魔術師の三年後。
「レイトさーん。起きてくださーい。もうお昼ですよー」
ドンドンと、ドアをたたく音と共に少女の明るい声が耳に入ってくる。
少女が叩いているドアの部屋の宿泊者。天見 礼斗は少女の声に反応して布団の中でもぞもぞと身動きをした。
「う~ん……」
髪はボサボサの寝癖頭で、眠そうな目をこすりながら仰向けになり、ゆっくりと体を起してゆく。
「レイトさん? 入りますからね?」
そう言って少女は思い切りドアを開け、礼斗の宿泊している部屋に侵入した。
部屋の中は酷いもので、脱ぎっぱなしの衣類や何に使うのかもよくわからなガラクタがそこらじゅうに散らかっていた。それを見た少女は肩を落としてため息をついた。
そんな少女を見た礼斗は布団の中でボケーっとしながら話しかける。
「あ、おはよーフィナちゃん」
「おはようございますの時間はとっくに過ぎてますよレイトさん」
礼斗を起こしに来たこの少女の名はフィナ・アメリア。栗色の髪の毛と可愛らしい顔立ちが特徴の少女だ。
礼斗が宿泊している宿の一人娘で、看板娘でもある。
「もうちょっとシャキッとしてくださいよ。レイトさんも冒険者でしょう?」
「あははは。ちょっと昨日の依頼が結構きつくてね。ついそのまま寝ちゃったんだよ」
よっこらせと言いながら布団から出て立ちあがるレイト。その姿はまるで歳よりに見えてしまう。
「まったく。朝ごはん食べてないのは宿泊している皆さんの中でレイトさんだけですよ?」
「えっ? マジで? 皆何でそんなに早いの?」
「仕事に行かれたんですよ! レイトさんも早くご飯食べてちゃっちゃと仕事してきてください!」
そう言うと、フィナは半ボケの礼斗の腕を強引に引っ張り、部屋から連れ出して一階の食堂まで引っ張って行った。
「すぐご飯持ってきますからここで待っていてください!」
食堂の椅子に座らせ、厨房の方へと去っていく。
「おかーさーん! レイトさん呼んできたよー!」
厨房の方からフィナの声がする。どうやら礼斗のことを呼んで来いと言ったのフィナの母親のようだ。
「今飯持ってくから待ってなー!」
厨房の奥の方から女性の声がする。フィナの母親のものだろう。
ややあって、何やら食欲をそそる臭いがしてくる。
「やっと起きたかこのろくでなしめ」
礼斗の朝食と思われる食事をトレイに乗せて運んできた女性。
ここの宿を経営しているミーナ・アメリアだ。フィナの母親でもある。
「あ、おはようございますミーナさん」
「もうおはようの時間はとっくに過ぎちまったよ」
「あはは、それフィナちゃんにも言われましたよ」
反省の色が全く見えない礼斗にため息をつき、礼斗の目の前に食事の乗ったトレイを少し乱暴に置くミーナ。
そんなミーナを見た礼斗からはばつの悪そうな笑いが聞こえる。
「ほら、それ食ったらとっとと仕事に行きな。いつまでも寝てるような奴をうちの宿に置いとくつもりは無いんでね」
「一か月分前払いしてるんですけど……」
「何か言ったかい?」
「いえ、何も……」
ミーナにすごまれて口をつぐんでしまう礼斗は渋々朝食を食べ始めた。
焼きたてのパンが二つに、野菜と肉を煮込んだシチュー。そしてリンゴのような果実が一つ。それが本日の朝食であった。
「いただきます」
両手を合わせ一礼。
目の前に置かれた食事に感謝の意を表す。
「あの、レイトさん。前から気になっていたんですけど、それは何なんですか?」
丁度朝食に手をつけようとした時だった。横からひょこっとフィナが現れたではないか。
いつの間に礼斗の近くに戻ってきたのかは知らないが、素朴な疑問をぶつけられる。
「ん? これって、合掌のこと?」
礼斗は両掌を合わせた自分の手に目をやる。
「そう、それです。あと、レイトさんがご飯を食べる前に言うイタダキマスってどういう意味なんですか?」
ああ。と言って礼斗は納得したような顔になる。
やはり世界が違うと文化も違うんだなあと、しみじみ感じさせられる。
「それはアタシも気になってたんだよねぇ」
ミーナが言う。
「これはですね、合掌って言って、食べる前に食事を作ってくれた人に対して感謝の気持ちを表す時に使うんですよ」
「じゃあ、イタアキマスって言うのはどうしてですか?」
「こっちには二つの意味があって、さっきも言った作ってくれた人への感謝の気持ちと、もう一つは食材に対しての感謝かな?」
「食材対しての感謝?」
フィナが不思議そうに首をかしげる。
「うん。俺が住んでいた国では食材にも命があるって考え方があって、それを自分の命にさせていただきますってことで、感謝の気持ちを込めていただきますって言うんだよ」
「へぇ~、そうだったんですか」
フィナが納得したように頷く。
「そういえばレイトさんって東の方の国の出身でしたっけ?」
