魔術師の狩り。
ギイィと、建付けの悪い木製の扉の音を感じながら建物の中に入る黒髪の少年、天見礼斗。
ここは、異世界リーンセフィアで『ギルド』と呼ばれる仕事場だ。ここでは様々な依頼を受けることができる。その種類は幅広く、近所のお手伝いから賞金首の捕獲、凶悪な魔獣の討伐。しかし、難易度の高い依頼を受けるにはそれ相応の実力が必要となる。そのため、ギルドの依頼には何段階かのランクがあり、そのランクごとに指定されたランクに到達していなければ依頼を受注することができない。
ランクは全部で十段階。低い順にF、E、D、C、B、A、S、SS、SSS、と言った具合だ。
「何か適当な依頼無いかな~」
さて、この全身から微塵のやる気も感じさせない黒髪の少年、礼斗。彼も一応このギルドに属している人間だ。
三年前に地球からこの世界にとばされた礼斗は二年間この世界の事を調べ、一年前にこの国に辿り着いた。つまりギルド一年目の新米になる。
ギルドに入る新米には二通りの人間がいる。一つは完全な初心者。戦闘経験が全くないど素人だ。二つ目は経験者。傭兵や騎士のように元々戦闘経験があった人間が突然それらを辞め、ギルドに入るという話も珍しくない。後者の場合は当然前者よりもランクが上がるスピードが速い。一年あればBランクまでいけるといわれている。元の世界で魔術師として魔術連盟からの指令をこなし、この世界を一年間旅してきた礼斗はもちろん後者だ。しかし、彼のランクは一年たってもBに到達することは無かった。それどころか、Bに遠く及ばないランクだ。
「どれにするかな……」
礼斗が今立っているのは依頼掲示板の前。ここに掲示されている依頼から自分のランクに見合ったものを選び受付に持っていき、受注するという流れだ。
ちなみに、異世界にもちゃんと受付嬢というものがいた。
「薬草採集……これでいいか」
掲示板から一枚、張り付けてある依頼書を取り再び内容を確認する。
礼斗が目を付けたのは薬草の採集。主に街の診療所などから来る依頼で、比較的危険な魔獣もいなく、初心者が安心して依頼をこなせるような場所にある薬草だ。そのため、やはりこの手の依頼を受けるのは殆ど初心者。礼斗が手にした依頼書にもランクFと記載されてある。
「すいません。受注お願いします」
薬草の採集の依頼書を受け付けまで持っていき、受付嬢に渡す。その依頼書を受け取った受付嬢は依頼書と礼斗の顔を何度か見比べて、眉間にシワを寄せながら短く嘆息した。
「ハァ、レイト君。またなの?」
「いやー、はっはっは」
礼斗に対して親しげに話しかけてくる紅い髪の受付嬢。彼女の名はシルフィア・カーレス。礼斗がこのギルドに入った頃からの顔なじみで、いつもランクFの依頼ばかり受けて自分のランクを上げようとしない礼斗を気にかけてくれている人だ。
礼斗よりも二つ年上で、幼いころからこのギルドを手伝っているとか。
シルフィアは礼斗に呆れた視線を向けながら話しかける。
「あのね、このギルドのランクは自分のランクよりも一つ高い依頼をこなさないと上がらないのよ?」
「知ってますよ?」
「で、今のレイト君のランクは?」
「Fですね」
「冒険者になってから一年目だよね?」
「そうですね」
「しかも戦闘経験があるんだよね?」
「はい」
「……ハァ~」
シルフィアは大きくため息をつく。そして間髪いれずに立ち上がり、受付のカウンターを両手で思い切りダンッ!、と叩いた。
「やる気あるの!? 一年たってもランクが一つも上がらないってどういうこと!?」
「いや、やる気はありますよ?」
「嘘! 大体、素人ならともかくキミは戦闘経験者でしょう!? 百歩譲って素人ならまだ一年でランクが一つも上がらなくても、まぁしょうがないしましょう」
「はあ……」
「でもね、君は戦闘経験者でしょう? な・の・に! どうして一年たってもランクが一つも上がらないの! やる気がないとしか思えないわよ!」
そう、シルフィアの言うとおり礼斗のランクはF。最低のランクだ。
