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マリアナの女神と補給兵  作者: 月立淳水
第三部 マリアナの女神
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第六章 支配者(1)

■第六章 支配者


 朝日を背にした人影があった。

 その小柄な人影に、見覚えがあった。


 エンダー教授。

 エクスニューロの父。


 茶色いよれよれのジャケットを羽織って立っている。

 アユムを抱いたままのアルフレッドに向かって、ゆっくりと歩み寄ってくる。


「……アユム・プレシアード君か」


 つぶやくような問いに、


「……はい」


 アルフレッドは無感情な声色で返した。


「……よくよく、私は運命に愛されているようだ」


 彼は言うと、右ポケットから何かを取り出した。

 その形を見たアルフレッドたちの心をざわめくものが駆け抜けていく。

 だが、それは、彼らの予想を裏切り、エンダー教授自信の右のこめかみに突きつけられた。


 それは、護身用の小さな拳銃だった。


 ――逝くか。

 それもいいだろう。


 アルフレッドが諦めにも似た感情を覚えたとき。


 乾いた破裂音。

 エンダー教授の手にあった拳銃は、破片を散らしながら空を舞った。

 そして、シャーロットの右手に握られた拳銃から、硝煙が立ち上っていた。


「……なぜ邪魔をする、全知の魔人よ」


「――あなたはここで死なないと、知ったから」


 シャーロットは短く答える。


「……私は、あやつを脅したのだよ。アユム・プレシアードが死ぬときは、私の命もともに消えるだろうと。命を賭けた博打の債務くらいは履行させてくれんかね」


「――許さない。あなたは一生債務不履行の汚名を抱えて生きる」


 冷徹な魔人の声は、要望でも命令でもなく、事実の言明に過ぎなかった。


「……そうか。君がそう言うのなら、そうなのだろう」


 彼は、ふう、とため息をつきながら、その場に座り込んだ。


「私も疲れたよ」


 彼はそれっきり何も言わなかった。

 彼にかけるべき言葉も見つからず、アルフレッドは横に見さえせず、彼の横をすり抜けて歩み出した。


***


 アルフレッドたちは、坂を下り、浜辺に出た。

 そこは、かつて、ランダウ騎士団と新連盟軍が激しく戦い、騎士団の一指揮官が命を落とした場所だ。


 今そこに、新たな犠牲者が加わっていた。


 夜中に駆け付けた警官たちのうち一人が、まだ船を見張っている。アルフレッドたちは、船が遠目に見える防風林の中に身を隠して、準備をすることにした。船が陸に乗り上げているため、海に押し出すための重機なり車なりを見つけてきて、準備が整ってから警官を排除し船に乗り込もうという見立てだ。


 背負っていた物資の中から簡易寝袋を出すと、アユムの遺体を丁寧にくるんだ。

 血に汚れた顔をシャーロットが丁寧に拭うと、まるで静かに眠っているようだ。


 セシリアは再び泣きながらどこかに行ってしまった。

 誰にも見られぬところで泣いていることだろう。


 エッツォは、並んで岩に腰掛けアユムを見つめているアルフレッドとシャーロットを、その後ろから眺めている。

 が、ともかく車を探してみる、と言い残し、二人を置き去りに、どこかへ行ってしまった。


「……アル」


 シャーロットが口を開く。


「なんだいロッティ」


 アルフレッドはアユムから視線を外さずに応える。


「あたし……シュウ隊長もアユムもあたしのために死んで……あたし……そんなに……」


 シャーロットが言葉を選びあぐねている間、アルフレッドは何も言わなかった。


「あたしの命に……それほどの価値があるなんて……思えないの……」


「君を助けたいと思ったのは僕らだ。君が背負うことじゃ――」


「だけど。どうして二人が……もっとたくさんの人が死んで……あたしが生きてるんだろうって」


 エンダー教授の死を許さなかったのも、きっとそのためだろう。


 見ると、また、涙を流している。

 果たしてその涙を落としているのは、シャーロットの脳なのか、エクスニューロなのか。


 意味のない問いがアルフレッドの脳内に去来する。


「あたしを助けないって決めれば二人はきっとまだ生きてて……」


「……君は特別なんだ」


「それはあたしが魔人だから!? あたし、そんなの選んでない」


「違う」


 アルフレッドは首を振る。


「……僕にとって、特別だったから。僕が助けたいと思った。僕の……エゴで、隊長もアユムも、死なせてしまった。僕、なんだ」


 シャーロットの人格を取り戻すために第五市に攻め込むこと。フェリペという脅威を除くためにエレナに挑むこと。


 誰かがそれを言い出すだろうと期待していた。

 その通りになった。

 それを肯定した。


 いつも、僕がコントロールする権利を持っていた。

 だが、コントロールしなかった。


 彼女を、ロッティを助けたいという友人たちの熱意を、私物化していた。

 僕はそして、ロッティを得た。


 なんとあこぎな人間だろう。


「僕は君が好きだ。だから、ほかの誰を犠牲にしても君を守りたいと思った。いろんな人の命と引き換えに君を守り続けた――そして最後に、君にとって一番大事な友人を奪った。……軽蔑、するだろう?」


