかった――動き、そいつを木刀で殴りつけながら言った。

 「『……とても相手にできませんでした』ってな!」

 そして、別人のように鋭くなった目を、50人からのやくざ者に当てると、両手に大小の木刀を持って雹さんが吠えた。

 「円明二天流・鳴神雹、参るっ!」

 「円明二天流!?」

 僕はびっくりした。何故、肥後藩の代表的な流派である、宮本武蔵の流れをくむ二天一流を、雹さんが? いったい誰から?

 僕がそんなことに思いまどっているうちに、雹さんはあっという間に50人もの奴らを庭に叩きのばしてしまった。

 「すてき……❤」

 「姉上!?」

 姉上は、両手を胸の前で組み、激闘を終えて息一つ切らしていない雹さんを恋する乙女の目で見つつつぶやいた。うわっ、姉上! 雹さんは確かにカッコいいですけど、変態ですよ!?

 「ふざけるなっ! 巌流・佐々小次郎、参るっ!」

 佐々小次郎がその大太刀を抜き討ちにしたが、雹さんはその豪刀をやすやすと左手の小木刀で受け、ニヤリとして言った。

 「小次郎の物干竿かい……小次郎は昔、武蔵に負けたんだよ!」

 「ぐはっ!!」

 僕は目を見張った。雹さんの木刀は、佐々小次郎の厚い胸板をぶち抜いて、切っ先を背中にのぞかせていたのだ。

 「てめぇは、ちょっと人様にメーワクをかけ過ぎた。『サムライ派』の志士の名が廃るぜ」

 悲しそうに言う雹さんの顔をじっと見つめていた小次郎は、何かを思い出したようにびっくりした目を見開いて、

 「お、おぬし……“双刀鬼”……。ふふ、見忘れていたよ……」

 そう言ってこと切れた。

 雹さんは、木刀から手を放して、僕たちにニコリと笑いかけて言った。

 「すまねぇな、玄関先を汚しちまって……こいつは俺が片付ける。もう誰もあんたらになんか言って来るやつぁいねぇと思うよ。それから、もうこんな奴らと関わっちゃいけないぜ」

 「あの……雹さん……ありがとうございました」

 姉上が恥ずかしそうにしおらしくそう言うと、雹さんは飛び切りさわやかな笑顔を僕たちに向けて言ってくれた。

 「ああ、清正君も、お誾ちゃんも、元気で暮らせよ。俺に用事があるときゃ、『龍崩区2丁目』の『鳴神神社』に訪ねて来な。茶ぐらい出すぜ」

 そう言って、その真っ直ぐな目を持った金髪の男は、小次郎を抱えて門の外へと歩き出した。

【第1幕・緞帳下げ】


第2幕 腹が減っては戦ができないって本当だ


 私は、もう3日間も何も食っていない……。育ちざかりの私にとって、白いコメが食べられない日が続くのは、いっそ死んでしまった方が楽だとさえ思えるくらいの地獄の日々であった。

 私のパピィは、世界にその名が轟いたトレジャーハンターである。しかし、常日頃から世界中を飛び回っているため、家に帰ってくることなど年に数回しかなかった。

 マミィは、私が幼いころから病気がちで、私は二人の兄と、二人の姉に育てられた――いや、上のお姉ちゃんと二人のくそ兄貴たちは、しばしば家にいなかったから、実際には下のお姉ちゃんのお世話になったと言うべきかもしれない。

 そのお姉ちゃんも、1年前にマミィが死ぬのと前後して、就職が決まって『新東京』に出て行ったので、私は家に一人、取り残されることになった。

 でも、私は一人は嫌だった。誰かの側に居たかった。それで、私は家を飛び出したのだ。どうせ、誰もいない家だから、私が帰らなくても、心配するような人はいないし……。

 東京までは、まだ14歳の私にとって『遠すぎたまち』だった。でも、もう帰れない……。

 家を出て3日で、持っていたお金が無くなった。それからは、毎日、水を飲んでは『東京』へと歩き続ける日々だった。

 足元がふらつく、時々目の前が真っ暗になる……そして、足に力が入らない……。

 私はそうして、とうとう力尽きて道に座り込んでしまった。

 ――うち、ここで死んじゃうのかなぁ……。

 かすむ目を開けて、空を見上げた。何故だか、白い雲の間から見える青空の中に、優しかったお姉ちゃんの笑顔が見える気がした。

 周りを見ても、誰もいない。助けてと叫びたくても、もう声が出なかった。

 ふと、霞む私の目に、一人の男の人が歩いてくるのが見えた。その人は、群青色の詰襟シャツに群青色のメンパンを穿き、足には黒いバッシュをつっかけて、群青色のブルゾンに太い革ベルト、そして大小の木刀を腰に差して、ゆっくりゆっくり歩いてくる。

 金色の髪の毛を春風になぶらせながら、その風を楽しむように目を閉じ、ポケットに手を入れて歩いてくる。

 ――しめたっ、あの人のお財布をいただけば……。

 幸い、私は自信があった。私の家は風魔忍群の上忍の家系で、私も幼いころから忍びの術を父母兄弟から仕込まれていたからだ。

 私はゆらっと立ち上がって、深呼吸を一回した。立ち上がるだけで残った力を全部使ってしまった気がした。それほど私は疲れていたのだ。でも、あの人からお財布を奪わないと、私は本当に死んでしまう。私は気を奮い立たせて、ゆっくりと『彼』の方へと歩いて行った。

 『彼』は、ゆるゆると近づいてくる。私はすれ違いざま、『彼』の内懐に素早く手を入れて、引き抜こうとした。その時である。

 「おいおい、人のものを盗っちゃいけないって、お父さんお母さんから習わなかったのか?」

 財布を握った私の手をしっかりつかんで、『彼』が目を開けて言う。その瞳は真紅の輝きを放ち、私はその光を見て、力が抜けて、『彼』の腕の中で崩れ落ちてしまった。

 「おい! お嬢ちゃん、大丈夫かおい!」

 『彼』の声を聞きながら、私は気が遠くなっていった――――。

★  ★  ★  ★  ★  ★  ★  ★

 「遅いわねェ、雹さん。清ちゃん、あなた、ちゃんと雹さんに時間と場所を伝えたんでしょうね?」

 満開の桜の下に広げた緋毛氈に座って、僕の姉である佐藤誾さとう・ぎんが聞いてきた。

 「ええ、今日の11時には始めますからって、ちゃんとお伝えしましたよ。姉上」

 僕はそう答えたが、姉上は心配そうに続ける。

 「だったら、もう来てくれそうな頃なのに……心配だわ、途中で何かあったんじゃないかしら?」

 「大丈夫ですよ。この公園は雹さんの住んでいる神社から1キロくらいしかないですし……きっと雹さんの事ですから、何か急な仕事でもできたんじゃないですか?」

 僕らが肥後熊本からこの『東京』の『十二支町』に出てきてはや一週間。やっと『東京』暮らしにも慣れてきた。

 頼みの叔父の急逝というアクシデントはあったけれど、雹さん――この『十二支町』の『龍崩地区』にある『鳴神神社』の神主にして、『頼まれ屋』を営んでいる不思議な男――のお世話によって、僕の姉上は近くの寺子屋で年少組を受け持つ先生となり、僕自身は雹さんの人柄や生き方にほれ込んだこともあって、雹さんの『頼まれ屋』を手伝うこととなっていた。

 ――それにしても遅いな雹さん。あの人はああ見えても時間にはきちっとしている人なのに……。

 時計を見るともう11時を30分も回ってしまっている。心配で落ち着かない姉上を見て、僕も少し心配になってきた。と、

 「あ、姉上、来ました来ました。雹さん来ましたよ」

 僕は、公園の入口に現われた金髪の侍を見つけて、姉上にそう言う。姉上も雹さんを見つけたのだろう、ほっとして言った。

 「よかった~。これでせっかく作ったお弁当が無駄にならないで済むわ」

 「え? 姉上、この弁当、全部雹さんのなんですか?」

 僕は、緋毛氈いっぱいに並べられた大量の弁当を見て、思わず訊いた。姉上はにっこりと笑って言う。

 「いやだわ清ちゃんったら、清ちゃんの分もちゃんとあるわよ」

 そう言うと姉上は、風呂敷包みから弁当箱を取り出して、僕に手渡してくれた。

 「ありがとうございます姉上……って、日の丸弁当!?」

 僕は弁当箱を開けてびっくりした。ぎっしりと詰まったお米の海に浮かぶ赤い島一つ。まがう事なき日の丸弁当であった。

 「清ちゃん、シンプル・イズ・ベストよ」

 「ってかシンプル過ぎんだろ!? 可愛い弟には日の丸弁当で、雹さんにはどんだけ豪華なお弁当作ってんですか!? なんすか、姉上、雹さんを好きになっちゃったんですか!?」

 僕が言うと、姉上はその美しい顔からさっと血の気を引かせて上から目線で僕にのたまった。

 「あんだよ、文句言うなよ。雹さんの力入れて作ってたら疲れちまったんだよ。弁当あるだけありがたく思いな……」

 こ、怖い……。姉上怖すぎる……。僕は諦めて、近づいてくる雹さんに視線を向けた。

 「あれ?」

 僕は、雹さんを見てそう言った。姉上も、雹さんを見つめて固まっている。なんか……雹さん、誰かを負ぶっているように見える。

 やがて、雹さんが僕たちを見つけて、すっとぼけたいつもの声で、

 「やあ、清正君、お誾ちゃん。遅れてごめんねェ~、ちょ~っと引っかかっちゃってさぁ~。あっ、清正君ゴメン、そこちょっと空けてくれないかなぁ?」

 そう言いながら、僕たちの目の前まで来て、負ぶっていた『誰か』を緋毛氈に降ろした。

 「雹さん、誰っすかこの子?」

 僕は、雹さんが緋毛氈に寝かせた女の子を見てそう聞いた。年のころは12・3歳か、明るい茶色の髪の毛をしていて、透き通るように白い肌だ。来ているものは赤のジャージで、胸の所に『FUMA』のロゴがある。もう何日も風呂に入っていないようで、髪の毛も顔もジャージも薄汚れていた。

 「知らん」

 「知らないって、負ぶってきたじゃないですか?」

 僕が訊くと、雹さんはめんどくさそうに言った。

 「俺の懐を狙ってきたんだ。そのまま番屋に連れて行こうと思ったが、こうして気絶しちまったところを見ると、ずいぶん腹減らしているんだろう。とにかく食うもん食わせて、話を聞いてみようと思って連れてきたんだ」

 それを聞いて、姉上は真剣な顔で言った。

 「雹さん、この子がどのくらい絶食していたかは知りませんが、急にたくさん食べさせると身体に悪いです。まずは、お水やスポーツドリンクから胃を慣らして行った方がいいと思いますよ?」

 すると雹さんは、うなずいてスポーツドリンクを手にして、横たわる女の子の頬をぴたぴたと叩きながら言った。

 「お~い、おちびさ~ん。生きてるかぁ~」

 すると、少女は、う~んと声をあげてゆっくりと目を開いた。パッチリとして大きな目で、瞳の色は惹き込まれるような碧眼だった。雹さんは優しい顔で女の子に言う。

 「腹減ってんだろ? まずはこれを飲め」

 少女は、差し出されたスポーツドリンクを少し飲むと、人心地がついたように辺りを見回して訊いた。

 「ここ、番屋?」

 雹さんは、優しい顔で首を横に振って言う。

 「違うよ、番屋じゃない。お前みたいな子が、どうして俺の懐を狙ったのか、その訳を聞きたくてここに連れてきた。話によっちゃ、力になれねェかなって思ったからさ」

 すると少女は、ゆっくりとドリンクを飲み干し、ふうっとため息をついて言う。

 「おじちゃん、悪さしてゴメンちゃ。うち、とってもお腹が減ってて、つい……」

 「そのことはもういいさ。お前が根っからの悪ガキじゃねェってことが分かっただけでいいよ。お腹が痛くなかったら、少しこれでも食べてみるといい」

 雹さんは、少女に羊羹を差し出した。少女はそれを少しかじって、その甘さで少し力が出たのか、ゆっくり起き上がって座った。

 「うち、雨宮霙あまみや・みぞれって言うねん。年は14歳。大和の国(作者注・今の奈良県)から歩いて来たんやけど、もう三日も何も食べてへんかったから、お腹が空いて死にそうだったんねん」

 それを聞くと、姉上は優しい顔で少女に言った。

 「大和の国から……それは大変だったわねェ……。お嬢ちゃん、今度はこちらを食べてみて」

 少女は、姉上が差し出したマッシュポテトを見ると、その瞳を輝かせて、ひったくるようにして食べだした。その勢いはすさまじく、重箱一杯のマッシュポテトがみるみる空になっていく。

 「おいおい、あんまり急いで食べるとのどに詰まらせるぞ」

 少女が起き上がったのを見て一安心したのか、雹さんが缶ビールを口にしながら笑った。


 「ふう……ごちそうさまでした~❤ おいしかったぁ~」

 霙と名乗った少女がそう屈託ない笑顔で言う。

 「はい、お粗末様でした」

 姉上もニコニコとほほ笑んで言う。でも、僕と雹さんはあきれ顔だった。なんせ、霙ちゃんはここにあったお花見のお弁当、ほとんど一人で平らげてしまったからだ。

 「ね、霙ちゃん、大丈夫?」

 僕が訊くと、霙ちゃんは不思議そうに訊き返した。

 「大丈夫って、何が?」

 「い、いや、何日もご飯食べてないのに、こんなにいっぺんに食べて大丈夫かなって思って」

 なんせ、お米だけでも軽く一升はあったはずだし、それに鳥の空揚げやウインナーや卵焼きやミートボール、はてはフライドポテトなど、胃にずっしり来る料理がほとんどだったのだ。

 しかし、霙ちゃんはニコッと可愛い笑顔で言う。

 「大丈夫やねん、うち、食べないときは何日でも食べへんし、食べるときは食いだめができるねん」

 ――い、いや、三日何も食べてないって、死にかけてたよね君?

 僕はそんなツッコミを心の中で抑えて言った。

 「……そ、そうなんだ……。ところで雹さん」

 「あん? なんだい清正君」

 雹さんは、姉上の気持ちに配慮して、料理に一品ずつは箸をつけてくれた。でも、霙ちゃんのために自分の割り当てを最も削ったのも雹さんだった。僕は、雹さんの優しさに感じ入っていたが、これは心を鬼にして聞かねばならない。

 「この子、どうするんですか? やっぱり番屋に連れて行きますか?」

 すると、霙ちゃんは怯えたような顔で僕と姉上と雹さんの顔を交互に見比べた。

 「い、嫌や! うち、番屋なんかに行きたくない! 助けてお兄ちゃん」

 霙ちゃんがそう言って雹さんにしがみつくと、姉上がきらっと目を光らせて言った。

 「……そうね、男の人に媚が売れる子だから、どこに放り出しても生きていけるんじゃない?」

 ……あ、姉上、それって嫉妬ですか?