このFランクというのは一種のレッテルにもなりうる。素人がこのランクならまだ分かるが、一年もたってくると卑下の対象になってしまう。
戦闘言経験があるにもかかわらず、まともに依頼をこなさず、ただ適当に低ランクの依頼を受けて、たまに少し報酬が高い依頼を受け、食いぶちをつなぐ。幼いころからこのギルドで働いてきたシルフィアにとって、それは許しがたい事だった。
「まったく、もう少し他のメンバーや栄光の四柱の方たちを見習ってほしいものね……」
「スラヴァ・フォース……?」
聞きなれない単語に対してつい、訝しげに眉を細めて聞き返してしまう。しかし、シルフィアが、まさかといった表情を浮かべたのを見て、聞き返したことを後悔する。
「まさか……栄光の四柱も知らないの!?」
「いや、まぁ……はい」
「もう、本ッッ当に呆れた! うちのギルドで四人しかいないSSSランクの冒険者よ!? 本当に知らないの!?」
「……面目ない」
礼斗は頭をかきながら申し訳なさそうな表情で頭を下げた。そんな礼斗冷ややかな視線を送るシルフィア
「まったく。一度しか説明しないからよく聞きなさい」
「いや、別に説明してもらわなくても……」
「き・き・な・さ・い!」
「……はい」
シルフィアの有無を言わせないような気迫に圧倒された礼斗は、彼女に従うしか選択肢がなかった。
「いい? このギルドで四人だけのSSSランクの冒険者。彼らのことを私達は栄光の四人と呼んでいるわ」
「それはさっきの話の流れ的に分かってますよ」
「黙って話を聞きなさい」
「はい」
「コホン、じゃあ続けるわね。四人はそれぞれ『緋色の魔眼』、『燃え盛る双炎』、『鬼神』、『漆黒の幻影』。これらの異名で呼ばれている……って、どうしたの? いきなり笑いだしちゃって」
「い、いや……何でも……無いですよ?」
シルフィアが栄光の四人について説明していた時、礼斗は突然腹を抱えて笑いだした。それもそのはず、彼女が口にした異名とやらは礼斗が元いた世界ではいわゆる中二病というガテゴリーに分類されるかのだ。
「クククッ……。い、いやさ。俺も一応魔術師だったから二つ名とか異名とかには慣れてる方だと思っていたけど、クッ、ハハハハッ! いくらなんでも中二すぎるだろ!」
遂に耐えきれなくなり笑いが口から洩れてしまった。
元の世界の事など知らないシルフィアは礼斗が何故笑っているのか分からずにオロオロし始める。
「ちょっ、どうしたの礼斗君? いきなり笑いだして。ていうか、まじゅつしとかちゅうにってなんのこと?」
「あっ、き、気にしないでください! ただの独り言ですから!」
つい漏らしてしまった自分の素姓。礼斗の言っている内容を理解できる人物が居ないにしても下手に詮索され、万が一ばれたときが面倒だ。
「そ、そう? それなら良いけど」
「大丈夫ですから続けてください!」
「わ、分かったわよ……で、彼らが挑んでいるクエストの大半がSランク以上。最高ランクの保持者達は優先的に高ランクの依頼が回されて、ギルドマスターから直接指名されて依頼を受けることもあるのよ」
「えっ、直接ですか?」
先ほどまでのふざけた雰囲気はいざ知らず、真剣な顔つきになり本気で驚いているようだ。そんな礼斗の顔を見て嬉しそうに話を進めるシルフィア。
「そうよ。ランクが上がればそういう事だってありえるんだからね。っていうか彼らもこのギルドの一員なんだからここに顔を出していれば一度は顔を見たことがあるはずよ?」
「見たことはあるかも知れませんけど他の冒険者の人にあまり興味が湧かなかったので覚えていませんね」
「もう、貴重なSSSランクが四人もいるんだから一人くらいの顔は覚えていても……って、四人じゃないかな?」
突然話の腰を折り、首をかしげるシルフィア。そんな彼女について行けず、眉をひそめる。
「四人じゃないってどういうことですか?」
「うーん、ギルド内ではSSSランクが四人とされているけれど、実は四人のうち『漆黒の幻影』さんを見た人は誰もいないのよねぇ」