「こんな時に……ひどいよ」


 シャーロットは、また大粒の涙を落としてうつむく。


「あたしだって……アルのこと……そんな風に思ってた……なのに……今は、分からない……」


 そうだろうな、とアルフレッドは思う。

 彼自身、シャーロットに対する気持ちが、分からなくなっている。


 本当に彼女を愛しているのか?

 彼女を愛している、守っている、という自己満足に酔っているだけではないか?


 ようやく生とは何かを知ったばかりの彼に、誰かの生と引き換えにしてでも得る愛というものを理解するのは、難題に過ぎた。


「……ねえ、どうすれば、いい?」


 シャーロットのその問いに、アルフレッドは明確に答えられない。

 僕について来い。

 ただ一言、横柄に言い放てばよかったのかもしれないが、彼にはそれができなかった。


「……考える時間を、持たないか。またみんなと……あちこちを旅して」


 アルフレッドが言うと、シャーロットは、そうと思って見なければ分からないほど小さく、うなずいた。

 太陽が、二人の横顔を照らし始めた。


***


「エッツォさんは?」


 静かに座っているアルフレッドとシャーロットの元にセシリアが戻ってきて言った。

 両目を腫らしているが、もう涙は止まっている。

 彼女は彼女なりに、努めて明るく振舞おうと決心し、気負っている。


 以前、シュウが逝ったときには、彼女が最後まで泣き続けて心配をかけた。

 その時自分を支えてくれたアユムが亡くなった今、だからこそ、今度は自分が、残された友人たちの支えになろうと、せめて、重荷になるまいと決めて、この場所に帰ってきたのだった。


 それでも、何も語らぬアユムの顔を見ると、涙が溢れそうになる。


「……まだ、帰ってこない」


「そうですか……」


 一人でうまい具合にセキュリティをかけ忘れたそれを見つけるのは困難に違いない。今からでも探しに立とうか、とアルフレッドは思う。

 ふと、魔人の力で見つけられないか、と、シャーロットに尋ねようとしたが、思いとどまった。

 彼女が魔人だから助けたのか、そのように指摘されたことは、彼にとって不本意だった。魔人の力を使うよう彼女に頼むのは、なんだかそれを認めてしまうようで、気が引けた。


 見ていると、セシリアは、寝袋のジッパーを上げて、アユムの顔まですっぽりと覆った。そして、肩のあたりと腰のあたりに、丈夫なロープを通す。帰り支度のようだ。

 アルフレッドもシャーロットも、何も言わずにそれを見つめていた。


「アユムさん……良い人でした」


 セシリアがつぶやく。


「どうして戦ってるのか……自分だって分からないから、って。誰にも秘密で、何度もアユムさんに泣き言を言いました。全部、分かってくれました」


 ロープの輪に端を通し、引っ張っても落ちないように結び目を作っている。

 上から引っ張って、ほどけないことを確認する。


「……一緒に、帰りましょう。どこだか分からないけれど。ずっと一緒。きっと、アユムさんはそれを望んでますから」


「セシリア……」


 シャーロットと目があったセシリアは、その相手の瞳の中に、自責の色があることにすぐに気づいた。


「……自分を責めちゃだめです。私だって、たくさんの人を殺して生き残ってきた。でも、私が守れる人がいる限り生きててくれって……頼まれましたから。だから、シャーロットさんも。お願い」


「……それは、アルに?」


 すぐに察したシャーロット。


「さすがですね……そう、アルフレッドさんに」


「そんなことを……そうなんだ」


 言いながらシャーロットがアルフレッドの横顔を見上げると、アルフレッドはばつが悪そうに目を逸らした。

 たった今、あまりのエゴに自己嫌悪を抑えられなくなっていた彼にとって、彼自身の過去の言葉はあまりに鋭く胸に刺さった。


「きっとエッツォさんもすぐに戻ります。そうしたら、行きましょう」


「うん、そうしよう。ね、アル」


 アルフレッドは、そっぽを向いたまま、うなずいた。


 とその時、彼らの座る後方に、人の歩く気配が感じられた。

 きっとエッツォだ。

 そう思ったが、しかし、足音の数は明らかに一人ではなかった。


 思わず振り向くと、そこには、エッツォを含む六人ほどの人影があった。



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