 姉上の言葉を聞いて、霙ちゃんは今度は姉上に取りすがって哀願した。

 「そ、そんなぁ~、お姉ちゃん。お姉ちゃんの料理、とってもおいしかったのに~!」

 すると姉上は、ポッと頬を染めて言う。

 「……え? 何て言ったの霙ちゃん?」

 すると霙ちゃんは、泣き顔で繰り返す。

 「お姉ちゃんの料理、とってもおいしかったよぉ~」

 すると姉上は、ニコニコとして僕に言った。

 「清ちゃん、こんな素直でかわいい子、どうして番屋に突き出そうなんて言えるの? この人でなし」

 「姉上はもっとひどいこと言ってたじゃないですか!?」

 僕たち三人のやり取りを聞いていた雹さんが、酒臭い息を吐きながら言った。

 「おい、おちびちゃん。今日泊まるところの当てはあるのかい?」

 すると、霙ちゃんは静かに首を横に振って言う。

 「『新東京』にうちの姉ちゃんが住んでるんやけど、住所知らへんねん……」

 「……姉ちゃんの名前と年齢とスリーサイズは?」

 雹さんが訊くのに、僕は慌てて雹さんに言った。

 「ちょっ、雹さん。何で人探しにスリーサイズが必要なんですか? それってモロ雹さんの個人的好みですよね!?」

 すると雹さんは、目を据えている姉上をちらっと見て、慌てて釈明する。

 「い、いや、そう言うんじゃないんだ。例えば、お誾ちゃんのように美人で若くてナイス・バディの子はいいが、そうでない子は仕事を探すにしても不利になるんだ。だから、その辺の絞り込みのために聞いたんだ! 決して怪しい目的のためじゃないぞ!」

 酔っぱらいの釈明ほど怪しいものはないと思いますけど……ま、姉上がご機嫌を直しているから、これ以上突っ込むのは止めますね? 雹さん。

 「ということだ。おちびちゃん、教えてくれ、君のお姉さんのスリーサイズ、じゃなかった名前を」

 「……雨宮霰あまみや・あられ、24歳、スリーサイズは80・55・83って聞いてるねん」

 ――え!? 答えちゃうの!? というかよくお姉さんのスリーサイズ知ってるよね!?

 すると、姉上があからさまにほっとした顔をして胸をなでおろすのが見えた。

 ――姉上、勝ったからってあからさまにそんなドヤ顔しないでください!

 「そうなの~。顔の方はおちびちゃんのお姉さんだから、お誾ちゃんみたいに美人だよね? 分かった、お兄さんに任せておきなさい! 明日にでもちょっと調べてみるから」

 雹さんが言うと、霙ちゃんはぱっと顔を輝かせて、雹さんに抱き着いて言った。

 「ほんま!? ありがとお兄ちゃん! 恩に着るねん!」

 「ところでですけど……」

 姉上が再び嫉妬の炎を燃やす前に、僕は雹さんに聞いた。

 「霙ちゃん、今夜どうしましょう?」

 「うち、お兄ちゃんとこ泊まりたい。ダメ?」

 霙ちゃんが言うのに、念のため僕は聞く。

 「お兄ちゃんって、雹さんのこと? それとも僕のこと?」

 すると霙ちゃんは、ちっと舌打ちしてやさぐれた表情で僕を見つめて言う。

 「オイ、今までの話をどう聞いたらてめぇのことだって思えるんだい? このスットコドッコイ」

 ――こ、怖い。これはある意味姉上より怖い……っていうか心が寒い……。ああ、なんか目から汗が出てくるんですけど、僕……。

 「ハイハイ、女の子がそんな言葉づかいするんじゃね~よ、おちびちゃん」

 黄昏てしまった僕を見て、雹さんが霙ちゃんを注意する。すると霙ちゃんは素直にニコッと笑って雹さんに言う。

 「はい、お兄ちゃん❤ ゴメンちゃ(テヘペロ)」

 何だ最後の「(テヘペロ)」って!? 何で霙ちゃん、雹さんには素直なんだよ!

 僕が膝を抱いてぶつくさ言っていると、姉上が毅然として反対した。

 「私は反対です! 霙ちゃんは、私たちの家に泊まってもらった方がいいと思います」

 すると、雹さんが姉上を見つめて訊いた。

 「なぜそう思うんだい、お誾ちゃん?」

 姉上は、ちょっと頬を染めて、しばらくもじもじしていたが、やがて顔を上げると言った。

 「そ、その……霙ちゃんもオンナノコですし……雹さんがそんなことする人ではないって信じてますけど、や、やっぱり……心配です」

 「『そんなこと』って、どないなこと?」

 屈託なく不思議そうに訊く霙ちゃんに、姉上は顔を真っ赤に染めてうつむいてしまった。そんな姉上を見て、雹さんはニコッと笑うと、霙ちゃんの頭をなでながら言った。

 「オイ、おちびちゃん。泊めてやりたいのはやまやまだが、俺ん家じゃおちびちゃんのご飯も作れねぇんだ。ここはお姉ちゃんのおいしい料理を食べさせてもらうために、お誾ちゃん家に泊まりな」

 霙ちゃんは哀しそうな顔で聞いていたが、やがてぱっと笑顔になって雹さんに言った。

 「……お兄ちゃんも、一緒に泊まってくれへん?」

 雹さんは、それを聞いて一瞬戸惑ったようだったが、僕と姉上がうなずくのを見て笑って言った。

 「……じゃ、お誾ちゃんたちのご厚意に甘えようかな」

★  ★  ★  ★  ★  ★  ★  ★

 「え゛~! お兄ちゃん、もう出て行っちゃったのけ~!?」

 次の日、霙ちゃんが起きたのは、もうずいぶんと日が高くなってからだった。ジャージ姿で起きてきた霙ちゃんが、遅い朝食を食べに居間に来た時の第一声がこれだった。

 「……どうして起こしてくれへんかったの~。お兄ちゃんと一緒に行きたかったのに~」

 もっきゅもっきゅとご飯を食べながら、霙ちゃんは向かいに座った僕に恨めしそうな眼を向ける。僕は苦笑して言った。

 「一応、起こしはしたよ。雹さんも起こしてみろって言ったから。でも、霙ちゃん、ずいぶん疲れていたんだろう? いくら起こしても起きなかった。だから雹さんも諦めて一人で行っちゃったんだ」

 ぼくは、その時の光景を思い出した。

 まだ薄暗い黎明の光が差し込んでくる玄関で、いつものように群青色の詰襟シャツとメンパンとブルゾンに身を包んだ雹さん。そして、明るいクリーム色のスプリングセーターとストーンウォッシュのジーンズの上から、朝食の準備のためにエプロンをしていた姉上が、肩までで切りそろえた黒髪を少し揺らしながら、雹さんのために切り火を切る姿……それは本当に一幅の絵画だった。

 「おいキヨマサ! 聞いてんのかコノヤロー!」

 ……僕の回想は、そう言う霙ちゃんの罵声にかき消された。

 「聞いてるよ。ってか、そんな言葉づかいは止めなって、雹さんからも注意されてたろう?」

 そう言う僕の前に、霙ちゃんはずいっとお茶碗を突き出して言った。

 「お代わり」

 「は!? もう3杯目だぞ!?」

 呆れて素っ頓狂な声を出す僕に、霙ちゃんはニコッと笑って言った。

 「だって、お姉ちゃんの料理、おいしいんだも~ん♪」

 僕はため息をついて、茶碗を受け取るしかなかった――――。

 「――――――そう言えば、お姉ちゃんは?」

 5杯目を食べながら、霙ちゃんが訊く。

 「姉上は、近くの寺子屋で訓導(先生)をしているんだ。午前8時から午後4時までが姉上の勤務時間で、寺子屋の授業は午前9時からお昼までと、午後1時から3時までの5時間だよ」

 僕が答えると、霙ちゃんは憎ったらしい顔をして言う。

 「で、てめぇは姉上におんぶに抱っこか……いいご身分じゃねェかダメ男」

 「ダメ男じゃねぇっ! 僕は雹さんの『頼まれ屋』を手伝っているんだ!」

 僕がそう叫ぶと、霙ちゃんはきらっと目を輝かせた。そして無言でささっとご飯を済ませると、お茶碗などを流しに持って行き、僕を振り向いて言った。

 「おい、キヨマサ。うちを手伝え」

 「は!?」

 「『は!?』じゃねェよ。キヨマサ、『頼まれ屋』なんやろ? だったらうちを手伝ってうちのお姉ちゃんを一緒に探せ。うちはクライアントやで?」

 このガキ――いや、僕もガキじゃあるが――いい気になりやがって! 僕はその上から目線にカッと来て言ってしまった。

 「断る! だいたいそれが人にものを頼むときの態度か!? こう見えても僕は16歳で、君より二つも年上なんだ! ちゃんと……」

 僕の抗議の言葉は、ヒュンと風を切る刃物の音と、豹変した霙ちゃんの態度によってかき消された。

 「二つ年上がなんぼのもんじゃい!……もう一度だけ言う、うちを手伝え」

 僕の右手の袖は、飛んできた苦無によって壁に縫い付けられていた。そして、霙ちゃんはバックにおどろ線を背負いながら、両手に苦無を持って僕を行っちゃった目で見据えていた。

 「はい……」

 僕はそう答えるしかなかった。


 僕らは、『十二支町』中を、遅くまで駆けずりまわったが、結局何の手がかりもつかめないままに家に戻ってきた。

 「ただいま~。お姉ちゃん、お腹すいたっちゃ~」

 元気に家に飛び込んでいく霙ちゃんを見ながら、僕は今日一日のことを思い出していた。朝の苦無を使った時のあの迫力、そして今日十分に思い知らされた身の軽さ……霙ちゃんって、もしかしたら?

 「あら、清ちゃんも帰っていたの? ずいぶんとくたびれているわね?」

 玄関先に座り込んでしまった僕に、姉上がニコニコとして話しかけてくる。

 「キヨマサは鍛錬が足らへんねん。たった15メートルの壁もよう登れへんなんて、どこで何を修業してきたのけ?」

 ご飯をもぐもぐ食べながら、居間から顔を出して霙ちゃんが言う。てか早っ! もうご飯食べてる?

 「普通の侍が壁登りなんかするかっ! 忍者じゃあるまいし」

 そう言った瞬間、僕ははっと思い当たった。さっきまで考えていたことが、確信に変わった瞬間だった。

 「霙ちゃん、一つ訊いていい?」

 僕は霙ちゃんに真剣な目をして言う。霙ちゃんは何を思ったのか、ちょっと目をそらして答えた。

 「な、何? で、デートの約束なら後にしてんか……」

 「誰が誰をデートに誘うのっ!? 違うっ!」

 「……なんだ、違うのけ? せっかくダメ男が一大決心したんだろーなって気を遣って損したよ」

 詰まんなさそうに言う霙ちゃんに、僕は思い切って言った。

 「霙ちゃん、キミ、ひょっとして忍者じゃない?」

 すると、霙ちゃんは心底びっくりした表情で言う。

 「え!? なじょして分かったんや!?」

 ――『なじょして』って、どこの言葉だよ……。

 そう心の中で突っ込んだ僕だったが、霙ちゃんの答えはある意味、僕の想像どおりだった。

 「今朝の苦無、そして一緒に町中を探索していた時の君の身の軽さ……ただの女の子じゃないって思っていたけれど、何よりも……」

 そう言いつつ僕は、霙ちゃんのジャージのロゴを指差して言った。

 「そのロゴ、“FUMA”って、『風魔』のことだろう?」

 すると、霙ちゃんは、頭を抱えて叫んだ。

 「うおお~っ! しまったなり~! つい、学校のジャージのまんま家を飛び出して来てしまったなり~!」

 ――お前はコ○助か!?

 僕がそう思った時、玄関が空いて、

 「……そうか……それなら話が合うぜ……」

 そう言って、雹さんが戻ってきた。

 「雹さん!」「お兄ちゃん!」「雹さん!」

 僕と霙ちゃんと姉上は、一斉に叫んだ。なぜなら、雹さんは尋常じゃないケガをしていたからだ。その金髪は右半分がべっとりと血に染まり、ブルゾンやメンパンも何カ所か斬り裂かれ、そこから血がにじみ出している。

 「いったいどうしたって言うんですか? どこでこんなケガを?」

 姉上は、僕を押しのけて、雹さんを抱えるようにして訊く。雹さんはニコリと笑って答えた。

 「ふふ……ちょっとな、道で転んじゃったんだ」

 ――嘘つけェェェェ! どんな転び方したら、そんなんなるんだよぉぉ!

 僕はそう心の中で突っ込んだが、雹さんの性格から、このケガの裏には何か秘密があること、そして雹さんは死んでもその秘密を口にしないことを感じ取った。

 「雹さん、木刀は!?」

 僕が、雹さんが出がけに腰に差していた大小の木刀がないことに気が付いて、そう聞くと、雹さんはいつものすっとぼけた声で答えた。

 「え? 木刀?……知らんな、どっかに落っことしてきたのかな?」

 そして、雹さんは頭のケガを治療している姉上に、優しい声で頼んだ。

 「お誾ちゃん、すまねぇが、『東天寺』の方谷和尚から、俺の刀を借りて来てくれねぇか?」

 すると姉上は、心配そうに言った。

 「そのケガで、どこで何をしようというんです?」

 雹さんは、いつもの焦点が合っていないような目とは程遠い、なにか遠くを見つめるような悲しげな眼をして、一言言った。

 「サムライの意地ってもんだよ……」

 それを聞くと、姉上はきりっと眉を寄せて、雹さんに凛とした声で訊いた。

 「方谷和尚様に、お伝えすればいいのですね?」

★  ★  ★  ★  ★  ★  ★  ★

 次の日の朝、まだ黎明の中、雹さんはいつもの群青色の詰襟シャツにメンパン、そしてブルゾンを着込んで一人出かけて行った。ただ一ついつもと違うのは、腰には、姉上が東天寺――雹さんの神社の隣にあるお寺――の方谷和尚から借りてきた雹さんの大小を差していたことであった。

 「……清ちゃん、お願いね?」

 雹さんを見送った後、僕は姉上から頼まれて、霙ちゃんとともに雹さんの後を付けた。雹さんが得物として『同田貫正国』という大刀と、『延寿国清』という脇差を選んだのだ。今回の事件はとてつもなく危険なものに違いない……僕は念のために父の形見の『関兼定』を腰に差していた。

 『廃刀令』が出ているご時世である。明るくなって刀を差してうろちょろしているところを武装警察である『真徴組』に見つかったら厄介だな……。僕はそう考えていたが、雹さんは30分ほど歩いたところにある武家屋敷の廃屋に入って行った。

 ――こんなところで、雹さんは何をしようって言うんだろう?

