第一章 血塗れの部屋(5)
ようやく視界が回復してきて、そして、さっきシャーロットが倒れていた位置に、そのまま、彼女が倒れていることを発見したアルフレッドは、急いで駆け寄った。
敵の男とエレナは、身を翻しているところだった。
ロビーの入り口にアユムたち三人が立ち、エレナに向けて何度か発砲したが、いずれも相手を捉えなかった。
その騒動がおさまってから、アルフレッドは我に返る。
馬鹿なことをしようとした。
僕ごときがあのウィザードにかなうわけがない。
ロッティが機転を利かせて閃光弾を投げなければ、僕はあっさりと撃ち殺されていただろう。
幸い、ロッティは軽い傷しか見えない。
殺すほどの動機は無いのだろう。
ともかく傷つける意図が無いのなら、もう少し様子を見ても良かった。
馬鹿なことをした。
考えながら、シャーロットの脇にかがみこむ。
「ロッティ、大丈夫か」
アルフレッドの声に、シャーロットはかすかに反応したが、何も声を出さなかった。
見ると、彼女の左耳の上についていたエクスニューロが、粉々に破壊されている。
――ひどいことを。
そう思って、しかし、ただの戦闘機械であるそれを破壊されることは、彼女にとって良かったのではないか、という倒錯した思考が心の隅に浮かぶのを覚える。
あの男は『魔人』と呼んだが、エクスニューロを破壊された彼女は、もうウィザードですらない。彼女のために調整されたエクスニューロを再調達するまでは、シャーロットは、ごく普通の女の子になるのだ。
そう思うと、この事態をわずかに歓迎する気持ちがあることを、アルフレッドは否定できない。
「ロッティ、さあ、起きて。彼らは去った。もう危険はない」
言いながら、肩に腕を回して、ゆっくりと抱き起こし、座らせる。
シャーロットは視線が定まらずにぼうっとしている。
「……気分が悪いのか。どこか、痛いところはあるか」
アルフレッドが再度強く呼びかける。
「あたし……ここ……どこ……あなた……アル……なぜ」
頭を打ったのだろうか、意識が混乱しているようだ。
「君は僕と一緒に敵を追っていた。……残念ながら負けたけれど、僕も君も無事だ。もう大丈夫」
そう言っているところに、アユムたちがようやく駆け寄ってくる足音が聞こえてくる。
「水……喉……渇いた……」
「あ、ああ、水か、待ってろ」
アルフレッドは戦闘時用の小さなボトルを腰から取り外し、その吸い口をシャーロットの口にあてがう。
シャーロットは一口吸い込むと、また呆けたように視線をさまよわせた。
「ロッティ! アル! 大丈夫!?」
後ろからアユムの声。
「ああ、なんとか。やられたよ」
「ロッティが!?」
言いつつも、アユムたちの弾丸をひらひらとかわす小柄の女に、シャーロットと同じ空気を感じていたのは事実だ。その正体を、アユムもおぼろげながら理解しつつある。
「いや、エクスニューロを壊されただけだ。ちょっとショックを受けているようだ」
「そう……ロッティがかなわないなんて。それにあの男。何者なんでしょうね」
そう言われたとき、アルフレッドの脳裏に、入隊学習で詰め込まれた知識の中に眠っていたある名前が、突然ひらめいた。
「……フェリペ・ロドリゴ・デ・パルマ」
そう、あの男の名は、フェリペ・ロドリゴ・デ・パルマ。
ミネルヴァの最高幹部の一人。
暗記試験で何度も間違えた名前を、正確に思い出していた。
その名前に、アユムも聞き覚えがあるようだった。
「お偉いさんね、ミネルヴァの。間違いないわね、ミネルヴァが組織ぐるみであの件にかかわっているのは」
彼女は、シャーロットの顔を覗き込む。
「……どうしちゃったの、この子」
相変わらず、シャーロットはぼうっと遠くを見つめている。
「負けたのがショックだったんじゃないのか」
「そんな子じゃないわよ」
言いながらアユムはシャーロットの肩に手を置く。
「聞いてる? ロッティ。誰も怪我してない。敵の面も割れた。目的は達したの。私たちの勝ちよ。さあ、立って」
アユムが中腰からシャーロットの右手を引き上げようとするが、脱力した彼女の手はアユムの手をすり抜けて、重力に任せて床に落ちた。
「……動く……いや……」
そして、かすかにつぶやく。
