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マリアナの女神と補給兵  作者: 月立淳水
第一部 マリアナの魔法使い
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第四章 殺人鬼(1)

■第四章 殺人鬼


 徒歩と車両、一日半の行軍で、第十五中隊は第一市と第二市の中間地点の駐屯地に帰投した。

 兵員宿舎に着いたのは暗くなってからで、本部で戦勝祝賀会を終えてからだった。


 アルフレッドは戦勝どころではなかった。


 残虐としか言いようのない戦い、その先頭に立ったシャーロット。

 彼女はまだエクスニューロを着けたままだ。立食形式だった祝賀会でも乾燥した表情で隅に立ち尽くしているだけだった。


 解散命令が出て、すぐにエッツォとの二人部屋に戻る気になれず、女性陣の部屋について行くと申し出ると、エッツォも心配だからついてくると言った。


 結局、誰もがシャーロットの心配をしていた。


 止めようとした仲間さえひねり倒して、虐殺を続けた彼女。

 もともと命令さえあればそのくらいのことはやってのけたのに違いない。ただ、初めてそれを命令されたというだけなのだ。

 その彼女が、彼女の無痛症を支えているエクスニューロを外したときどうなってしまうだろう。


 全員の心配は、ただそれだけだった。

 その瞬間だけ。


 無表情のシャーロットをベッドに座らせ、四人が周りを取り囲む。


「何か問題が?」


 少しだけ不思議そうな表情を見せるシャーロット。

 そう言えば、エクスニューロを付けたシャーロットがこのような表情を見せるのも、初めてだ。


「ロッティ、任務は終わったの。エクスニューロを外しなさい」


 命令口調で、アユムが告げる。


「私は外す必要性を感じない」


「お風呂。体を清めるのに、その装置は少しばかり邪魔よ」


「了解した。エクスニューロを抜去する」


 ゆっくりとした動きで、彼女は左耳の上にある、それを、軽くひねって、外した。


 その瞬間に、その手が震えはじめる。


 ゆっくり左手は落ち、見える位置まで降りてきたそれを、シャーロットは震えながら見つめている。


「……あたし……あたし……人を……たくさん……」


 誰もが心配した通りのことが起こりつつあった。

 優しいシャーロットが戻ってきて、現実を見たら。

 ――その罪の意識は彼女を押しつぶしてしまわないだろうか、と。


「大丈夫、ロッティ。戦争だもの」


「ち……違う……あれは兵隊じゃなかった……」


 アユムは横からそっとシャーロットを抱きしめる。

 シャーロットの両目からぽろぽろと涙が落ちる。

 アユムが抱いても、彼女の震えは止まらない。


「……あたし……子供を……」


「違うのよ、あれは命令だったから」


「違う……あたしは正しいと思って……子供を殺して……」


 その震えはどんどん強くなっていく。


「それから……お母さんを……殺した……」


「ロッティ、命令だったんだ、仕方がない」


 アルフレッドも思わず声をかけた。

 セシリアもエッツォも、心配そうに覗き込む。

 流れる涙はみるみる流量を増す。


「あたしそのあと……女の人……殺した……」


 エクスニューロを握りしめている左手の関節が真っ白になっている。


「女の人、抱いてた……あたし、全員殺さなきゃって思って……殺した……あれは……」


「もういい、もう思い出さなくていい!」


 アルフレッドはとっさに強く彼女の肩を掴む。


「あたし……赤ちゃん殺した……赤ちゃん……ああ、あああ、ああああああああああああああああああ!」


 シャーロットの絶叫が部屋に満ちた。


 誰も、それを止められなかった。

 彼らも、その光景にショックを受けていたから。

 それを淡々とこなしたシャーロットに。


 その本人が、我に返って悲鳴を上げることを、誰に止められるだろう。


 悲鳴を上げながら、シャーロットは抱いていたアユムを振り払い、肩にかかっていたアルフレッドの手から逃れた。

 立ち上がると、部屋を走って横断し、自分の荷物に手をかけた。

 ミネルヴァを出るときに持っていた荷物。


 あの中には――。


「おい、やめろ!」


 嫌な予感がしたアルフレッドは弾けるように飛び出し、シャーロットの肩を掴んで後ろに引き倒した。

 その手には、すでに戦闘ナイフが握られていて、自らの喉に突き立てようとしていた。

 男の全力でその手首を喉から遠ざけ、自分の手が切れることも構わず刃身を掴んでナイフをもぎ取った。


 同じように飛んできたアユムとエッツォも、もがくシャーロットを両側から押さえつける。アルフレッドもばたつく両足に体重をかける。

 セシリアは一歩も動けず、震えながら泣いているだけだ。


「いやあああああああああああああああ!」


 泣きながらもがき暴れるシャーロット。


 アルフレッドは、それを抑えつけている以外、何もできない自分に腹を立てる。

 どうしてあの時、自分の身を射線に放り出してでも止めなかったのか。

 あと少し手を伸ばせば、エクスニューロをもぎ取るくらいのことは出来たんじゃないのか。


 なぜ。


 結果は、狂ったシャーロットと、何もできない自分。


***


 あたしは、なぜあれを人だとすぐに分かったんだろう。

 武器を持って立ち向かってくる敵だと認識できたんだろう。


 あんな小さな赤ちゃんを。

 あたしは。

 殺してしまった。


 どうして、ちっともおかしいと思わなかったの?

