第三章 死闘(6)
ブッシュの中でほんの十数秒気を失っていたアルフレッドはようやく起き上がり、背中のリュックに小さな破片を受けて倒れたことを思い出した。
敵の攻撃が止んでいることに気付いて、自分の体に骨折などの重大な異常が無いかを時間をかけて調べる。
幸い、倒れこむときに前に出した左手首の捻挫と、額、右肩の打撲程度で、出血はほとんどない。
ゆっくり立ち上がり、頭を低くしてブッシュの中を進むと、すぐにカモフラージュした偵察車が見えてきた。
もう一度振り返って、銃声がまばらになっていることを確認する。けん制の攻撃程度で、ほぼ戦闘は終わっているようだ。この分なら脱出には成功しただろう。通信機に呼びかける。
「ロッティ、アユム、僕は無事だ。そっちは」
その頃、ウィザードの最後の一人が射程外に走り去ったのを見て、アユムとセシリアも続いて走っていた。すぐ後ろに、突撃銃を背面撃ちしているシャーロットが続いた。
アユムがちらりを見ると、恐るべきことに背面撃ちで放たれた弾はただの一発も無駄が無かった。一発で敵兵一人を確実に無力化している。敵の銃を狙ったり致死的なダメージを与えない部位を狙っていることも逆に驚異的だった。
そのあまりの異様さに敵が追撃をあきらめたことはすぐに分かった。何発か迫撃弾が発射されたが、発射直後、地上五メートルにも達しない位置でシャーロットに撃墜されていた。距離と弾速を考えると、迫撃弾が発射される前にシャーロットが引き金を引いていなければならないはずだ。魔人とは恐ろしいものね、とアユムは小さくつぶやいた。
迫撃弾の至近炸裂、それに伴う砲兵の甚大な被害が、一人の異常な少女兵士の仕業と感づいた敵陣は混乱し、恐慌し、それ以上の攻撃を試みようとするものは現れなかった。
そしてそのとき、アルフレッドの声が通信機から聞こえてきた。
「アル、無事で良かったわ。こっちも脱出できた。ロッティも」
『了解、車を出す』
「お願い」
アユムの返事の直後、左前方の小さな林から、彼女らが乗ってきた偵察車が土ぼこりを上げながら飛び出してきた。悪路走行性能の高いその車は荒地をジャンプしながら走ってくる。
敵の砲撃を警戒して敵陣を注視するが、シャーロットも同じように警戒していて、とても敵が手出しできる状態ではないだろう。
まもなく、車は一団の側に停まった。
「やあ、アルフレッド、無事でよかった」
最初にエッツォが運転席の扉を開きながら話しかけた。
「ああ、まいったよ、まだ背中が痛む」
滑り降りながらアルフレッドが返す。
「脱出できたのは四十八人。乗れるかしら」
「さすがに全員は無理だが、負傷者を優先しよう。徒歩速度でももう大丈夫だろう」
もともと斥候と護衛含めて八名と補給物資二トンまでが積載限界の偵察車両では、五十名に及ぶ脱出者を収容することはできない。それでも、十分な補給物資があるのだから徒歩で南に向けて行軍すればいずれは安全地帯にたどり着くだろう、と事前から相談はしてあった。
出血の多い負傷者をまず乗せ、止血処置をする。その間、歩ける者はアユムの先導で南に向けて発つ。
処置が終わると同時に車両は走り始める。後部車上でシャーロットが後方を警戒しているが、遠くに見える敵陣では立ち上る煙以外の動きは何も無い。虎の子の戦車を数多く破壊され陣地の真ん中を突破され指揮系統もズタズタ、当面建て直しに動ける状況ではないだろう。
まっすぐ進むとすぐにアユムが率いる一団に追いついた。
「――海岸まで百キロ近くある。みんなの体力は大丈夫か」
「ええ、さすが、ウィザードとして訓練を受けてきただけあって、体力はあるみたい」
エクスニューロの命じる無茶な命令を聞き続けるウィザード、その筋力、持久力はおのずと常人のそれを上回るようになる。