 僕はそう思いながら、誰にも見つからないように築地の壊れたところから忍びやかに敷地に入った。

 茫々に荒れた庭の向こうに、都合よく雹さんが歩いているのが見える。そして、その先にある襖も障子もない屋敷の中に、一人の女性が寝転がっているのが見えた。

 「あっ! あれはお姉ちゃんや!」

 そう叫んで飛び出そうとする霙ちゃんを、僕はとっさに抑え込んだ。何故だか分からないが、とても危険なものを感じたのだ。

 「何するんや、キヨマサ。離さんかいボケ!」

 僕は、暴れる霙ちゃんを必死に抑えながら言い聞かせた。

 「待て、霙ちゃん。雹さんの様子を見てから出て行っても遅くないよ! 今姿を現すと、雹さんの邪魔になる気がする!」

 「だってお姉ちゃんが……!」

 見境なく暴れている霙ちゃんをおとなしくさせるには、もっと近くに行った方がいいと判断した僕は、霙ちゃんにこう提案した。

 「分かった、じゃ、見つからないように近くに行こう。それでいいかい?」

 霙ちゃんは肩越しに振り向いてうなずいた――――。

 その3分後、僕たちはなんとか二人の声が聞こえるところまで近づくことに成功していた。

 「よう、おとなしく寝ていたようだな」

 雹さんが荒れ果てた座敷に上がり込み、寝転がっている女性に声をかけている。その女性は忍び装束を着込み、手足のあちらこちらに血がにじんでいる。どうやら、昨日、雹さんと仕合った相手は、この女性――つまり霙ちゃんのお姉さん――であるらしい。

 「なぜ、あたしを殺さなかったんだい?」

 その女性は痛みを我慢しているような声でつぶやく。雹さんはニコニコとして機嫌よく言った。

 「殺す理由がないからさ。昨日も言ったはずだ。あんたの可愛い妹さんが、あんたを探して俺の所に来ているってな」

 「嘘だ! 霙はおとなしくて素直な子だ。ちゃんと言いつけを守って家にいるはずだ」

 「なあ、お姉さん。どんなにおとなしくて素直な女の子でも、家族の安らぎや温かさを求めるのは誰も同じだ。いや、俺から言わせてもらうと、あのおちびちゃん、ずっと家族の温かさを恋焦がれているように思えたぜ? 俺には家族ってもんがないから分かんないけれど、いいもんなんだろうなぁ、家族って……」

 しんみりした声で雹さんが言うと、お姉さんは黙り込んでしまった。

 「……ま、俺が何を言うより、百聞は一見にしかずだ。おい、おちびちゃん、清正君、そこにいるんだろう? 出てきてお姉さんに面ぁ拝ませてやんな!」

 雹さんがそう言うと、我慢しきれなくなったのか、霙ちゃんが顔中をくしゃくしゃにして飛び出して行った。

 「お姉ちゃん、会いたかった~!」

 「! 霙! あんた、本当に『東京』に出てきたのかい!? いったいどうして?」

 驚いて目を見張る霰さんに、雹さんはニコリと笑って言った。

 「どうしても何も、会いに来たんだよ……『家族』ってやつによ」

 その言葉を聞いて、霰さんは眼から涙をこぼして、霙ちゃんを抱きしめて嗚咽を漏らした。

 「ごめんね、霙。手紙も何も出せなかったの……。姉さん、どれだけ霙のもとに帰りたいと思ったことか……。でも、できなかったの……」

 「何で、何でやの? 何でできんかったの?」

 顔をくしゃくしゃにして姉に取りすがる霙ちゃんの背中から、雹さんが優しい声で言った。

 「お姉さんはね、騙されて『殺し屋』の仲間をさせられていたんだ」

 「嘘や! 優しいお姉ちゃんが、そないなことせぇへん!」「本当ですか!?」

 霙ちゃんと僕が同時に叫ぶのに、霰さんが泣きながら言う。

 「ごめん、霙。本当なの……」

 霰さんがそう言った時だった。

 「そうだ、霰。何をまごまごしている! なぜ、その男を殺さない!」

 そう言う野太い声とともに、20人ほどの忍び装束の男たちが現れた。

 「霰、こんなところに隠れていたか。しかしな、我らの目をごまかせると思っているのか? 雹とその小僧を殺せば、お前と妹の命は助けてやる。だが、嫌だと言うのなら、4人とも仲良くあの世に送ってやるぞ」

 男たちの中から、ひときわがっちりとした体格を持つ男が現れてそう言う。ほかの忍びどもは、すでに抜刀して戦闘態勢を取っている。

 「……物頭殿」

 霰さんが身体を固くして言う。物頭の男は、くっくっと笑って言った。

 「なあ、霰。この荒木九兵衛の配下に入ったからには、死すともお館様への忠誠を曲げることならんのだ。諦めて言うことを聞け」

 「……残念だがね、九兵衛さんよ。霰さんは『家族』の温かさの方が、血の池地獄の生ぬるさよりいいってさ。そっちこそ諦めて、円満退職を認めてやりなよ……」

 霰さんと九兵衛、二人の間にいた雹さんが、ふらりと立ち上がって言う。立ち上がる時、雹さんはちらりと僕を見た。僕はその心を読んで、うなずくと静かに『関兼定』の鞘を払い、霰さんと霙ちゃんの背後に回り込んだ。

 「何だ、お前は? サムライか? 残念ながら、サムライでは俺たち忍びの相手にならんぞ。命を粗末にするな」

 九兵衛がそう言った途端、雹さんの哄笑が響いた。

 「はっはっはっ、傑作だよ……サムライが忍びに敵わねぇだぁ? 寝言は寝てから言え。ホントの侍ってのはなあ……」

 そう言うと雹さんは『同田貫正国』と『延寿国清』を両手で抜き、電光のように動いた。

 「……鍛え上げた魂で……」

 「うわっ!」「ぐっ!」

 「……それが鋼鉄だろうと……」

 「げっ!」「ぶふっ!」

 「……己の信念のもとに……」

 「ギャッ!」「ぐへっ!」

 「……斬り裂くもんだ!」

 「わっ!」「うおっ!」「ぐはっ!」「ぐぐぐ……」

 僕らは目を見張った。いや、僕だけでなく、霰さんも霙ちゃんも、いや、当の敵の九兵衛すら、雹さんの早業を見て一歩も動けなかった。一息で10人! 息もつかずに10人も……あの人、絶対人間じゃない!

 「清正! 二人を連れて逃げろ!」

 二天一流の構えを取ってそう叫んだ雹さんは、叫ぶとともに九兵衛へと斬ってかかった。

 「くっ! 小癪なっ!」

 九兵衛はそう言って棒手裏剣を雹さんに叩きつけたが、雹さんがそれをかわしたために、仲間の一人に命中する。

 しかも、九兵衛の防御転移を見て取った雹さんは、すぐさま攻撃対象を変えて、3人の男たちを血祭りにあげていた。

 「おぬしの相手は、わしだ!」

 九兵衛は、3尺の忍刀を抜き放つと、雹さんに斬りかかる。雹さんはそれを『延寿国清』で受けると、間、髪入れずに『同田貫正国』を九兵衛の胴に叩きつけた。

 ズブシュッ!

 肉を断つ嫌な音が響いた。九兵衛は斬り裂かれた鎖帷子を、信じられないものを見るような目で見ていたが、

 「何故だ……俺の鎖帷子が……」

 そうつぶやく。雹さんはニヤリと冷たい笑いを浮かべ、言った。

 「俺の刀は『同田貫』だ。鎧でも斬り裂くぜ。残念だったな」

 その言葉を聞いた九兵衛は、金髪をなびかせ、両刀を構えて立つ雹さんを見て、何かを思い出したように目を見張り、

 「く、くそっ! き、きさま……“双刀鬼”、なぜ……」

 そこまで言うと、がっと血を吐いて仰向けに斃れた。

 「“双刀鬼”か……懐かしい名で呼んでくれるじゃねェか……」

 そうつぶやいた雹さんは、再び鬼となって、僕たちを襲っている忍びたちに突っかかって来た。

★  ★  ★  ★  ★  ★  ★  ★

 それから一週間後、僕と霙ちゃんが家に戻ってみると、霰さんの姿はなく、雹さんが一通の手紙を持って待っていた。

 「お姉ちゃんは?」

 そう、震える声で訊く霙ちゃんに、雹さんは黙って手紙を差し出した。

 霙ちゃんはそれを受け取ると、ゆっくりと声に出して読み始めた。


 霙ちゃんへ

 姉さんは、霙ちゃんに会うことができて、とても嬉しかった。

 思えば、母さんが亡くなって、霙ちゃんはずっと一人で家にいたんだよね。それを今さらのように思い出して、姉さんはあなたのことをとても不憫に思っています。

 家族の温かさを、私たち姉妹が失ってずいぶん経ちますね。それを思うと、姉さんは霙ちゃんと共に暮らして行きたい……。

 でも、姉さんが日本にいると、霙ちゃんにも迷惑がかかってしまいます。迷いに迷った姉さんの心を決めてくれたのは、雹さんの一言でした。

 これからずっと、霙ちゃんと暮らして行きたいのは姉さんも同じです。でも、あなたを巻き込むのもつらい……だから、姉さんはほとぼりが冷めるまで、お父さんのもとに行こうと思います。

 霙ちゃん、久しぶりに会えたのに、慌ただしくあなたから離れていく姉さんを許してね。

 でもきっと、あなたの元に戻って、ほかのきょうだいとともに、みんなで暮らせる日がきっと来る……姉さんはそう信じています。

 身体を大切にね。それから、何かあったら雹さんを頼りなさい。私からも重々頼んでおきましたから。

 雹さん、最初あなたの命を狙った私を、普通の生活に戻してくれてありがとうございました。妹のこと、くれぐれもよろしくお願い申し上げます。

   かしこ   雨宮 霰


 霙ちゃんは、僕の家の縁側で、夕日に照らされながら、霰さんの手紙を読んでくれた。

 「……じゃあ、霰さんは外国に行っちゃったんだ」

 僕が言うと、うるうるした瞳で手紙を見ていた霙ちゃんが、向こうを向いて涙をぬぐう。僕は、なんて言ったらいいのか分からなかった。

 「おねえちゃん……」

 霙ちゃんの震える細い肩を見ていると、なんだか僕も切なくなってきて、思わず目から雫がこぼれた。と、僕の肩に、雹さんが優しく手を置いて静かに言った。

 「……そっとしといてやろうや。明日になったら、おちびちゃんも心の整理がつくよ」

 そう言って座り込む雹さんの目は、今まで見たことのない優しさに満ちていた。

【第2幕 緞帳下げ】


第3幕 神社の神主が普段何やっているのか疑問だよね


 俺の名は、鳴神雹。ついでだから、ここまで読んでくれたお礼に、読者の皆さんに俺の生い立ちと正式な名を教えてやろう。

 俺は、肥後の鳴神神社の境内で、雹が降る寒い日の朝、毛布にくるまれて捨てられていたのを発見された。俺を拾ってくれたのは、肥後藩の剣術指南役・有吉雖知苦斎有礼ありよし・すいちくさい・ありのりという人だ。二天一流を使わせては天下に敵なしと謳われた剣豪で、時の藩侯の信任も厚く、温厚でしかも厳しさと優しさを兼ね備えていた爺様だった。

 『鳴神神社』で『雹』の降る日に拾われたから、俺は『鳴神雹太郎』と名付けられた。

 8歳になるまで俺は、爺様を本当の爺様と思っていた。ま、その頃は『有吉雹太郎』と名乗っていたし、爺様も俺に、時には優しく、時には厳しく、サムライたる者の心構えや剣術の基礎の基礎を教えてくれていたせいもある。

 しかし、素読吟味を終えた俺は、爺様から俺の出生の秘密を聞かされ、本来の『鳴神雹太郎』を名乗ることとなった。

 その足で、爺様は俺を、『サムライ派』の重鎮・宮辺貞蔵のおっさんの所に連れて行き、俺を『岱山郷塾』という私塾に入れることを決めた。これが俺のその後を決める大きな転機になったのだ。

 『岱山郷塾』は、宮辺のおっさんが認めたという俊才・宮﨑八郎眞郷みやざき・はちろう・まさと先生の私塾で、真に日本を憂い、世界を憂う志士たちのたまり場になっていた。

 俺はそこで、5年の間、勉学に、剣術に、そして政治経済や倫理などをみっちりと勉強した。

 八郎眞郷先生は、俺から見ると神のような存在だった。孤高で、気高く、そして何よりも『サムライ』だった。根っから怠惰な俺が、『岱山郷塾6神童』と呼ばれるくらいに精進したのは、ひとえに八郎眞郷先生に認められたかったせいだと、今になって思う。

 そこで、俺はたくさんの仲間やライバルと出逢った。そして、俺たちは皆、眞郷先生の一字をいただき、自分の名乗りとさせていただいた。

 俺は、そこで『鳴神雹太郎信郷なるかみ・ひょうたろう・のぶさと』と名乗ることになった。

 ちなみに、名乗りの一文字は、儒学の徳目『徳仁礼信義智』から、眞郷先生が選んでくださったものだ。久坂瑞玄眞徳くさか・ずいげん・まさのり高杉晋也眞仁たかすぎ・しんや・まさひと犬神清香眞礼いぬがみ・さやか・まあや、鳴神雹太郎信郷、八神主税義郷やがみ・ちから・よしさと犬神主計智郷いぬがみ・かずえ・ともさと……これが、6神童の名だ。みんなで精進し、みんなで『協同隊』として戦い、そして……。

 『信郷、逃げろ!』

 襲い来る新政府軍の矢玉の中で、満身朱に染めた主税が叫んでいる。

 『主税、待ってろ! すぐ助けてやる!』

 俺は、鋸のように刃こぼれした『井上真改』の刀と『親国貞』の脇差で、群がり寄せる敵兵を薙ぎ払いながら叫び返した。

 『信郷! 西郷の親父さんは死んだ! もう戦う意味がない! 逃げるんだ信郷!』

 主税はそう叫んだが、次の瞬間、流れ弾にでも当たったか、

 『ぐっ!』

 と叫んで、橋の欄干から江戸川へと落ちて行った。

 『ちからぁぁ~っ!』

 目を見開いて叫ぶ俺を、犬神兄妹が助けてくれた。

 『信郷、一時退却だ。まだ新政府軍は俺たちを完全に包囲はしていない! 今なら逃れられる』

 『副長、お願い逃げよう! 久坂さんも、高杉さんも、八神さんも殺られて、この上副長までいなくなったら、眞郷先生の遺志は誰が継ぐの!?』

 主計と清香が、そう言って止めてくれなければ、俺もその時きっと死んでいただろう……。

★  ★  ★  ★  ★  ★  ★  ★

 俺の朝は早い。午前5時起床だ。何せ神職だからな。

 起きるとすぐに水を浴びる。これは春夏秋冬変わらぬ俺の朝の儀式だ。身体と精神は清浄にしておかねばならない……何せ神職だからな。

 その後、水干と袴に着替え、烏帽子をかぶると、本殿に御饌を供え、祝詞をあげる。朝の祝詞は、俺の美声によって明けはじめた空に朗々と響く。実に気分がいい。

 祝詞が終わるころ、朝日が拝殿に差し込んでくる。それを真っすぐに見つめながら、俺は今日も、変わらぬ平和が『十二支町』をはじめとする日本いや世界に訪れることを祈念するのだった、まるっ。

 「……ふむ、実に気分がいい……ぐはっ!」

 俺は、何者かに背中を蹴飛ばされて拝殿にずっこけた。

 「何、読者の好感度上げようと思ってでたらめなこと言ってるんですか? 場の転換以降、『俺の朝は早い』から『祈念するのだった、まるっ。』まで、全然いつもの雹さんじゃないじゃないですか!?」

 「雹ちゃんの妄想はフィクションであり、実在の雹ちゃんの生活等とは一切関係ないですねん!」

 そう言いながら、俺の『頼まれ屋』の従業員である佐藤清正と雨宮霙あまみや・みぞれが、ずかずかと拝殿に上がってくる。俺様の後ろを取るとは、ふふ、二人とも、なかなかできるようになったな……。