「見たことがない? ギルドに所属しているのにその人の顔を誰も見たことが無いんですか?」
「ええ。SSSランクの冒険者は長期間の時間を必要とするような高難易度の依頼を受けているから、あまりギルドに顔を出すことはないんだけど、それでもSSSランクということもあってギルドに帰ってくれば皆が大はしゃぎするから自然と顔を覚えていくものなの」
でもねぇ、と呟き困ったような顔をして話を続ける。
「その人は特別。ある日突然このギルドに現れたの」
「ん? なんか話がよく見えてこないですね。顔を見た人がいないならどうしてこのギルドの人間だって分かるんですか? それに突然現れたっていうのは?」
礼斗の疑問はごく当たり前なものだった。話によると、その『漆黒の幻影』とやらを見た人はいないという。ならばどうして彼がこのギルドに所属していると分かるのか。彼の疑問は深まっていく。
「たしか最初に『漆黒の幻影』さんをを見つけたのは同じSSSランクの『鬼神』よ。彼女が高ランクの討伐依頼を受けて深手を負っていたとき、運悪く討伐対象が目の前に現れたらしいの。そこに偶然現れたのが『漆黒の幻影』さん。その人は現れるや否や討伐対象を一撃で倒したらしいわ」
「一撃で!? もうそいつバケモノじゃないですか。どうやったら高難易度の討伐対象を一撃で倒すことが出来るんですか……っていうか、『鬼神』って女の人なんですか? 名前からしててっきり男だと思っていましたよ」
眼を大きく見開かせ、あからさまに驚いたような声を上げる礼斗。
通常はSSSランクの冒険者といえども、高難易度の依頼には時間を要する。それは一日かも知れないし、一週間かもしれない。もしかしたら半日と言う可能性だってある。いずれにせよ、倒すのにはかなりの技術と経験が必要だ。それはSSSランクとて同じこと。しかし、一撃で倒したとなると話は別。そんな規格外な力を持っている時点ですでに礼斗の言った通りバケモノ、人間を辞めてしまっているかもしれない。
「本当に何も知らないのね……。『鬼神』はれっきとした女の子よ。多分、礼斗君とあまり歳も変わらないと思うわよ?」
「げぇ、俺と同年代でSSSランクですか? そいつもそいつでバケモノじみてるなぁ……」
「そりゃそうよ。SSSランクの人たちは皆規格外だもの。でも、そんな彼女でも深手を負った相手を一撃で倒してしまう『漆黒の幻影』さんは、もっと規格外かもね」
「なんか想像したくないなぁ……。あれ? じゃあ結局どうしてその『漆黒の幻影』さんがこのギルドの人間だってことが分かったんですか?」
「ああ、それはねギルドカードよ」
そう言って未使用のカードをプラプラとぶら下げながら見せてくる。そんな彼女につい聞き返してしまうい礼斗。
「ギルドカード……って、どういうことですか?」
訝しげに眉をひそめ、首をかしげる礼斗。そんな礼斗の疑問にはすぐに回答が出された。
「『鬼神』がね、見たらしいのよ。現れるや否や黒い何かを身に纏いまさに神速で駆けるその姿を。その時に見えたらしいのよ。『漆黒の幻影』さんのズボンのポケットからチラッと、うちのギルドカードがね」
「ああ、そう言うことですか。眼良いですね『鬼神』って人。よく戦闘中にそこまで見えるもんだ」
「まあ、SSSランクだし? それくらいは普通じゃないの?」
「普通……ねぇ」
SSSランカー達の規格外ぶりに驚きを通り越してあきれを感じ始めてしまった礼斗。
不意に「あっ」と、声を上げ、何かに気付いたような表情をする。
「なんでその人が『漆黒の幻影』なんて呼ばれてるか分かりましたよ。黒い何かを身に纏って戦い、一切その姿を見せない幻のような存在。だから『漆黒の幻影』なんですね」
「まあそんな感じよ。誰が言い出したのか、いつからかそんな異名がこのギルドで広まったのよ」
「そうなんですかー」
「なによ、まさかここまで話しておいて興味がないなんて言わせないわよ?」
