第五章 混乱と混戦(4)
総員退避の命令を下したのは、アルフレッドだった。
第五市南岸を離れて一日、だましだまし航行していた第一遊撃隊母船は、ついに力尽きた。
重要な隔壁の損傷を補っていた部材に亀裂が入り、海水がシャワーのように船内に吹き込み始めた。
その報を聞くや、彼はすぐに退避を命じた。
船を守ることは重要だったが、これ以上の犠牲を出さないことの方が重要だった。
構造技師は最後まで退避を拒否し続けたが、引きずるようにして腰まで水に浸かるほど浸水した防水区画から連れ出し、高速艇に乗せた。
ジェットモーターと水切りの轟音の中、母船が遠ざかる。
本来の軍隊なら機密漏えい防止の観点から爆破処分するのだろうが、ランダウ騎士団にそんな決まりごとはない。
あえて放置し、ゆっくり沈むに任せることにした。
脱出者を乗せた二艘の高速艇はそれぞれ別々の護衛艇に接舷し、乗務員を掃き出すと、エンジンを止める。
追撃の恐れがあるため、高速艇の曳航に反対する声もあったが、追撃があるならとっくに襲撃を受けているだろう、それよりも高速艇による遊撃作戦の可能性を残しておくほうが重要だ、という意見が大勢を占め、結局、曳航索で引きずりながらゆっくりと帰還することとなった。
そして、数々の指揮業務を終わらせてアルフレッドがようやく一息つけたのは、第五市を離れて二日目の夕刻だった。
狭い護衛艇の中ではあったが多くの仲間が協力して『提督室』が用意されていた。指揮官は時に周囲から遮断されて考えねばならないこともあるからだ、というのは、どうやらシュウの口癖みたいなものだったらしい。
一人の時間になって、アルフレッドはもっとも気になっていることにようやく手をつけることにした。
提督室に呼ばれた四人のウィザード。
彼自身が死守したエクスニューロ本体は、すでに提督室で電源を繋いである。
電源を入れたとき、全て、ステータスランプが緑の点滅を示していた。
「ロッティのデバイスは」
「ここに」
アユムがポケットからエクスニューロデバイスを取り出す。同時に、自分のデバイスも取り出し、自然な動作で頭に取り付けた。
「ようやく目が覚めた気分。さ、ロッティの分も、済ませちゃいましょう」
言ってから、エンダー教授から教わったペアリングの手順を踏んでいく。
ごく小さな埋没形状のボタンをペン先で押すことでモールス信号のような簡単なコマンドを打ち込む。それを、通信デバイスとエクスニューロ本体双方に施す。
ほんの数ステップで、それは終わった。
ペアリングの終わったそれを、恐る恐る、簡易椅子に脱力して座っているシャーロットのコネクタにねじつける。
やがて、シャーロットはゆっくりと顔を上げた。
「……アル、アユム。ありがとう」
そして彼女は、か細い、が、しっかりした口調で言った。
「今、どうなってるか、分かるか」
アルフレッドの問いに、シャーロットは首を縦に振る。
「うん、分かってる。全部、知ってる。……隊長が、みんなが、死んじゃったことも。あたしのために」
悲しそうな顔をしながらも、彼女は涙をこぼすことができなかった。
「みんな、君のことが好きだったからだ」
「……うん。でも、ごめんね、今は、なんと言えばいいのか……分からない」
小さく、そうか、とつぶやいて、アルフレッドもうなずいた。
「アユム、エッツォ、……セシリア。ありがとう。無事でいてくれて」
「今度ばかりはダメかと思ったよ。シュウ隊長には、感謝しなくちゃね」
「ああ。……海賊のくせに、格好を付けすぎだけれどね」
見るとまたセシリアがぽろぽろと涙をこぼしている。
「僕はたった一日と少しだけどこの大所帯を率いて……人の命を預かることの重さを理解した。だから、僕が彼でも、きっとああしたと思う。もちろん、自分が生き残る努力を精一杯した上で。彼もきっと精一杯努力したはずだ。だから、彼が守ってくれた人たちを守るためにも、僕は後悔しないと決めた」
アルフレッドは、わずかに瞳を潤ませながら、誰にともなく言う。
「そっか……強いんだね、アルは」
シャーロットは儚げに笑う。
「どうだろう。目をそむけているだけかもしれない」
