第六章 支配者(3)
ネイサンが去って行ってしばらく、シャーロットは突然上体を起こし、激しく三度、深呼吸をした。
そして、そばに座って見つめているアルフレッドに視線をやる。
「あ……アル……」
見ると、彼は歯を食いしばって、頬を濡らしている。
「あたし……聞いてた。あたしがこんなだから……」
「そうじゃない、そうじゃないんだ」
言いながらも、アルフレッドは、なにがそうじゃないのか、自分でも分からないでいた。
何が悲しくて、何が悔しくて、泣いているのだろう。
分かりきっている。
もう、シャーロットとともに生きていけないこと。
なのに、それを望むのは自らのエゴに過ぎぬという理解もある。
お互いのために、仲間のために、そして人類の叡智のために、彼女が行くべきだろうことも理解している。
あらゆる理解はそれを指し示しているのに、その上に降る感情の雨は、止められそうになかった。
「僕が……ただ僕が勝手に、君と一緒にいたいと思っただけで……君はきっともっと良い生活を……」
「……ううん。あたしも、アルと一緒にいたいと……思ったから。きっと誰よりも大切な人だと……」
そう言って、シャーロットは、一粒、涙をこぼした。
「フェリペをやっつければきっと全部終わると思ってた……あたしったら、馬鹿。あたしは、ただこうあるだけでいろんな人の興味を集めちゃう……それはきっとアルを傷つける……もっと早く気がつけばよかった」
「そんなことはない。逃げよう。僕が守る」
「……ううん。やっぱりマカウからは逃げられないよ。それよりも……」
アルフレッドを失う恐怖に勝てそうに無い、という言葉を、彼女は飲み込んだ。
自分を追うものは、一体、マカウだけで済むだろうか。
どこからか魔人の存在が漏れれば、数多の欲に目がくらんだ人間が、自分を追うようになるのではないか。
そのとき、そのそばにいるごく普通の何の力も無い優しい青年が、どんな扱いを受けるだろうか。
「……僕はあきらめたくない」
アルフレッドがぼそりと言う。
彼はその言葉の意味を理解しているだろうか。
より苛烈な追っ手さえも加わった逃亡の人生。
そんなものに、晒したくない。
「……ごめんね、アル。あたし、行くよ。アルのことは、好き。でも、だから、どこかで元気に生きてて欲しい。あたしも、ちゃんと生きるから」
「君のいない人生なんて無意味だ」
「そんなことない。……見て。海は綺麗で。太陽も明るくて。こんな世界を見ていられるだけで、生きてるって素敵なことだと思う。……ね?」
かつて、アルフレッドが目覚めた生の喜びを詠う詩がシャーロットの口から漏れてきたことに驚き、感情が一瞬リセットされるのを感じる。
「分かってる……だけど……」
そして再び、悔しさの感情を心底から探り当て、涙に換える。
「……僕はとても無力だ」
「そんなことない」
シャーロットの顔は、いつしか笑顔に変わっている。
「いつもアルがいて、だからあたしは戦ってこられた。生きるために戦い続けられた。時々、死んでもいいって思うこともあったけど……アルが、生きる力をリロードしてくれたの。あなたはあたしの最高の補給兵さんだったよ。ありがとう。ここで最後にめいいっぱい生きる力をもらって……生きるから。約束する」
アルフレッドは、うぐっ、という嗚咽をもう一度漏らす。
「それから、ね、セシリアを、お願い。あの子はまだ生きる楽しさもつらさも分からないから……アルが支えてあげないと……」
自分が守るべきものが無くなれば、いつ命を落としてもいい。そう語ったセシリアが、生きる意味を見つけられるまで。
そうだ。アユムを失い、ただ僕とロッティを守るためだけに狙撃銃を構える彼女、生きる意味を、一緒に探してやらなければ。
「……分かった」
一つしかない答えを、ようやく飲み込むアルフレッド。
「……ありがとう」
シャーロットは、笑いながら涙を落とし、それから、アルフレッドの横にまた座った。
***
セシリアとエッツォは、遠慮しているのか、離れた位置で二人を見守っている。
二人の関係を、どう見ているだろうか。
人にどう見られていても、二人の関係は、この宇宙に一つだけだ。
「図書館でアルに会った時。ほんとうなら、あたし、エクスニューロを取ろうとするあなたの手なんてすぐに振り払えたの。どうして、できなかったと思う?」
シャーロットは、優しい笑みを浮かべて地面の砂を眺めている。
「さあ、分からない。言われてみれば不思議だ」
「きっと、一目惚れ。エレナがあなたをお兄さんだと思って一瞬動きを止めたのと同じ。強すぎる感情は、エクスニューロを狂わせるの」
「ひ、ひとめ……」
アルフレッドは思わず顔を真っ赤にする。
「うん。そのあと、大学で静かな時間を過ごして。永久にこんなときが続けばいいなって思って。――ごめんね、あたしがこんなだから、だめになっちゃった」
「き、君のせいじゃない」
シャーロットの告白にまだ動転しているものの、アルフレッドは慌てて彼女の自責を否定する。
