第五章 混乱と混戦(3)
「また君か」
訪問者を確認し、エンダー教授は招きいれた。
のっそりと玄関をくぐった背の高い男は、フェリペ・ロドリゴ・デ・パルマだ。
「いやなに、君の家は居心地がいいものでね」
「指揮を執らなくても良いのかね」
「任せておけばよい。私は戦争が嫌いだ」
先日、アルフレッドたちが座っていたのと同じソファに、フェリペとエンダー教授は腰掛けた。
何も飲み物が無いのに気付くと、フェリペは勝手に戸棚を開いて酒瓶とグラスを持ち出す。エンダー教授はむしろそれを黙って見て、ゲスト役を買う。
「くっく、ざっとは聞いたよ。軍属のウィザードをたっぷり、東に送り込んだんだと?」
何度か無言でグラスを傾けた後、先にエンダー教授が口を開く。
「そうだ」
フェリペは短く答えた。
彼にはそれができる。なぜなら、彼は学粋派『オモイカネ』の創設者でありながら、ミネルヴァ最高幹部の一人であり、極秘の軍事作戦を提案、指揮することができる権力を持つ数少ない一人なのだから。
「おおむね予想通りに事態は進んだようだ。シャーロット・リリーを奪い返すために、ランダウ騎士団が動いた」
「そして君は混乱に乗じて漁夫の利を得る、というわけだね」
エンダー教授は低く笑う。
「利益が目的ではない。馬鹿馬鹿しい軍事組織に成り下がったミネルヴァを潰して、だが、そこで正統政府と新連盟がいつまでも争っていたのでは意味がない。私はね、ただ平和をもたらしたいだけなのだよ」
「だが、惑星統一の野心を満たすためミネルヴァが新連盟を叩き潰した、マカウはそう見るだろうな」
「ふん、つまり連中がミネルヴァ支援に乗り出すと? ――まあありえない話じゃない。だが、そのために、ミネルヴァ内部に内乱の種を蒔いてあるのだ」
「もう何がなにやら、だな。内乱のさなかのミネルヴァがランダウ騎士団と新連盟の抗争の隙を突き新連盟を滅ぼした、などと。君に必要なのは、戦力よりはシナリオライターだよ」
言いながら、エンダー教授は再び低く笑った。
「それで、君自身は、正統政府につてがあるのかね?」
「オモイカネの一派がすでに正統政府領内で工作を始めている」
「ほう」
「なに、たいしたことではない。ミネルヴァを離脱して正統政府に与したい一派がいると宣伝しているだけだ。最終的には、オモイカネ一派こそがその派閥であり、新連盟を滅ぼした一派と同一だと示してやれば良い」
彼の言葉に、教授は再び低く笑っただけだった。
自動応答にしてリビングテーブルに放り出していたフェリペの通信端末から声が上がる。
『第五市西部の要塞を突破。物見台から見たところ、第五市は甚大な被害を受けているようです』
「よろしい。第五市突入時に再度連絡を。作戦は貴官に任せる」
『了解』
返答とともに通話は切断される。
「どうだね、夜が明けるまでには、新連盟は滅びるだろう」
「ふん、この中年に、面白いものを見せるから今晩は起きていろと言うから待っていたのに、たかが国一つが滅びる程度の余興かね」
「君の趣味ではなかったか」
「ああ、悪趣味だね」
言いながら、エンダー教授はグラスをあおる。
「シャーロット君はどうするつもりかね」
「取り巻きたちの最終信号発出位置はまだ第五市あたりのようだ。戦術計算機センターで鉢合わせ、がベストだがね。逃げられたら、そのときはそれで考えよう。どうせ位置はすぐに分かる」
自信ありげにそう言うが、彼の編み出した、エクスニューロの信号発出位置推定の手法はお世辞にも高精度とは言いがたい。暗号化されたエクスニューロ通信の内容を読み解くことは出来ず、唯一、エクスニューロデバイスを付け外しする瞬間に発出される非暗号同期信号をモニターするしかないのだから。たまたま、彼らがランダウ騎士団の拠点付近や近海、あるいは第五市で付け外しをしてくれたから場所が特定できただけだ。そこから、この作戦計画を綿密に練ることが出来た。
