第二章 量子の魔人(4)
結局アルフレッドらは、エンダー教授の言葉にかんしてはこれを全面的に信用することにした。だから、彼が無害だと宣言してキッチンから運んできた飲み物にも口をつけた。
いくつかのスナックをリビングテーブルに並べ、小さなパーティのような状態になった。
アルフレッドが食事を与え、アユムが下の世話を終えて、シャーロットを元通り安楽椅子に寝かせると、四人は改めてエンダー教授と向かい合って、語らっていた。
そう、ただ彼と語らうことが、エクスニューロの真実を知る引き換え条件だったから。
彼の古い研究の話、どんな経緯でエクスニューロの開発にかかわることになったのか、そんな話がしばらく続いた。
それから、いよいよ興味深い話が始まる。
「……フェリペ・ロドリゴ・デ・パルマという男は、そもそも、科学に忠実な男だった。学問の全能性を信じてやまぬ男だった。だからこそ、学問の神の名を冠するミネルヴァという勢力の興隆に積極的にかかわったのだ」
それは、目下の敵、フェリペについて。
「学問の力であらゆる敵を砕く。学問の力で惑星マリアナに平穏と平和を。その信念はいかにも強いものだった。ま、私もそんな信念に多少は感化された口だがね。だが、彼は夢想家というよりは現実主義者だった。理想を唱えて馬鹿げたデモ行進を行う学生とは違った。本気で、学問の力であらゆる敵を砕くことを考えていた」
「それが、つまり、エクスニューロのような装置の開発に注がれた情熱なんですね」
アユムの相槌にうなずく教授。
「私にはもともと、脳科学と量子力学の総合的研究というテーマがあった。そこに、フェリペが働きかけてきた。脳機能を強化する方法は無いか、と。脳とそこから伸びた神経、そして感覚器が、量子論的に理想的な観測器だと考えていた私は、人間を使った完全な量子推測が可能だと彼に教えたよ。それが、エクスニューロ開発の始まりだった」
「僕は量子論に詳しいわけじゃないですが、聞きかじったことはあります、つまり、量子論においては『完全な観測』というものはありえない、と」
エッツォが指摘する。アルフレッドは、彼が比較的高い知能の持ち主だということに気付いている。本来なら大学に行って学んでいたかもしれない彼が、なぜ前線に出ているのだろう、とさえ。
「もちろん。だからこそ、『同時に』『莫大な数のセンサーで』観測し、しかもそれらが適度に『調子を狂わされている』ことが重要なのだよ。人間の神経系は、まさにうってつけのセンサーなのだ。もちろん集積度で言えば脳をはるかに超える密度の計算ノードはとっくの昔に実現しているがね、それらは、『個性が無い』のだよ。個性を持ち多くの間違いを含むことが重要なのだ。間違えるからこそ、『実在』を壊すことなく観測ができる。古い量子論の言葉で、これを『弱い測定』と言った。その応用だよ」
用語は難しいものの、それが、まさに昔のエンダー教授の研究テーマだった『脳と量子論』の統合研究なのだろう、ということはアルフレッドにも理解はできた。
「さて、フェリペの持っていた新型の情報素子理論を組み合わせることで、結局私はエクスニューロの開発に成功した。もちろん、脳との接続という最大の難事においては、何人かの犠牲こそあったがね」
再び、くっく、と笑うエンダー教授。
一種の不感症のようなものなのだろう。
彼は人の死に直面しても動じないし、おそらく自分の死の瞬間にも冷静に低く笑い続けるに違いない。
「それから、試験的に何体かを『製造』し、戦場に送り出した。もちろん局地的な限定戦で、だが、戦果は予想以上だった。次に、例の安全な運用場所に思い至ってね、エクスニューロを大量生産し、新同盟に与えた。モジュール数でいえば百の桁はゆうに超えていたはずだ。そこからは、君たちも知っているだろう。どこぞの海賊団から後腐れのない人間を買っては、エクスニューロ兵とし、ウィザード部隊が正式に編成された」