 ……今だっておかしいと思ってないの?


 なのに。


 どうして両目から涙があふれるんだろう。

 どうしてあたしの喉は悲鳴を止めてくれないんだろう。


 逃げたい。

 逃げなきゃ。


 あんな恐ろしい人間がいるなんて。

 ……どこに?


 ああ。


 すぐ、そばに。


 恐ろしい殺人鬼が。

 殺人鬼があたしをねらってる。

 あたしのすぐそばで。


 いやだ、あたしは死にたくない。


 殺さなきゃ。

 殺さなきゃ、殺される。


 ――死にたくない。

 殺さなきゃ。


 ああ、あそこに。

 それを殺す武器がある。

 誰にも邪魔されないうちに。


 ――。


 そう、これ。

 これで一突きすれば、それを殺せる。

 殺さなきゃ、殺されちゃう。


 っ。


 誰、邪魔をするのは。

 誰、あたしを押さえつけるのは。


 邪魔しないで。

 あたしは死にたくないの!


 死にたくないって言ってるのに!

 早くどいて!

 殺されちゃう!


 あたしだけじゃない!

 みんなみんな殺されちゃうのよ!


 いやだよ……死にたくないよ……。


 お願い、どいて……。


***


「お願い、どいて……アル」


 ようやく彼女の口から、言葉らしいものが出てきた。

 刃身をもったまま、そこから血をしたたらせているのも気にせず、アルフレッドはそれをシャーロットに示し、


「……もう、こんな真似はしないな? だったら、どく」


 それを見たシャーロットは、再び何粒かの涙をこぼす。


「やだ……死にたくない……」


「じゃ、やめるんだな」


「殺されちゃう……」


「もう僕らはミネルヴァを逃げ出した、もう大丈夫なんだ」


「殺人鬼がいる……あたしを殺しに……」


「そんなものはいない!」


「いるよ……ここに……殺さなきゃ、殺されちゃう……」


 彼女の言葉に、ようやく四人は彼女の心の内を察した。


 自らの行いを信じられず、別の殺人鬼として投射している。

 そして、その投射先を殺して安心を得ようと。

 誰よりも臆病で怖がりな彼女だからこそ、そんな結論を出してしまったのだろう。


 ただの錯乱と言うには、あまりに冷徹な結論。


 エクスニューロがそうさせたのか。

 エクスニューロとは一体何だ?

 再び、その疑問が、アルフレッドの頭の中で首をもたげる。


 その時、その雑居室の扉が開いた。

 騒ぎを聞きつけた宿舎の管理官が戸の隙間から顔を出す。


「どうした」


 言ってから、アルフレッドが血まみれの手でナイフを持っているのに気が付く。


「おい、動くな」


 管理官は、すばやく銃を構える。


「彼は大丈夫、この子が錯乱して、自傷行為を。彼はそれを止めただけ」


 アユムが簡潔に状況を説明する。


「急いで鎮静剤をお願いします」


 エッツォが頼むと、状況を察したのか、管理官はあわてて飛び出していった。


 カチリ、と小さな音がしたのでアルフレッドが視線を移すと、泣きながらエクスニューロを取り外しているセシリアだった。


「もういやです……どうしてこんな……もういや……」


 ぐすんぐすんと鼻を鳴らし、外したエクスニューロを、力なく床に取り落とした。

 樹脂の音を響かせ、床に跳ね返ったそれは、静かに床に横たわった。


 泣きながらもがくシャーロット以外の誰もが、それに視線を奪われ、動けなかった。


 やがて入り口が開き、白衣を着た医務官らしき男が四人、どかどかと入ってくる。


「はい、離れて」


 的確にシャーロットの四肢を押さえつけ、一人の白衣が三人に命ずる。三人は素直に従い、一歩下がる。


「バイタルチェック準備、鎮静剤静注、急げ」


 一人がさらに体重をかけてシャーロットの左腕の押さえつけ、もう一人が手早くそこに注射する。


 わずか十秒ほどで、もがいていた彼女の体から力が抜け、手足が投げ出された。

 それは、死体と区別がつかなかった。


 アルフレッドはそれをぼんやりと眺めていたが、ふと右手に触るものがあるのに気付く。

 医務官の一人が、彼の右手をとり、彼も意図を理解してナイフを手放した。

 その右手は、手早い止血と、感染防止の処置が施され、あっという間に包帯でぐるぐる巻きにされていた。


 シャーロットは担架に乗せられて出て行くところだった。

 無理もあるまい。

 当面は、入院措置が取られるだろう。


 医務官たちが出て行って静寂が戻ると、急に力が抜け、アルフレッドもその場にへたり込んでしまった。



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