第六章 少女奴隷の行方(5)
狭い通路は、すぐに下り階段になった。
二人が並んだら進めないほどの階段だ。
やがて、それよりもう少しだけ広い廊下に抜け、視界が開ける。
天井に暗めの照明が灯っていて、見通しは良い。廊下は二十メートル弱ほどで左に折れ曲がっている。その手前の左の壁には、二つの小さなドアがある。
歩きながら見ると、二つのドアには正式なプレートではなく乱暴な手書きで、機械室、貯水室、と書いてある。いずれも、古いシリンダー式の錠で容易に破れるものではなく、ひとまず無視して先に進む。
先頭を歩いていたシャーロットが、左に曲がる手前で立ち止まり、右手を広げて後続を押し止める。
「……何か、いる」
その小さなつぶやきだけで、彼女の類まれなる直感が危険を察知したことを誰もが知った。
「何だい」
小声でアルフレッドが訊き返す。
「……人。武器。声をひそめて。待ち伏せしてる」
危ういところだった。
もし気づかずに角を曲がっていたら、蜂の巣だったかもしれない。
もちろん、ウィザードであるシャーロットは、そんな不意打ちでもひょいひょいと弾を避けただろうが、アルフレッドはただでは済まなかっただろう。
「アルは下がって。私が出ます。通路が狭いから先頭はロッティ、私。エッツォとセシリアは、支援をお願い」
「了解した」
応えたエッツォとセシリアが、アユムが前に出るのに合わせてアルフレッドの脇を通る。
アルフレッドは、長期戦に備えて背負っていた弾薬箱を下ろし、すぐに弾倉交換できるよう準備を整え始める。
「エッツォ、セシリア、合図と同時に右側面に飛び出して制圧射撃。ロッティ、私が合図したらあなたは奥、私は手前から角を曲がって一気に押し込むわ。いい? ――レディ」
アユムの声に、セシリアが愛用の狙撃銃、エッツォがサブマシンガンを構える。シャーロットは左手に拳銃、そして右手にナイフだ。アユムはいつもの突撃銃。
「GO!」
セシリアとエッツォが飛び出す。同時に二人の視界に、何本かの射線が映る。それは、エクスニューロが二人の視覚野に入力した警告。待ち伏せしている何者かが、銃で通路のこちら側を狙っているということだ。
そして、その射線は、二人が飛び出すと同時に正確に二人の胸部にロックされた。
セシリアは飛びのき、エッツォはしゃがむようにして射線を避ける。直後、二人の体のあった後ろの壁で銃弾がはじける。
反撃を試みるが、セシリアを狙う二本、エッツォを狙う三本の射線は執拗に二人を追う。そのあまりの正確さに舌を巻く。
その様を脇から見ていたアユムは舌打ちし、
「退いて!」
叫んで、セシリア、エッツォと入れ替わりに自ら出る。
同時に彼女の頭部と胸部に注がれる五本の射線。
その照準のすばやく正確な動きは、彼女のよく知るものだった。
転がるようにして通路手前に退いたアユムは、エッツォと視線を交わして、小さくうなずく。
「……ウィザード、ね」
「そのようだ。五人」
「どうしてこんな場所にいるんでしょう」
「……ロッティの勘が、当たったってことね。つまりこの奥に、『何か』があるのよ」
「だがどうする? これ以上進めそうにないし、向こうが攻勢に出てきたら、防ぎきれない」
一旦退くべきか、とアルフレッドは考える。
今なら、まだ間に合うだろう。相手がこちらの出方をうかがっている間に退いてしまえば、少なくとも死地は脱する。
「僕らと互角のウィザードを相手にする準備は無いよ。作戦を練りなおそう」
エッツォは暗にアルフレッドの心中を代弁する。
その提案を歓迎する自分を感じつつも、アルフレッドは、本当にそうすべきなのかどうか、再び悩む。
四人のウィザードが五人のウィザードに勝つ方法が? しかも、相手は防御に徹するだけでいい。有利な体勢でこちらを迎え撃てるのだ。体勢を立て直したからと言って突破できる見込みはあるだろうか。
「……アル、悔しいのは分かるけれど、冷静に。今は一分を争う時じゃない。出直すことを考えるべきよ」
「分かってる」
分かってはいるが、それでも。
もう目の前に、自分が突き止めるべき疑惑の中枢があると思うと、気があせる。
売られた少女たちだけじゃない。
シャーロットを含むこの仲間たちまでをも歯牙にかけようとしている相手なのに違いないのだ。
あるいは、ここで退いて、もしその『何者か』に逃げられたら。
いや、それは十分にありうる。ここまで侵入を許してしまった相手は、危険を察知して場所を変えるかもしれない。その時、シャーロットの直感はその場所を言い当てられるだろうか。
……?
