第六章 支配者(2)
シャーロットが立ち上がって銃口を向けた。
それに続いてセシリアも。
六人の中にエッツォが含まれていても、不思議と疑問を感じなかった。エッツォはもともとスパイだったのだから、いつ裏切ったとしてもおかしくは無い。
だから、その六人は、彼らの敵かもしれなかった。
背がやや低い少し太った初老の男が両手を上げて三人を制し、エッツォともう一人の中年の長身の男だけを伴って前に一歩出た。エッツォでさえ、すでに武器を放り出して無抵抗のポーズを見せている。
真ん中の初老の男は、まっすぐにシャーロットの前に歩み寄ってきて、あと十歩ほどで握手できる距離のところで立ち止まった。
「シャーロット・リリーだね?」
彼の言葉に、シャーロットはうなずいた。エッツォがいるのだから嘘をつく意味がない。
「私は、マカウのマリアナ総督、ネイサン・アスター。お初にお目にかかる」
優雅に一礼したネイサンは、温厚そうで無害に見えた。
「失礼ながら、こちらのエッツォ・パダリーノ君を通して、君たちを監視させていただいていた。そして、首尾よくフェリペ君を討ったと聞いてね」
「エッツォ、君は……」
アルフレッドは思わず抗議の声を上げる。
「待ちたまえ、彼は、君たちの友情を裏切ってはおらんよ。我々は彼の行動を監視していた。今日ここに来ることを掴み、君たちが勝つにせよ負けるにせよ、この場所に私が来るべきだと判断しただけだ。勝った方と会見するためにね」
「勝ち負けなんて関係ない」
憤りを隠しもせずアルフレッドは吐くように言う。
マリアナ総督と名乗るこの男。
地上でたくさんの人が死んでいるのに、空の上でそれを見て笑っていた男だ。
こいつさえいなければ、アユムだって死なずに済んだかもしれない。
「……では言い換えよう。シャーロット・リリー君は、これで自由になった」
「……だから、なんなの」
シャーロットが彼女らしくもなく冷たく返す。
「……来たまえ。君はこの不幸の星から解放されるべきだ。人並み以上の生活と自由を約束しよう。宇宙が君を待っている」
「いや」
即答した彼女を、アルフレッドは驚きの目で見る。
そうとも、ロッティは、もうこんな星で、人々が不幸になるのを見続け、自らが不幸であり続ける必要はない。
フェリペが私的に捕らえてモルモットにするのとは違う、あのマカウが彼女の身分と人権を保障するのであれば、ここにいるよりずっと幸福に暮らせるはずなのだ。
なのに、なぜロッティは断ってしまう?
――君を、エゴで縛り付けるだけの僕のそばに残るため? 馬鹿な。
「あたしはあたしの好きなように生きる」
「我々のところでも君が好きなように生きる権利はある」
「でもあなたは考えている。あたし以外のマリアナ人は連れて行けない、と」
シャーロットの指摘に、ネイサンはびくりとする。
「……なるほど、君が『全知の魔人』だということを忘れていた。そうだな、それだけは残念ながら許せない」
「なぜ」
もしかするとその理由まで全知の魔人は知り得たかもしれない。凡人のネイサンには分からないが、それを答える労力を惜しむこともあるまい、と口を開く。
「君には、われわれが保障する自由だけを謳歌してもらわねばならない。君を籠から連れ出す可能性のある者は、一緒には置けない」
その言葉に、今度はアルフレッドがびくりとする。
――籠から連れ出す可能性のある者。
それは僕だ。
そうか。
結局彼らも、彼女を籠から出す気は無いのだ。
それでも、それは極上の籠。
命奪われることにおびえることも二度と無いのに。
「あたしが一緒にいたい人は、あたしが選ぶ。それは、アル。セシリア」
ネイサンはため息をつく。
「――アルフレッド・レムス君と言ったかね。君も魔人を手放すのは惜しいか。だからこの娘を手懐けておるのかね」
「魔人なんていらない。僕の欲しいのは――ロッティだ」
「だが、私が聞いたところでは、『彼女自身』はすでに、小さな黒い箱の中だそうじゃないか」
そう、魔人特有の『同化』現象で、シャーロットの心はすでにエクスニューロへと移行しつつある。
それがなんだ?