彼の説明は、まさに、アルフレッドたちの考えと一致していた。
ランダウ騎士団が売った身寄りの無い少女たちこそ、ウィザードの素体だったのだ。
「だったらその……私も? でも、私は昔のことを覚えていません」
不安げに自分の胸を押さえながら、セシリアが訊く。
「そうとも。君くらいの量産世代になるとさすがに私も全くノータッチだがね、エクスニューロがバイパスしている記憶想起神経部分で、古い記憶が想起されにくくなるよう操作されているから、思い出せないのも無理は無かろう」
「あなたに責任があるのじゃないことは分かります、ですが、彼女らが……かわいそうだとは思わなかったんですか」
アルフレッドは自らのうちに燃える正義心を抑えられなかった。
「ふん、どこぞの変態に買われて玩具にされるよりはよほどましだと思うがね、家族を失ったつらい記憶さえ封じてもらってな。それに、かわいそうだと言うのなら、ここ最近の方がよほどひどい」
「ここ最近?」
エンダー教授の無情な物言いよりも、ここ最近、という言葉に、アルフレッドは引っ掛かった。
そう、まさにそうだったではないか。
ランダウ騎士団への『発注』がここ最近増えている。
なのに戦場に出てこない彼女たち。
……そして、虐殺現場としか思えない、あの秘密の部屋。
「――さて、その話でもしようか。ウィザード兵を手に入れたフェリペは、徐々に性向を変え始めた。無粋な戦いに貴重な科学をつぎ込むことは損失でしかない、と。最強の兵士を手に入れてしまった彼は、科学を戦いにつぎ込むことに飽きたのだ。この惑星を武力で制圧することなど、その気になればいつでもできる、彼はそう考えたのだろうな。そして、決定的な事件が起こった」
誰もが黙ってその言葉の続きを待つ。
そう、謎の虐殺事件に、この話はつながるのだ。
「それが、シャーロット君の存在だ。シャーロット・リリー。注意深く戦果を分析せねば分からなかったが、彼女は飛びぬけて高い戦果を挙げていた。聞き取り調査からも、彼女が何か異常な状態であることはすぐに知れた」
「それが――先ほどの、相補係数の条件がどうとかの」
「そのとおり。もちろんそれを突き止めたのは私だ。私の仮説に、フェリペは小躍りしたよ。そして、すぐに、第二のシャーロットを作ると言い出した。理論の検証のためにな」
「ですが、さっきおっしゃったような偶然が、そんなに簡単に起こるのですか」
「もちろん、起こらん」
アユムの質問に、エンダー教授は短く答えた。
「だが、数の問題だ。彼は、新同盟に奪わせてまだ使っていないエクスニューロ数十基を実験用と定めた。新たに買ってきた少女奴隷に手術を施し、シグマ条件を満たしているかを延々と確かめ続けた」
一度言葉を切り、エンダー教授は煙草の煙を天井に向けて吹く。
「さすがの私も閉口したね、シグマ条件を満たしているかどうかは完全に解剖学的な検査が必要だと思っていたのだが、彼は独自に新しい簡便な方法を編み出した。――エクスニューロ装着者同士を戦わせたのだよ、単純に。そうして生き残った者を残し、死んだ者のエクスニューロは新たな素体に与えられる。奴隷の大量消費時代に入ったわけだ」
彼の低い笑いは、そこから長く続いた。
あるいは、とアルフレッドは考える。
フェリペのあまりに残虐な行為に、教授はただ笑って自らの罪悪感を紛らわすしかなくなってしまったのではないか、と。
身寄りの無い少女を買い集めては、殺し合いをさせるなんて。
全身を縛り付けられまぶたを切り取られてしまっていたとしても、まともな神経でその情景を眺め続けられる自信が無い。
フェリペは、悪魔に魅入られ、悪魔になってしまったのだ。
そうとしか思えなかった。
「――そして、彼はエレナを得た。同時期だったな、彼が、学粋派地下組織『オモイカネ』を立ち上げたのは。ミネルヴァと同じ、古代の多神教の知恵の神の名だよ。彼はもう、地表の戦争に興味がなくなったのだ。エレナを得て、もう彼にかなうものはいなくなった。彼は、エレナとシャーロットの力で、宇宙へ漕ぎ出そうとしているのだと思うね。その本心は、この私にも話そうとしないがね」
