第五章 最後の任務(1)
■第五章 最後の任務
沖からその戦闘艇が姿を現したのは、明け方に近かった。
海から立ち上る霧の中に、その小さな船影が浮かび、徐々に濃くなった。
戦闘の興奮でよく眠れなかったアユム、セシリア、エッツォは、眠い目をこすりながらその船が『なつかしの我が家』であることを確認し、手を振った。
甲板に姿を現したシャーロットが手を振り返した。目を凝らせば船室内で手を振っているアルフレッドも見える。
小さな、とは言え、全長五十メートルはある背の低い戦闘艇は、その小さな港町で一番大きな埠頭にゆっくりと接岸した。
エッツォが係留ロープを受け取り、船と岸壁ピットをしっかりと繋ぐ。
やがて、シャーロット、続いてアルフレッドが下ろしかけのタラップからアユムたちのそばに飛び降りてきた。
「変わりは?」
「無かったわ。みんな無事。夜の海の航海は大変だったでしょう。お疲れ様」
「ナビがあるし、ロッティがいれば簡単なことだった」
夜闇の中も見通すシャーロットの視界は、確かにどんなナビにも勝る深夜航行の武器だった。
「そう? あたしはずいぶん休ませてもらったけど……」
「だったら良かったわ、ロッティ、ずいぶん疲れたでしょうから」
東の空が輝き始め、まもなく太陽が昇ることをうかがわせる。
「さて、この船なら、全員を乗せて第六市に行くくらいならなんとかなるかもしれないな」
「全員? ロレッタたち?」
「ああ。彼らの安全を確保して、僕らのこの仕事はようやく終わりだ」
アルフレッドが肯定すると、アユムは笑ってうなずいた。
「そうね、そうしましょう」
「ううん、だめ」
突然拒否したのは、シャーロットだ。
「どうしたんですか、シャーロットさん」
「嫌な予感がするの。あたしを待ち伏せしている人が……」
それは、魔人の力と言うよりは、純粋な推論に近かった。だから、他の者にも彼女の言わんとすることがすぐに分かった。
「フェリペか。そうだな、僕らがいずれ第六市に戻るだろうと踏んでいるなら、そこで待ち伏せるのが一番いい。ウィザードが全滅した今、彼の目的はもう達成される。あとは、ロッティ、君を手に入れるだけだ」
そのアルフレッドの言葉に、シャーロットはゆっくりと首を縦に振る。
「そのことだ」
エッツォが割って入る。
「今回の事件、マカウの仕業で無いのは最初から分かりきっていた、つまり、フェリペの仕業で間違いない。いずれフェリペは全てのウィザードを始末したいと考えているのだろうと思う。フェリペをどうにかしなければ、この事件の片はつかないと思うんだ」
「……どうしろと?」
「……フェリペを倒す必要がある」
「エッツォさん、でも、相手にはエレナさんがいて、シャーロットさんじゃかなわないんです」
「いや、シャーロットは成長している。それに、少なくとも三人のウィザードがいる、マカウ兵を相手に引けを取らなかった兵士。第五市でエレナに守られてぬくぬくとしているフェリペの隙を突くには十分だと思う」
「だが……」
アルフレッドは困惑してシャーロットに、次いでアユムに、視線を送る。
彼はこんなに熱く語る男だっただろうか?
誰かが笑った声が聞こえた。
それは、アユムの小さな笑い声だった。
「エッツォ、そろそろ正体を明かしたら?」
肩をすくめながら、エッツォに流し目を送るアユム。
それを受けて、ため息をついて同じように肩をすくめるエッツォ。
「やれやれ、やっぱりそうしないとだめか。アユムにも見破られているんじゃあ、潮時だね」
ゆっくりとピットの一つに腰掛ける。
何を言っているんだ?