「もしそうなら、独りのときにでも思い切り泣くことね。あの小さな島に戻ったら」
アユムの言葉に、アルフレッドはうなずいた。
たぶん、そうするだろう、と思って。
だから、誰はばかることなく涙を流せるセシリアこそ、実はこの現実に正面から向き合うことができる最も強い女性なのに違いない。
「――それで。これからどうするつもり? ランダウ騎士団を立て直して、海賊業を続ける?」
「少なくとも、僕らは彼らに報いなきゃならないだろうね。彼らは命を懸けて、僕らの友達を救ってくれた。僕らが彼らに返せるものが、海賊業での戦いなのだというのなら、僕はそうするつもりだよ」
意見したエッツォを、意外そうな目で見るアユム。
それに気づいた彼は、小さく笑いをもらした。
「僕は自分の命が一番大切だよ、白状するけどね。ランダウ騎士団に属していれば食べるものと寝る場所には困らない。僕らは彼らに恩があるから、そうするのが当然だと彼らが受け入れることも分かりきってる。計算だよ、僕はそんな男さ」
「だが彼らに迷惑もかけたくない」
そう言ったのはアルフレッドだ。続けて、
「――フェリペがいる。彼は、ロッティをいずれ手に入れようとする。完全な魔人としてね。彼はエクスニューロの製造者だ。もしかすると、ロッティの居場所を突き止める秘密の方法を知っているかもしれない」
「だったらすぐにでも襲ってくるはずよ」
アユムが反論する。
「でも。もし彼がその方法を知らないのだとすると、この前の遭遇戦は千載一遇のチャンスだったはずなんだ。そこで彼女を見逃したのはなぜか。――彼はその気になればいつでも彼女の居場所を突き止められる。そう考えると、すっきりするんだ」
「なるほど、僕らは泳がされているわけか」
「もしかすると、ロッティにはまだ成長の可能性があるのかもしれない。僕らを泳がせて、それを待っているのかもしれない」
アルフレッドはそう言いながらも、確かにそうかもしれない、と考える。
仲間と困難を乗り切るたびに、彼女は徐々に変化していった。
エンダー教授の言葉を借りるなら『同化』を深めていったように思う。
それは、エクスニューロそのものがシャーロットの可能性を吸収するのと同時に、シャーロットもエクスニューロに適応しつつあるということを意味するのかもしれない。
ただ訓練をするよりも、ただ命令を受けて戦闘をするよりも、より彼女の感情の発露で行動をすることで。
考えてみれば、正統政府に属して虐殺戦を行ってから、彼女はすさまじい感情の嵐を強引にエクスニューロで覆い隠してきた。その実、吹き荒れていた感情はエクスニューロを確実に教育していたということもあり得る。
エクスニューロの開発の一端を担ったフェリペの心中には、もしかするとそんな仮説があるのかもしれない。
「だったら、どうしたいの?」
「まだ分からない。……エッツォの言うことももっともだと思う。僕らはまだ騎士団に恩返しをしていない」
「……そうね。現実的に考えましょう。フェリペが私たちを追えるというのはただの想像。私たちがランダウ騎士団に大きな借りを作ったってのは事実。そうでしょう?」
「あたしも、そう思う。みんなは、あたしが絶対に守るから。だから、ね、アル」
シャーロットにそう言われて、アルフレッドも心を決める。
彼にとってとても大切な友達を救ってくれた、そしてそのために命さえ落としたものもいる騎士団のために、まず恩返しをしなければならない。
それは、ただの恐れだったのだろう。
自分とシャーロットが、いつかフェリペの追っ手に見付かってしまうことに対する、恐れ。
黙って騎士団を辞し、小さな世界中を逃げ回る生活をする言い訳を探していたのかもしれない。
だが、計算など入れる余地は、本来無かった。
自分のために命をかけた者たちのために命を懸けねばならない。
彼の情は、そう訴えていた。
「そうだ。そうだった。恩返しというよりは、彼らを守るために僕らの力を使うべきだった。――この僕だけが頼りないけどね」
「アルは強いよ。すごく強い。この――」
シャーロットは左耳の上の真新しい機械に触れ、
