第二章 義勇(4)
戦闘の始まりのきっかけは、些細なことだった。
鉄道が封鎖されたことは周知されていたが、ミネルヴァ側の運営会社が大手クライアントの圧力に負けて貨物列車を走らせた。それはもちろん、正統政府軍の陣地近隣に設けられた検問所で止められたが、制止を振り切って進もうとし、政府軍はやむを得ず対物ライフルで機関車の車輪を吹き飛ばした。
一方、ミネルヴァ軍は、貨物列車の強行を知り、すぐに護衛のために後を追っていた。そして、ちょうど機関車が攻撃を受けるところに遭遇したのである。
ミネルヴァ軍はすぐに正統政府軍に対して警告を発し、正統政府軍はミネルヴァ軍の領内侵入を咎めた。警告の応酬が数度の後、ほぼ同時に発砲が始まった。
ウィザードを擁さないミネルヴァの小部隊は、正統政府軍の物量の前に瞬く間に蹴散らされ、撤退したが、すぐにミネルヴァ軍は第三市郊外に待機していた主力旅団を出して正統政府軍の攻勢に備える。
時を同じくして、アラニス大統領は臨時体制権限でミネルヴァに宣戦布告し、正式に戦闘状態に入ったことを宣言するとともに、最前線の正統政府軍に対して、第三市占領を最終目的とする作戦行動の開始を命じた。
ミネルヴァ軍が布陣を終えるのとほぼ同時に無誘導の地対地ロケットが両陣営から一斉に発射された。
けん制の役割しか果たさないことを期待されたロケットはそれでもそれぞれの敵の陣地に落下、炸裂し、多数の死傷者を生んだ。
両陣営とも固定されていたロケットランチャー陣地ばかりが甚大な被害を受け、遠距離戦闘のほとんどはこの初撃で終わった。
強力な重戦車を先頭に政府軍は鉄道沿いに徒歩速度で進む。ミネルヴァ軍はそれを見ながら射程外をゆっくりと後退し、かつ、南側に弧状に陣形を広げていく。長蛇の列で侵入してくる政府軍に対し、退路を断ちつつ兵站線も脅かし、その進軍を遅らせることが目的だ。兵員輸送車で第五市から前線に向かっている無敵の兵士『ウィザード』を待っていることは明確だった。それが分かっているからこそ、政府軍も兵站を危険に晒しながらもミネルヴァの後方を断ち切り、ウィザードとミネルヴァ本隊を切り離すための直線進軍だった。
やがて、戦局が変わる。
分隊としてはるか南方を東に向けて隠密行軍していた政府軍約三千名が、弧状に伸びたミネルヴァ軍の後方に向けて突撃を開始したためだ。
南方は丘陵地で、斥候の手薄なところを突いて政府軍は突破し、ミネルヴァ軍に銃撃を浴びせ始めたのだから、ミネルヴァ軍は大混乱に陥った。
いくつもの信号弾が上がり、それを見た政府軍の後詰めの一団、約千名も南に向けて突出、挟み撃ちを始める。
ミネルヴァの本隊は救援のために弧状陣形に沿って南西に陣をスライドさせるが、それを先読みした政府軍の機甲部隊が全速力で第三市方向に突進し、完全に第三市とミネルヴァ軍本隊の連絡を絶った。
戦術的には政府軍の大勝利となったところで日が暮れ、一日の戦いが終わる。
正統政府軍は、たった一日にして、ほぼ完勝の布陣を取ることに成功していた。
***
戦闘開始の知らせは第二市にすぐにもたらされていた。
市民ホールでニュースを見ていたアルフレッドたちは、他にも同様に市民ホールに詰め掛けていた多くの第二市市民と同時にそのニュースを知ることになった。
市民ホールでは、当初は当惑のざわめきがあった。
新連盟の滅亡、政府の厳戒態勢への流れからミネルヴァとの戦闘となるだろうことはほとんどの市民が予想していたことだったが、それでも、いざそれが実際に始まるとなるとわけが違った。
