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マリアナの女神と補給兵  作者: 月立淳水
第三部 マリアナの女神
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第一章 統治者(3)


 その初老の男は、恰幅のいい腹回りと四人の重装歩兵を引き連れていた。

 歩兵の装備はどれも地上では見たことのないものばかりだった。

 どう見ても見慣れた銃口が見えない小銃。どうやらそれは、噂に聞く『神経銃』のようだ。体の一端にでも命中すれば即座の昏倒を引き起こす。なおかつ、それは純粋な電磁波刺激であるため、他の生体や薄い壁やガラス程度なら素通りする。熟練すれば厚い壁越しに狙いを定めることもできる。陣地を作っての地上戦を過去のものにする発明だ。その背にはさらに巨大な銃らしきものを背負っている。それはいかなるものか、理解さえ及ばない。


 彼らが本気でそれを投入すれば、地上の騒乱など瞬く間に解決するであろうに、なぜそうしないのだろう。フェリペさえ不思議に思うほどの圧倒的な科学力を、空の上の支配者は持っている。


 だがその疑問は、まもなく氷解する。


「……ミネルヴァ幹部、フェリペ・ロドリゴ・デ・パルマ君だね、敬称は?」


「……委員とでも呼んでくだされば」


「よろしい、パルマ委員。私はネイサン・アスター総督。よろしく」


「よろしく、総督」


 ネイサンの差し出した手をフェリペは握り返す。脂っこく弱々しい手のひらだ。


「単刀直入に言おう。私は、ミネルヴァの実質的な、あるいは精神的なリーダーを、パルマ委員だと直感したが、この直感は誤っているかね?」


 一惑星の総督にまで上り詰める男とは、さすがの直観力を持つものだ、と内心舌打ちしながら、フェリペは、あいまいにうなずく。


「そうとも言えるが、そうでないとも言える。私はミネルヴァを率いる首脳陣の中では、確かにそれなりの役割を果たしてきたつもりだよ、総督」


「よろしい、君の役割の大きさは、私も調べさせてもらった。特に、『ウィザード』については、ね」


 さて、この小太りの老人がどこまでウィザードの真実を掴んでいるものか。フェリペは駆け引きのシミュレーションを始める。

 フェリペが特に反応を見せないのを見て、ネイサンは言葉を続ける。


「否定しないところを見ると、この推測に誤りはないものと考えさせてもらおう。そこで率直に言おう。われわれは、正式にミネルヴァを援助し、マリアナ自治を任せたいと思っておる」


 その言葉は、フェリペのシミュレーションの第一ケースにあった。


「失礼ながら、われわれは、学究の自治を標榜して、それを阻害する勢力と対抗しているに過ぎない。惑星自治の能力は持たない」


「だが、君たちのウィザードこそが、惑星の戦乱に終止符を打つのに適した道具であろうことは明らかだよ」


 ネイサンは笑みを浮かべる。

 実際に、それ以外の解はないことが分かっている。

 もはや正統政府は、正面切ってウィザードを倒す能力を持たないのだ。


「あれは学術研究上の実験体に過ぎない。確かに新連盟との戦いで高い戦果を挙げこそしたが――」


 その事実を隠す意味はない、とフェリペは思いながら、ウィザードが新連盟撃破に一役買ったことを認める。


「――正規軍、つまり、正統マリアナ政府軍との戦いに供するつもりはない」


「それでも、われわれは君たちを支援したい。それが、惑星マリアナの平和への近道なのだよ」


 惑星マリアナの平和とは、全ての武装勢力の共倒れなのだよ、と心中でつぶやきながら、フェリペは、あえて一つのことを確かめるつもりになる。


「……では、もしその支援を得るとして、われわれはどのように報いればよいかな」


「ふむ」


 あえて何かを要求するつもりはなかったネイサンだが、それでも、もし何かを得られるなら、と心に決めていることがあった。


「……ウィザードを。その基礎技術、エクスニューロを。学術研究に供するのが目的と言うのであれば、それは、国家の重要な戦略資源である。十分な金品でその研究成果を買い上げよう」


