魔術師は飛ばされる。
夕焼けが街を橙色に染め、良い子はお家に帰る時間。そんな中、人気の少ない道を一人で歩いている黒髪の寝癖を立てた少年。この街の中学に通う天見 礼斗もまた、そのうちの一人だった。部活に入っていない彼には授業が終わると、そのまま家に帰り至福の時を満喫できるという特権がある。
「あー、ネトゲやりてー」
礼斗はいわゆるネトゲ廃人と言う奴だ。中学に入り、親しい友人に勧められてからというもの、三度の飯よりネトゲ。ネトゲ三昧の毎日を送っている。
「課金装備欲しいな……」
しかし礼斗は無課金ユーザー。少なくとも、成人するまでは課金するつもりは無いのである。課金したら負けと思っている人間だ。
「よし、今日も頑張って徹夜するか!」
ただでさえ成長期の中学生が、本来徹夜などするべきではないのに、勉強するわけでもなく、ネトゲをするという理由で徹夜を決意する姿はまさにニートのそれである。
「そうと決まったら早くかえ……ん?」
中学生にあるまじき決意を胸に秘め、家路を急ごうとした礼斗。しかし、そこである異変に気付く。
「これは……魔力? 先生か? いや、この時間にはもう先生は酒飲んでるから魔力なんて使わないはずだしな。じゃあこの魔力はいったい?」
先ほどのネトゲ廃人発言が嘘のように冷静になり、鋭い眼差しをしていた。
しかし彼の発言はネトゲ廃人よりもひどい。真剣な顔で魔力だとか言っている人間をはたから見れば中二病にしか見えない。
「しかもなんだこの魔力? 今まで感じたこと無いぞ」
その場で立ち止まり、不可解な現象に思考を巡らせる礼斗。
しかし、状態は礼斗に考える暇を与えない。
時は残酷にも過ぎゆく。
「これはっ……!?」
刹那、礼斗が立っていた場所の周りが崩れ始める。否、その場所だけではない。そのとき礼斗が見ていた建物、動物、人、道、景色。目に映るもの全てが、まるで何かに溶かされるようにドロドロと崩れ落ちゆく。
「おいおい、冗談きついだろ……」
その光景を目にしてただ唖然とすることしかできない。
目に映るものが真実とは限らないとは誰が言った言葉か。
「ハハ……誰か教えてくれよ……」
顔を引きつらせ、まるで世界の終わりを目にしたように絶望した表情を浮かべながら、礼斗は言う。
「これはどっちなんだよ……」
上下左右、三六〇度全てが溶かされ、何もない真っ暗な空間が何処までも広く続く。
何もない。何も聞こえない。ただひたすら闇が支配している空間。
「どこだよここは……」
真っ暗な空間に一人佇む礼斗。何が起こったのかも全く分からないまま、不安と恐怖心に煽られる。
「そうだっ! 携帯を!」
制服のポケットに手を突っ込み、乱暴に中をかき乱して長方形の黒いスマートフォンを取り出す。そして電源スイッチをおす。ディスプレイは目に悪そうな光を放ち、ホーム画面になった。
「電波は……よかった。三本立ってる」
こんな暗闇であるにも関わらず、圏外ではないようだ。
そのことを確認した礼斗はホーム画面でパスワードのロックを解除し、電話帳から親しい人間の番号を選択し、電話をかける。
『…………おかけになった電話番号は、現在電波の届かない場所にいるか――――』
「くっそ! 何で圏外じゃないのに電話が繋がらないんだよ!」
画面の表示を見る限りは電波が通じているはずなのに、いざ電話を掛けてみると繋がらないことに悪態をつく。
「ちくしょうっ!」
まるでおもちゃを買ってもらえない子供が八つ当たりするかのように携帯を入っていたポケットにしまおうとする。しかし、冷静さを欠いて乱暴にしまおうとしていたため、携帯はポケットに入らず、そのまま滑り落ちる。
「っとと」
床に落ちる前にそれ着気付いた礼斗は携帯を地面に落とすまいと空中で拾おうとする。しかしその努力はむなしく、携帯は地面に落ち、携帯のカバーが、カッとプラスチック音を鳴らす……はずだった。
「はっ!?」
携帯が地面に落ちるかと思った瞬間、礼斗は驚愕の表情を浮かべた。なんと携帯はそのまま地面に吸い込まれるかのように消えてしまったのだ。
「え? いや、おい。どういうことだよ」
体制を低く落とし、携帯が吸い込まれた地面の周りを手でなぞり始める。しかしそこは先ほどと変わらない、黒くて何もない地面。アスファルトを剥がされた地面しかなかった。
「これからどうすりゃいいんだよ……」
携帯を探すことを諦めた礼斗。両膝をつき、何もすることのできない絶望感にうなだれている。
そんなとき。
『やっと見つけたわ……あの方の予備タンクを……』
「え……?」
思わず立ちあがってしまった。
脳に直接響くような声が聞こえた。
透き通るような、慈愛に満ちた優しい声だ。
「何だこの声? 脳に直接? 洗脳形の魔術か?」
『ふふ。 残念ながら違いますよ」
「なっ!」
再び、脳に直接声が響く。
「おい、あんたは誰だ? この真っ暗な場所が何処か知っているのか?」
先ほどまでの弱音は何処へ行ったのやら、脳に直接響いてくる声に敵意を向けながら話しかける。
『流石ですね。魔法……いえ、そちらでは魔術でしたか。そのこととなると途端に冷静になり、脳の切り替えをする。やはり、あの方の……』
「おい、さっきから何をごちゃごちゃと、俺の質問に答えろ」
『ああ、そうでしたね、これは失礼いたしました』
脳に響く声は、何が楽しいのかクスクスと笑い始める。
状況を全く理解できていない礼斗にとっては不愉快この上ない。
「おい、一体誰だか知らないけどいい加減に―――」
『ああ、もう時間がないわ。残念だけどここでお別れみたい』
「は?」
『それじゃあ頑張ってね。あなたならきっと大丈夫よ。あの方の予備ですもの』
「お、おい! 俺の質問に――」
『いろいろ大変だと思うけどあなたなら大丈夫よ。応援してるわ』
ブツッ!
いきなり、通話を切られた時のような音が頭の中で響く。
その音を最後に謎の声は聞こえなくなってしまった。
「……何だったんだ」
礼斗の話を全く聞こうとしないあの声は何者なのか。何を伝えたかったのか。ここはどこなのか知っているのか。
何も分からないまま消えてしまった。
「ん?」
そこで礼斗はまたもやある異変に気付く。
光だ。
礼斗が立っている地面から一条の光が漏れ出していた。
「何だこれ?」
その光をよく見ようとする。すると――
ブワッ!
まさにそのような効果音が鳴り、光の出口は円状に広がり、何処までも続く真っ暗な空間に光が差す。
それだけではなかったそこに色がつく。
何処までも青い空が現れる。
「空? 戻れたのか?」
そう思ったのもつかの間。礼斗は光がさしていた地面に目を向ける。
そこにあったのは地面ではない。
「なッ……!」
思わず息をのむとはこのことだろう。
礼斗の眼下に広がっていたのは――
「なんっっっじゃこりゃあああああああああああああああ!!」
青々と生い茂った広大な森だった。
ちなみに、言うまでもなく礼斗はその広大な森へと身を投じていった。