カウンター越しに礼斗の胸倉をつかみ自分の方へ引き寄せながら睨みつける。
「ちょっ、止めてくださいよ! そんなこと一言も言ってないじゃないですか!」
「そう? ならいいんだけど」
その回答に満足したようで、胸倉を掴んでいた手を解放し、にこやかな笑みを浮かべる。
この変わり身の早さに改めて女性の怖さを感じさせる礼斗だった。
「と言うわけでこれ、行ってきなさい」
そう言ってシルフィアが目の前に突き出したのは一枚の依頼書。それも、先ほど礼斗自身が持ってきた物とは違ったものだった。
「シルフィアさん……この依頼書、さっき俺が持ってきた物じゃないですよね? しかもランクDじゃないですか」
「そうよ? 何か問題ある?」
「問題ありまくりですよ! どうして受注者の依頼を勝手に変えるんですか!」
「あなたさっきの話本当に聞いてたの? 栄光の四柱みたいになりたいなら少しでも自分のランクよりも上の依頼をこなさなきゃ」
「彼らみたいになりたいなんて一言も言っていないんですけどねぇ」
「ああもぅっ……!」
いつまでたってもランクを上げようとしない礼斗を見て腹が立ち、とうとう勝手に依頼を受理する証の印鑑を依頼書に押し、受注者名の記入欄にレイト・アマミと、殴り書きでつづった。
それを礼斗に押し付けて怒鳴るようにこう言った。
「この依頼を終えるまで帰ってくることは許しません! リタイアなんてもってのほか!」
「えぇ……」
無理やり依頼を押しつけられ、しかもそれを終えるまで帰ってこることを許さないという理不尽な横暴にげんなりとした表情を見せ項垂れる礼斗。本来ギルドの受け付けが勝手に受注者の依頼を変えるなど許されない。それは幼い頃よりこのギルドを手伝っているシルフィアが一番よくわかっていることだった。しかし、今回はそんな彼女も堪忍袋の緒が切れたのだろう。職権乱用まがいの事までして勝手に礼斗の依頼を変えたのだ。何としてでも依頼をこなしてから帰ってきてもらわなければ彼女としても困る。
「ハァ……。分かりましたよ。やります、やればいいんでしょう? この依頼」
「あ、やっとやる気になってくれた? お姉さん、素直な子は好きよ?」
「何が素直な子だよ。これで断ったら相当不機嫌になるくせに……」
「ん~? 何か言ったかな? レイトクン?」
「……いえ、何でも」
一見人当たりのよさそうな笑顔を浮かべるも、その実修羅が巣食っていると思わせるような雰囲気。逆らえば命はないと礼斗の魔術師としての勘が告げていた。
「行ってらっしゃーい!」
受理された依頼書を受け取り、ギルドを後にすると後ろの方からシルフィアの声がした。振り向くと、そこにはギルドの入り口でまるで我が子を見守るかのような優しげな笑顔で手を振ってくれている彼女が居た。
「仕事しなくていいのかよ」
と毒づきながらも、照れたような表情をしている礼斗。見送ってくれる人が居ると言うのはいつでも嬉しいものだ。
「行ってきまーす!」
まるで子供のように無邪気な笑顔で返事をした。
そして彼は今日の仕事へと足を急がせた。
――――――
「で、結局シルフィアさんは何の依頼を渡してきたんだ?」
依頼書に指定されている森を一人で歩きながらそんなことを呟いた。シルフィアにすごまれていたので指定された場所だけを確認し、他の内容は確認しないで勢いだけで飛び出してきてしまった礼斗。改めて渡された依頼書に目を通した。
「えっと、討伐依頼。討伐対象は、シルバーファング。数は5頭か」
その依頼書に一通り眼を通した礼斗は、何ともいえない微妙な表情をしながら「う~ん」と唸り始めた。
「シルバーファングかぁ……。 俺あの狼ども嫌いなんだよなぁ、群れで襲ってくるから立ちまわりにくいし」
依頼書のに指定されていた討伐対象はシルバーファング。その名の通り、銀色の毛を纏った狼だ。地球の狼とも酷似している。
基本的に5~6頭で群れをなし、敵とみなした相手には連携して攻撃を仕掛けてくる。初見の冒険者一人では、いきなり相手をするのは難しいだろうが、相手をしているうちに立ち回り方を自然に覚え、上手くすれば割と簡単に倒すことができる相手である。