「……アユムさん、ちょっとおかしいですよ。こんなの初めてです。一度、安全な場所に戻りませんか」
いつの間にかアルフレッドの後ろに立って同じように覗き込んでいたセシリアが言う。
「そうね、アル、任せていいかしら。一番の力持ちはあなただから」
「あ、ああ、分かった」
アルフレッドは脱力したシャーロットを抱え上げる。
意識を失って脱力した人間を運んだことが無いとは言わないが、ここまで重いものだとは、と再認識する。
そう、彼女はまるで意識を失っているかのように、筋肉が弛緩して。
負傷兵の運搬訓練で学んだ捌き方でシャーロットの体をうまく背に乗せると、負傷者運搬用の伸縮ベルトを伸ばして腰と肩を固定する。
「……大丈夫ね。行きましょう」
先に立って歩き始めたアユムに続いて、彼も歩き始めた。
シャーロットの様子にただならぬものを徐々に感じ始めながら。
***
彼らの拠点、大学内の秘密のシェルターに戻る。
図書館シェルターで補給物資をさらにくすねてきたエッツォが帰ってきたとき、もう外は真っ暗になる時間になっていた。つまり、シャーロットが倒れてから、マリアナ時間で十二時間、標準時で十時間以上がたっている。
アルフレッドはずっとシャーロットのそばについていた。
彼女は相変わらず焦点の定まらぬ目で宙を見つめている。
時折何かをつぶやくが、たいていは何を言っているのか分からない。
はっきりと分かるのは、喉が渇いた、腹が減った、そういった直接的な欲求のある場合だけだった。
排泄もままならず、アユムとセシリアが交代で世話をした後、必需品の中にあったおむつを使うことになった。
ありていに言えば、完全に廃人になっていた。
誰も、何が起こったのかを正確に理解していなかった。
だが、憶測を重ねることだけはできた。
「ただの心因的ショックじゃないね」
エッツォが言うと、
「ああ……エクスニューロが破壊されたことと関係があるように思う」
アルフレッドも返す。
その未知の技術の深淵を知らぬ彼にとって、その破壊が持ち主にもたらす影響はまさに計り知れないものだった。
「でも、それが壊れたからって――」
アユムは言いながら、自分のエクスニューロを外す。
「――何ともないはずよ」
「でもっ、シャーロットさんはなんだかちょっと……変だった……じゃないですか。最近は普通になったような気がするんですけど、エクスニューロをつけてると別人みたいに……」
「そうね、何かが違った気がするわ、私たちとは」
アユムの言葉に、アルフレッドは突然、あの言葉を思い出す。
――魔人。
魔法使いとは違う、魔人だ、と。
フェリペが言ったではないか。
もしかすると彼女が使っていたエクスニューロは。
「……ロッティのエクスニューロは、特別なものだったのかもしれない」
アルフレッドの言葉に、三人が目線を上げ、彼の顔を覗き込む。
「フェリペが言った。ロッティが負けた相手、エレナは『魔人』だと。そして、シャーロットも同じだと」
「魔人? おとぎ話の?」
「何のことだかは分からない、けれど、魔法使いではなく魔人だと」
「……つまり、ロッティは特別だった、ってこと? それをフェリペが口走ったの?」
アルフレッドは、戸惑いながらうなずく。
「困ったね、だったら僕らにはお手上げだ。何が起こっているのか、結局ウィザードである僕らにさえ分からないってことだ」
「だけどこのままじゃシャーロットさんが!」
セシリアは両目一杯に涙をためている。
「……もちろんだ。フェリペに直接聞くのは難しいが――専門家に聞くことはできる」
「誰よ」
「分からない、だけど、学生なら知っているかもしれない。幸い、今この大学を二分して戦われている紛争の一方の勢力は、学粋派と名乗る学究の徒だ。彼らの内に、専門の教授を知っているものがいる」
「素直に協力してくれるかしら」
「自発的な協力に期待するつもりはない」
アルフレッドは、小さくつぶやくように言う。
「――死なないように痛めつける方法には、いろいろと心得がある」
鋭く光る彼の目を見て、三人は思わず息を飲む。
数百人が参加する新兵技能試験で体術二位を記録した彼には、確かにその技術があった。