シャーロットの直感?
見えないもの、知らないはずのものを見抜く、驚異的な直感。
シャーロット以外の三人が持たない、特別な感覚。
それが、全ウィザードをしても凌ぐことの無い、シャーロットだけの力だったら?
「ロッティ、君なら」
アルフレッドは、呼びかける。
「君なら、ウィザードを相手にしても勝てるんじゃないか」
「同じウィザードなら互角だと……思う」
「そうかい?」
そして、アルフレッドは、一つ、おかしな質問を口にすることを決意する。
「君は、さっきのエッツォたちの戦いで……敵の弾道が、見えていただろう?」
きょとんとするアユム。それは、セシリアもエッツォも同様だ。
だが。
シャーロットは、小さくうなずいた。
やはりそうだ。
直接的の銃口が視界に入っているときになら、普通のウィザードにもその弾筋は見える。銃口の角度、銃の種類、それを持つ筋肉のわずかな動き、もろもろの情報からエクスニューロが瞬時に演算するから。
だが、シャーロットは、自らは見えていない銃口から飛び出す弾の行く末が、あらかじめ見えているのだ。
「もっと言えば……敵が何を見ているのかさえ、見ているんじゃないのか」
アルフレッドは踏み込む。
異常な質問だとは自覚しているが、彼のその『確信』は質問を止められなかった。
「……うん、相手が見ている範囲とかも……分かる」
「ちょっ、ロッティ、それ、本当?」
「あの……うん、ずっと、そうだった。みんなは……見えないの?」
三人は同時に首を横に振る。
「じゃあ、相手にもそれが見えていないと仮定して。……五人のウィザードを相手に、勝てる確率を演算」
「五十五パーセント。射殺が許可されるなら九十六パーセント」
突然シャーロットの声が、以前のエクスニューロ・シャーロットと同じような無抑揚の声に変わり、恐るべき回答を残る四人に伝えた。
「五割か。君一人で。……上々だ」
「待ってくださいアルフレッドさん、残り五割は、シャーロットさんが……」
やられる運命だ、と言うのだろう?
だったら答えは簡単だ。
彼女が受ける弾丸を、代わりに受けるものがいればいい。
「ロッティ、オーダー! 僕の合図と同時に突入、僕の後ろをついて来い! 射殺は許可しない!」
有無を言わさぬ命令、彼女の視線は鋭く光り、オーダーの受理を伝える。
「行くぞ!」
アルフレッドは飛び出した。
すぐに続くシャーロットの視界に、アルフレッドを貫く何本もの射線が見える。
――彼を、死なせてはならない。
突如の想いは、アルフレッドの想定と異なる行動を彼女にとらせた。
彼女の構えた銃の射線は、アルフレッドを刺すそれと交わる。
銃口の向きとも違う、未来の射線。
そこをいつどのように弾丸が通るのかを、彼女はすでに『知って』いた。
さらに、腕の筋肉への信号出力がとてつもない精度でその交点を維持する。
次の瞬間、その交点で黄色い火花が散った。
同じように、次の射線も、その次の射線も。
「うおおおお!」
叫びながらアルフレッドは突進する。できるだけ敵の注意をひきつけるべく、その絶叫の度をさらに増しながら。
彼は、防爆仕様の弾薬箱を抱えていた。それで、敵が狙うであろう胸部を防護していたのだ。
しかし、そこに一向に衝撃が伝わってこないことをいぶかりながらも、突進を続けた。
エクスニューロを持たぬ彼にも、ついに敵のウィザードの姿が見えた。
若い女性ばかり、五人。
なぜか相手を撃ち抜けないことに狼狽し始めたもっとも手近なウィザードの女性へ、アルフレッドは突っ掛かる。
エクスニューロはアルフレッドの突進を正確に予測し、それをいなす最適な体捌きを彼女の脳に入力した。
しかし、同時に、別の強烈な入力が彼女の脳を狂わす。
彼女が身を翻そうとしたその場所に、そうと決める前から一本の射線があった。
なぜ、敵は、私がここに身を翻そうとしていることを知っている!?