アルフレッドは思うが、しかし、確かに、彼に何か違和感を感じていた。
「僕は一つだけ、君たちに嘘をついていた。確かにミネルヴァ軍属になりウィザードに志願したことは本当だ。だが、その前のことだ。――それ以前、僕は、あそこにいたんだ」
言いながら、エッツォは指を真上に向けた。
朝焼けで紫から群青色への見事なグラデーションを見せる天空がその指示線を受け止める。
「――マカウ。正確に言おう、マカウのお抱えの商社だね、僕の所属は。ありていに言えば――」
「マカウのスパイか」
アルフレッドが言葉を継ぐと、エッツォはうなずいた。
「どうして私たちを?」
「そればかりは、偶然、幸運さ。ミネルヴァに目をつけたのは僕の上司だけどね、シャーロットのそばにいられたのは本当に幸運だったと思う」
「だったらロッティのことももう上に伝えて――そうか、だから、アウグストたちは、ロッティのことを確認するために」
「悪かったね、その通りだ。アユムはいち早く見抜いてあのとき僕を遠ざけたみたいだけれど」
「マカウと戦うときにマカウのスパイを身内に置いておきたくなかった、それだけよ」
当時、エッツォを不自然に引き離した理由を、アユムは一言で語った。
「だろうね、でも、もしあの時僕が一緒にいたら、正真正銘、君たちの仲間として戦うつもりだったよ。そう厳命されていたしね」
「私は、あなたがあいつらを引き込んで背後から撃つものだと思ってたわ」
「信用がないな」
エッツォは苦笑いする。アユムも同じ表情で返す。
一方、納得がいかないのはアルフレッド、シャーロットとセシリアだ。
ちょっと冷めた男だとは思っていたけれど、大切な仲間だと思っていた。それが、突然スパイだと告白したのだから。
「……最後まで。隠し通してくれたほうが良かったかもしれません」
セシリアがぽつりと言う。
まさにその通りだな、とアルフレッドも思う。
「悪かった。だけど、そうもいかなくなった。フェリペを倒せってのは、上の、総督の直々の命令なんだ」
「どうしてだ」
「彼は危険だ。自らの目的のためにミネルヴァ全土を犠牲にすることさえいとわない。僕がそう具申した。彼の目的の一つがシャーロットを奪うことにあることも」
「だがマカウは不干渉主義だった。地上で何万人が死のうと放置していたじゃないか!」
アルフレッドはその心の中に、突如、義憤が起こるのを感じた。
彼らが治安のために出兵さえすれば、多くの人々は死なずに済んだはずなのに。――そう。彼の両親さえ。
戦って戦死して人生を終えるのが当たり前だと思っていた以前の彼には、それが理解できていなかった。
だが、自らの意志で道を選ぶことを覚えたとき、マカウにも選ぶべき道が多数あったではないか、という憤怒の気持ちが湧いてくるのだ。
「……その点は、認めよう、彼らは、マリアナ市民の生死に興味が無い。けれど、今度は事情が違う。このマリアナの地で人類が初めて得た奇跡――」
「……ロッティか」
「そうだね」
「彼らはロッティをどうするつもりだ」
「……正直に言おう、分からない。だが、あの気が狂ったミネルヴァの独裁者にシャーロットが害されるかもしれない、それをなんとしても防がねばならない、という彼らの本気だけは真実だと僕は信じてる」
当のシャーロットは、やや青ざめた顔でそのやり取りを聞いていた。
空の上の真の支配者がこのあたしを求めている?
あの黒衣の独裁者に追われるのと何が違うんだろう?
ただ静かに暮らすっていう人生を――アルと――見つけられるかもしれないって思ったばかりなのに。
――でも。
そう、あたしは、もうずっと前に決めてた。
アルを守るため、アルを困らせるものは、みんなやっつける。
自分に嘘をついて人を殺していた自分がいたから。
自分に嘘をつかず、誰かを助けようって思ったんだった。
その――最初が、アルだった。道を照らしてくれた人。
だったら、アルを傷つけようとする人は、やっつけなくちゃ。
あのフェリペは、きっと、あたしを得るためにアルを傷つける。躊躇しないはず。
だったらあたしだって。
「――アル、あたし、フェリペをやっつける。エッツォだとかマカウだとか関係ない。あの人は、あなたを不幸にする。だから、やっつける」
「だけどロッティ……」
「……あたしが、負けるって、思ってる?」
「……ああ」
アルフレッドは率直に心配を肯定した。
「うん、そうかもしれない、でも、今度はみんながいる。アルがいる。あの人と戦えるのはあたしだけだって分かってるから……」
「もちろんよ」
「私もです!」
アユムとセシリアも声を上げる。
「アル、心配なのは分かるわ。でも、ロッティの気持ちも考えてあげて」
「ロッティ……の……?」
アユムはうなずく。
「ロッティは、あなたを助けたいの。あなたを守りたいの。あなたがそう思っているのと同じに」
「でも僕はずっと守られてきた」
「だからこれからもずっと、よ。ロッティがあなたのそばにいるためには、彼女自身に降りかかる危険を除かなきゃならないの。そうしないと、あなたを危険に遭わせるから」
「だけど僕は、ロッティのためなら命だってかける」
「だからよ、分からず屋ね。あなたがそういう人だから」
「アルがあたしのために危険に立ち向かうなら……その危険が落ちてくる前にあたしが振り払う。あたしにはちょっとの未来なら見えるから」
「……ね?」
「かなわないですよ、アルフレッドさん。観念してください」
セシリアが、ちょっと意地悪く笑いながら言うにいたって、ようやくアルフレッドも気持ちを切り替え始める。
「……分かったよ。確かに僕は銃の扱いも下手だし未来も見えない。でも僕が無事なだけで安心してくれる人がいるなら……そのためにならなんでもする」
アルフレッドが言うと、シャーロットは微笑んでうなずいた。
「うん、じゃあ、フェリペをやっつけに行くから、よろしくね」
座っていたエッツォも立ち上がる。
「結論は出たね」
「君のためじゃない」
「分かってるとも。でも、僕は、この戦いには君たちの友人として参加したい。おそらくそのあと……僕はお払い箱だろうからね」
エッツォを冷ややかに刺したアルフレッドの視線に対し、彼は優しげな表情で応えた。
スパイはスパイだが、友人は友人。
ふと、アルフレッドは、そう思った。
余り心を許せる友人だとは思っていなかったが、それでも、何度も死線をくぐってきた戦友じゃないか。
彼を邪険にするのは後でもいい。
今は一人でも仲間が欲しいのだから。
「分かった。君は友人だ」
「ありがとう」
エッツォは、そうして、久しぶりに心からの笑顔を浮かべた。




