第一章 統治者(5)
第一市の郊外には、広大な空港がある。
実のところその地下には、軌道上に宇宙船を投擲するための射出施設『地上カノン』も隠されているが、保守技術は散逸し、ただの地下迷宮となっている。
それでも、地上の滑走路だけは、正統政府の投資により比較的綺麗に保たれている。本来飛行体の使用が制限されたマリアナにおいて不要なそれは、つまり、その制限者である大マカウ国におもねる以外の目的で使用されることはない。マカウからの降下船をいつでも受け入れる準備があることを示し続けることが、正統政府が正統な統治代理者であることを示すことでもある。第一市を所有する彼らは、まさにその排他的権利の唯一の享受者であった。
そして、その排他的権利の行使がまさに行われた。
マカウの降下船がその空港に着陸したのである。
長く無用の長物であった空港の管制レーダーは久しぶりの反応をけたたましいアラームで知らせ、それはまもなく大統領府に届いた。
大統領が事実確認のための派遣団の組織を命じている間に、ネイサンとセバスティアーノを乗せた自走シャトルは水平飛行で悠々と滑走路に接触し、第五市に降りたときのような不快な振動と急減速を伴うことなく静かに対地速度をゼロにした。
数年前に一度降りたときにはターミナルに管理者が居たものだがな、とつぶやきながらネイサンは廃墟となったターミナルに向けて目を細める。
実のところ、ターミナルでの常時監視は、管制レーダーの自動アラームシステムで取って代わられ、一月に一度程度の保守点検の時以外は空港は完全に無人になっていた。
それでも、彼らがそうして船内で待つ時間は一時間にも及ばなかった。
正統政府からの迎えの車が現れると、まっすぐに降下船のそばに走り寄り、タラップの降りるであろう位置の横にぴたりと付けた。
それを確認すると、ネイサンは今度はセバスティアーノを伴って船を下り、迎えの担当者に軽く挨拶して車に乗り込む。
二人を乗せた車は決して高級車というわけでもなく乗り心地も褒められたものではなかったが、正統政府が所有する公用車ではもっともグレードの高いものだった。
車はすぐに空港を離れ、無言の二人を乗せて二車線だけの狭い道をおおよそ十五キロメートルほど走って第一市の官庁街に入った。
大統領府は二階建て、長辺が百メートルほどの小さな建物で、車はその中央の玄関に寄せられた。
そこには、すでにアラニス大統領が背筋を伸ばして待っていた。
セバスティアーノ、続けてネイサンが降りる。
ネイサンの姿を見つけると、アラニス大統領は深く腰を追って最敬礼を見せる。
「久しぶりだな、大統領閣下。以前に会ったときは、共和党書記長とかいう肩書きだったかと思うが」
ネイサンが差し出された右手を握り返して口を開いた。
「共和党事務長です、閣下。突然のお越しでお出迎えもできず申し訳ありません」
「いや構わんよ」
「どうぞ、来賓室へ」
アラニス大統領は自ら先頭に立って案内する。
ネイサンはあくまで尊大な態度を崩さず、それを追った。セバスティアーノも同様だ。
廊下を二度曲がると、高さ2.8メートルの両開きの扉の部屋が現れ、大統領がそれを押すと古臭い音を立てて開く。それは、旧政府時代から受け継がれてきた最上級の国賓を招くための部屋の一つだ。
ネイサンとセバスティアーノは勧められるままにソファに深く腰掛ける。それを確かめて大統領も向かいに座る。間もなく、給仕が、マリアナでは高価なコーヒー、紅茶、ハーブティの準備を整えて来る。
「どうかね、大統領。次の選挙は勝てるかね?」
世間話とも本題ともつかぬ言い方でネイサンが口火を切る。
「さあ、このままでは勝てますまい。あの学者集団の暴力を看過した失点は大きいでしょう」
アラニス大統領は、へりくだった態度を崩さず、軽く苦笑いを浮かべる。
ネイサンは黙って紅茶のカップを取り、何か言いたいことがあれば続けろ、とでも言うようにあごをしゃくって見せる。
これは見抜かれているな、と大統領は観念する。
彼が、この難局を乗り切るにはマカウの力を借りるしかないと結論したこと。
そして見事にタイミングを合わせて彼らが降りてくる。
全てを見透かされている。
「……ありていに言えば、難局です。テロリストが力を持ちすぎた。テロリスト同士の争いで両者の疲弊を待っていたことの愚は認めねばならんでしょう」
「ふむ、それを認めたうえで?」
「我々が義務を果たすためには、我々に統治を委任してくださっている宗主国からの援助が必要です」
言葉遊びをやめ、率直に申し出る大統領。
それを見てネイサンは口の端を歪める。
「我々大マカウ国は、国際法上、正統マリアナ政府を惑星マリアナの統治代理人とは認めていない。このことはご存知かな」
「……おっしゃる通りかと」
「われわれは、まだ選ぶことができるのだよ」
その言葉に、アラニス大統領はぞっとする。
まさか。
せいぜい大学組織を運営し強力な兵器を操るだけのテロリストを、惑星の正統な統治者に?