市民ホールに集まっている多くは自宅に配信デバイスを持たない貧困層だ。と言っても、放送と通信が統制されたマリアナでは配信デバイスを持つ層の方が珍しいくらいだ。ホールは市民でごった返していて、半数近くは夫や息子を戦争に送り出した家族たちだった。だから、戦闘開始の報は悲鳴となって反響した。
ホールのスクリーンは何度も戦闘開始のニュースを繰り返していたが、二時間ほどで具体的な戦場の様子が報道されるようになった。
お互いににらみ合いながらも、正統政府がゆっくりと前進しているという報に歓声が上がる。
夕刻が近くなり、戦場の南部で大規模な挟撃に成功したことが報じられるとひときわ大きな歓声に加えて拍手さえ起こった。
しかしそんな中に、妙な噂も流れてくる。
ホールの片隅でスクリーンを眺め、次にどうすべきか考えているアルフレッドのところにも、その妙な噂の声は聞こえてきた。
「まだ勝ってるが、ミネルヴァには東の賊を滅ぼした秘密兵器があるのだろう?」
黒髪の男が近くで白髪の男に向かって話している。
「そうだ、だが、俺は面白い話を聞いた」
「へえ?」
「おそらくこれが最後の戦争になる。だから、マカウが正統政府支援のために手を下すだろうってな」
「ミネルヴァの秘密兵器にも勝てるのかい? 空の上の貴族様が?」
「ああ、マカウは秘密兵器の秘密を知ってるんだとよ。秘密兵器が出てきたら、マカウ様が何かやる。すると、秘密兵器はスイッチを切ったみたいに止まるんだそうだ」
「また魔法みたいな話じゃないか。いくら大マカウ様だって、武器の引き金を引く指は止められんよ」
「だから『面白い話』だと言ったろう?」
ははは、と二人は笑いあう。
ここまでの圧勝ならばミネルヴァの秘密兵器など恐れるに足るまい、と余裕の表情だ。
一方、アルフレッドの顔は曇っている。
そう、秘密兵器、ウィザードがもうすぐ出てくる。
一方的な虐殺になるだろう。たとえ政府軍が戦車を持っているとしても。
もし第五市の戦術計算機センターで見たすべてのエクスニューロに見合うだけのウィザード兵がいたら。その数は百を超える。彼らがミネルヴァを離れて数か月、それだけの増強をしていても不思議ではない。何しろ、新連盟をあっという間に滅ぼしたのは、間違いなくウィザードだろうから、まとまった数のウィザード部隊が配備されているだろう。
だが、今の男はもう一つ面白いことを言った。
マカウが何かを知っている?
たとえば、マカウが正しくエクスニューロのことを知っているとしたら。つまり、エクスニューロの本体は第五市の戦術計算機センターにあり、前線の戦士はただ遠隔で支援を受けているだけだと知っていたら。
マカウは戦いに関与しないと言うが、ピンポイントでいくつかの建造物を破壊する程度の対地ミサイルくらい持っているのではないか。
戦闘の佳境、まさにウィザードが前面に押し出したその時をねらって第五市のセンターを爆撃すれば、途端にウィザードは力を失い、逆方向の大虐殺が繰り広げられるだろう。
マカウが正統政府による統治を望んでいるだろうことは子供でも知っている。
ミネルヴァの戦力を効果的に削ぐ、つまり、ミネルヴァの虎の子、ウィザードを無力化するのみならず、痕跡さえ残さず消すことができる。仮にエクスニューロの予備が別の場所に隠してあったとしても、脳手術を受けた人間を残さなければウィザードの『再生産』は戦局に追いつかないだろう。
さっきの男の『面白い話』は、まさにそのことを言っているのではないだろうか。
アルフレッドは三人をホールの隅に呼んだ。




