第一章 知の砦(1)
★第一部まえがき★
全三部構成の「マリアナの女神と補給兵」、その第一部全七章です。
ある補給兵の偶然の出会いから物語が始まります。
では、どうぞ。
★★
マリアナの女神と補給兵 第一部 マリアナの魔法使い
■第一章 知の砦
宇宙に浮かぶ基地。
その床に、磁力で立てるように作られたブーツをそろえ、その報告者は恭しくスクリーンの資料を指し示した。
「まず、正統マリアナ政府の状況です。正統政府は国外への出兵行為は依然無く、周辺の反政府勢力の掃討に注力しているようです」
スクリーンに地図が浮かぶ。
それは、惑星マリアナの北半球、その半周分。
中央に大きな大陸が見え、その周囲をぐるりと海が取り囲んでいる。
東西に細長いその大陸の北側は山岳地帯を示す茶で塗られ、その長い山脈の南側に、都市を示す点がいくつか見えている。
大陸の南の海には、一つの小さな島と、その上に都市を示す点が示されている。
スクリーンの下端に南半球の一角が見えているが、ほとんどが海。また、凍土のみからなる南極域の大陸もあるが、スクリーンには表示されていない。
報告者の操作で強調表示されたのは、大陸の西岸の一つの点、そのすぐ東側のもう一つの点、そして、それらの周囲を取り囲む広い面だった。
その強調表示の面は、大陸中央を南北に貫く大河の東側にまで広がっている。
「一方、新マリアナ連盟は」
彼が言うと、今度は、大陸の東端側の二つの都市とその周囲の色が変わる。
「ミネルヴァからの攻勢が激化し、第三市東部ルーラルの河川西岸を奪われた模様です」
「ニコリーニ君」
一番奥に座っている初老の男が呼びかけると、その向かいに座っていた四十代ほどに見える赤髪の男、セバスティアーノ・ニコリーニが、スクリーンから目を離して応じる。
「なんでしょう、閣下」
「ミネルヴァには君の手のものがいるのだろう?」
その問いに、セバスティアーノはうなずく。
「はい、閣下」
報告者は気を利かせて、ミネルヴァの勢力域をスクリーンに表示する。正統マリアナ政府の二都市と、新マリアナ連盟の二都市、その間に挟まれた一つの都市とその周囲がぼんやりと強調される。
「そして、先日聞いた、ミネルヴァの、なんといったかな――」
「ウィザード部隊でございましょうか」
「――そう、それは、新連盟を追い込む勢いなのかね?」
「未知数です。報告を聞く限りでは、兵士としては異常に強い、しかし、しょせんは生身の人間です。いずれ新連盟が物量に任せた作戦をとるなら、持ちこたえられますまい」
閣下と呼ばれた男は、ふむ、と小さく唸った。
「そうか、せいぜい、正統政府の地歩が固まるまでは、粘ってもらいたいな」
「弊社のものも、ウィザード部隊に入隊しておりますので、いつでも内部から状況を報告できます」
セバスティアーノが言うと、初老の男の眉が上がった。
「おい、ニコリーニ君、それは聞いていないぞ。君の商会のものが最前線にいるということか」
「はい、閣下」
「それはいかん。グッリェルミネッティ商会の尽力には感謝はするが、商会から被害者を出してはならん。この惑星の商業権利は我が国が平和的に君の商会に信託しているのだよ」
平和的に、というところを特に彼は強調する。
「出過ぎた真似をいたしました、ほどほどのところで引くよう申し付けます」
『閣下』は、それにうなずいて応える。
「それから、第六市を拠点にしている盗賊どもはどうなっている」
お偉方二人の会話をぼうっと聞いていた報告者は、突然の指名にはっとなって姿勢をただし、再びスクリーンを操作した。
すると、大陸南方の小さな島が強調表示される。
「盗賊、えー、ランダウ騎士団は、変わらずに大陸南岸で略奪を繰り返しているようです、衛星画像ではこの一週間で少なくとも四回が確認できております」
セバスティアーノは目を細めて地図を睨み付け、それから口を開く。
「閣下、この際、盗賊団には直接手を打っては」
彼の言葉に、それでも閣下は首を横に振る。
「盗賊団と言えど、第六市においては支持のある一勢力だ。その第六市が各勢力に輸出する機械製品を狙う独立海賊どもを盗賊が餌食にしているために、結果として貿易シーレーンを守っている」
「は、おっしゃるとおりです、閣下」
今さら改めて説明を聞くまでもないことを説明した閣下に対し、セバスティアーノはそれでも従順にうなずく。
「加えて、我が大マカウ国がいずれかの勢力に干渉することは、大勢が決するまでは避けねばなるまい」
「平和に統治されたマカウ国マリアナにおける些細な地上騒乱、という建前の上では、ということですね、閣下」
閣下は、その言葉には、小さな鼻息だけで応じた。
「今週の報告は以上かね。つまり、進捗なし、というわけだな」
「はっ、申し訳ありません」
「よい。汎惑星ネットワークの傍受で気になるものはかかって無いかね」
「は、この一週間、勢力間の直接対話はありません。正統政府は掃討作戦のための通話、連盟は対ミネルヴァ前線との作戦指令と支援要請ばかりです。ランダウ騎士団は戦果の自慢話と下品なジョークばかり、ミネルヴァは……会話よりも謎の機械的データが多い傾向は変わりません」
「変わらず、か。不明信号については解析を急がせよ」
言ってから、閣下は再びセバスティアーノに顔を向ける。
「地上のことは地上で解決できるまで待たねばならん。大マカウ国が惑星マリアナを平和に統治しているということを宇宙に示すためにはな」
セバスティアーノは、やや自嘲気味の笑いを浮かべて、うなずく。