 「あ痛って~。いきなり二人がかりでドロップ・キックかよ~? 雹さんの顔に傷でもついたらどうすんのぉ~?」

 俺がそう言うと、この憎らしいガキどもは、へらへらと笑いながら言いやがる。

 「雹ちゃん、鏡見たことあらへんの? そんな焦点の合ってないような目をしたお兄ちゃん、誰が『キャー、カッコいい~!』って言ってくれると思ってんの? 妄想も大概にしときぃや!」

 「はいはい、雹さん。「地の文」(ナレーション)はいつも通り、僕がやっときますから、社務所でご飯でも食べといてください」

★  ★  ★  ★  ★  ★  ★  ★

 僕の名は、佐藤清正。ちょっとキヨマサ! 新政府の官吏になりたくて、肥後から上京してきて一月が過ぎた。うちにもナレーションやらせてんか! 姉のぎんとの二人暮らしにも慣れ、うちは雨宮霙いうねん。

 上京してすぐに、うちはもともと、トラブルに巻き込まれた、風魔忍者の、僕たちを助けてくれた、家系やったんやけど、金髪赤眼の侍・鳴神雹さんのもとで、忍者ゆうても今日日、仕事があらへんねん。武士道を極めるため、そいで、うちは上京したお姉ちゃんの後を追って、この『十二支町』に『頼まれ屋』を手伝うことになった来たんやのである。

 「ちょっと待て! 二人でごちゃごちゃしゃべったら、何が何だか分かりましぇ~ん!」

 雹さんが珍しくそう突っ込んできた。僕は、ニコリと笑って霙ちゃんに言う。

 「霙ちゃん、ナレーションは、第1幕から僕が担当しているの。だから後ろでごちゃごちゃしゃべらないでくれるかな?」

 「何言うてんねん記念物! せっかくうちみたいな可愛いヒロインが登場したんやから、ナレーションもヒロインに任せるのが筋っちゅうもんやろ!?」

 霙ちゃんは、可愛くふくれっ面をしてそう言う。

 ――さ、『可愛くふくれっ面をした』って褒めてあげたんだから、ナレーションは諦めなさい。

 僕がそう思っていると、

 ――うちはその手に乗らへんで。うちが可愛いのは当たり前田のクラッカーや。

 と、可愛い霙ちゃんは心の中で思い、取り立てて特徴のないキヨマサに言った。

 「は~い、カットカット!」

 俺(雹)は、また二人でしゃべるのでナレーションがグダグダになりかけているのを見て、とりあえず主人公権限としてそう、カットを入れた。

 「何? 雹ちゃん」

 霙が不本意な顔でナレーションの副音声をやめる。俺は霙のさらさらした頭を撫でながら言い聞かせた。

 「霙、お前はヒロインだ。その可愛い顔といい、独特の関西弁といい、薄茶色でツインテールにしている頭といい、赤いジャージといい、読者への訴求要素はたっぷりある。だから、ナレーションくらい影の薄い清正君に任せなさい」

 おいいいい! それはあんまりな言いぐさだろぉぉぉ!……あ、ナレーション、元に戻った。

 「さて、ナレーションも元に戻ったし、第3幕を始めようか! 清正君、よろしく」

★  ★  ★  ★  ★  ★  ★  ★

 僕は、いつも通り、雹さんの『頼まれ屋』に午前8時には出勤してきた。雹さんは、『十二支町』の『龍崩たつくえ区2丁目15番地』にある『鳴神神社』の神主であるが、それははっきり言ってサイドビジネスで、本業は『頼まれ屋』――いわゆる何でも屋――を取り仕切っていた。

 神社は、きれいに掃除してあった。これは別に雹さんがしているわけではない。神社の氏子さんたちが順番を決めて、週に3回は奉仕作業をしてくれている。

 けれど、本殿には御饌が上がり、拝殿も掃除がしてあったので、雹さんが最初のナレーションで言っていた事は、全部が全部嘘ではないことが分かる。

 「雹さ~ん、霙ちゃ~ん、おはようございま~す!」

 僕は、神社の東側にある社務所の南側にある玄関を開けると、そう声をかけた。玄関が空いているからには、一度、雹さんは起きたのだろう。

 でも、返事がないところを見ると、二度寝しているに違いない。僕は、勝手知ったる社務所に上がり込むと、玄関からすぐ右に折れて、トイレの先にある襖を開ける。

 そこは、炊事場になっている。僕が確認すると、ちゃんとご飯は炊かれていた。

 僕はさらに、左に回って炊事場の北側の襖を開ける。そこは、雹さんの『頼まれ屋』の事務所の玄関になっていて、さらに北側に事務所に続く引き戸がある。

 「雹さん、霙ちゃん、朝ですよ~。二度寝から覚めてくださ~い!」

 引き戸を開けて事務所に入る。目の前には応接セットがあり、さらにその先には雹さんのデスクがでんと鎮座ましましている。

 僕は、事務所の右手にある襖をそっと開けた。ここが、我らが雹さんの居間であり、寝室でもあった。

 「ぐ~」

 雹さんは、正体もなく寝こけている。枕元には雹さんの愛読書である『少年マンデー』が置かれていた。きっと昨夜もこれを読んで夜更かししていたに違いない。

 僕は、先に霙ちゃんを起こすことに決めた。

 霙ちゃんは、上京して来てしばらく僕の家にいたが、姉の霰さんが雹さんのことを気に入り、自分の妹である霙ちゃんの世話を雹さんに頼んだこともあって、雹さんが自宅に戻ったのをしおに、この『頼まれ屋』に住み着いているのである。

 僕の姉上は、雹さんと霙ちゃんの同居には反対していたが、結局、霙ちゃんの意思を尊重することにしたらしい。けれど、僕の働く姿を見てみたいと言う口実のもと、3日と空けずに『頼まれ屋』をのぞきに来るので、心配がなくなったわけではないらしい。

 ――姉上も心配症だなあ……霙ちゃんはまだ14歳だぞ。雹さんは25・6歳だから、そんな気になるわけないよ。

 僕は、くすっと笑うと、雹さんの隣に敷いてある布団で丸まっている霙ちゃんに、そっと声をかけた。

 「霙ちゃん、朝だよ」

 「う、う~ん」

 霙ちゃんは、明るい茶色の髪の毛をくしゃくしゃ手で掻きながら、寝返りを打つ。

 「ご飯は食べないのかい?」

 僕がそう言うと、霙ちゃんはパチッと目を開けた。大きな碧色の瞳だ。

 「う、う~ん。キヨマサ、朝ごはんのおかず、な~に?」

 一度開けた目をまた閉じて、寝ぼけた声で訊いてくる霙ちゃんに、僕はニコリとして答えた。

 「まだ作ってない」

 すると霙ちゃんは目をつぶったまま、不機嫌な声で僕にのたまった。

 「何やと! 何やってんねんキヨマサ。だからお前はキヨマサなんや! 味噌汁と焼き魚くらい作っとけ!」

 僕は逆らわずに、ニコニコして言う。

 「はいはい、作っとくから、霙ちゃんももう起きよう? 8時だよ」

 「ぜんいんしゅうご~!」

 あらら、まだ霙ちゃんは寝ぼけているらしい。でも、ぼさぼさの頭をかきながらあくびをして目を開けたので、僕は台所に行くことにした。着替えをのぞいちゃ、悪いもんね?

 「お~いキヨマサ、うち、魚はサワラがいい」

 襖越しにそう言う霙ちゃんに、

 「なければアジの干物で我慢してよ? それから雹さんを起こしておいてよね」

 と頼むと、襖の向こうで

 「オラ! 早く起きんかい天然パーマ!」

 という霙ちゃんの声と、ドスッと何かを蹴る音がする。

 「いてっ! こら、霙、人を蹴って起こすな! それから、早く服を着ろ! ちっぱい用のスポーツブラといちごパンツしか着てねぇじゃねぇか!」

 慌てた雹さんの声と、

 「何目ェ開けてんねん! 雹ちゃんのドスケベ!」

 というこれも慌てた霙ちゃんの声が聞こえてきた。

 ――なぬっ! スポーツブラといちごパンツ!? じゃあ、霙ちゃんは下着で寝てたの!?

 僕は思わず、そんな霙ちゃんを想像してしまった。……いかん、鼻血が出てきた……。

 僕は慌てて台所に行くと、鼻にティッシュを詰めながら思った。

 ――姉上の心配、杞憂じゃないかも?……


 5分後、雹さんはいつもの群青色の詰襟シャツに、珍しく今日はジーンズを穿き、霙ちゃんはいつもの“FUMA”ロゴ入りの赤いジャージを着て、台所に座っていた。

 「きゃっほう❤ サワラやないか!? キヨマサ、朝からええ仕事してまんな~」

 あ、少し霙ちゃんのご機嫌が直った。僕はそう思ってホッとする。

 「なんだ、霙。サワラ好きなのか? じゃ、俺のもやるよ」

 雹さんがそう言って、霙ちゃんのお皿に自分のサワラの煮つけを乗せる。

 「ええんか!? ありがと雹ちゃん。じゃ、うちの下着見たことは許してやるねん❤」

 目をキラキラさせて言う霙ちゃんの顔を見ながら、雹さんはムスッとした顔でつぶやく。

 「だ~か~ら~、下着で寝るお前がいけないんだろ? パジャマ貸してやったじゃないか?」

 「雹ちゃんのパジャマ、おっさんの匂いがするから嫌やねん」

 ご飯をもっきゅもっきゅと食べながら、霙ちゃんが言う。

 「あのな~、俺はまだ二十代の半ばなの! そんな加齢臭がするような歳じゃないの! 読者の皆さんが誤解したり、幻滅したりしたらどうすんのよ?」

 雹さんは、右手で額を押えながら言う。その手に、色の薄い、ちょっとくせっ毛の金髪が緩やかにかかっている。

 「? どうしたんですか雹さん? 具合でも悪いんですか?」

 僕は、雹さんの顔色が少し青いことに気が付いて、そう聞いた。雹さんは情けない声で言う。

 「……いや、ちょっと昨日の晩は飲み過ぎたんだよ。二日酔いで少し気分が悪い」

 「雹ちゃん、1時くらいまで飲んどったねん。ここのところ毎晩やねんで? うちみたいにいたいけな美少女を家に一人留守番させといて、いい気なもんやわ! な、キヨマサもそう思うやろ?」

 霙ちゃんが勝手にご飯のお代わりをよそいながら言う。僕は一応、どちらの味方もしないことにした。

 「まあ、霙ちゃん、大人って僕たち子供には分からない付き合いってもんもあるみたいだし……。でも雹さん、霙ちゃんに寂しい思いをさせたら可哀そうですよ! 家族の温かさを大事にしたいって、雹さんも言ってたじゃないですか?」

 「あ゛~。頭に響くからおっきい声出すな! 今度じっくり話を聞くから、雹さんにりんご牛乳を取ってくれ」

 「はいはい……」

 僕は、呆れてため息をつきながら、冷蔵庫から取り出したりんご牛乳のパックを雹さんに手渡す。

 「さんきゅ……あ~、うまかった。五臓六腑に染み渡るぜ」

 雹さんは1リットルパックごとりんご牛乳をごくごく飲むと、そう言ってやっと顔を上げる。そして、今さら気づいたかのように僕に聞いた。

 「ところで清正、お前、さっき鼻にティッシュ詰めてたけど、あれ、どうしたんだ?」

 ぎくっ! 今さらそれを聞くか!? でも僕はロリ○ンでも人妻好きでも未亡人フェチでもない、清純な16歳なのだ。そのイメージを壊してはいけない! 僕はとっさに答えた。

 「あの、引き戸に鼻をぶつ……」

 「そうか、霙のブラといちごパンツ姿を想像してムラムラしたか」

 「何で分かったんですかっ!」

 ……しまった! 言っちゃった。

 固まってしまった僕を、雹さんはニヤニヤしながら見て言う。

 「いや~、清正君も男の子だねェ。俺もその年ごろにはムラムラしてたよ……」

 「……い、いや、ムラムラって、そんな盛りのついた犬みたいな表現、やめてくれませんか?」

 僕が頬を真っ赤にして言うと、霙ちゃんが僕のサワラを取り上げて言った。

 「キヨマサもいっちょ前に色気づいて。うちの下着姿、せくしぃだったか? せくしぃだったよな?じゃ、くれ。お前のサワラ、うちにくれ」

 「あげるよ、あげるけど、僕は見てないからね?」

 僕がそう言うと、霙ちゃんは幸せそうにご飯を食べながら言った。

 「見てたら生かしちゃいねェよ……うちはケツの青いガキに興味はないねん。うちの下着を見ていいのは、雹ちゃんだけやねんから❤」

 「しかし……」

 雹さんが食後のりんご牛乳を飲みながら、霙ちゃんを見て言う。

 「霙、お前さぁ、そのジャージしか着るもん持ってないだろ?」

 「替えが2着あるからええねん。中に着るTシャツも、ブラも、いちごパンツも3つずつあるねん」

 ――寂しい、思春期のオンナノコにしては、寂しすぎる……。

 僕がそう思っていると、雹さんが言った。

 「お前、お年頃なんだから、少しは可愛い服を着たらどうだ? 今日は土曜だし、仕事も入ってないから、一緒に買いに行こうか?」

 「え!? 雹ちゃんのおごり!?」

 瞳を輝かせてそう言う霙ちゃんに、雹さんはかったるそうに言う。

 「ま、この間、『仏滅組』の奴らを番屋に突き出した時、報奨金が出たし、それを元手にしてパ〇ンコで大勝ちした金が余っているしな。お前たちにまだ給料も払ってないから、その代わりだ」

 「待って雹さん。ということは、僕にも何かおごってもらえるんですか?」

 うわ~、これは思ってもいなかった幸運だ。

 「お前さんも大事な従業員だ。好きな物買っていいぞ」

 雹さんは鷹揚にうなずいた。

★  ★  ★  ★  ★  ★  ★  ★

 僕たちは、『十二支町』で一番大きい『亀屋デパート』に行くことにした。『十二支町』は小さな町だが、それでも『新東京』の郊外で、ベッドタウン化が進んでいるから、町役場がある『兎町区』まで来ると、人の賑わいは半端じゃない。

 しかし、僕が見ていると、雹さんの顔の広さは尋常じゃない。あちこちで、「よっ、雹さん」とか、「頼まれ屋の旦那」とか言って挨拶してくる人がひきも切らない。そのたびに雹さんは笑顔で挨拶を返し、たまには立ち止まって世間話でもする。

 そんなこんなで、僕たちが『亀屋デパート』に着いたのは、もうお昼前だった。

 「あら、雹さん。まあ、清ちゃんと霙ちゃんも、仲良くお買い物?」

 デパートの前で、僕たちはばったりと姉上に出会った。姉上は、薄いクリーム色のシャツの上から黒いベストを着込み、お気に入りのストーンウォッシュのジーンズを穿いて、ショルダーバッグを肩にかけている。

