第四章 降下(5)
水上を滑走して飛び立ったシャトルは、ゆっくりと高度と速度を上げ、やがて気体力学に基づく揚力からロケットモーターによる推力に、その浮揚の担い手を変えた。
さらに高空で脱出速度に達したシャトルは百万キロメートルに近い軌道の大マカウ国総督府を兼ねた軌道ステーションに吸い込まれる。地上に射出施設があればわずか二時間のその行程に、ほぼ丸一日がかかった。
宇宙戦艦を改造したステーション上で、船から怪我人が担ぎ出される。地上で見たときには軽傷と思われた者のうち一人が、鼻骨と眼窩骨を骨折していることが分かり、すぐに治療室に運び込まれた。
そして、リーダーであるアウグスト・アンドレーは、その中尉という身分にもかかわらず、総督を中心に開かれる『御前会議』に呼ばれていた。実に、この会議場に大尉以下の階級の軍人が招き入れられたのは初めてのことだった。
「落ち着かんだろう、中尉、かけたまえ」
彼の通り一遍の自己紹介と挨拶の口上が終わったところで、提督ネイサン・アスターはアウグストに向かって椅子を勧めた。
少し落ち着かない仕草を見せながら、アウグストはネイサンの正面の椅子に腰をおろし、ベルトを締める。磁力靴は床にぴたりとついたままだ。
「早速だが、君はシャーロット・リリー、特殊なウィザードに会ってきたわけだな。率直に印象を聞かせてもらおう。先だって届いた正式のレポートとは別にな」
ネイサンが言うと、アウグストはごほんと咳払いをし、閣下、と言って声が上手く出ないのに気づいてもう一度はっきりと閣下、と口にしてから、しゃべり始めた。
「機会を頂きありがとうございます。レポートで申し上げた通り、彼女は、圧倒的な戦闘力を持つばかりか、計算機支援に基づく何らかのジャミング能力を持っており、我々の武装が無効化されるという事態となりました。彼女が戦闘において一般のウィザードとは一線を画す存在であることは間違いありませんが――」
彼は言葉を切り、続けてその口からそれをこぼしていいものか、躊躇した。
だが、ネイサンはそれを許さなかった。
「――が、なんだね」
「はっ」
アウグストはあわてて背筋を伸ばし、もう一度咳払いする。
「――その、彼女は、ある意味で、その、超自然的な存在と言いますか……」
言葉を濁しかけたが、ネイサンの鋭い視線。
「……はっきりと申し上げますと、その、神々しいと言いましょうか、神のごとき存在、女神、そのように私は感じました」
「最新重武装の兵士三人を一瞬でひねり倒す荒ぶる女神かね」
ネイサンは、くくっ、と笑った。
嘲笑われたと感じたアウグストは、その言葉を使ったことをやや後悔し、顔を赤くしてうつむく。
「ああ、よい、そのような印象を聞きたかったのだよ、中尉。そう、君の戦闘記録、それから、『スパイ』からの情報、併せて考えれば、確かにあれは神そのものだ」
そして、ネイサンは立ち上がって、惑星マリアナを常に映しているモニターを愛おしそうに覗き込んだ。
「資源も無く何のとりえもないこの辺境の人心荒れ果てた惑星に、よもや神が舞い降りようとはな。私はなんという果報者であろう。なあ、ニコリーニ君」
彼の言葉に、会議机の向かいに座っていたセバスティアーノは小さくうなずいた。
「神は、生まれたのです。この小さな星に。おそらくこの宇宙に誕生した最初の神と言えましょう」
「よろしい、決めた」
ネイサンはくるりと振り返る。
「ニコリーニ君、君の提案とは異なるが、我々が支援すべきはミネルヴァではないと分かった。我々が手を差し伸べるべきは『シャーロット・リリー』である。彼女を害するものを除かねばならぬ」
「いえ、私も同様に考えております」
セバスティアーノが笑顔で答える。続けて、
「であれば、我がスパイのもたらした情報が役に立つでしょう。彼女は、フェリペ・ロドリゴ・デ・パルマを恐れて逃げ回っている、と」
「そうだとも。奴を除かねばならん。幸い、君のスパイが彼女と行動をともにしておったことも分かった。もう一度武装兵を送り込み、スパイの案内で――」
「お忘れですか、もう一つの情報。『魔人エレナ』」
その名を聞いて、ネイサンは言葉を飲み込む。
セバスティアーノのスパイは、結局シャーロット・リリーと常に一緒に行動していた、ということは、その商人の口からついに聞き出した。もちろん、彼も最後までその確信が無く、降下偵察時に望遠レンズに映ったその姿を見て、ようやくネイサンに話す決心をしたのだと言うが。
だが、それと同時に、そのスパイが語った血迷いごとに近い情報も、突然現実味を帯びてきた。
フェリペが、シャーロットと同様の『魔人』をもう一人作り出し、身辺においているらしい、と。
最新兵装のマカウ兵が太刀打ちできなかったシャーロットと同じ戦闘力を持つ相手を、どのようにすれば倒せるものだろう。
シャーロットさえ、一度は敗れたというのだ!
「――閣下、差し出がましいこととは存じますが」
突然アウグストが口を開いた。
そう言えば、偵察兵に下がるよう言っておらなんだわ、と思いながらも、ネイサンは顔を向ける。
「何を恐れておいでか存じ上げませんが、シャーロット・リリーは格別です。彼女自身をフェリペ暗殺に差し向けるべきでしょう」
「ならん、あれを失ってはならん」
「そうは思いません。彼女は、とても強い。しかも、成長しています。我々の猛攻に手も足も出なかった彼女が、何かを掴んで我々を封殺したのです。恐るべき存在です」
「――成長」
ネイサンはつぶやく。
確かにそうかもしれない。フェリペのもとで安穏と暮らしているだけのエレナと、戦闘の中に身をおき、未知の兵装を相手にしてさえ成長したシャーロット。そこに勝機があるかもしれない。
「それに、彼女に付き従っているものにも、たいした戦闘力を持ったものがいます。煙幕の中でも確実に我々の進路を弾幕で覆うもの、同じく急所を的確に狙撃するもの、戦闘スーツごと我々を突き伏せるもの」
もっとも、最後については、格闘戦の訓練を積んでいなかった俺たちの方に責任があるだろうな、とアウグストは心の中で付け加える。
「――閣下、彼の言うとおりです。おそらく、フェリペとエレナを倒せるのは、あの一団だけでしょう。ここ一時だけ、勝負をするべきときかもしれません」
セバスティアーノの言葉に考え込むふりをしたネイサンだが、心の中はもう決まっていた。
それしかありえないだろう。
シャーロットをフェリペに差し向ける。
だが、その賭けにもし負けて、この星に生まれた神を永遠に失ったら。
――そのときはそのときだ。
エレナを引き離してフェリペと会う機会など、何とでも作れるようになる。
フェリペを除き、エレナを得ればよい。同等の神性を持つかどうかも賭けだが、比較的有利な賭けには違いあるまい。
いずれにせよこの惑星の支配者は私なのだ。
「……よろしい。では、ニコリーニ君、そのように進めたまえ」
「かしこまりました」
ネイサンが彼に命じたということは、スパイを動かせということだ。
無類の戦闘力を持ち神のそばに身を置くスパイを動かす、もうその秘密を保つ必要は無いということは、二度と彼をスパイとして動かす必要が無いということだ。
つまり、これが、この惑星の戦乱に終止符を打つ最後の命令になるだろう、ということなのだった。