下がってよろしい、と命じた閣下の前を報告者が去る。
残った二人は、スクリーンに表示されたままの地図を眺めて、また何度かため息をついた。
***
アルフレッド・レムスは、大学図書館の奥、大きな鉄製の本棚兼バリケードを力強く引き開ける。
いざというときのための篭城拠点であるこの場所は、普段から開放されているため、時折、物資を盗み出す不届き者がいる。
犯人は知れていて、大学の学生に決まっている。
学内での宴会でつまみが足りなくなると、ここに来て軍需物資を持ち出す馬鹿な学生が絶えないのだ。
だから、補給部隊所属のアルフレッドは、大学中のこうした篭城拠点を巡回しては、不足物資を補う手続きをしている。
馬鹿馬鹿しいことだが、犯人を特定して罰しても仕方が無い。
何より、彼の所属する軍事勢力『ミネルヴァ』は、この惑星における学術研究と教育の自由を旗印に結集した組織なのだから、学生たちはある意味で特権階級だ。
アルフレッドは、自ら大学生となることを考えたこともあった。
物理学を研究したいと、高校生のときは思うこともあった。
だが、今のミネルヴァにもっとも必要なのは、純粋な学徒ではなく、兵士だった。
ミネルヴァが拠点を置く第三市周辺でも都市辺縁を狙う盗賊は絶えず、隣接する軍事勢力との衝突が始まって久しい。
このような状況で、とにかく若い兵士の需要が尽きることは無かった。
特に学業成績の優れたものだけが学生となることが許され、アルフレッドのような凡庸なものは、大学を守る兵士となるしかなかったのだ。
高校の短縮課程を終え、十七歳でミネルヴァ軍に入隊。すぐに補給部隊に配備されたが、前線への補給ではなく、後方の物資補充の任についた。二十にもならぬ若者は、まずはこうした任務で軍隊組織に慣れていくことになる。
暗い図書館の通路をバリケードの奥に進んでいくと、すぐに両側に山のように積まれた補給物資が見えてくる。
有事には何百人が何ヶ月も篭城するための拠点。
果たして、そうして篭城した末に何があるのだろう、と、アルフレッドは時折考える。
いずれ物資は尽き、投降するしかない。
大学内まで敵兵が入ってきた時点で、戦争は終わりだ。
だが。
興奮した敵兵の略奪や暴力から、弱いものを守るためでもあるのだ、と考える。
勝利で興奮した兵士は危険だと、入隊後の座学で何度も念を押された。素直に白旗を揚げても殺される危険はあるし、女はそれだけでは済まないだろうと。だから、負けを悟ったらともかく敵の興奮が収まるまでどこかに逃げ込め、と。
そうした教唆があったからこそ、後方拠点の物資補充という任務であっても、アルフレッドは誇りを失わずに全うできる。
物資の梱包を一つ一つ確認する。
案の定、このたった三日のうちに、一つの梱包が破られている。
中身は三分の一ほど持ち去られていた。
篭城用の高カロリー糧食など、よく酒のつまみにするものだ。
そう思うが、その糧食を日常の糧としている前線の兵士のことを思えば、学生がこれで我慢しているのはある意味で好ましいことなのかもしれない、などと考える。
惑星中の学生組織がこの第三市のディエゴ・デル・ソル大学に結集し、ようやく一つの都市とその周辺のルーラルを得て、自治が可能になったばかりの未熟な勢力、それがミネルヴァ。惑星統一を旗印に掲げる正統マリアナ政府とそれに対抗する新マリアナ連盟に挟まれ、その命運は火を見るより明らかだ。
今のうちに楽しめるだけ楽しむことだ。
死ぬのは、前線の老練な兵士、それから、自分のような若い兵士、最後に学生たち、という順番になろう。
いつまで、この学究の砦を守れるだろうか。
一つでも多くの真実を見つけ、一篇でも多くの論文を残して、いずれミネルヴァは滅亡する。
人が生まれ、戦い、死んでいくのと同じだ。
彼の両親もそうして死んでいった。
意味も無く生まれ意味も無く死ぬのであれば、その二つにはさまれた時間に何を残すかの問題だ。
ミネルヴァの戦いは、すなわち、一日でも長く生き残り、学問を究めることだ。
だから、学生たちは自由であらねばならないのだ。
アルフレッドは、小さい頃から教わってきたこのミネルヴァの信念を、自らの信念と疑うことがなかった。
だから、良いのだ。
糧食の一部を暴いて享楽にふける学生がいようとも。
それが、学究の一助にでもなるのであれば。
その合成樹脂の箱を棚から下ろし、スキャナつき端末でコードを読み取り、『一部欠損』の符号を付け加える。
これで、明日には新しい物資が大学正門に届き、それとこの古い箱を入れ替える作業は自分が行うことになろう。
他の箱の無事を確かめようと歩き出したとき、背後に人の駆ける足音が響いてきた。
補充作業中の札を無視して入ってきた学生か。
そう思いながら振り返ると、そこには、栗毛の髪をなびかせ、軽く息を切らせながら二重のまぶたの下からグリーンの瞳でアルフレッドを見つめる女性の姿があった。
おそらく同年代くらい、身長は百六十センチメートルそこそこで、平均的な肉付きではあるが、何よりアルフレッドの目を奪ったのは、飾り気の無い白を基調とした上下そろいの船乗りのような出で立ちと、その左耳の上についた、厚さ一センチメートルほどで縦に長い台形の妙な機械であった。
★第一部まえがき続き★
舞台ははるか未来、はるか宇宙の彼方。
そこで、これほどに原始的な戦いを続けている理由、その背景を支えている見えざる力にもぜひ興味を持ってみてください。
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