 「えへへ~、雹ちゃんがうちに下着買ってくれるねん❤ ええやろお姉ちゃん」

 ニコニコとしていう霙ちゃんとは対照的に、姉上は雹さんを半眼で冷たく見つめて言う。

 「あ~ら、いいお兄さんだこと。でも雹さん、何で下着? 霙ちゃんにどんな下着を着せ替えて楽しむおつもりかしら?」

 すると雹さんは慌てて言う。

 「ち、違う違う。やめてくれない? 俺が変態みたいな言い方やめてくれない? こいつはジャージしか持ってないから、何か可愛い服を買ってやろうと思ったんだ」

 「雹ちゃん、うち、いちごパンツでええねん。雹ちゃん好きやろ? いちごパンツ」

 恐れを知らない霙ちゃんがそう言うと、姉上は顔をひくひくさせながらも、なんとか笑顔で言う。

 「で、雹さん好みの服やいちごパンツを着せ替えするんでしょ? このロ○コン侍が」

 「だから、俺が変態みたいな言い方やめてくれない? 俺はいちごパンツより、りんご牛乳の方が好きだ!」

 「いちごパンツも好きってことね? 変態さん」

 「だから俺は変態じゃないってば!」

 うわ~、姉上が嫉妬してる……。ここは弟として、雹さんの弟子として、二人がケンカしないで済むようなサジェスチョンをしなければ……。

 「そうだ、姉上も一緒に買い物について来てくれませんか? 霙ちゃんの服を選ぶの、男ばかりじゃよく分からないし……」

 僕が言うと、雹さんも激しく同意する。

 「そうそうそうそう、そ~おだよ。お誾ちゃんもついて来てくれないか? 雹さん一生のお願い!」

 「お姉ちゃん、一緒に来て~❤ うち、お姉ちゃんみたいにセンスのいい服が欲しいねん」

 霙ちゃんがそう言うと、それまでふくれっ面をして横を向いていた姉上が、途端に上機嫌になって霙ちゃんに聞いた。

 「え、何? 何て言ったの、霙ちゃん? もう一度大きな声で言ってくれないかしら?」

 「うち、お姉ちゃんみたいにセンスのいい服が欲しい!」

 姉上は、ニコニコとして雹さんに言った。

 「も、もう、仕方ないわねェ。じゃ、雹さん、行きましょうか?」

 そう言うと、姉上は雹さんの腕を取ってたったかとデパートの中に入って行った。


 「どう、雹さん? もうすぐ夏だから、夏バージョンでコーディネートしてみたわ」

 フィットルームから顔を出した姉上が得意満面の顔でカーテンを開ける。

 「じゃ~ん!」

 「おお……」「か、可愛い……」

 雹さんと僕は、同時にそう言った。そこには、黒のインナーに薄い黄色のTシャツを着て、茜色のショートパンツを穿いた霙ちゃんがいた。髪も下ろしているので、背中の途中くらいまであるふわふわの髪がなびいて、とても可愛い。

 「えへへ~、こんなかっこもなかなかええもんやな~」

 霙ちゃんは、麦わら帽子をかぶってポーズを決める。雹さんは姉上に向かって言った。

 「いや~、さすが女の子の事は女の子が一番だな。お誾ちゃんについて来てもらってよかったよ」

 すると姉上は、ニコニコとして言う。

 「次はね、霙ちゃんご希望の、雹さんとのお揃いスタイルよ」

 そう言ってカーテンを閉め、霙ちゃんを着替えさせる。

 「まあ♪ 可愛いわよ。ほんと、オンナノコって着せ替え甲斐があるわねェ❤」

 「お姉ちゃん、そんなとこさわらんといてや。くしゅぐったいねん」

 二人の会話を聞いていると、僕たちまで何か恥ずかしくなって来るなあ……。

 やがて、姉上が顔を出して、

 「じゃじゃ~ん!」

 と言ってカーテンを開ける。

 「おおっ!」「すごいっ! 今度のも似合ってる!」

 雹さんと僕が言う。霙ちゃんは今度は薄桃色のタンクトップの上からGジャンを着て、足首までよりちょっと短いブルージンを穿いていた。髪の毛は後ろでまとめてアップにし、活動的な雰囲気で仕上がっている。

 「どう、雹ちゃん、似合う?」

 少し顔を赤らめて霙ちゃんが訊く。雹さんも優しい顔をして答えた。

 「ああ、よく似合うよ。まあ、霙は元が可愛いからな」

 「そんなぁ~、雹ちゃん、照れるやんかぁ~」

 照れまくる霙ちゃんもとても可愛い。しかし、姉上のご機嫌が……と僕が心配していると、雹さんが姉上に笑って言った。

 「お誾ちゃん、世話になったな。お礼にお誾ちゃんにも何かプレゼントさせてくれ」

 すると姉上は、どことなく寂しげにむすっとしてた顔をパァッと明るくして言った。

 「嘘!? 私にも何か買ってくださるの? 雹さん、だからと言って後で恩に着せて口説く気じゃないでしょうね?」

 すると雹さんはニカッと笑って言う。

 「安心しな。物で女を口説くのは、無粋な男のやることだ。今回はまじりっけなしの感謝の気持ちだから、遠慮せずに受け取ってくれ」

 「そう……」

 姉上は少し寂しげな顔をしたが、すぐに笑顔に戻って言う。

 「じゃあ、ちょっと付き合ってくださいませんか?」


 1時間後、僕たちは『亀屋デパート』の最上階にあるレストランで、遅い昼食を取っていた。

 霙ちゃんは買ってもらったばかりの『雹さんスタイル』で、大盛の牛丼をぱくついている。

 姉上は、幸せそうな顔でパスタセットを食べている。

 僕は、えび天うどんセットをすすっていたが、雹さんだけは難しい顔して、大好きなプリン・ア・ラ・モードを前に据えたまま、ちらっ、ちらっと目の前に座っている姉上を見ていた。

 “? 雹さん、どうしたんですか? 熱でもあるんですか? 顔が赤いですよ?”

 僕がささやくようにして訊くと、雹さんも聞き取れないくらい小さな声で言ってくる。

 “別に、何でもない……”

 “姉上と、何かあったんですか?”

 僕は、霙ちゃんの着物を購入した後、雹さんが姉上に連れられて二人きりでどこかに行くのを見送ったが、30分くらいして姉上だけ先に帰ってきて、

 『雹さんが、先に何か食べておけって。お金を預かったわ』

 そう言うと、僕と霙ちゃんを連れてこのレストランに入ったのだ。

 雹さんは、15分ほど遅れてレストランに来て、姉上の前に座りながら、何かを囁いた。僕には聞こえなかったが、姉上には聞こえたらしい、一瞬目を大きく見開いた姉上は、まぶしそうに雹さんを見ると顔を赤くしてうつむいた。そして、次に顔を上げた時はニコニコとしていたのだ。

 それから二人とも、無言のままだった。

★  ★  ★  ★  ★  ★  ★  ★

 「じゃ、雹ちゃんお休み~。あまり遅くまで起きていたらあかんねんで?」

 髪を下ろして、今日買ったばかりのいちごパジャマに身を包んだ霙がそう言ってきた。俺は事務所のデスクに座ったまま、

 「ああ、お休み」

 そう言って『少年マンデー』を読みふけるフリをする。

 ――運命……か……。そんなあやふやなもん、俺は信じちゃいねぇが……。

 俺は、今日の昼間にお誾ちゃんから聞いた話を思い出して、心の中でつぶやく。

 霙の服を買った後、俺とお誾ちゃんはデパートの屋上にある植物園に向かった。

 『おい、何も欲しいものないのか? 俺は始終すっからかんで気分屋だから、金のあるうちにおねだりしておいた方がいいぜ』

 俺がそう言うと、前を歩いていたお誾ちゃんは、こっちを振り向きもせずに言う。

 『いいんです……。私、雹さんって人を少し誤解していたようですから……』

 『誤解?』

 『はい、私は、雹さんって、ずぼらで、お金と女にだらしがなくて、毎日を刹那的に生きている――そんな人だと思っていました』

 俺は苦笑して言う。

 『人を見る目があるじゃねェか。お誾ちゃんが言ったような人間だよ、俺は。たいして人様に自慢できるような生き方してきたわけじゃねェ』

 すると、お誾ちゃんは立ち止まり、向こうを向いたまま続ける。

 『雹さん、私、男の方と二人きりでこうして歩くのって、初めてなんです。二十歳にもなって、おかしいでしょ?』

 『そりゃあ光栄だ。でも、お誾ちゃんみたいに別嬪だったら、縁談だって降るほどあるだろう?』

 俺が言うと、お誾ちゃんはくすりと笑って言った。

 『ええ、否定はしません。でも、私、まだお嫁には行かないことに決めています』

 『清正君なら、ありゃあ磨けばきっといいサムライになるよ。心配しなくてもいいんじゃあないか?

早くあんたが弟離れしないと、あいつホントにシスコンになっちまうぜ?』

 俺が少し冗談めかして言うと、お誾ちゃんは首を振って言ったのだ。

 『そうですね……。でも、私がお嫁に行かないのは、弟のためだけではありません……ううん、弟のためって言うのは理屈で、本当は私、心に決めた人がいるんです』

 これは俺にとって意外だった。お誾ちゃんの声ははっきりしていて、とても嘘を言っているようには見えない。しかし、なぜそれを俺に言うのかが分からなかった。

 『……そうかい。あんたに惚れられた男ってのは、幸せもんだな』

 『本当にそう思いますか?』

 お誾ちゃんが言うのに、何気なく俺は『ああ』と答えた。するとお誾ちゃんは初めてこちらを向いた。

 『!?』

 俺はびっくりした。なぜなら、お誾ちゃんは泣いていたからだ。

 『ど、どうした? 何か俺、悪いこと言ったか?』

 俺が慌てて訊くと、お誾ちゃんは涙を拭いて言う。

 『私の母方の祖父は、有吉雖知苦斎ありよし・すいちくさいと言います』

 『!?』

 俺はまたびっくりした。有吉の爺様は、俺を拾ってくれた恩人だ。二天一流の基礎を教えてくれた師匠でもある。また、俺を宮﨑八郎先生に引き合わせてくれた大恩人だ。

 『雹さん、雖知苦斎さまのこと、ご存じでしょう?』

 お誾ちゃんが聞いて来る。俺は、声に動揺が現れていないことを願いながら言った。

 『もちろんだ。肥後の有吉雖知苦斎と言えば、当節二天一流の達人だしな。剣をやる者にとってはあこがれの一人だよ』

 『雹さんは、どなたから二天一流を学ばれましたか? 清ちゃんが言っていました。あなたの二天一流は、少なくとも免許指南程度の域に達していると。清ちゃん、ああ見えて雖知苦斎さまから免許を受けています。私も、中目録までいただきました。だから分かるんです。雹さんの剣は、鞍馬流や楊心流を取り入れてはいるけれど、あれは有吉の剣だって』

 俺は、何も答えずに黙った。お誾ちゃんは静かに続ける。

 『私、一度、雖知苦斎さまに連れられて、宮﨑眞郷様の『岱山郷塾』に行ったことがあります。私が7歳くらいの時でした』

 13年前か……俺が『岱山郷塾』で暮らした最後の年だ。年の暮れには眞郷先生は処刑された。

 『おじい様は、私に、ある塾生を指差して言いました。“ご覧、お誾。あの者がこの塾で最もサムライの心を持った気高い少年だ”と。私はそのお方をじっと見つめました。そのお方は脇目も振らずに一人、剣を揮い続けていました。夕日のせいでしょうか? そのお方の髪はキラキラとお日様のように輝いていました……たぶん、私の初恋です。そして、その方と結ばれたいとその時強く思ったんでしょうね、今でもその光景がありありと目に浮かびます。でも、そのお方の顔は、はっきり見えなかったせいか、うすぼんやりとしていますけど……』

 俺は、ただ黙って聞いているしかなかった。

 『でも、雖知苦斎さまから、お名前はお聞きしました。鳴神信郷なるかみ・のぶさと様……そのお方は信郷様と言います』

 俺は、唇をかんだ。雖知苦斎さまも罪なことを……。

 『それからしばらくして、『岱山郷塾』の塾生が『協同隊』を作って新政府と戦い始めたと聞いた時、私はすぐに信郷さまのことを思い出しました。顔を合わせたことも、話をしたこともないけれど、信郷さまのご無事を祈りました。けれど、明示10年に、雖知苦斎さまが、がっかりしたご様子でお城からお帰りになりました。そして私に告げられたんです……“誾、信郷は戦死したらしい”と。私は目の前が真っ暗になりました。そしてすぐに、結っていた髪を落として、この髪形にしたのです』

 何をしゃべったらいい?……お誾ちゃんに、“俺が鳴神雹太郎信郷だ”と名乗ればいいのか!? しかし、俺はまだ世間をはばかる身だ。お誾ちゃんにまで辛い思いはさせられない。

 『そりゃあ、残念だったな……あの戦でたくさんの若い命が散っちまった。お誾ちゃんみたいな可哀そうな子がたくさんできたんだろうな』

 俺がそう言うと、お誾ちゃんはしっかりと俺を見据えて言う。

 『雹さん、私、あのときの信郷さまは雹さんのように思えてならないんです。どうか教えてください。雹さんは『協同隊』の副長・鳴神信郷さまじゃないんですか?』

 俺は黙っていた……お誾ちゃんが沈黙に耐えられなくなるほど、お誾ちゃんが俺の答えを諦めるくらい長いこと、俺は黙っていた……。肯定はできない……お誾ちゃんをみすみす不幸にするだけだからだ。しかし、否定もできない……俺が俺でいる限り、仲間の無念を背負って生きていくと決めたあの日があるから、否定はできなかった。

 やがて、お誾ちゃんが諦めたように笑って言った。

 『すみませんでした……雹さんは、雹さんですよね?』


 「運命か……」

 俺は、台所から持ってきたりんご牛乳を飲みながら、そうつぶやく。人と人との縁は、時に不思議で、そして残酷だ。俺自身、こんな所で雖知苦斎さまの外孫に会うとは思っていなかった。

 俺がそんな思いに沈んでいると、不意に居間の襖があいて、寝ぼけ眼の霙が枕を抱いて出てきた。

 「どうした、霙? 怖い夢でも見たか?」

 俺が訊くと、霙はにっこりと笑って言った。

 「ううん、まだ雹ちゃんに今日のお礼を言ってへんかったのを思い出したねん」

 そう言うと、霙はゆっくりと歩いて来て、俺に抱き着くと顔を胸にうずめて言った。

 「雹ちゃん、アリガト。雹ちゃんのおかげで、うち、幸せやわ。ええお兄ちゃんやで、ホンマ」

 「そうか、それは嬉しいな。じゃ、お礼も聞いたから、早く寝なさい。いい子にしてないと、誾お姉ちゃんから怒られるぞ?」

 そう言いながら霙の柔らかい髪の毛をなでてやると、霙は甘えたように言う。

 「うん、うち、もう寝るわ。でも、雹ちゃんがいないと寂しいねん。ここのところず~っとお留守番していたんやから、ご褒美に一緒に寝てほしいねん。抱っこしてくれへん?」

 俺は、くすぐったいような気持ちで笑って言った。

 「イキナリ甘えんぼになったな。分かったよ、お兄ちゃんがそばにいてあげるから、早く寝なさい。美容に悪いぞ?」

★  ★  ★  ★  ★  ★  ★  ★

 私は、今日のことを思い出して、なかなか寝付けないでいた。

 雹さんとは、この『十二支町』に来て初めて会ったはずだ。でも、私の中の思い出に雹さんを当てはめると、なぜかしっくりする……初めて会った当初から、私はそんな感じがしていた。だから、あの人のことは何かと目について気になっていたのだ。