その質問に若干眉をひそめる礼斗。
普通ならば誰も気づかないような表情の変化だが、その瞬間をミーナは見逃さなかった。
「ああ、そうだよ。ここから結構離れているから知ってる人はあまりいないんじゃないかなぁ……」
「そっかぁ。私も一回行ってみたいなー」
思いもよらない質問に内心穏やかではない礼斗。何故なら、礼斗が東の国の出身ということは全くのでたらめだからである。
そもそも礼斗はこの世界の住人ですらない。なるべくそのことは他人に悟られたくない。
「まあ、そのうち行けるよ」
適当に誤魔化したためか、フィナは不満そうに頬を膨らませて去って行ってしまった。
「ま、あんたが言いたくないなら無理に聞こうとはしないけどね」
母親のミーナも厨房の方へと戻っていく。
(なんかミーナさんにはバレてる様な気がするんだよな……)
シチューをスプーンですくい、口に運ぶ礼斗。
ここの宿の食事はいつ食べても美味しい。
(たまに俺の事観察するような目で見てくるし。あの目は絶対に元冒険者だろうなぁ)
そんなことを考えているうちに、あっという間に食事を食べ終えてしまう。
「ごちそうさまでした」
食べる前と同じように、両掌を合わせて一礼。
「それじゃあ、そろそろ行くかな」
テーブルから立ちあがり、空の食器が乗ったトレイを厨房の方まで運ぶ。
「ミーナさーん。食器ここに置いておきますねー」
厨房の前にあるカウンターにトレイを置きながら言う。
「あいよー。食ったらとっとと仕事に行きなー」
「分かってますよー」
仕事の準備をするため、一度自室に戻る礼斗
「ふぅ……」
自室に入り、ベッドに腰をつく。
「そろそろ三年か……」
自然とその言葉が口から出てしまう。
三年前、中学二年生のとき礼斗は地球から異世界リーンセフィアに飛ばされてしまった。
原因は未だにわかっていない。よくある勇者召喚とやらに巻き込まれたわけでもなく、唐突に森の上空に落とされてしまった。
もちろん、三年間の間に色々とこの世界の情報を集め地球に帰る方法も探した。しかし、これといった手掛かりはなく、唯一それらしきものと言えば礼斗がリーンセフィアに飛ばされるときに連れて行かれた謎の空間と、脳に直接響くようなこえだった。
各地の伝承や遺跡を巡って手掛かりを探したこともあった。だが、あの黒い空間や声については何一つ分からなかった。
結局、何の手掛かりもつかめないまま三年間を過ごしてしまったのである。
「本当だったら高校二年生か……」
そう、この世界に来たのが三年前。その時礼斗は中学二年生だった。あのまま普通に過ごしていれば今頃は高校二年生として高校に通っていたのである。
中学の卒業式も出れずに三年を過ごしてしまった。
「皆どうしてるかな……」
頭の中に浮かぶのは魔術連盟の仲間や親友。そして――
「先生……」
先生。
それは礼斗にとって学校の教員ではなく、特別な人の事を指す。
礼斗の言う先生とは、ある事故で家族を失った自分を引き取り、育ててくれた恩人のことだ。
魔術もこの人から教わり、この人との知り合いをきっかけに魔術連盟などの裏の世界に身を投じることとなった。
「帰りたいなぁ……」
ベッドに身を預け、片腕で瞼を覆いながら、絞り出すような掠れた声で言ったその願いは叶えられることなく虚空へと消えた。
「レイトさーん! ご飯食べたんだから早く仕事行ってきてくださいよー!」
そんな礼斗の事などお構いなしに、フィナの陽気な声が厨房の方から聞こえてきた。
少し赤くなった目をこすり、ベッドから立ち上がる。
「分かってるよー!」
返事を返し、仕事に行く準備を始める。
ズボンをはき替え、ベッドの横に落ちている黒いジャケットを拾う。
「このジャケットもよくもつなあ」
拾ったジャケットを羽織りながらしみじみとそう思った。
この黒いジャケットは礼斗がこの世界に来る前からずっと愛用している服だ。
礼斗が先生から、魔術の仕事用にと、中学の入学祝に貰ったものだったが、当時は大きくてぶかぶかだったため、あまり着ていなかったが、三年たった今では丁度いい大きさだ。
「じゃあ行くか」
身支度を終えて礼斗は自分の部屋を後にする。
「フィナちゃーん。いってくるねー」
一階に下り、食堂で掃除をしていたフィナに声をかける。
「はーい! 行ってらっしゃーい!」
元気な返事と眩しい笑顔を礼とに向けて送り出す。
ここの宿に泊まっている者たちにとってはこれがないと始まらないのである。
「さて、行きますか」
そう言って宿を後にした。
このとき、天見礼斗はまだ知らない。
自分がこの世界に誘われた意味を。
しかし、本日をもって歯車は動きだす。
世界は勇者によって救われる。
主人公の過去と三年間の事は追々書いていくつもりです。