ゆえにDランク。
初心者や、ランクを上げたての冒険者たちの育成用の相手としても有名だ。
「はあ~、めんどくさい事になったな」
礼斗としては適当に薬草を摘んで帰り、生活に必要な分だけの金額を稼いで食っちゃ寝の生活を満喫していたいところだが、どうも環境が悪い。彼の周りがそれを許さないのだ。
働かざる者食うべからずがモットーな宿主。勝手に自分の理想を押し付ける受付嬢。とても自堕落な生活を送ることのできる環境ではない。
「まあ、やるからには最後までやるけどね」
半ば強制とはいえ、一度受けた依頼だ。ギルドに依頼をするほど困っている人がいるのだ。それをわざわざ無下にすることもできまい。
「ん……?」
しばらく、黙々と森の中を歩きシルバーファングを探している時だった。どことなく不快な感覚に襲われた。正確には誰かに見られていると言った方がいいだろう。
「来たか……」
誰に言ったわけでもなく、小さくつぶやく礼斗。そう、シルバーファングの群れだ。
慣れた手つきでベルトからタガーナイフを引き抜き、臨戦態勢に入る。
「グルルルゥ……」
何処からともなく聞こえる獣特有のうめき声。いまだ姿を見せていないが、この近くに居ることは確かなようだ。
「来いよ、相手してやる」
まるで挑発するように軽口をたたきながら器用にナイフを手の中でクルクルと回す。
それでもシルバーファングは姿を見せない。この程度の挑発ではいかに獣といえど乗ってこない。彼らは森の狩人。じっくりと機会をうかがい、獲物が隙を見せるのを待ち確実に狩るのだ。
「ちっ、埒が明かないな」
しかし礼斗も魔術師。元の世界では修羅場と呼べるような場面を人並み以上にはくぐりぬけてきている。この程度の事では隙を見せるはずもない。このままでは互いにじり貧で時間だけが過ぎていくだけだ。
「仕方ないな」
そう言うと礼斗は臨戦態勢を解き、無防備な姿を晒した。わざと獣を誘い出すための作戦だ。これが人間相手であったならまず取らない行動であるが、相手は知性の低い獣。誘い出すにはそれで十分だった。
「グルアア!」
次の瞬間。案の定誘い出されたシルバーファングが礼斗に襲いかかる。
「ようやくお出ましか!」
礼斗に向かって飛びかかり、噛みつこうとするシルバーファング。口を大きく開け鋭利な牙を覗かせている。
しかしそこで慌てる礼斗ではない。ギリギリまで引きつけたところでタガーナイフを逆刃持ちにしてその刃の腹を噛ませる。
ギャアァン! と、金属と牙がこすれ不快な音を生み出す。
とびかかってきたシルバーファングをナイフでそのまま受け止めたため突進の勢いを押し殺すことができずに後ろへのけぞった。
「グラアアアア!」
そして狼の咆哮。この声は今受け止めたシルバーファングではない。後方からの鳴き声だ。
「二体目か!」
そう、一体目は誘導。最初のシルバーファングを受け止めている隙にもう一体が背後から奇襲をかけるという連携のようだ。さすがは森の狩人といったところだろう。よく連携が出来ている。しかも、最低でもあと三体は何処か茂みに身を潜めているのだからタチが悪い。
「チッ!」
挟み撃ちになるのを避けるため、タガーナイフを手放して前方へ転がり回避行動を取る。
「ギャン!」
礼斗がその場から消えたため、突進の勢いを殺すことができずにタガーナイフを噛んだままの仲間と衝突を起こす。なんとも間の抜けた声を上げ、二匹ともへたり込んでしまう。
「グ、ガアアアア……」
「ガルルルルルアァ……」
何とか立ち上がろうとする二匹のシルバーファング。だがぶつかったときの衝撃で二匹とも気絶してしまっている。
「とりあえず二匹の戦意をそぐことは出来たかな」
ぐったりと倒れ込む二匹を見てそう呟く礼斗。片方のシルバーファングが口にくわえているタガーナイフを回収する。
だがこれで終わりではない。さっきも言った通り、あと三体がこの周辺に潜んでいるのだ。