「学粋派……は、フェリペが」
「ああ」
「そうか、彼にとってもうミネルヴァは必要なくなった……あの魔人エレナと、それからロッティだけいればいい。ミネルヴァの軍隊組織はむしろ彼の自由な行動のためには足かせに過ぎないんだ」
魔人二人を軍に属させれば軍規に縛られる。フェリペ自身さえ、ミネルヴァに身を置く以上、同じものに縛られるだろう。
その枷から逃れるには。
学粋派などという派閥をでっち上げ、ミネルヴァを内部崩壊させてしまえ。
――冷酷で大胆。
そこまでの大それた考えを浮かべることのできる彼の精神性に、アルフレッドは驚嘆を覚えるしかない。
「ミネルヴァさえ彼にとっては玩具でしかない。振り回された学者連中はいい迷惑だろう。振り回されたと気付きさえせず学粋派に組してミネルヴァ主流派に対抗する馬鹿者さえいる」
言葉は憤りの色を含んでいたが、やはりエンダー教授は暗い笑顔を崩さなかった。
「――さて、つまらぬ愚痴を聞かせたな。だが、久々に吐き出せて、多少はすっきりした。では、君たちの冒険譚を聞かせてもらおうか」
***
結局、一睡もしないまま夜が明けた。
アユムが中心となって話した彼らの冒険に、エンダー教授はうなずくか低く笑うだけだったが、話が終わる頃には、そのしぐさが、彼がひどく興味をそそられているか興奮していることを含んでいることが分かるようになっていた。
「なるほどな、まさか、ランダウ騎士団にいたとは」
「正確には、僕らはまだランダウ騎士団の正規兵の身分なのです」
「くっく、この惑星では、正規兵か海賊かの身分なぞ、無意味だと思わんかね」
「戦闘員か非戦闘員かも、ね」
アユムは半ば自嘲気味に付け加える。
「この惑星の状態を、他の惑星の住民はどう見ているだろうな……誰も知らん。知ろうともせず、この重力井戸の底で身内同士の殺し合いをしておる」
「教授は知っているのですか」
「無論、知りようがない。外惑星の情報は、空を覆う大マカウ国のヴェールですべて遮られてしまう」
なぜ、惑星マリアナはこうあるのか。
そんな素朴な疑問を提起した教授。
それに対して、アルフレッドは自らの無力を嘆く。
アユムは自嘲的にため息をつく。
セシリアは不安げにうつむく。
エッツォは、床の一点をぼうっと眺める。
……シャーロットは、ただ呼吸している。
「マカウは、一体何をしているのですか」
「彼らは支配しているのだよ」
セシリアの質問に、エンダー教授は即答した。
「これの、この戦乱のどこが支配なんです」
「さあな、彼らにそう訊いたらどう応えるだろう、興味深い質問だ。あるいは、地上のテロリストどもに応える口など持たぬかもしれんな」
「どうあれ、地上で武器を持っている連中は、総じてテロリストというわけね、彼らから見れば」
再びのアユムの自嘲。
「そして、武器を持つものがいなくなったら、彼らは騒乱の鎮圧を外宇宙に向かって宣言するのだろう」
「いいご身分だこと。空の上から見ているだけ」
「彼らは彼らなりに……まあ、いいだろう、どうせ君たちがかかわることはあるまい」
新しいシガレットを取り出そうとして、紙でできたシガレットケースが空っぽなのに気がつき、エンダー教授はそれを握りつぶして灰皿に放った。
「……ロッティを取り戻したら」
アルフレッドは口を開く。
「どこかでひっそりと暮らそうと思います。戦乱が終わるまで」
「君たちが滅ぼしてきた賊のように、か」
「そう。あるいは、誰かに滅ぼされるまで」
「せいぜい、フェリペに見付からないように気をつけたまえ」
肯定するでもなく引き止めるでもなく、エンダー教授はつぶやいた。
会話が新たに付け加えられることなく、アルフレッドたちは、エンダー教授宅を後にした。