 彼は、変態で、気ままで、やる気がなくて、ずぼらで……と、こう並べてみると典型的な“ダメ男”だが、時折見せる優しさや、真剣な目や、その力量が、彼の普段の姿とはアンバランスで、それが余計に私を苛立たせるのだ。

 鳴神信郷様の思い出は、思い出のままにしまっていた方がよかったのかもしれない。私はそう思ってはいたが、つい、雹さんに聞いてしまったのだ。

 考えてみたら、雹さんが信郷様であったとしても、私にそう名乗るはずがない。信郷様は新政府から今もってお尋ね者扱いなのだから……。

 雹さんが信郷様であるとしても、そうじゃないとしても、答えはしないだろう……私のために。実際、雹さんは何も言わなかった。彼は、そう言う人だ。

 でも、最後に耳打ちしてくれたあの言葉が、雹さんの精いっぱいの優しさなんだろうと思うと、私はうれしかった。

 『お誾ちゃん、信郷は生きていると思うぜ』

 その言葉で、私はすべてが吹っ切れた気がする。

 ――今日は、雹さんに悪いことをしたな……明日謝ろう。

 文机の前に座って頬杖を突きながら、私はそう思った。

【第3幕・暗転フェードアウト】


第4幕 警察って必要だけれど関わり合いになりたくない


 東京都十二支町子の日区13番地13号――これが、泣く子も黙る新政府の武装警察・『真徴組』の屯所がある場所である。

 『真徴組』は、もともとは『永生・明示の乱』の折、火力に勝るが決定的な突撃力を持たなかった新政府軍の弱点を補うため、豪勇無双の侍たちを集めた『最強の突撃隊』として、明示10年に結成された。そして、新政府の覇権を決定的にした、賊軍・西郷との決戦『東京の戦い』では、賊軍の戦線をいともたやすく突破し、勝利への道筋を付けた栄光ある部隊である。

 そのため、警察とは名ばかりで、新政府の中にあって警察を取り仕切っている警察庁長官・山路俊良の指揮下ではなく、内務卿である小久保利通の腹心の部下である酒井吉之丞陸軍中将の支配下にあった。

 その任務は、新旧東京地区の治安の維持と、不逞浪士の取り締まりであり、隊士300人を六つの隊に分けて、日夜、首都地域を巡回しているのであった。

 一隊で50人が、『肝煎』と呼ばれる隊長の指揮下、黒一色の制服に大仰な肩章をきらめかせ、襟に鈍く『髑髏マーク』を光らせ、大小二本の刀をぶっさして、隊伍を組んで歩く様は、まさに壮観であり、脛に傷持つ連中は、遠くその姿を見ただけで震えあがって遁走するのであった。

 ここに、その幹部隊士を紹介しよう。

 総括…松平権兵衛大佐(警視正相当)(29)

 市民からは、『仏の権兵衛』と呼ばれるほど人懐っこく、人情に篤いが、その分悪を憎む心も強い。大ぶりな剣の使い手で、こせこせとしない、実直な人柄をしのばせる力技の剣であった。

 取締役頭取…俣野藤弥中佐(27)

 市民から『鬼の頭取』と呼ばれ、『真徴組』の作戦面の全責任を負っていた。役者のような顔をしており、はた目には強そうにも怖そうにも見えないが、その実、剣の腕は凄く立った。

 取締役人選係…石原東蔵中佐(33)

 顔皺多き苦労人で、どんなときにも笑顔を絶やさない、静かな人物である。人物の鑑識眼が鋭く、隊士の選考の際には必ず顔を出す。隊士たちの士気高揚に力を入れている人物である。

 取締役参謀…黒井重遠中佐(31)

 数字に明るく、市民や団体と交渉し、自家薬篭中にする術を心得ている人物である。第一線で戦うことはめったにないが、常に後方補給や隊の広報を引き受けている『縁の下の力持ち』である。

 これら幹部に、次のような諸隊が付き従っていた。

 一番組…肝煎・山下官司中佐(28)

 二番組…肝煎・柏井要人中佐(27)

 三番組…肝煎・川口三郎少佐(24)

 四番組…肝煎・松岡万市少佐(26)

 五番組…肝煎・玉城織部少佐(21)

 六番組…肝煎・中西 琴大尉(20)

 軍監…千葉一郎中佐(28)

 監察…山本壮馬少佐(25)

 『関八州の平和は、彼ら、『真徴組』の双肩にかかっているのです!』

 「………………」

 ボクは、黙ってテレビを消した。ちょうど自分が隊伍を率いて歩く場面が大写しになっていたが、ボクは軍装の自分が嫌いであったからだ。

 「ま~た黒井さんが、派手な宣伝をして……」

 ボクはそうつぶやくと、ソファから立ち上がり、鏡台の前で髪を整え始めた。黒くつやつやしていたボクの髪も、『真徴組』の肝煎としての任務の中でだいぶすすけて、近ごろはトリートメントが追い付かない。現に今も、櫛を通すと小さく『プツプツ』と枝毛が切れる音がする。

 ボクは黙って、椿油を髪に塗り、それが浸透したころを見計らってポニーテールにする。そして鏡を見つめた。

 「……ふん、何とか女の子には見えるな……」

 ボクは、眉を寄せてそうつぶやいた。紅を差したら、もっと女の子らしくなるのであろうが、ボクはそんなものを持っていない。

 ボクの名は、中西琴なかにし・こと。泣く子も黙る『真徴組』にあって、六番組肝煎を勤めている。最初は女ということで入隊を拒否られたが、石原さんと山下さんがボクの剣を見て、総括や頭取に強力に採用を奨めてくれたおかげで入隊できた。

 最初は本部付きとして連絡係をやっていたが、ボクは法神流の剣を実地に試してみたかったので、頭取に直談判して組手の方に入れてもらった。

 本部付き小頭として1年過ごした時、『浜田屋事件』という、『サムライ派』たちがテロの相談をしているところを一網打尽にすると言う作戦があり、その時、ボクは総括を護って山下さんたちとともに戦い、腕を認められて六番隊の肝煎になった。

 しかし、荒くれ男ども揃いの『真徴組』にあって、女であるボクがここまで来れたのも、松平総括と俣野頭取の力が大きい。黒井さんなども、ボクを使って『真徴組』のイメージアップを狙っているみたいで、近ごろは本務の市中巡回より、テレビや雑誌、新聞などマスメディアの取材対応が多くなっている。それがボクにはつまらなかった。

 ――つまらないといっても、仕方がないな。あれも任務とあらば、そつなくこなすだけだ……。

 ボクはそう思うと、今日の予定に頭を巡らせる。今日は非番の日だ。こんな時に家でごろごろしていてもつまらない。ボクは一応動きやすいように着物に袴をつけ、念のために刀を差してまちへ繰り出すことにした。

 「おっと、いけない。刀を差すんだったら、これを付けとかないと……」

 ボクは独り言を言って、『真徴組』のシンボルともなっている『髑髏』の襟章を着物の胸に止める。明示8年に『廃刀令』が出て以来、刀を差して歩けるのは政府の高官か巡査、そしてボクたち『真徴組』しかいないのだ。これを付けておかないと、不逞浪士として捕まってしまう。

 「なんか面白いことないかなぁ~」

 ボクはそうひとりごちながら、『十二支町子の日区13番地12号』にある『真徴組幹部宿舎』を後にした。この日、ボクの運命が大きく変わるのも知らないで……。


 十二支町は小さな町だが、もともと東京の都心として栄えていたところであり、現在の首都である新東京三鷹区にも近いこともあり、平日とはいえなかなか賑わいがある。ボクは、腕を後ろに組んで、ゆっくりと山手である『猪鼻区』へと歩いて行く。道行く人は、ボクの帯刀と『真徴組』のバッジを見て慌てて道を譲ってくれた。

 ゆっくり歩いて1時間、さすがに初夏に近いと汗ばんできた。ボクは木陰で腰を下ろして、懐からハンカチを出して額の汗を拭く。もう少ししたら、この辺りは蝉の声でいっぱいになるだろう……。

 そう思っていると、どこからか澄んだ、響きのある声が聞こえてきた。うるさくはないが、中性的で空に突き抜けるような声だ。

 ボクは誘われるように声がする方へと歩いて行く。しばらく歩くと、それは祝詞であることが分かった。山の中腹に、新しい家を建てるため、地鎮祭が行われていたのだ。

 「ここのところ、このまちは建築ラッシュだな……おや?」

 ボクは、地鎮祭が行われている現場の向こうから、見覚えのある男たちが歩いてくるのを見つけた。黒ラシャの上着とズボン、そして腰には両刀差し……『真徴組』の市内巡回らしい。

 「……また、問題のあるやつが担当だったもんだ……」

 ボクは思わず舌打ちする。向こうから歩いてくるのは『真徴組』でも札付きの無頼漢、四番組肝煎・松岡万市少佐だった。彼は向う見ずなほど強く、いわば特攻隊長的な役割だったが、普段から素行に問題があり、町中でごたごたを起こすのは珍しくないと言う人物だ。

 若い娘をかどわかしたり、商人に難癖をつけて金品を取り上げたり、果ては虫の居所が悪いという理由だけで人を殺したり……そのあまりの傍若無人ぶりに、首都の住人は彼のことを『新政府の狂犬』と呼んで忌み嫌っていた。

 「ちっ、少佐が何かしでかす前に止めないと……」

 ボクはそうつぶやいて舌打ちしながら、神事が行われているところへと駆け出した。

★  ★  ★  ★  ★  ★  ★  ★

 「かぁ~けぇ~んまぁ~くぅ~んもぉ~」

 雹さんの声が、6月の空に響き渡る。僕は、梅雨がやっと終わり、これから夏に向かって行くばかりの空を見上げてつぶやいた。

 “ああ、緑がきれいになって来たなあ……”

 僕は、雹さんと霙ちゃんと三人で、猪鼻区に仕事に来ていた。今日の仕事は『頼まれ屋』のそれではなくて雹さんの本業――僕や霙ちゃんから言わせると、サイドビジネス――である、神主としての仕事で来ているのである。

 僕たちは今、何か大きな邸宅がここに建つということで、地鎮祭を行っているのである。ちなみに、雹さんはいつもの群青色の詰襟シャツとジーンズというスタイルではなくて、水色の直垂に水干と濃紺の袴という、まさに神主のスタイルだった。

 僕も同じように、雹さんのより少し色が薄い水干を着ていて、霙ちゃんは巫女装束だった。

 “なあ、キヨマサ”

 霙ちゃんがぼそぼそと話しかけてくる。

 “なんだい、霙ちゃん?”

 “雹ちゃんって、ホンマに神主さんやったんやなぁ。祝詞読めるなんてうち、知らんかったわ”

 “それ同感。僕も初めて聞いたよ。雹さんの祝詞”

 “なかなか様になってるんちゃう? 誾ねえちゃんが見たら惚れ直すんとちゃうか?”

 それを聞いて、僕は心の中で思った。

 ――雹さんがいつもこんな感じだったら、あの人を『お義兄さん』って呼んでもいいかな。

 そう思っている僕に、霙ちゃんが聞いて来る。

 “なあキヨマサ、あんたと雹ちゃんが被っている、その目の細かい鳥かごみたいなのは何や?”

 “ああ、これは烏帽子って言って、昔の偉い人たちが被っていたものだよ”

 “えっ!? あんたも雹ちゃんも偉くないのに、そんなもん被ってええんか?”

 “えっと……これは、今は神主さんの制服みたいなもんだから、被ってもいいんだよ”

 僕がそう答えると、霙ちゃんはきらりと目を輝かせて言う。

 “じゃ、うちにも被らせてんか? 面白そうやん”

 というが早いか、僕の頭から烏帽子を引っぱがしにかかる。

 「あいたたた! 霙ちゃん、あごが切れる、あごが切れる!」

 烏帽子が飛ばないように、ひもであごの下で結んでいるのだ。それが僕の喉にもろに食い込んでくる。

 “もう、キヨマサ。おっきい声出したらあかんやん!”

 霙ちゃんが引っ張るのをやめてそう言う。ふと見ると、周りの参列者の皆さんが、僕たちを冷たい目で見ていた。

 ちょうどその時、雹さんの祝詞が終わった。雹さんは僕たちを一回、キッと睨むと、すぐに優しい表情に戻って参列者の皆さんに言う。

 「今から、玉串奉奠の儀を行います。まずは地主の宮﨑さんからどうぞ」

 その言葉に、僕と霙ちゃんはあたふたとしながら、玉串が載っている三方を持って雹さんの側に行く。

 「枝を自分の方に向けて持ってください。神前に出たら一礼して、玉串を時計回りに回し、神様の方に枝が向いたら、そのまま奉奠し、二礼・二拍手・一礼です」

 雹さんが、立ち上がった地主さんに説明するのが聞こえる。しかしこの地主さん、でっかいなあ……雹さんより背が高いし、ひげ面だ。

 ひげ面の男は機嫌よく玉串を取って、神前に向かおうとした、その時である。

 「オイオイ、誰に断わってここに家なんか建てようとしているんだぁ!?」

 そう、敷地の境目に20人からの男たちが突っ立って、こちらを睨んでいた。その真ん中には、あごに刀傷がある、見るからに狂暴そうな男が、刀を杖にして寄りかかり、こちらを見つめながらにたりにたりと笑っている。

 「……『真徴組』の松岡の野郎か……嫌な奴が来なはった」

 ひげ面の男はそう言って、雹さんを見て言う。

 「雹さん、儀式はここで終わりでよかぞ。早く戻んなっせ」

 すると雹さんはニコリと笑って言う。

 「バカ言っちゃいけねェ、神さんはまだこの敷地内にいらっしゃるんだ。俺がお帰ししなきゃ、誰が神さんにお帰り願うんだ? 構わねェよ、東天の旦那、奉奠してくれ」

 雹さんがそう言うと、東天と呼ばれた大男は、ニコリと笑って玉串を奉奠する。

 「おい! 聞こえねぇのか!」

 黒ラシャの制服の男の一人が、そう言いながら刀を抜いて東天さんに突っかかってきた。会場にいた参会者の皆さんは、何かを叫びながら立ち上がって逃げようとする。パニックになった。

 パーンッ!