「んー、使わなくても大丈夫だとは思うけど、一応保険をかけとくか」
礼斗は再び臨戦態勢に入りながら周囲に気を配る。
そして紡がれる―――
『今ここに誓おう 天壌の守人にならんことを―――
ここに証を この身に祝福を――― 』
その口から紡がれる魔術の詠唱。
彼を魔術師たらしめる最たる理由。
そして彼が唯一使える魔術の系統だ。
『落とされた祝福』
礼斗がその魔術の名を口にした刹那、体の表面から淡い赤色の光を放った。
これは身体強化の魔術。元いた世界では初歩中の初歩として扱われているよな、魔術師ならば誰でも会得している魔術である。
しかし、そんな魔術であっても礼斗にとっては唯一使うことのできる魔術。
「ふぅ……」
赤い光がおさまると、一度呼吸を整える礼斗。先ほどまでと違い、かなり好戦的な雰囲気を纏っている。そしてその好戦的な雰囲気に呑まれたのか、茂みに居るはずの残り三頭が雄叫びをあげながら一斉に襲いかかってきた。
『グルアアアアアアア!!』
三方向から同時に襲い来るシルバーファング。そのうち二頭は同じような大きさだが、一頭だけ他の四頭とはふた回りほど体格の大きいやつが居る。恐らくその群れのリーダーだろう。
「遅いな……」
しかしそこで慌てる礼斗ではなかった。
身体強化の魔術が施された彼は通常の約1.5倍の速度で移動する事が出来る。その運動能力を駆使し、まずは一回転。体を360度時計回りに回転させながらタガーナイフでシルバーファングたちの顔面を抉っていく。
「ふっ!」
思い切り腰に力を入れ体をひねる。
すると人間離れした速度で体が回転。タガーナイフが銀色の軌跡を描く。
『ガギャアア!』
礼斗のタガーナイフは狙い通り顔面にを抉り、シルバーファングは地面にひれ伏した。しかしそれでもまだ軽傷。顔に傷をつけた程度では獣の戦意はそがれない。
「グ、ガガアアアア」
予想通り。間髪いれずに一頭のシルバーファングが立ちあがってきた。やはり最初に立ちあがったのは他の四頭よりも巨躯なリーダーだった。
「流石だな。だてに群れのリーダーをやってるわけじゃないか」
その様子を見ながらも余裕の態度を崩さない礼斗。その余裕がシルバーファングの神経を逆なでするとも知らずに。
「グルラアアアアアアアア!」
怒りで我を忘れ考えなしで飛び込んで来る群れのリーダー。そのせいで先ほどよりも早く駆けてくる。しかし―――
「だから遅いんだよ」
礼斗がそう呟いた時。リーダーのシルバーファングは礼斗に腕で身体を貫かれながら絶命しようとしていた。
「グ……ガッ……」
苦しそうに呼吸をしながら血を噴き出した。しかしそれ以上に礼斗に貫かれた部分の方が酷い。
腕は完全に内臓を突き破り、背中から飛び出し、その腕はシルバーファングのちで紅く染まっていた。
まさに一瞬。
身体強化でドーピングを施されたその肉体は刹那の時間で襲い来るシルバーファングとの間合いを詰め、腹部を下から抉るように手で突き刺す。
しかし、いくら身体強化をしたといえど通常ならば獣の肉体を素手で貫通することなどまず不可能だろう。だが礼斗にはそれが出来る。
「悪いな、お前らを殺さないと今日は帰れないんだ」
そう言って一気に貫いた腕を引き抜く。
栓を抜かれたシルバーファングの身体はドサッと、地面に横たわり、傷口からは夥しい量の血液止めどなくが流れ出している。
そして礼斗は引き抜いた自分の腕に目をやる。
「相変わらず見れたもんじゃないなこれは」
そう呟き、彼の眼に映る自らの腕。
彼が落胆したのは自分の腕が獣の血で紅く染まっていたからではない。
「ほんと、醜いよなあ……」
獣よりも鋭い爪、およそ人間とは思えないほどごつごつした手。そこから伸びる腕の造形も手に合わせたように禍々しく出来上がっていた。
血が付着していない部分から覗くのは黒い皮膚。色だけではなく、質感さえも見ただけで分かるほど刺々しい。
礼斗が素手で獣の肉体を貫ける理由。
それは呪いを受けているからだ―――