馬鹿げている。
私がこの惑星に君臨したいなどという歪んだ感情なのでは断じてない。
この惑星は長く戦乱が続いた。
市民は疲弊している。食も医療も娯楽も慢性的に不足している。
それを解消するために、過去のマリアナ統治を研究し、体制の整備にまい進してきた。
それを邪魔するテロリストどもの駆逐にさえ努力を惜しまなかった。
やつらは単なる破壊者だ。
やつらが統治代理人となれば、再び惑星は混乱するだろう。必ず内部分裂を起こす。やつらの組織形態はまだ謎の部分が多いが、少なくとも、意見を異にするもの同士が平和的に対決する議会政党政治の片鱗さえ見せていないではないか。独裁組織はいずれ派閥争いから分裂にいたることは歴史が多くを語っている。
そんなテロリストを、マカウが支持するだと?
このマカウ総督、ネイサン・アスターは、気が狂ってしまったのだろうか。
再びこの惑星を戦乱に陥れ、全てをやり直そうとでも言うのだろうか。
彼の動揺は一瞬ではあったが、ネイサンはそれを正しく捉えていた。
「……さて、われわれは選べるとは言ったが、もちろん、ただ戦力に勝るほうを選ぶというわけではない。だが、市民を守るための自衛の能力が十分であることは、残念ながら必要条件だ」
「であればなおさら、われわれには十分な支援が必要です」
「そう、最小限の支援がな。そしてそれが正当であり最小限であることを国際社会が認めねばならぬ。市民代表による統治代理者ということに正当性がなければならぬ。自治能力の無い一部の暴走市民に権力を与えたとマカウがそしりを受けぬものに、われわれは特権と支援を与えねばならぬのだよ」
大統領は思わずうつむく。
なんという無理難題をぶつけてくるのか、この男は。
彼の言わんとすることをおおむね理解しつつあるが、それは、非常に大きな困難だ。
「われわれは、どうすべきなのでしょう」
搾り出すように問う。答えのわかっている問いを。
「マカウが惑星上の市民の自由意志に基づく『市民団体』に命じることなどありはせんよ。だが、君、あのミネルヴァという学者集団に対して、少なくとも『戦略上意義のある』勝利を収めねば、次の選挙は危ういのではないかね」
ネイサンはすでに『閣下』という敬称さえ使わずに大統領に横柄に言い放った。
戦略的に意義のある勝利。
つまり、ミネルヴァに対して全面戦争を宣言し、戦略的拠点を得ること。少なくとも、第三市かそのルーラルエリアを支配下に置くこと。
ちょっとした小競り合いで勝って見せても意味がないだろうと、彼は言うのだ。
そうしなければ、マカウの天秤はミネルヴァを選択するだろうと、彼は言うのだ。
ああ。
この惑星市民の自由と尊厳が、あのテロリストとの戦いにかかっているなど。
マカウだって、彼らに統治能力が無いことなど分かっているはずなのに。
あえてそれを試そうと言うのか。
やはり、総督は狂っている。
「それが難しいこともご存じでしょう」
「そうだな。だが――」
あらかじめ打ち合わせしてあった通り、セバスティアーノに目線を送る。
セバスティアーノは、一つの研究の成果を取り出す。
極秘に進めていたそれは、まさにウィザードの秘密に関するものだ。
「閣下、総督閣下の顧問をしております、セバスティアーノ・ニコリーニと申します。私はミネルヴァにスパイを放っておりました。そして、彼らの戦力の秘密――単刀直入に申しましょう、彼らの『強化兵』の秘密を握っております」
その言葉に、大統領は思わず一瞬腰を浮かす。
それは、願ってもない情報だった。
もし、正統政府がミネルヴァに抗し得るとすれば、その秘密を知る意外にありえなかった。
