第二章 放浪(1)
■第二章 放浪
「逃げた?」
「は、数名のウィザードも消えております」
「どこへ?」
「分かりません、前線から忽然と消えて――」
「誰も気付かなかったのか」
「は、その、なにぶん相手はウィザードで」
「信号位置は」
「信号位置――え?」
報告者は素っ頓狂な声を上げる。それを聞いて、対面の男も、そういえばそれは厳秘であった、と思い出す。
「――気にするな。とにかく探せ。六時間おきに定期報告」
報告者が下がると、対面の壮年の男は椅子にもたれた。
座っていても分かるほどの長身と、漆黒の髪そして瞳。
「くっくく、知りすぎるというのも困ったもんだな」
その薄暗い部屋の隅にいた別の男、こちらは白髪交じりの茶色い頭髪で小柄な中年が、笑う。
「笑い事ではない。なぜもっと早く気付かなかった」
「……シグマ条件のことかね?」
「何条件でも良い。あと三月でも早く解明しておれば」
「ふん、異常に気付くのに運用開始から半年以上かかったくせにかね」
「戦果トレンドの変化が微細だったのだ」
言い返してから逆に詰問される立場になっていることに気付いた黒髪の男は、憤まんの鼻息を漏らした。
この男を相手にするといつも調子が狂う。
「どうせ次を作っているのだろうが」
「ああ、お前がシグマ条件を満たすパラメータも確率さえも計算できんというから手当たり次第にな」
「笑い話だな、戦嫌いの主教様が戦のための道具を躍起になって作っておる」
再び小さい男は低く笑った。
***
新マリアナ連盟議長、グレゴリー・マッカラムは、目の前にそっと置かれた紙束を、憂鬱そうに眺めている。
読まなくても内容は分かっている。
また、負けたのだろう。
それに伴う、戦線維持のための兵力補充やら兵站再構築やら物資補充やらの、山のような申請書なのに決まっているのだ。
やつらは、ミネルヴァは、どうやら新兵器を投入したらしい。
新型銃か?
新型個人用レーダーか?
歩兵同士の衝突で、数的有利を押し返されることが増えているようだ。
装甲車さえ無力化されることも多い。
詳細の報告を求めても、正体不明のレポートしか返ってこない。
ともかく、その正体は歩兵かその持つ武器に関係している。
重装甲車両、つまり戦車さえ投入すれば新兵器を持った歩兵など恐れることは無いはずだが、その道のりは遠すぎる。
東部半島の鉱山開発、製鉄所の拡大、大型エンジンの開発、組立工場の整備。
特に問題は高性能エンジンだ。
この星の大部分では、それはほぼロストテクノロジーとなっている。
唯一それに近い技術を持つやつら――。
高性能エンジンを積んだ船舶で神出鬼没の略奪をするランダウ騎士団からエンジン技術を買う。
理屈上は可能だが、機械技術を門外不出とするあの連中が応じるとも思えないし、不法集団との取引には連盟内からも反対の声が上がるだろう。
こちらがその手段をとるなら、ミネルヴァも対抗してくるかもしれない。
戦力を持った学者集団というのは、これだから面倒だ。
数年前、やつらが遁走したときに陣地に残されていた戦術コンピューターなどもそうだ。
持ち帰って使ってみると、あまりに完璧に戦術予測をするもので驚かされたものだ。
あんなものを使っていたやつらとよく互角に戦っていたものだ。
あれを得てからずいぶん勝ちはしたが、やつらはまた新しいものを持ち出してきたようだ。
連盟内の科学者たちは、科学の砦を標榜するミネルヴァに根こそぎ奪われてしまった。新たな科学者の育成こそが急務だろう。
正統政府を瓦解させるための工作も道半ば。
片手間でミネルヴァを飲み込み、技術力と生産力をもって弱らせた正統政府を圧倒する壮大な計画は、息を吹き返したミネルヴァのためにとん挫している。
もう一度、紙束に目を落とす。
このような瑣末なことに予算を使っている場合では無いのに。
彼が一枚目をめくると、その内容は、今月だけで二度目となる資材運搬車増数のための臨時予算執行申請書であった。
***
この日の海は比較的凪いでいる。
正統マリアナ政府領第二市南部域の独立勢力の小さな村で『略奪』を終えた彼ら、ランダウ騎士団の船舶は、ゆっくりと第六市の拠点に向かっているところだった。
船団のリーダー、第一遊撃部隊長を名乗る男は、巨大な母船の中、『提督室』と自ら名づけた二メートル四方の小さな船室で、巨体を椅子の上に折りたたんで休息していた。
船内電話が鳴る。
古臭い、ディスプレイも何も無い、音が聞こえるだけの最小限の機械。