ウィザード部隊の隊長、ロレッタが小走りに車の横に駆け寄ってきて、歩みを合わせ、アルフレッドに振り向く。
「――訊こうと思っていました。あなた方は何者なんです」
リーダー格と思しきアルフレッドが着いたから、という風に。
「僕らは、――さあ、何者なんだろうね、アユム」
アルフレッドは思わず笑みを漏らしながらアユムに向けて言うと、アユムも小さく笑った。
「アルとロッティと、二人の護衛者」
彼女がからかうように言い、アルフレッドは抗議の顔色を強く表す。
「……単なる逃亡者だ。元、ミネルヴァ軍属。君たちが危機に陥ると知って、助けに来ただけだ」
「どうして、それを?」
「さあ、どうしてだろう」
分からない。ウィザードを無力化しようと提案した集団の中に、ちょっとした人道主義者がいたのかもしれない。
「どういう理由か、僕らにしか分からないよう慎重な言葉を選んだ噂話が伝わってきた。君たちのエクスニューロが無力化される、とね」
「でも、どうしてこれが急に……」
ロレッタは、不安げな面持ちで、左耳の上の『それ』に触れた。そう、彼女はまだそれこそがエクスニューロだと信じている。
「どうしたものかな」
つぶやくようにアユムに意見を求める。真実を伝えていいものかどうか。
「……それはね、単なる通信機。エクスニューロ本体と通信するための、ね。エクスニューロ本体は、第五市に置いてあるわ」
アユムは実にあっさりと秘密を漏らした。
「そして、たぶんそれはもう、破壊されてる。私たちは、それがマカウの仕業だって聞いてる。そうじゃない可能性もあるけれど、現にあなたたちのそれが機能を失ったのだったら、破壊されたことには間違いは無いでしょうね」
そう言ってから、彼女は、ウィザード部隊の中にシャーロットのようになったもの、つまり『同化』が進んでいたがために人格の一部を破壊されたようなものがいなさそうなことに気付いた。少なくとも、百余名のウィザードたちの中に『新たなる魔人』はいなかったということだ。
一方、その真実を聞いたロレッタの表情は、驚き以外のなにものも含んでいなかった。
ずっとそうだと信じていたものに裏切られた、ただそれだけの表情だった。
それからしばらくして、ようやく度を取り戻した。
「……全て知ってるんですね。ミネルヴァの裏をかいて逃げ出したウィザードのうわさは聞いていました。あなた方なのですね。そんな真実を知ってしまったから――」
「私たちが知ったのも、逃げ出してからなんですけどね」
セシリアが屈託のない笑顔でそう言うと、さすがにずいぶん年下の少女の笑顔に触れてほっとしたのか、ロレッタも表情を崩した。
「君たちのエクスニューロも盗み出すつもりだったんだが、残念ながらこの四人分で精一杯だった。すまなかった」
アルフレッドは相変わらず妙な責任の感じ方をして、ロレッタに向けて頭を下げる。
「いいえ、ここで助けてもらっただけで。――でも、この後、どうやって生きていくのか、って考えてしまいます」
「ともかく海岸だ。僕らは第六市につてがある。海岸近くの小さな町でひとまず腰を落ち着けよう。実はあっちも混乱してるんだが、もう少し落ち着けば、君たちを受け入れる余地もできると思う」
海岸沿いには海賊被害を受けて無人になった町の跡がいくらでもある。そのどこか、なんとか生活できそうな場所を選んで住み着く。食料や燃料はそれこそアルフレッドたちが山賊行為でかき集めればいいだろう。戦場になっていない第一市や第四市近辺なら手付かずの物資庫くらいあるかもしれない。
「――ありがとうございます」
ロレッタが礼を言うと、アルフレッドは軽く頭を下げただけだった。
南岸までの旅は、まだ先が長い。




