第四章 降下(2)
三日間、南東に逃げたと見せかけたのち南西に方位を変えて南下を続け、アルフレッドたちはようやくマリアナ川河口に近い港町の一つに到着した。
例によってここも無人化していたが、ともかく日の暮れないうちに、それまでの三泊と同じようにキャンプを設営し、小さなトーチの火を囲んで逃げ出してきたウィザードたちと雑談をして過ごした。
四十八人の脱出者は、ひとまず全員無事だ。一人は傷口がふさがらず発熱しており予断を許さないが、応急の投薬と輸液で快方に向かいつつある。
三回にわたる夜の雑談は、もっぱらアルフレッドたちの身の上に関する興味に支配された。流星のように現れて彼らを救った英雄の正体について、アルフレッドは特に隠すことなく語った。何を語り何を黙すかについてはアルフレッドに一任されていたから、ほかの仲間たちも黙ってそれを見ていたし、あるいは、問われてアルフレッドと同様に語って聞かせた。
多くの者が、エクスニューロの正体を知って表情を大きく変えたが、すぐに納得し、すでに自分のエクスニューロが破壊されただろうという推測に対しては、恐怖よりは安堵の表情を浮かべたものだった。
彼らの多くは、やはりアユムと同じような境遇の女性だった。おそらくは人身売買によりミネルヴァの手に渡り、何も知らぬ間に改造を受けたものばかり。逆にエッツォと同じ境遇の者はわずか三名だったが、彼らも側頭部の装置がエクスニューロ本体と信じていた。いずれも元兵士の男性。
合計すると四十名の女性と八名の男性という実に偏った性別構成の集団であり、この集団だけで独立した生活を営むのはさすがに難しかろうと思われた。だから、彼らをいずれ第六市に渡航させねばなるまい、とアルフレッドは考えていた。
日は水平線に吸い込まれ、また同じような夜がやってこようとしている。
「だがここが無人でとりあえず良かった」
アルフレッドが言うと、アユムがうなずく。
「そうね、変に人がいると面倒だし。それで、これから?」
「一度、船を取りに戻らないといけない」
「船、か」
エッツォが留守番をしていた船のことを思い起こす。あれから数日たっているが、まだ無事だろうか。ランダウ騎士団と新連盟の壊滅で海賊勢力は一挙に減退しているが、もともと無所属の海賊が皆無だったわけではない。物資をたっぷり腹に詰めた戦闘艇は絶好の獲物だ。
あそこに戻るには、もう一度マリアナ川をさかのぼって中流の橋を渡り、また下らなければならない。それも見越してマリアナ川河口近辺を逃亡先として選んだのだが、偵察車を全速で駆っても一日を超える道のりとなろう。
橋を突破するのにシャーロットの力はほぼ必須だろうが、この町が大兵力で襲撃でもされればやはりシャーロットの力が必要だ。
「分かってると思うが、船を取りに戻るには、ともかくこの町の安全を確保しなきゃならない。もう少し守りやすい町に移り住んでから戻りたいところだが、その間も船が賊に見つかる危険はある」
「痛し痒し、というわけだ。僕らに飛行機の一つでもあればね」
そう言うエッツォを、アユムは苦笑いで見つめる。
「別の手があるかもしれませんよ」
セシリアが口を出すと、誰もが耳を傾けた。
「この町にはありませんでしたが、どこかの町に船が残っているかもしれません。ここから離れ過ぎない範囲で、船を探すんです。みんなをすっかりその船に乗せて、一緒に私たちの船のところへ」
その提案は現実的な妥協点のように思われる。
問題は、本当に乗り捨てられた船を見つけられるか、だ。
「少なくとも第三市の南岸の貿易港まで行けば、奪える船はあるだろう。その手も悪くない」
すっかり考え方が海賊風になってしまったな、とアルフレッドは自嘲気味に笑いをもらした。
「私たちには最強の防衛手段があることだし、ね。ミサイルも落とすスナイパーさん」
アユムに言われてセシリアは少し赤面して小さくなる。
「ロッティ、どうだろう、なにか、君の勘で分かるところがないだろうか」
「船があるかどうかは……うん、ちょっと無理。でも、今はここを動かない方が」
「ここを?」
「うん、危険が……近づいてる感じ。みんなを守らなきゃ」
早くも追っ手にこの場所がばれたか、と、アルフレッドは顔をしかめる。
「政府軍がこんなに早く手を伸ばしてくるとは思えないんだが。何しろ、やつらは僕らにこてんぱんにやられて、立ち去るのを見ていることしかできなかったんだ」
「政府軍……とは違う感じ。……西から」
西? と西方の地平線に目をやる。そちらには、惑星一の大河の河口しかないはずだ。
だが、アルフレッドが呆れ顔で視線をシャーロットに戻そうとした直前のことだった。
まさにその地平線の上に、ほのかにちかりと光るものがあった。
それは本当に一瞬で、瞬きすれば見逃したかもしれない。
だが、それに気づいてアルフレッドが注意深く見ると、かすかに何かを反射して光るものが見える。まだ夕闇も深くなく、あるいは、空にある何かが地平線の向こうの太陽光を反射しているのかもしれない。
空にある何かだって?