馬鹿な、ありえない!
その狼狽の思考は彼女の行動にコンマ数秒の遅延を起こした。
そして、圧倒的な体重差の巨躯が、彼女の体を吹き飛ばし、壁に叩きつけた。彼女の意識に最後に残った記憶は、決死の形相の同年代の青年の顔だった。
アルフレッドを最優先処理対象と判断した残り四台のエクスニューロは、その主に命令を下す。
タックルの勢いで前のめりになっているアルフレッドの背中に四本の射線が突き刺さる。
――しかし。
意識をアルフレッドに集中した彼女たちには、その射線が見えなかった。
セシリアの持つ精巧無比な狙撃銃から伸びる射線は、一人の持つ突撃銃を撃ち抜き、ガラクタに変えた。
さらに複数の射線が彼女らを襲う。それは、アユムの突撃銃とエッツォのサブマシンガンの銃口から伸びていた。
アルフレッドとシャーロットの突撃を察知した残る三人も、時を同じくして踊りだし、二人を完璧にサポートしていたのだった。
危険目標の立て続けの変更。
彼女らの脳は悲鳴を上げながら、エクスニューロからの信号に反応し、丸腰のアルフレッドからつい今しがた仲間を無力化したセシリアにターゲットを変更した。
三つの銃口からわずかな時間差で飛び出す弾丸は、しかし、空中で弾けて消えた。
彼女たちのエクスニューロは、またもその現象を理解できなかった。
そのため、彼女らは、もっとも危険な敵を、ついに見逃し、懐に飛び込ませてしまった。
シャーロットの右手のナイフが空を切って唸る。軌跡を正確に予測して避けようとするも、その回避行動さえ予測していたシャーロットの横なぎは、どんな弾丸も当たらないはずのウィザードのすねを正確に捉え、叩き斬っていた。
四対二。圧倒的な戦力差。それぞれの胸に二本の射線を刺され、体勢を立て直したアルフレッドに背後をふさがれ、ついに残った二人の敵ウィザードはホールドアップした。
***
敵のウィザードたちからは、エクスニューロを奪って無力化した。これでこれ以降彼女らが障壁となることはあるまい。
簡単な尋問も行ったが、彼女らも命令でここを守備していただけのようだった。この奥にはもう一つ、厳重な結晶格子錠で閉じられた扉があり、彼女らもその奥にあるものを知らないのだと言う。
だがその言葉を聞いたとき、彼らの中に結晶格子セキュリティを破れる者がいることを誰もが思い出した。
だから、相手方が万一のウィザードの敗北に備えて最後の砦として配置した最強の城壁は、彼らにとっては腹を見せる子犬のようなものなのだ。
その『破れるもの』を先頭に、彼らは最後の通路を進む。
一番奥に物々しいセキュリティの施された、幅一メートル半はある大きな扉があった。
物資シェルターを破ったのと同じように、格子錠のセキュリティを解除して結晶キーにひも付け直し、改めて格子錠を解除する。
ガシャリという大きな音とともに、扉の錠は外れる。
シャーロットがレバーを回そうとしたが、アルフレッドがそれを制する。
もし失われても最も戦力減が少ない僕がやろう、と言ってレバーに手をかけ、シャーロットを下げる。
まさか彼女がブービートラップにかかるとも思えないが、念には念を入れておきたい。
アルフレッドがレバーを回して扉を引くと、そこは真っ暗な部屋だった。
一度振り返り、危険がなさそうなっことをウィザードたちの瞳の色で確認すると、改めてアルフレッドは一歩を踏み出した。
扉をくぐって右手前に、照明のスイッチらしきものがうっすらと見えたので、彼はそれに指をかける。
小さなノブを操作するととたんに部屋に光が満ち――。
「きゃあああああ!」
シャーロットが、エクスニューロを着けた彼女らしくもない悲鳴をあげ、膝から崩れた。
彼らの目に入ったものは、広い部屋、それを囲む灰色の無機質な壁面、そして、そのすべての内面に広がった、おびただしい血痕だった。