 会場に甲高く、鋭い音が響いた。その音に会場のパニックは収まり、みんな音のする方を見る。そこには、刀を振り上げたまま、その手を雹さんの笏で抑えられて動けないでいる『真徴組』隊士がいた。

 「はいはい、ここは神聖な地鎮祭の場だ。神さんがいらっしゃるんだよ。玉串を奉奠したいなら、刀ぁ納めて順番に待ってくんな」

 雹さんはそう言うと、隊士から刀を巻き取り、素早く鞘に納める。その動きの素早さに、隊士は気をのまれたか、すごすごと引き返して行った。

 「おい、そこの神主……てめぇ、ただの神主じゃねェな?」

 敷地の境に突っ立った隊長らしき男は、雹さんを行っちゃった目で睨みながら言った。雹さんは知らんぷりして祓串で参会者を潔斎している。

 「おい、おめェ、俺とどっかで会わなかったか?」

 目を細めて言う隊長らしき男に、雹さんは何も答えずに祝詞をあげだした。

 「聞こえねぇのか!」

 隊長がそう叫んで抜刀したとき、男たちの向こうから爽やかで清冽な声がした。

 「松岡少佐殿! 何の騒ぎですか!?」

 僕たちはその声がした方を見る。そこには、髪をポニーテールにした若い男……いや、女が、袴姿で立っていた。二本差しにしてその胸に『髑髏』のバッジがあるところを見ると、この女性も『真徴組』であるらしい。

 「おや? 可愛い可愛い琴ちゃんじゃねェか。どうした中西大尉、非番の日なのにデートの約束もなしか! 寂しい女だな。俺が可愛がってやろうか?」

 松岡はそう言ってニタリと笑う。中西という女はそれに答えずに、周りの隊士に向かって言う。

 「貴様たち、組の掟を破ればどうなるか知っているだろうな? 『真徴組』の看板に泥を塗るつもりか!?」

 中西さんは、左手で大刀の鯉口を切り、居合腰の構えで左足を一歩、ずいっと出した。それを見て、松岡の隊士たちは怖気づいたようだ。

 「……ふん、ちょっと松平の親分の覚えがいいからって、調子に乗るんじゃねぇぞ! おい、お前ら、帰るぞ!」

 松岡はそう言うと、刀を右肩に担いで、ゆらゆらと歩き出した。


 松岡という男とその取り巻きの姿が消えるのと、雹さんが祝詞を締めくくるのとが、ほぼ同時だった。中西さんは、松岡が本当に市中巡回に戻ったのか確認するために、松岡の後姿を見送りながら待っていた。そして、地鎮祭が滞りなくすんだのを見届けると、雹さんのもとに来て頭を下げて言った。

 「すまない、うちの先輩がご迷惑をおかけした」

 「あいつぁ、何者だい? 『真徴組』にあんな柄の悪ぃヤツがいたのかい?」

 雹さんがそう言うと、中西さんは顔を赤らめて言う。

 「『真徴組』のほとんどは、市民の平安を守るために真摯に任務を遂行しています」

 「だが、あの松岡万市だけは、そうじゃなからしかな?」

 突然話に割り込んできた東天さんの巨体に、中西さんはちょっと身体を引いている。

 「松岡万市? 何か聞いたことがあるな……」

 雹さんがそう言うと、東天さんはちらっと中西さんを見て、

 「雹さんも聞いたこつがあるじゃろばってん、松岡は『真徴組』の4番組肝煎をしとって、たいぎゃな無体なこつばする奴たい。わしらはあ奴んこつぁ『新政府の狂犬』てち言うとると」

 東天さんの言葉を聞いて、中西さんはますます顔を赤くする。

 「す、すいません……」

 そう言う中西さんに、雹さんは笑って言った。

 「ああ、気にしないでくれ。あんたのおかげで俺も滞りなく仕事を終えられたし、礼を言うのはこっちだ」

 「そぎゃんたい。相手がどぎゃんか奴でん、政府の役人ち言や役人じゃけん、ケンカするわけもいかんかったけんの。助かったばい、中西さん。ありがとな」

 東天さんが人懐っこい顔でそう言うのに、中西さんは笑って言った。

 「それを聞いて、気が楽になりました。ボクは『真徴組』6番組肝煎、中西琴大尉です。松岡少佐殿の事で何かあったら、ボクに相談してください」

 そう言うと、中西さんは敬礼して踵を返し、すたすたと歩いて行った。

 「雹さん、あん人が若か人でよかったない?」

 中西さんを見送りながら、東天さんが雹さんにそう言うのが聞こえた。

★  ★  ★  ★  ★  ★  ★  ★

 その夜、真徴組屯所では5人の男たちが難しい顔をして座っていた。

 「……そう言うことでのう、松平大佐。それがしとしても、これ以上、松岡の奴をのさばらせておくわけにはいかんのじゃ。確かに、あの剣の力量は惜しい。しかし、市民から『狂犬』とまで言われるようになってはのう……これ以上、真徴組の評判が悪くなってもらっても困る。何より内務卿にご迷惑がかかるからの」

 そう話しているのは、政府の『真徴組』世話役である、陸軍次官の酒井吉之丞恒常さかい・きちのじょう・おきつね中将である。

 「今日も、琴がわしの所に来て言っておった。市民の地鎮祭を邪魔するところだったらしい。こんなことが続けば、いかに優秀な剣士であろうと、狂犬は狂犬として駆除せねばならん。お分かりか、松平大佐?」

 酒井中将の言葉に、真徴組の実質的トップである総括・松平権兵衛大佐は、汗を流しながら答えた。

 「奴には何度も注意をしましたが、とんと聞き入れません。まったく困ったもんです。今日も、奴の処遇について俣野頭取や石原取締役、黒井取締役と協議していたところです」

 松平総括に続いて、鋭い目をした頭取・俣野藤弥中佐が言う。

 「奴は、これまでも何度も組法度を破っています。その度に、功績と引き換えに首をつないできましたが、今回ばかりは度が過ぎましたな」

 「市民を脅して金品を取り上げる、気に入らないという理由だけで市民を斬る、家を火をつけて燃やす……いやはや、これを調べた監察の山本壮馬少佐も、開いた口がふさがらんでおりました」

 人事取締役の石原東蔵中佐が言うと、

 「市民の皆さんの協力があってこそ、不逞浪士の取り締まりにも効果が上がるというもの。我々『真徴組』が不逞浪士と変わらん振る舞いをしてしまっては、何のために大義を奉じて組を創ったのか分からなくなってしまいます」

 『真徴組』のイメージ戦略を強力に進めている黒井参謀も言う。

 それらの意見をいちいちうなずいて聞いていた酒井中将は、凄味のある笑いをして言う。

 「その方ら幹部四人の意思が同じであれば、可及的速やかに松岡を処置することを命令する」

 その言葉を聞いて、松平総括以下三人が平伏する。その頭越しに、酒井中将は鋭い声で付け加えた。

 「これは内務卿の内命でもある。真徴組の独断により処置すべしとのことじゃ」

 一時後、酒井中将を首都へと送り返した『真徴組』の幹部四人は、まだ難しい顔のままだった。

 「……松岡は、先の『永生・明示の乱』以来、生え抜きの隊士だ。惜しいのう……」

 松平が言うと、俣野が冷たい声で訊く。

 「じゃ、酒井のおっさんの指示は無視するのか? 松平さんよ」

 「しかし、藤よ、考えても見ろ、あいつを討てる隊士がこの中にいるか? あいつは『協同隊』の副長・双刀鬼とやりあって、ただ一人生還した男だぞ?」

 松平が言うのに、俣野は一瞬遠い目をして聞いた。

 「双刀鬼か……あいつの名はなんて言ったっけな?」

 「確か、鳴神雹太郎信郷、とか言っていた。肥後の宮﨑の弟子だな」

 黒井参謀が答える。俣野は黒井と石原に聞いた。

 「そいつ、戦死したって話だが、ありゃ本当かい? 黒井さん、石原さん」

 「『協同隊』の目ぼしい人物で生き延びたのは、犬神主計智郷だけだって話ですな。まあ、久坂と高杉の死体は確認しています。八神主税義郷と鳴神の死体は未確認ですな」

 石原中佐が答える。

 「ふん……案外とそいつら、生きていたりしてな? そう言う奴らとの交換なら、松岡の野郎も役に立つってもんだが……」

 俣野頭取がつぶやくのを聞いて、松平総括は笑って言う。

 「まあ、藤よ。今さら悩んでもしょうがない。誰を使うかは、お前の心の中じゃ、もう決まっているのだろう?」

 そう言いながらも、四人の脳裏にはある共通の人物像が浮かび上がっていた。

★  ★  ★  ★  ★  ★  ★  ★

 地鎮祭から帰ると、僕たちに雹さんが(珍しく)お給料をくれて言った。

 「今日は、宮﨑の旦那がはずんでくれたから、お前たちにも臨時賞与ってことだ」

 「うわ~い、雹ちゃんアリガト。これで何でも買ってええんか?」

 霙ちゃんが給料袋に飛びついて言う。僕もありがたくお給料をいただくと、中を検めてみた。

 「げっ! 20万も入ってる! 雹さん、こんなに頂いちゃっていいんですか?」

 僕がびっくりして言うと、雹さんはニコニコして、

 「ああ、清正にはお誾ちゃんがいるし、霙だっていつかは家族で暮らすんだろ? 無駄遣いせずに半分くらいは貯金しとけ……ま、今みたいに金利が安いとあんまり旨味はねェがな」

 そう言うと、僕たちに

 「俺ぁ、ちょっくら出てくるよ」

 そう言ってなんかホクホクしながら出て行こうとする。

 「あ、待ってぇな雹ちゃん。うちも行く!」

 霙ちゃんがそう言って雹さんについて行こうとするのを、雹さんは

 「だ~めだ! 雹さんがこれから行くとこは、お子様は来ちゃいけねェの。おとなしく清正と留守番しときな」

 そう言って出て行った雹さんだった。霙ちゃんがむくれて、僕を凄い目で睨んで言う。

 「なんやねん、鼻の下伸ばして! キヨマサ! お前雹ちゃんにどないな教育してんねん! もっとレディに優しゅうせんとモテへんでって教えとかんかい! だからお前はキヨマサなんや!」

 「僕に八つ当たり!? それにキヨマサって何!? キヨマサって名前がいけないの!?」

 「当たり前や、『キヨマサ』は『キモい、ヨワい、まるでダメな、三十代』ってことや!」

 「僕はまだ16歳だ! 何それ!? 全国の清正さんたちから怒られるよ!? 霙ちゃん、早く謝るんだ!」

 すると霙ちゃんは、ニタァ~っとサディスティックな目をして言う。

 「安心せえ、全国の清正さんは関係あらへん。あくまでお前が『キヨマサ』や」

 ――こ、怖い。僕の周りって、どうしてこんな女の子しかいないんだろう……。

 僕がそう思っていると、『頼まれ屋』の玄関が開いて、姉上が入ってきた。

 「こんにちは~、雹さんいらっしゃいますぅ~❤」

 「あ、姉上、雹さんならついさっき出て行きましたけど……」

 僕が言うのに、恐れを知らぬ霙ちゃんが余計なことを付け加えた。

 「雹ちゃんなら、大金持って鼻の下伸ばして、大人の男のパラダイスに行ったねん」

 すると、姉上の顔がサッと変わった。

 「……何ですって? 大人の男のパラダイス? ふふ、じゃ、夢から覚めたら、そこは地獄にしてあげますわ……清ちゃん、お姉さん、ここで雹さんを待たせていただきますね?」

 行っちゃった目をして僕に言う姉上に、僕は頬をひきつらせてうなずくしかなかった。

★  ★  ★  ★  ★  ★  ★  ★

 「ああ……あん時切り上げときゃ~な~……はぁ……」

 雹は、いつもの群青色の詰襟シャツにジーンズ、そしてデニムのブルゾンという服装に、トレード・マークの大小の木刀を腰にぶっ差したスタイルで、ズボンのポケットに両手を入れて、とぼとぼと歩いていた。

 「あん時切り上げときゃ、20万は儲かってたのに……はあ……10万もすっちまった……」

 雹は、宮﨑東天からもらった地鎮祭のお礼を霙と清正に分配した後、隣の『東天寺』の住職・川田方谷和尚にたまった家賃を払い、残ったお金をどう使おうかと考えた。

 ――え~と、清正と霙に20万ずつ、和尚に滞納していた3か月分と来月分を払ったから、残りは40万か……。生活費に10万と予備に10万残しとくとして、20万じゃ、ちゃばれぇで遊ぶのにゃ心もとないな……。

 銀行のATMで自分の口座に20万振り込んだ後、雹はそう考えていた。そんな雹の耳に飛び込んできた威勢のいい『軍艦マーチ』!

 ――そうだよ、元手があるなら殖やしゃいいんだ。前回も大勝ちしているからなぁ、今回もこいつを使って50万くらいにしたら……。よぉ~し! 雹さん決めたっ! 軍艦マーチだよ軍艦マーチ、守るも攻めるも黒鋼の、浮かべる城ぞ頼みなる……だよ! 皇国の興廃この一戦にあり! よし、行くぞ鳴神雹!

 そう意気込んでパチ〇コに皇国の興廃を賭けた雹だったが、結果は赤い夕陽の満州に、無残な姿を晒すことと相成り申し候……まるっ。

 「ああ……これじゃおうちに帰れないよ……」

 雹は、尾羽打ち枯らした風体で、茜差す公園のベンチに座り込んだ。


 「ああ……あの時心を強く持って断っておけばなあ……ふう……」

 こちらは中西琴である。琴は、今朝方の着物に袴履きという服装に、大小を腰にぶっ差したスタイルで、懐手をしながら、とぼとぼと歩いていた。

 「いくら総括や頭取の命令って言っても、仲間と戦うなんて……しかもあの松岡先輩と……ふぅ……」

 琴は、屯所に帰ると、ちょうど居合わせた酒井中将に、まちであった出来事を報告した。そのあと屯所でごろごろしていたら、松平総括と俣野頭取に呼び出され、『松岡の粛清』という任務を命じられたのである。最初は冗談かと考えた。

 ――え~と、でも、総括だけならともかくとして、日ごろ冗談なんて毛ほども言わない頭取まで言うことだし、今日はエイプリル・フールでもないし……。

 屯所の自室で考え込んでいると、廊下を歩く部下たちの声が聞こえてきた。

 『おい、松岡少佐殿のこと、聞いたか?』

 『聞いた聞いた、とうとう酒井中将閣下の逆鱗に触れたらしいじゃないか。いい気味だな』

 『でも、誰があの人を処分するのかね? あの人は切腹を申しつけられても、おいそれと腹を切るような人じゃねェぞ』

 『確かに……仮に俺が命令されたら、俺は『真徴組』を脱走するな。相手は『狂犬』だし、みすみす死にたくはないからな』

 『違いない……ははは』

 ――そうだよ、ボクは自分の腕を試したくて組手に入れてもらったんじゃないか。先輩とはいえ、松岡少佐殿の所業は、最近目に余る。よし、決めた! 守るも攻めるも黒鋼の、腰の大小ぞ頼みなる……だよ! 真徴組の興廃この一戦にあり! よし、行くぞ中西琴!

 そう意気込んで屯所を飛び出した琴だったが、まちで見かけた松岡は、今日はいつにも増して険悪な顔をし、何かに憑りつかれたように探し人をしていた。それを遠くから見ただけで、琴の戦意は萎えていくのだった……まるっ。

 「ああ……これじゃ屯所や官舎に帰れないよ……」

 琴は、尾羽打ち枯らした風体で、茜差す公園のベンチに座り込んだ。


 「あれっ!? あんたは……」

 琴は、不意に呼びかけられてびっくりして声のした方を向く。そこには、金髪赤眼の男が、群青色の服に身を包み、大小の木刀を腰に差して同じベンチに座っていた。

 「あんたは、確か真徴組の中西琴さんつったっけ?」

 金髪の男が親しげに話しかけてくるのを見て、琴は胡散臭く感じながら、“この人、どこかで会ったような?”と記憶を探っていた。

 琴の顔を見て、男はニコリと笑って言った。

 「いや~、午前中とは服が変わっているから、分からないかな? 俺ですよ、地鎮祭の時あんたに守ってもらった」

 それを聞いて、琴はやっと思い出した。ああ! あの時の凄腕の神主!