自分の思考の中に出てきたその言葉にアルフレッドはのけぞる思いをする。
この世界で空に何かを飛ばせるもの、それは、マカウ以外にありえないはずなのだ。
「セシリア」
思わず小声になりながら、左にいたセシリアに呼びかける。
「あれは何だろう」
「なんですか? ――あっ。何か、あるようです。何でしょうか」
セシリアの言葉に、誰もが振り向いた。
「シャーロットさんの言った危険って、あれ?」
すでにシャーロットも西の空をじっと見つめている。瞬きもせず見つめる彼女の視界には、何が映っているだろう。
「たぶん、そう。もうすぐ、ここに」
「あれは何だ」
「分からない……見たことないけれど……飛行機、宇宙船、そういうもの……」
「マカウか」
「マカウも見たことが無いから自信が無いけれど……そうかもしれないとは思う」
若くして孤児となりウィザードとなってからは戦闘以外の何の知識も得てこなかった彼女という一人格にとっては、たとえ魔人の全知の力があったとしても、未知のものは未知でしかありえないのだろう。彼女は、あるいは彼女のエクスニューロはもっと勉強し多くを知らねばならないだろう。
それはともかく、目の前の『問題』は、なおも高度を下げながら近づいている。
「セシリア、距離はどのくらい?」
アユムの言葉にセシリアはすぐに反応し、狙撃銃のスコープを覗き込む。
「測距レーザー反射なし、でも、目視で、五十キロメートルほどです」
アルフレッドは古い地図を広げ、ペンライトで照らす。
その位置であればマリアナ川西岸だ。
だが、ゆっくりと高度を下げながら、おそらくこちらに向かっているところを見ると、着地点は近い。
「エッツォ、みんなの宿舎へ、みんなを連れて町の外に避難。その後あなたはロレッタに従って護衛を続けて」
アユムが命じるとエッツォは軽くうなずいて駆け出して行った。
「どうして彼を」
「その話はあと。あれをロッティが危険だと言ったのなら、まずはその対処よ」
そんな短い会話の間にもその『危険飛行物体』は近づいてきている。もちろん、夕闇の中、常人にはほとんど姿は見えないが、セシリアとシャーロットがしっかりと常人ならざる目で追っている。
やがて、その姿がアルフレッドにもはっきりと見えるようになった。
両方に翼の飛び出た飛行物体。まさに飛行機だ。彼に正しい知識があれば、それが自走式軌道往還シャトルだと分かっただろう。
かすかに轟音が聞こえてきた。音速以下に速度を落とし、さらに近づいてきている。
――と思ったとき、下部から何かが切り離され、次いで火花を散らしながらまっすぐに飛んでくるのが分かった。
「セシリア!」
アルフレッドとアユムは同時に叫んでいた。
セシリアは叫びを聞くより早く狙撃銃を持ち上げて、切り離された何かに照準を合わせている。
銃声が一発、二発、鳴り響く。
一発目の弾丸が何かに当たって火花を散らし、二発目の射線がそこに吸い込まれたとき、濃い赤の炎が燃え上がり、一瞬視界を真っ赤に染めた。
だがそれは破壊を目的としているものではなかった。
赤く燃えた炎はすぐに灰の煙となって広がり、遠く見えていた飛行物の姿を隠した。
その雲の向こう、さらに数回の閃きがあった。
セシリアが照準を合わせる。シャーロットも射程距離の短い突撃銃を向け、連射する。
次々の撃ち落とされるミサイルだが、そのたびに煙幕の花の咲く距離は縮まっていた。
ついに、至近距離までそれを招き入れる事態となる。
だが、結局それは予想外の進路をとっていた。
大きく左にそれたミサイルは、海岸付近で爆発し、煙幕を作った。そう、ちょうど、海側の視界をすっぽりと覆うように、だ。
そして、その煙幕の向こう、往還シャトルが大きな水音をたてて着水するのが分かった。