たしかに、アルフレッドも、あの時間が永遠に続けばいいと思った。
それができなくなったのは、決してシャーロットのせいじゃない。
かといって、フェリペや、エクスニューロの発明者、エンダー教授を恨むのも違うように思う。
なぜなら、それが無ければ、アルフレッドはシャーロットに出会うことさえなかったのだから。
たとえ一瞬でも、出会って心を通わせあえたこと。
別れる不幸を嘆く前に、その幸運を喜びたい。
――いつか、もしかすると。
「ねえ、アル。死んだら、どうなると思う?」
突然の問いに、アルフレッドは顔を彼女に向けて固まる。
「ど、どうって。考えたことも無かった」
「……じゃあ、生まれ変わりって、信じる?」
「……なんとも言えないよ」
戸惑うアルフレッドの顔を見て、シャーロットはくすりと笑う。
「おとぎ話には興味が無いのね。アルらしい。でも、あたしは生まれ変わりって、信じたい」
「……そうか。そうだな、君がそうなら僕も」
「うん。そしたら、ちょっと遅れるけど、アユムにもまた会えるかもしれないって思えるから」
「……ああ、きっと、そうだ」
「だからね」
シャーロットは、アルフレッドの視線を微笑みで受け止める。
「あたしはいつか、絶対、生まれ変わったアルを探しに行く」
アルフレッドは、再び目頭が熱くなるのを感じる。
「分かるの。あたしは、とても貴重な知能機械として、ずっとコピーされ続けるの。あたしの肉体が死んでも、ずっと。あたしは、きっと、この肉体と同じように魔人になれるパートナーを探し出す。きっと見つけて、その『あたし自信』と一緒に、アルの生まれ変わりを探しに行くの。宇宙中を旅してでも、アルを探す」
「そんなこと……」
「……できるよ。魔人の力は、宇宙の全てを知る力。アルが生まれ変わってるなら、きっと見つける。見つけられないはずが無いもの。だから――」
ふいに、彼女の顔がぼやける。
アルフレッドが、彼女の両目に合わせていたはずの焦点がずれたことに戸惑っている間に。
シャーロットの唇は、アルフレッドの同じところに、そのほのかな湿り気を移した。
「――この続きは、そのときに。ね」
震えるようにしてうつむくアルフレッド。
シャーロットは、その、一時だけの年下の恋人を、かわいいと思う。
――かならず。
いつか、かならず。
もう一度。
ほのかに残った唇の感触をかみ締めながら、シャーロットは、立ち上がった。
***
その後、シャーロットは、セシリアともしばらく話し込んでいた。
セシリアは、終始、涙をぽろぽろとこぼしていた。
何を話したのかは、アルフレッドには分からない。
アルフレッドよりも長い付き合いのセシリアには、つらい別れだろう。しかも、アユムを失ってすぐのことなのだから、なおさら。
その間、ネイサンの手のものが、アルフレッドたちの船を沖に出す手配をしていた。
タグボートで引き出し、近くの埠頭に丁寧に係留されている。
シャーロットとエッツォのエクスニューロ本体はすでに運び出された。
アルフレッドの頼みで、アユムのエクスニューロは残された。本当はそれも回収して調査したかっただろうが、彼らは譲歩した。
別れが済んだら来たまえ、と言って、ネイサンは先に歩き始めた。見ると、第五市警察の用意した車がある。第五市中央通りに強引に着陸した往還シャトルへ向かう車。
「……エッツォ、君がこれからどんな役割を負うのか分からないが……ロッティを頼む」
「……僕だって『友達』をひどい目に遭わせる奴は許さないつもりだ」
アルフレッドが差し出した手を握り返しながら、エッツォははっきりと言う。
それから、再びシャーロットに。
「……ありがとう」
「……うん、ありがとう」
二人が握手しながら交わした言葉はこれだけだった。
エッツォとシャーロットは、振り向いて去って行った。
車のドアが閉じ、土ぼこりをあげて走り去る。
「……行っちゃいました」
セシリアは、まだ涙声だ。
「そうだな」
アルフレッドは、車が走り去った通りの彼方をずっと見つめている。
「私は、どうしたらいいんでしょうか……」
暗く沈みかけるセシリアの手をとる。
「……じゃあ、お願いしようかな」
アルフレッドは、笑ってみせる。
「僕を守ってくれ。そのために必要なものは、僕が責任を持って準備する」
セシリアは、はい、と小さく言ってうなずき、それから、ようやくほのかに微笑んだ。
***
それから数日。
正統政府軍の攻勢で、ミネルヴァ軍が全面降伏したことが惑星中に報じられた。
正統政府軍は第三市を経て第五市まで進駐し、占領統治を行った。
当初、第三市では『学粋派』を名乗る勢力がテロ活動で政府軍をてこずらせたが、第五市で次々と見つかった秘密組織『オモイカネ』の陰謀の証拠が報じられるに連れて、踊らされていたと気付いたものが次々に学粋派を離れ、活動は沈静化していった。
周辺の山賊や第六市近辺の海賊を除いて、数十年ぶりに、惑星マリアナが統一政府の元に統治され始めた瞬間だった。