その受話器を取り上げ、何の用だ、と語りかける。
電話の向こうの男は、またイレギュラーの発注だ、と告げる。
「なんだ、また、後腐れの無い人間を十ダースほど、か?」
電話の声はそれを肯定する。
「男は売れねえ。貴重な労働力だからな。女なら売れるが、ま、変態どもより値をつけてくれるなら、すぐにでも売ってやる。歳も器量も関係なし、だったな? だったら二ダースほど手元にある」
女なら五十人ほど獲ったはずだが、と向こうの声が言う。
「馬鹿か。家族付きの女は売らねえって何度言わすんだ? 身寄りのねえかわいそうな女に居場所を与える慈善事業なんだっつってんだろ」
男の言葉に、電話のスピーカーから下卑た馬鹿笑いが聞こえてくる。
「で? いくら出すって?」
それに対して、向こうの声が相場以上の価格を口にする。
「ふん、とんだお大尽だな。二割ほど乗せて吹っかけてやれ。どこで落とすかは任せる」
了解! と元気よく答えた電話は、すぐにぶつりと切れた。
「人間を金で買うやつなんざろくなやつじゃねえ。ま、その人間を売ってる俺が言うこっちゃないがな」
彼は自嘲的に笑うと、受話器を小さな机の上に放り出した。
手元の航行記録帳を開く。『予定の五ヶ所の襲撃完了、二日後帰還する』と書かれたすぐ次に、今日の日付と『予定変更、一部商材の直接取引のため立ち寄り予定、帰還は五日後に延びる、取引場所近隣の襲撃も検討』と手早く書き込んだ。
***
マリアナ共和党党首にして正統マリアナ政府大統領であるクーロ・アラニスの命令で、一斉摘発が行われた。
第二市のコンサートホールで公正な選挙を求める反共和党集会が開催され、一日にわたるホールの占拠が続いた後、参加者は一人残らず逮捕された。
尋問は苛烈を極め、集会を影で扇動していた小集団の存在がすぐに明らかになり、公開捜査の末、一網打尽にされた。
正統マリアナ政府の立場は、まだ磐石とは言えなかった。
第一位、第二位の人口と生産力を誇る第一市と第二市を完全に支配しているにもかかわらず、その周辺領域には反政府組織が乱立し、小さな領域を領有宣言して政府と対峙した。
そのたびに、政府は鎮圧部隊を出さざるを得なかった。
この惑星を落札し、テラフォーミングし、資源開発をしたケスラー商会の倒産はあまりに急な出来事だった。
だから、完全な混乱の中で旧政府がうやむやのうちに消えていき、マリアナ共和党一党独裁の正統マリアナ政府がいつの間にかそれに取って代わっていたことも、無理からぬことだった。
形ばかりの何度かの国政選挙では、マリアナ共和党とその眷属以外の立候補はほとんど無かった。
極めてまれな例外として無所属候補が出馬したときも、不思議と投票日を迎える前にその候補者は不慮の事故に遭うのだった。
それでも彼らは、正統を自認していた。
それは、首都、第一市を平和に統治しているからだ。
東端に接するミネルヴァなどと自称する学者集団も、いずれ平和的に取り込むことが可能だろう。
ランダウ騎士団などと気取っている海賊どもも、いずれ正式な海軍を整備して狩り尽す。
目下の最大の敵は、新マリアナ連盟と名乗る叛徒だ。
コンサートホールの集会を裏で操っていた連盟。
首謀者たちは洗いざらいそれを吐き出してしまった。
これでやつらがマリアナ国内に無用な騒乱を起こすのは何度目になるだろう。
周辺の独立勢力や海賊も、捕らえてみれば半数は新連盟の息がかかっている。
聞けば、最近は学者どもの私兵に押されて息も絶え絶えらしい。
そのような貧弱なものが惑星を平和に治めることなどできまい。
にもかかわらず、分をわきまえずに惑星マリアナの統治者は我らだと彼らは叫ぶ。
叫ぶばかりだ。
その負う責任など考えてもいるまい。
学者どもとの闘争でその国境の道路網鉄道網さえ破壊し尽くした。
統治する責任を知っていれば、そのような愚挙はするまい。
今は、この正統政府からの二千キロメートルの距離の壁が彼らを守っているだけだ。その距離を少しでも広げ命日を延ばすためだけに輸送網を破壊する馬鹿者だ。
軌道上でこの惑星の真の支配者として君臨している大マカウ国から見れば、二千キロメートルなど爪の先ほどの距離だ。
彼らが、誰が地上の統治者かを選択する日までの命だ。
だから、正統マリアナ政府は、国内の騒乱を鎮圧し周辺の武装集団を駆逐し、ただ平和に統治するのみなのだ。
アラニス大統領は執務室の天井を睨み、そのはるか向こうで地上を睨んでいるであろう真の支配者に思いをはせる。