 「……これは失礼しました。見違えたものですから」

 慌ててそう謝る琴に、雹は自己紹介して言う。

 「いや、あの時は名乗ってもいなかったから当然だよ。俺は、鳴神雹って言って、『十二支町』の鎮守社である『鳴神神社』の神主をしている男だ。神主とは別に、『頼まれ屋』っていう何でも屋もやってるから、以後よろしくな」

 雹はそう言うと、ニコニコしながら琴に名刺を渡す。琴は、

 「あ、これはご丁寧に……」

 と言って雹の名刺を受取り、袂に収めた。そして、先ほどの深刻な顔に戻る。

 「何だい、お琴ちゃん。えらく深刻な顔をしてるじゃねェか? そんな顔ばかりしてると、せっかくのかわいい顔にしわができるぜ?」

 雹がそう言うと、琴はえっ? と顔を上げる。雹は優しい目で琴を見つめながら言った。

 「女だてらに真徴組で頑張っているんだ。確かに怖い顔も必要だろうけどよ、せっかく父ちゃん母ちゃんがおめぇのこと美人に産んでくださったんだから、悩みを一人で抱え込むんじゃねェよ。俺で力になれるなら、話を聞くぜ。午前中のお礼にな」

 ――……っ! “可愛い”とか“美人”とか、男の人から面と向かって真剣な顔で言われたのって、初めてだ。……は、ハズカシイっ……でも、なんかキモチいい……。

 琴は、そう思って顔を真っ赤にした。真徴組で一二を争う女剣士・中西琴、しかし、中身はまだ世間ずれしていない純真な二十歳の女性である。百戦錬磨の『恋のハンター』雹に敵うわけがなかった。

 雹は、そのまま琴を食事に誘い、彼女の抱えた悩みを優しい顔で根気よく聞いてやる。雹の優しい笑顔を見ながら話すうちに、琴は段々と心が軽くなっていった。そして、琴は覚え始めたお酒の味を、初めて気持ちよく味わえる時間を雹によって持つことができた。

 雹は、琴がいい加減お酒でとろんとしてしまった時に耳元で聞く。

 『どうしたの?』

 琴は、ふわふわとした気持ちで答えた。

 『ちょっと眠くなっちゃった……くぅ……』

 すると雹はニコリとして言う。

 『じゃ、ちょ~っとそこで休もうか?』

 そして二人は、歓楽街の一角にある❤ブホテルへとしけこんだ……。

 「――な~んてこと、妄想してないですか?」

 顔を真っ赤にしながら胡散臭そうに訊く琴に、雹は言った。

 「古っ! 想像が古っ! 今時、『いい人ぶる→食事をする→相談に乗りつつ相手を酔わせる→ちょっと休もうか』な~んて手口、高校生でも使わねェよ」

 「……てか、高校生はお酒飲んじゃいけないんですけど……」

 琴のツッコミを無視して、雹は笑って言った。

 「安心しな、この雹さんは、単にお節介なだけだ。あんただって、可愛い顔した女の子がいかにも悩みを抱えているって感じでいたら、相談に乗ってやるだろう? それだけのことだよ。さ、おごるから何か食いに行こうぜ」


 「遅いっ!!!」

 こちらは『頼まれ屋』である。誾は、すっかり冷めてしまった料理を前に、ふくれっ面で雹の帰りを待っていた。

 「……確かに、もう9時だから、雹さんが出て行ってから8時間も経ってる……いくら雹さんでも、そ、その……大人の男のパラダイスの梯子なんてしていないだろうし……」

 僕が言うと、霙ちゃんが真顔で聞く。

 「大人の男のパラダイスって、ず~っと居ちゃいけない所なのけ?」

 「僕に聞くなよ! ただ、歓楽街に行ったときに見た看板には、1時間何円とか、3時間セットとか書いてあったからそう思っただけだよ」

 「うわ~、3時間セットってどんな食べ物? キヨマサ、今度一緒に食べに行こう!」

 目を輝かせる霙ちゃんを見て、僕は顔を赤くしてボソッとつぶやいた。

 ――一緒に食べに行ったら、食べられるのは霙ちゃんなんだけど?……はっ、いかん! セリフが雹さんになってしまっている!

 僕らの話を聞いていた姉上の、堪忍袋の緒が音を立ててキレた。

 「あの男、あたしをこんなに待たせやがって……清ちゃん、霙ちゃん! 一緒に雹さんを探して」

 遂に姉上が立ち上がった。僕たちはその勢いにのまれて、ただうなずくしかない。

 「あ、姉上……雹さんを探して、どうするつもりですか?」

 恐る恐る僕が訊くと、姉上は般若の面のような顔をして僕にのたまった。

 「決まってんだろ。あたしというものがありながら、★ブホテルなんかにしけこんでやがったら、真ん中の足を二度と勃たなくしてやる」

 ――い、いえ、姉上、そもそもまだ姉上は、雹さんに告ってもいないんでしょ?

 その時、清正は心の底からこう思った。

 ――彼女や嫁さんは、ヤンデレじゃない女の子がいいよう……。


 「だ~からぁ、嫌~な仕事ばっかりボクに押し付けるんですよぉ~、あの俣野さんはぁ~。俣野名を股間ってさぁ~。ちょ~っとカッコいいからって言ってぇ~調子に乗んなよあの股間ヤロー!」

 琴は、大声でそう怪気炎を上げる。雹は、へべれけに酔った琴を支えながら言った。

 「おいおい、お琴ちゃん。ちょっとアンタ、酒癖悪くない? 悪いよね? 酒癖悪いよね!?」

 そう言うと、琴は酔眼を雹に向けて絡んでくる。

 「にゃに言ってんだお。呑めって言ったのは雹ちゃんだろうが! ボ~クは呑めないって言ったのにぃ~、ボクに呑ませて、雹ちゃんボクに何したいの? え!? ナニしたい? きゃはははは☆」

 「お~い、お琴ちゃんオンナノコだろ~。そんなこと口走るなよ~。お嫁に行けなくなるぞぉ~」

 「うるっへ~! こうにゃったらぁ~、松岡だろうがマツタケだろうが××コだろうが、雁首取ってやるぞ~……うぷっ!」

 琴は、ふいに口を押えてしゃがみこむ。

 「あ~あ、言わんこっちゃない……だいたい呑みすぎなんだよ、お琴ちゃんは」

 そう言うと雹は、琴の背中をなでてやる。

 「げろげろげろげろ……ひ、雹ちゃん……」

 「なんだよ?」

 「責任とってね❤」

 「つわりじゃねぇだろ! 呑みすぎだろこれ!?」

 雹が叫ぶと、琴はうるうるした瞳で言う。

 「だぁってぇ~、琴をこんなに乱れさせたの、雹ちゃんが初めてだもん……」

 「やめてくれない? そのいかにも何かしましたぁって言う言い方、やめてくれない?」

 「うっぷ! げろげろげろげろ……」

 琴は完全に出来上がっているようだ。これじゃ、屯所や官舎まで歩けまい……。雹がそう思って、周りを見回した時、不意に場の空気が変わった。

 「見つけたぞ! 鳴神信郷!」

 「!?」

 雹は、琴を抱えながら、声がする方を見る。そこには、真徴組四番隊肝煎・松岡万市――通称『新政府の狂犬』――が、不気味に目を光らせて立っていた。

 すると、ゲロっていた琴が不意に立ち上がって、松岡に呼びかけた。

 「松岡先輩! あなたを探していました!」

 そう言いざま、琴は抜刀して言う。

 「真徴組法度の度重なる違反の罪により、あなたを処断します!」

 すると、松岡は笑って言う。

 「ふん! 大方、小心者の松平の言い草だろう? お前程度じゃ俺は斬れん。刀を納めろ、中西大尉」

 琴は、目を据えて八双に構えて言う。

 「中西琴、総括から直々の命を受けたからには、死すとも任務は果たさん!……うっぷ! げろげろげろ……」

 せっかくかっこよく決めたが、ふいに琴はしゃがんでゲロってしまう。

 「おいおいおい、大丈夫か? 無理して動くと余計に酒が廻って気分が悪くなるぞ?」

 雹が慌てて背中をさする。その様を見て、松岡はびっくりしたように言う。

 「お、おい……鳴神信郷、貴様、琴とすでにただならぬ仲になってしまったのか?」

 「んなわけあるか!? だいたい、鳴神信郷って誰だ? 俺の名は鳴神雹だ。人の名前を間違えんじゃねェよ……!」

 雹は、言葉の途中で斬りつけてきた松岡の刀を、間一髪で受けた。松岡ははぁはぁと荒い息をしながら、雹に言う。

 「お前さんが何者だろうと構いやしねェ。鳴神信郷、いや、“双刀鬼”として死んでもらいてぇのさ……。そしたら俺の首もつながるってもんよ」

 雹は、松岡の刀を受けたままゆっくりと立ち上がると、ニヤリと笑って言う。

 「そいつぁ、ズルって言うんじゃねェか?」

 そう言いざま、右手で大木刀を抜き討ちにする。今度は間一髪で松岡が避ける番だった。

 「ふん、その腕……その腕で“双刀鬼”でないわけがない。俺は一度、貴様と戦った。覚えていないか? 利根川の橋の上での話だ」

 「!? 貴様、あの時の……生きていたのか」

 雹は思い出した。それは明示9年、『サムライ派』最後の大勝利として知られる『利根川の戦い』でのことだった。


 戦は『サムライ派』が上杉剣心率いる3万人に対し、『官僚派』が第1師団長・佐久間信守率いる2万人で行われた。雹たちは『協同隊』を率いて第1師団の側翼から突撃した。

 『信郷、いいところに来てくれた』

 利根川の橋まで来ると、第1中隊150人を率いて先発していた『協同隊』隊長・八神主税が、朱に塗れた第1中隊長・久坂瑞玄を介抱しつつ言う。

 『何だ!? 久坂さんがやられたのか?』

 雹が訊くと、八神は鋭い目を橋の上に向けて吐き捨てた。

 『橋の上にバケモンがいる。あいつを討ち取ってくれないか、信郷?』

 雹は、橋の上に目を向けた。そこには、両刀を抜いて阿修羅の奮戦をしている一人の男がいる。

 『あいつも二天一流じゃねェか?』

 雹が言うと、八神はうなずいて言った。

 『信郷は知らんかもしれんが、東京じゃかなり知られた人物だよ。松岡万市つってな、二天一流で各地の道場破りをして、負けたことがないそうだ。その時殺めた人の数も、10や20じゃ下らない』

 そんな話をしているうちに、前線から注進が来た。

 『高杉さんがやられました! 奴に斬られて重傷です!』

 それを聞くと、雹は『備前長船師光』の刀と『堀川国広』の脇差を抜いて、八神に言った。

 『主税、承知した。久坂と高杉を後方に下げてくれ。俺があいつを仕留めるから、すぐに主税は主計と一緒に突撃してくれ。俺もあとから行く』

 『頼んだぞ』

 八神の答えを聞く間もなく、雹は駆け出した――。

 ――橋の上の戦いは、きわめて激しかった。雹とともに戦った第4小隊50人はほぼ全滅するほどの酸鼻を極めるものだった。

 “双刀鬼”として敵味方に恐れられ始めていた雹ですら、松岡という男には手こずった。それは、そいつが人間離れしたスピードと瞬発力、そして反射神経を持っていたからだ。

 『くそっ!』『ぐっ!』

 雹と松岡がそう言って間合いを取る。もはや、二人の刀は刃こぼれで役に立たなくなっている。

 『さすが“双刀鬼”だな……俺はこんなに苦戦したのは初めてだ』

 松岡が言うと、雹もニヤリとして言う。

 『ふん、俺だって、てめぇみたいなバケモンに会ったのは初めてだ』

 そして、雹は右手を前に突き出し、左手を後ろに反らせる、二天一流の正式な型にはない構えを取って言った。

 『だがな、俺たちゃ、はやく佐久間のおっさんのそっ首を貰わなきゃいけねェンだ。わりぃがこれで決めさせてもらうぜ』

 そう言うと同時に、疾風のように松岡に肉薄し、右手の刀を閃かせつつ左手の脇差を突き出した。

 『甘いっ! 貴様の技は見切っているぞ!』

 松岡が右手の刀で雹の突き出した脇差を折った。そして勝ち誇った顔で左手の刀を振り下ろそうとした時、松岡の腹から顎にかけて、鋭い痛みが走った。雹は電光の速さで払った右手の刀を旋回させ、逆袈裟に斬り上げたのである。

 『ぐおお~っ!!』

 松岡は、吹き出す血とともに、欄干を乗り越えて落ちて行った。


 「そうか、生きていたか……しかし、貴様にはここで死んでもらうよ」

 雹はそう言うと、大木刀を抜いて松岡に肉薄する。あの時と同じだった。雹の右手の大木刀が払われ、間、髪を入れずに突き出した左手の小木刀を、松岡が受ける。そして、

 「ぐあっ!」

 今度は雹が叫ぶ番だった。松岡の太刀筋は鋭く、雹の木刀の逆袈裟より速く斬り下ろしてきたのだ。

 「……人間、成長するもんだよ」

 右肩から左脇にかけて斬り下げられ、血を流して左ひざをついている雹に、松岡が言う。

 「……確かに、人は成長するもんだよな?」

 ゆっくりと顔を上げて言う雹は、自分の大木刀の先がべっとりと血に濡れているのを見てニヤリとした。その雹の顔を見て、松岡の笑顔が凍り、

 「ぐはっ!」

 松岡は、多量の血を吐いて崩れ落ちる。雹の最初の大木刀の突きは、見事に松岡の胸を貫いていたのだ。

 「くっ……結局、“双刀鬼”には敵わなかったということか……」

 それが『新政府の狂犬』、真徴組第4番組肝煎・松岡万市の最期の言葉だった。

 「ふん……何年経っても、俺を解放してはくれねェってことか……」

 両刀を戻した雹は、完全に正体をなくしている琴を見ると、舌打ちして彼女を背負い、『真徴組』の屯所へと歩き出した。

 「まったく、世話が焼けるお嬢さんだ……」

 琴は、そうつぶやく雹の言葉を聞きながら、心地よい眠りの中で思っていた。

 ――雹さん、あなたの秘密、私、決してしゃべりませんよ? だって、あなたの前身がたとえ賊軍『協同隊』の副長・“双刀鬼”であったとしても、あなたはサムライの心を持つ立派な武士です。不逞浪士なんかじゃありませんもの。

 この日から、真徴組第6番組肝煎・中西琴大尉は、自分の心と真徴組に対して、大きな秘密を持つこととなったのである。そして……

 「……っ!」

 雹と松岡の激闘を、陰から見ていた佐藤誾は、雹が琴を背負っていくのを見て、冷たい顔でニコニコ笑っていた……。


 なお、この日、家に帰った鳴神雹が、お誾ちゃんからどんな仕打ちを受けたのかは、読者のご想像にお任せしたい……。

【第4幕 緞帳下げ】


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