「――お守りが無くても、誰かのために戦えるんだもの。あたしにはできないことだから」
素直な彼女の言葉に、アルフレッドは少しだけ顔を赤く染め、ただうなずいて何も返さなかった。
「セシリア、そんなわけだから、いいわね、隊長のためにも」
「うん、はっ、はい、あの……私も手伝います!」
ようやく顔を上げてセシリアは大きな声を声帯から発した。
第六市島まで残り一日に足らぬ距離に彼らはいた。
***
太陽が正中の位置に達するまで標準時間で一時間を切ったころだった。
航行ナビゲーターによれば、もう第六市島の全景が前方に見えるはずの位置だ。
そして、確かに、黄色っぽい霞の向こうにほのかに島影が見え始めていた。
だが、そこに予想しなかったものも見えていた。
向かって左側、つまり島の東岸側に第六市があり、向かって右側の山がちな地域の中央に、ランダウ騎士団の最大の根拠地がある。
その根拠地から立ち上っている黒煙が、彼らの見たものだった。
すぐに船団内の関係者の間を結んだ連絡会が開かれた。
もともと、遊撃隊間の連絡は疎だったし、根拠地との連絡も一方的な電文が主だった。彼らが利用可能な通信帯域は制圧した海賊が持っていたものをくすねて使っているようなもので、元の権利者(たぶん新連盟だろう)が奪われたと知って帯域をクローズすればすぐに使えなくなってしまうようなもの。だから奪った通信帯域はできるだけ温存しなければならなかった。
密に連絡を取り合っていれば異常を知ることもあっただろうが、今は、それさえできない状況だ。旧提督室から持ち出した貴重な通信帯域チップを使って呼びかけても、拠点は無反応だった。
おおよそ一時間、船団は拠点が目視で確認できる位置にまで到達した。
良く見れば大きな物体が半没しているのが見える。
考えるまでも無く、第二、第三遊撃隊の母船だ。
陸にある補給拠点にはオレンジに光るものと真っ黒な煙があるのが見える。
「……襲撃を受けた、な」
フランクル中隊長がつぶやく。
「襲撃? そんなことが?」
「これだけ派手な基地だ、過去に無かったわけじゃない」
そうならないように、ある程度の期間以上は同じ拠点を使わないようにしている。
「だがそれにしては、第二、第三遊撃隊の精鋭も出払ったこのタイミングでの襲撃は……タイミングが良すぎる」
「――僕らの作戦は漏れていた、そういうことですね」
「そうだ」
フランクルはアルフレッドの言葉を肯定し、それから、顔を彼に向けた。
「漏らしたのは、君なのか」
その言葉に、アルフレッドは絶句する。
まさか。
どうして。
理由が無い。
――だが。
彼らの疑いももっともだ。
そう、アルフレッドたちが来てから、ランダウ騎士団は大きなうねりに飲まれ始めた。
アルフレッドたちこそが元凶だと考える心理作用を、誰が否定できよう。
「僕らは、その……違います」
「君の人柄を見ていれば……そうだろうとは思う。……だが……俺たちの全てを奪われて……そうか、と納得できるほど俺は……」
フランクルの言いたいことは、アルフレッドにも痛いほどよく分かった。
とてつもない不幸に見舞われると、一個の首謀者を求める。超越的な力を持った首謀者を。
自然な反応なのだろう。
かつて、文明以前の人々は、それを神や悪魔の仕業とした。
そして、アルフレッドは、神か悪魔としか思えない力を振るうウィザードたちを連れてきた。
理性が否定しようとも、感情はこの単純な関係に目を瞑ることなどできないだろう。
「すみません、フランクルさん、僕らは違う、としか言えません。……でも」
ふと、昨晩のひらめきを思い出す。
そう、彼らの行動を知ることができるかもしれない立場の男が。
「心当たりが、あります」
「何者だ」
間髪を入れずにフランクルが聞き返す。
「……ミネルヴァの幹部です。僕らの行動を知ることができるかもしれない」
「ミネルヴァか……」
つぶやいて、フランクルは再び、燃える拠点を凝視した。
「話は後で聞こう、まずは、上陸して状況を」
「ええ、確認しましょう」
簡易無線で全船団に上陸命令を伝えると、アルフレッドは再び舳に立って、何かを考え込んだ。