 マリアナ以外の世界でも、当然、コンピュータあるいは高度な知能機械の研究は進んでいる。一時期は純粋機械が人間の知能を超え、自発的により高度な知能機械の設計をすることさえ夢想された。

 だが、それらのあらゆる試みは、ありふれたコンピュータの延長線上にしかなかった。最新の『真空コンピュータ』、文字通りプロセッサの中身が空っぽのコンピュータでさえ、古い量子コンピュータとさらに古いノイマン式コンピュータのハイブリッドに過ぎず、相変わらずそれは、知性というよりは計算機だった。


 だが、このマリアナで生まれたそれは、全く異なる理論に基づいている。つまり、人間の脳そのものを使うのだ。

 古くから人間の脳を『模す』ことに情熱を費やす情報科学者は多かったが、生身の脳をそのまま利用してしまうという一線は、倫理上誰も越えられなかった。


 エクスニューロはそれを易々とやってのけた。


 ある意味で、人権の価値が極端に低くなったマリアナだったからこそ、だろう。

 スパイからの断片的な情報を繋ぎ合わせれば、エクスニューロとは『脳を拡張する』のではなく『脳を利用する』ものなのだと、ネイサンは確信している。これは、情報科学と脳科学において、おそらく革新となるだろう。


 マリアナの統治。そのついでに、誰も作り得なかった脳コンピュータそのものを持ち帰れれば、彼の輝かしい経歴となるに違いなかった。


 フェリペもまた、ネイサンのその狙いを正しく推測し、理解していた。

 だが、彼は、彼の作り上げたその成果が、たかが官僚の出世の糧に終わることなど許せなかった。

 宇宙の全てを知ることができる、そのことの価値が分かる人間が、フェリペ自身を除いてこの世に存在するとは思えなかった。


 だからこそ、宇宙を知るのにふさわしいのは、自分以外にいないと確信している。


「……せっかくだが、それが目的であれば、願い下げとさせていただこう」


 フェリペは低い声で応える。もとより、マカウの支援を得るつもりなどない。だが、マカウがどの程度の理解と興味をエクスニューロに対して持っているのかを確かめただけだ。そして彼の危惧どおり、ネイサンは支援の引き換えにそれを求めた。ネイサンが持つことに何も意味のないそれを。エクスニューロをマカウに渡せば彼らはそれを政争の具としてもてあそび、本来の価値を見出そうとさえしないだろう。


「そうか、残念だ。だが、そうでなくとも、我々がミネルヴァを支援することは決定事項なのだよ」


「無用。われわれは傀儡になどならぬ。私は――」


 この総督を名乗る男に、わずかくらいは秘密を漏らしてやろう。


「――正統政府もミネルヴァも、ウィザードもエクスニューロも滅ぼす。戦う道具など何も要らない。なぜなら私は学徒なのだ」


 なるほど、この男は狂っている。


 ネイサンは思う。


 狂っていると思わせようとしている。


 彼の言葉が真実か?

 ――答えは、ノーだ。

 間違いなく、ノーでなければならない。


 一度手にした特権を無意味に滅ぼせる人間など存在するはずが無い。

 彼は、狂っている、と思わせることで、マカウに疑念の種をまこうとしているのだろう。


 ――いいだろう。

 その手に乗ってやろう。

 騙されたふりをして引き下がってやろうではないか。


 彼は必ず、われわれが去るのと同時に行動を始める。

 われわれの準備が整う前に、マカウの援助なしで惑星を統べようとする。


 ――何も問題は無い。

 彼の行動を早まらせることこそ、今必要なことなのだから。そのためには、もう一つ。


 そして彼が、この惑星を統治可能な状態にしたところで、全てを空からさらってやればよかろう。


「……分かった。好きにしたまえ。機会は与えた。君はその機会を活かさなかった。それだけのことだ」


 ネイサンはつぶやくように言い、握手もせずに後ろを向いて、首脳会談の場を去った。


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