だが、これは秘中の秘である。付け外し時の同期信号が暗号化されていないと知れたら、いずれ何らかの方法でエクスニューロの乗っ取りが可能になる。いわば設計ミスであり、こればかりは誰にも話すわけにはいかなかった。だから、彼一人の力でアユムたちの足取りを追い続けることにはどうしても限界があった。そして彼はまだ気づいていないが、アユムたちのエクスニューロ本体が持ち出されたことで、この手法そのものもすでに使えなくなっている。
しかし、彼自身の頭脳による論理的推測は別だ。彼らはおそらく船に乗って第六市へ逃げ込むだろう。彼らの逃げ道などそう多くはない。面倒な位置推定などに頼る必要など、もう無いだろう。
「その取り巻き――アユム君たちは」
「ウィザードは残らず処分。その考えは変わらんよ。エクスニューロさえ、不要なものは処分だ」
「ふん、重ね重ね悪趣味なことだ」
「創造主は被創造物を正しく処分する義務がある」
それは彼自身の固い信念とも言えただろう。
それは、ウィザード部隊のみならず、彼の作ったミネルヴァという組織にも向いている。彼が学究の地を守るために心血を注いで作り上げたミネルヴァという組織も、彼にとっては、彼の被創造物なのだ。
「君は、君自身の創造主というものを考えたことが無いのかね?」
皮肉を混ぜながら、エンダー教授が問う。
「ふん、神かね。だとすれば、神というものはずいぶんと無責任だ。あるいは、まだ私を処分するときではないと考えているのだろう」
「それは、私にも言えるかね」
「そうだな。偉大な才能を持った君を処分し得るのは神だけだろう。もし神がその義務を放棄するというのなら、私が喜んで処分するがね」
「それは、どのような咎で、かね」
その言葉に、この騒動に加担したことに一抹の責任を感じている風を、フェリペは感じ取る。
「ふん、君がどう考え誰を助け誰を陥れるかなど興味が無い。ただ、君が生に飽いているのならと思っただけだ」
エンダー教授は、相変わらずロマンチストなリアリストだ、と心の中で毒づく。
「ではこうしよう。この私の命は、アユム・プレシアード君の命が消えたときに君にやろう」
「最高傑作シャーロット・リリーではなくてかね」
「そうだ。そのほうが面白かろう、くっくっ」
フェリペはフェリペで、相変わらず悪趣味な学者だ、とエンダー教授に向けて心中で毒を吐く。
「ならば、アユム君だけは生かしておくとしよう。君の頭脳には当面使い道があるのだよ」
「好きにしたまえ」
教授は、自分の言葉がアユム・プレシアードを助けるかもしれない、などとは露ほども思わない。ただ純粋な戯れで言ったことだ。
いや、一度は道を示した連中の行く末を、もうしばらく見ていたい、という欲求だったかも知れぬな、と一人考える。
罪や後悔といった感情は、ずいぶん前にどこかに落としてしまった。
一度は、エクスニューロというものを作り上げてしまったことを呪いさえしたが、今は、歪んだ動機ではあっても、それがマリアナの戦乱に終止符を打とうとしていることを誇る気持ちさえある。
あるいは、この技術は宇宙さえ変えるだろう。
フェリペ以外の手に渡れば。
フェリペは視野が狭い。
彼は、宇宙の全てを知りたいと思っているだけだ、と、エンダー教授は少し前から気付いている。
それを、宇宙でただ一人、自分だけの特権にしたいと思っているのだろう。
人類の発展のためにその技術や知恵を独占販売し巨万の富を得よう、などとは考えていまい。
ある意味で潔い。
知など、所詮、一人の人間の脳の境界を越えるものではない。
そのことを正しく理解し、実践しようとしている。
だから、結局、宇宙は変わらぬ。
アユム・プレシアードという少女の死と引き換えに観測をやめる程度でちょうどよかろう。
エクスニューロの秘密と全宇宙の全ては、フェリペ一人の脳内に秘され彼の死とともに宇宙から消えるのだ。
それもよかろう。
たかが量子脳科学者が惑星一つの命運を左右したのだから、我ながらたいしたものだ。
それ以上は望むまい。