「それは、どのようなものなのです」
声だけは冷静に、先を促す。
「はい、閣下。それは、電子頭脳によって支援された強化兵と申しましょうか」
そう、確かに聞いたことがある。
あのネルヴァからの逃亡兵。彼らが頭に着けていた不思議な機械。何をどう調べても結局正体は分からなかった、という報告ですべてが途切れていた、あの秘密の機械。
「電子頭脳そのものは、どうやら、強化兵とは離れた場所に置いてあるようなのです。ミネルヴァが強化兵を使い始めたころから、ミネルヴァとどこぞとの間に、誰にも解読できない不思議な信号が爆発的に増えたことを、大マカウ国は認識しておりました。それがどうやら、ミネルヴァの強化兵の支援信号なのです」
「で、では、そのどこかにある電子頭脳そのものを破壊してしまえば、強化兵は無力化できると言うのですか」
「はい、閣下」
「それで、その場所は――」
問われて、セバスティアーノはネイサンに振り向く。
ネイサンは、にやりと笑って、教えてやれ、とジェスチャーする。
そう、それは、ネイサンが惑星上に降下するとき最初に訪問すべき場所を決めたまさにその理由でもあるからだ。こういう時、ネイサンは、自分の知識と権力をひけらかさずにいられない性質なのである。
「――第五市。そこと、ミネルヴァの前線との間に、大量の支援信号と見られるデータのやり取りがあったことが分かっております、閣下」
第五市!
第一市からもっとも遠い場所ではないか。
まさに、ミネルヴァは第一市を拠点とする正統政府との決戦に備えて、そのような場所を選んだとしか思えない。
統治能力はともかく、その戦略眼は、やはり畏怖すべきものだと認めねばなるまい。
「……僭越だとは思っておりますが、お願いが」
「言ってみたまえ」
ネイサンは笑い顔を崩さず、うなずく。
「……大マカウ国に、第五市の爆撃を要請いたします。場合によっては、全土の直轄をお任せしても――」
「――大統領。聞かなかったことにしよう。仮にも大マカウ国が平和に統治する地上を、われわれ自身が爆撃するなど、考えられぬことだ。それを、市民の代表たる大統領が口にすることも、な」
厳しい言葉に、大統領はひるんで口をつぐむ。
そして、沈黙だけが流れる。
「実りある対話であったなら良いが。私も暇ではないので、もう、上がるよ」
大統領の無言を対話の終わりと受け取り、ネイサンは一方的に言うと、立ち上がった。セバスティアーノも倣う。
「……大変、ご足労でした」
アラニス大統領は立ちながらそれだけを言い、ネイサンの手を取って別れの握手を済ませた。
そして、二人の出て行った扉を一人でいつまでも眺め続ける。
いずれにせよ、あの風では、マカウがミネルヴァに傾くのは時間の問題であろう。
ミネルヴァとて馬鹿の集まりではない。第五市という大都市を統治するうちに、統治に必要なノウハウを学び始める。
マカウは、その一点に期待しているのかも知れぬ。
ミネルヴァがそれを得れば、彼らの圧倒的な戦力は、山間に巣食う山賊や海岸を狙う海賊など容易に屈服させるだろう。
そう、圧倒的な戦闘力を持つ改造兵。
他の未知の兵器など存在しなくとも、たとえば、死を恐れぬ心と異常な力を持つ改造兵はそれだけで戦略兵器となりうる。もし彼らが第五市を拠点にその改造兵を大増強したら。それこそ手に負えない。一秒でも早く動かねばならない時なのだ。
マカウは、今動けと彼に命じた。そう、第五市にこそ改造兵の心臓があるという秘密の漏えいは、すなわち、時間は敵を利するという重要なヒントだったのだ。
彼は立ち上がり、非常時の臨時体制確立の手続きが封じられた金庫へと向かった。