彼女の心がどこにあろうが知ったことか。
人を愛おしく思う気持ちが脳内の電気信号に過ぎぬから無意味なものだとでも言うのか。
決してそんなことは無い。
ああ、僕はやっぱり。
ロッティを愛している。
「……決裂だ。ロッティは渡さない」
「力づくでいただくまでだよ」
カチャリと音がする。
見ると、セシリアがネイサンの額に照準を合わせている。
「渡しません。勝てると思っているんですか、私たちに」
エッツォが銃を上げる。
「……済まない、友情はともかく、雇い主には逆らえないんだ」
彼の銃口は、アルフレッドを狙っていた。
お互いに失ってはならぬ者を狙う格好になる。
「やめたまえ。君たちに私は撃てん」
「そちらこそやめるんだな。分かってるだろう。ウィザードは魔人には勝てない。エッツォがトリガーを引く前に、ロッティは一人残らず片付けることができる」
「どのような理屈でそれほどの大罪をなすのかね」
「理屈などいらない。僕はただ、ロッティにオーダーする」
「やってみたまえ」
ネイサンと言う男の横柄っぷりに、アルフレッドは頭に血が上りきっていた。
本当にできないと思っている。
馬鹿にするな。
僕らは生き抜くために何百人も殺してきた。
そこにほんのいくつかの命が加わることくらいをためらうとでも思っているのか。
望み通り。
殺してやる。
「ロッティ、オーダーだ。こいつらを――」
言いかけた瞬間、ネイサンが右手を挙げた。
同時に、魔人・シャーロット・リリーは、崩れ落ち、動かなくなった。
まるで魂が突然抜けてしまったように。
***
アルフレッドはシャーロットの元に駆け寄る。
息はしている。脈もある。
だが、目はうつろだ。頬も硬直している。
アルフレッドは、これを知っていた。
これを見たことがあった。
エクスニューロデバイスを破壊され、エクスニューロ本体との接続が切れた、あの時のシャーロットと全く同じだった。
「……何をした、と問われる前に答えておこうか」
ネイサンが一歩踏み出す。エッツォもセシリアも、すでに銃を下ろしている。
「我々は、この惑星の支配者だ。何をもって、この惑星を支配していると宣していたと思うかね」
ただ、支配していると言っていただけだ。
地上の惨劇など無視して。
「……考えたことが無いかね。この惑星で。君たちは、不自由なく暮らしていた。水も。電気も。通信も。この惑星におけるそれらの基本インフラは、遍くすべての市民に供されていた。誰かがそれをせねば、それはこの世界からたやすく絶える」
水や電気が提供されない世界?
そんなものは、アルフレッドは考えもしなかった。
「それを絶やすことは、市民を一人残らず殺すようなものだ。我々は、それらを苦心して維持してきた。仮にある地域の政府が瓦解したからと言ってそれらが途切れてはならぬ。我々は、確かに市民同士の争いには不干渉であったが、市民の生きる権利に関しては注意を払っていたつもりだよ」
それはつまり――。
「我々こそが、それらを維持、管理していた。水、電気、――そして、通信だ」
――通信。
考えたことが無かった。
通信帯域チップさえあればたとえ海の上でもどことでも通信できることが当たり前だと思っていた。
「我々は通信衛星や電力線を使った汎惑星ネットワークを維持、管理している。それこそが、マカウがこの惑星を支配するものとして果たしている責務であった。なおかつ、マカウが地上のいかなるものにも反抗を許さぬ権力の形でもある。さあ、考えてみたまえ。エクスニューロは、なぜ遠く離れた使用者と本体の間でリンクが保たれていたのかね。我々が、それを保障したからだ。制限つきの通信帯域チップは各勢力に適度に与えてきたが、その中でも特別の、更新の必要のない無制限チップがエクスニューロには使われておったようだ。当然無制限チップの権限で行われる通信は特に注意深く監視しておったがね、当初は、それが送信している意味不明なデータに、高度な暗号通信か帯域の無意味な浪費かと思っておった。まさか、脳神経データそのものであったとはな。分からぬはずだ。――さあ、これで分かっただろう。私は、通信を遮断するハンドサインを出しただけだ。君の大切なシャーロット君は、この私が再度腕を振らねば、そのまま生ける屍でありつづけよう。君はそれが望みかね」
エクスニューロ本体に同化してしまったシャーロットの人格、彼女自身。
エクスニューロリンクが回復しない限り、それは永遠にあの小さな箱の中。
なんてひどいことを。
「……なんてひどいことを」
アルフレッドは思わず考えながら、憎しみを込めてつぶやいた。
ネイサンは、彼のその表情を正しく理解していた。
「……力づくでも、と言った意味が分かったようだ。だが、これだけは言わせてもらおう。彼女は、人類の希望と言っていい。戦乱のこの惑星でだからこそ生まれた、奇跡のシステムなのだよ。それを、この惑星で老いるままにしておいてはならん。たとえ君に憎まれようとも」
「――だったら僕も連れて行ってほしい」
ネイサンの強い意志に、アルフレッドの言葉は、半ば懇願の色を帯びていた。
「だからこそ君を連れていくわけにはいかぬ。――分かるだろう。色恋で彼女の魔人性を汚すリスクを冒すわけにはいかない。一体いかなる理論であるのか我々にもまだほとんど分からないが、それでも、特定の人間に対する強い感情――たとえば、恋人、夫、子供――そういうものは、『量子論的全知』にとってはきわめて危険なリスクと言わざるを得ん」
アルフレッドは、ネイサンが多少なりとも罪の意識を感じていることを知った。
この惑星の全住民の生殺与奪を握るという圧倒的な権力。問答無用で連れて行けばいいものを、アルフレッドの理解を求めるために説得を続けている。
非道な行いの仮面の下には、人間らしいところもあるのかもしれないな、と、やや見当はずれのことをぼうっと考える。
「……ロッティと話をしたい。僕には……決められない」
悔し涙があふれてくるのを抑えられない。かろうじて、震える声で、おそらく最後の要求を伝える。
「……よかろう。ニコリーニ君、君のスパイに監視させておきたまえ」
「はい、閣下」
ネイサンの隣に立っていたセバスティアーノはうなずき、エッツォに顎でオーダーを伝えた。