***
フェリペの送り込んだウィザード部隊二十名余は、隠密行動で第四市領域を通過した後は、その圧倒的な戦闘力で第四市-第五市領域境界の守備陣地の新連盟軍を全滅させ、瞬く間に第五市西端に到達していた。
それはちょうど、アルフレッドたちが第五市南岸を離れようとしているところであった。
当然だが、傷ついた母船が逃げようとするところを追撃する構えを取っていた新連盟軍は、西部要塞が突然火を噴いたことで大混乱した。
海上戦闘態勢にシフトしていた主力部隊は再び陸上防衛戦に向かうために再シフトが必要となり、出撃に一時間近くの間隙を生じた。
その間に、西部域内にある四ヶ所の駐屯地は瞬く間に攻略され、駐屯部隊は全滅の憂き目を見た。
また、西部にあった戦術計算機センター、第二通信タワー、鉄道の操車場など軍事関係施設も襲われ、機能停止させられていた。
西部とセンター街の境界は山が海岸近くにまでせり出していて天然の狭窄地となっている。
西部からの連絡途絶の報を受け、新連盟の主力部隊はこの狭窄部に展開された。
一方、ミネルヴァ兵は西部の防備を無力化したことを確認すると、堂々とその正面に当たる。
太陽が完全に水平線を離れた時間に、ミネルヴァ軍からの一発の弾丸がはるか四百メートルの距離の新連盟兵を撃ち倒したことから戦端が開かれた。
新連盟兵は、百発の弾丸を放つ間に三人が倒れる。相手の姿さえ見えぬうちからこの状態では、戦いにならない。斥候の兵を出すと瞬く間に息絶える。
すぐに作戦が変更され、ただ動かず、一発の弾も撃たず、ひたすら敵が近寄ってくるのを待つ戦術に切り替えられる。普通の戦争ではありえない戦術だが、敵の姿が見えず狙撃だけを受けているのであれば、まずは狙撃という手段を封じれば、相手はなすすべはないはずなのだ。
南東が開けた海岸線に強い日光が差し込んで視界が開ける。
バリケードから目視可能なぎりぎりのところに、人影が見える。総勢は、二十に足らぬ。
攻撃を、という部下の進言を抑え、司令官は待つことを決断した。
侵入してきた敵兵と守るだけの僚軍では、此方のほうが有利なのは目に見えている。時間が立てばたつほど有利なのだ。敵は必ず短期決戦に出る。いつまでもあの彼方で突っ立っているはずが無い。
その予想通り、人影はじりじりとバリケードに近づいてくる。
距離さえ縮まれば、迫撃砲を連続発射して逃げ道と視界を塞ぎつつ、掃射を加えて簡単に片が付くはず。
さあ、近づいて来い。
ウィザードたちは、まさにその距離に踏み込もうとしている。
だが、彼らの研ぎ澄まされた勘は、敵の戦術はもとより、彼らの後方に着弾する迫撃弾の弾筋さえその視界に映していた。
新連盟陣地に、ひらめく光が四つ。それは、迫撃砲の砲口から。即座に、四名のウィザードが反応し、迫撃弾の放物線の頂点付近に向けて数発のライフル弾を発射する。
空中に四つの光と白い煙がはじけ、迫撃弾は無力化された。
さらにいくつかの発射も、全て無力化される。
迫撃砲弾の着弾を合図に飛び出そうとしていた歩兵部隊はその機を失い、バリケードの裏で足止めされている。
ウィザード部隊は前進速度を増しながら、突撃銃を構え、わずかにバリケードからはみ出た敵の偵察兵や機材を正確に撃ち抜いていく。
迫撃砲が無効化されたことに気付き、驚きとともに一斉射撃の命令を下す司令官の決定は、結果として拙攻となった。
銃口を並べ一斉に射撃した結果は全く無残なもので、弾丸は唯の一つもミネルヴァ兵に命中しないばかりか、そのわずかな瞬間に十八名の兵士が撃ち倒されてしまったのだ。
後方にいた一人の兵士が、恐慌状態を起こして逃げ出したのを皮切りに、逃亡兵の土石流が起こった。あるいは何名かは本当に海の中に転がり落ちさえした。
抵抗を続ける兵士を倒し、ウィザード二十名足らずは堂々と拠点占拠を果たした。
弾丸一発で敵兵を確実に倒すウィザードには、兵站というものは全く不要なものだった。
防衛拠点を一つ攻め落とせば、必要なものは全て手に入った。
夕刻には、総司令部のある国防省庁舎に程近い駐屯基地が全滅し、ミネルヴァ軍の橋頭堡となっていた。




