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♯10を待ちながら。

作者: 藤田無徒

ブンガクジャンルを付けましたが、ブンガクではないかもしれません。


単純に、とある方の誕生日に贈った短編小説です。


読んでいただいた全ての方に、余裕の時間が訪れることを。

ただ、待つのが好きだ。誰かを、何かを。一人で本でも読みながら、じっと待っている時間が好きだ。無駄に持て余した空白のときを、空想で好き勝手に弄繰り回すのが好きだ。ちょっとした待ち合わせでも、誰かの来年の誕生日でも、ときめくような恋の約束でも、不安な成績の発表であっても。来るべきときが来るまで、ちくたくと秒針が進むのを、ひっそり見守っているのが好きで好きでたまらない。果報も悲報も、寝ながらでも働きながらでも立ち尽くしながらでも、とにかく僕は、何かを待っているのが大好きなのだ。

仮に待ちぼうけを食らったとしても、それはそれで構わない。僕が本当に好きなのは、訪れるであろう将来だとか未来だとかを夢想すること自体なのである。たとえその夢想が現実に打ち負けて、思っていたのとは違う事態と直面することになったとしても問題はないのだ。だって、僕が何かを待っていた間、その何かに対して抱いていた想像は、決して失われたりはしないのだから。夢想は誰にも奪われないのだ。

僕は先々に起こりうる、ありとあらゆる事象に期待を膨らませ、こうなってほしいと願う。よりよい世界を想像する。それは僕が、何かを待っているから出来る行為で、つまり僕は、何かを待っているかぎり、僕の中に至上の世界を創り上げられるのだ。

現実が過酷で、疲れ果ててしまい、もう動くのも嫌になってしまったとき、僕はその想像へと身を委ねる。瞼を伏せて、これまでに積み立てた仮想の桃源郷へと赴く。誰にも邪魔されない自分だけの世界。ただの空想と違うのは、この世界にはきちんとした現実感があるのである。何故ならその世界とは、細部に至るまで全て、僕が過去に思い描いた希望の重ね合わせで構成されているからだ。現実から発想を得た現実に近い世界だからだ。

そして、この僕の中の世界は、細やかな現実感の積み重ねであればあるだけ、僕に癒しを齎してくれる。

つまり僕は、全てを待つことによって、全てを想像して、全てが満たされた架空の現実を、常にこの身の横に持ち合わせていられるのだ。

だから今日、今このときも、僕は何かを待ち続けて、理想の明日を夢見続ける。待つことは無数の未来を描く。きっと、人が生きていくっていうのは、ひたすら何かを待ち続けていくことに他ならないんだ。



バーのカウンター席に腰掛け、僕は小さなスタンドクロックを見た。現在、二月二十五日の二十三時五十五分。僕が心待ちにしている、二月二十六日がやってくるまで、もう五分を切っていた。僕はマスターにお酒を注文する。タンカレーのナンバーテンをロック、ライムで。目の前には、既に空になったグラスがあった。仄蒼い照明を受けて、溶けかけの氷が淡い光を散らしている。今日の酒はこれでおしまいだ。次の一杯は、きっと明日にやってくるだろう。

ところで、僕のラッキーナンバーは十である。理由は至極簡単で、収まりがいいからだ。『十全』、『十分』と、十には『全部』に近いニュアンスがあるのも、その形がプラスと殆ど同じなのも好ましいし、その反面、『一から十まで』と、終わりを意味する場合もある潔さもいい。加えて二進法で表すと十は二となり、指で示せば僕の好きなブイサインとなる。とまあ、そういった諸々の理由から、ちょっと欲張りでポジティブな僕の性分によく合っている十が、僕のラッキーナンバーなのだ。

だから僕は、今日は趣向をちょっと変えてみて、タンカレーのナンバーテンを注文してみた。普段の僕はあまりジンを飲まない。大概、日本酒か焼酎を一人で飲んでいる。大勢で飲むのも嫌いじゃないが、やっぱり一人酒が気軽でいい。ぽつぽつとグラスに口をつけながら、自分の好きなものに関して、どうしてそれが好きなんだろうと思索に耽るのが、僕の趣味なのだ。例えばそれは、太宰治についてであったり、ロングピースについてであったり、夏の星空の孕んだ刹那の郷愁についてであったり、ラッキーナンバーについてであったり、今日のように、待つという行為についてであったり。日によってまちまちではあったが、誰にも邪魔されることなく、自身の嗜好について思いを巡らせられる一時は、まるで夢のようであった。更に、酒によって思考感覚が惚けていって、最終的に何となく、「ああ、やっぱり僕はこれが好きなんだなあ」と漠然とした満足な気分に浸り、本当に夢へと落ちてしまえたときの多幸感ときたら、中々それを上回るものはない。

時計の針が、規則正しく回る。少しずつ、今日を消し去って、明日を連れてくる。長針と短針が重なるまで、もうちょっとだ。氷が溶けて、グラスの中でからんと音を立てた。

二月二十六日を心待ちにしているのには、何のことはない、その日が僕の旧知との待ち合わせの日だからである。僕とそいつは幼少の頃に、毎年二月二十六日には会って話そうと約束を交わしたのだ。なぜ二月二十六日なのだと訊くと、そいつの好きな芸術家の誕生日が二月二十六日だから、とのことだった。

この約束は、僕が大学の半ばの頃までは守られていたが、ここ数年はというと、その旧友とは酒の一杯も交わせていなかった。それどころか最近の僕は、そいつの消息すら耳にしていない有様なのである。どうもそいつは、はたと風に流されてしまったかのように、どこかへと行ってしまったらしい。元々放浪癖のあるやつだったから心配こそしていなかったが、連絡を取れないのだけはどうにも困る。なんといっても、そいつとの頼りの綱になっているのは、この二月二十六日の約束だけなのだ。

だから僕は待っていた。そいつの顔を見られる明日を思い浮かべて。取るに足らない雑談で騒げる一瞬を期待して。待つのは好きだから、何ら問題はない。先に数杯飲んでしまってはいたが、まあそれくらいは許してくれるだろう。

店内はそこそこに人入りがよく、数組の談笑にブルースが交じって、陶然とした雰囲気を醸している。僕は呆けた顔でそれらに耳を傾けながら、煙草を銜えて火を点した。ゆらゆら、紫煙が揺れて僕の視界に霞を掛ける。ふと、秒針がゆがんで見えた気がするが、別にそれで時が止まるでもないのだ。ただ刻々と、二月二十六日が近付いてくる。

今年は会えるだろうか。験担ぎに、自分のラッキーナンバーの入った酒を頼んでみたりもしたが、そういえばあいつの好きな酒も、タンカレー・ナンバーテンだった。あまりにそればかりを注文するものだから、『ナンバーテンの人』と渾名されていたくらいだったほどだったのだ。たしか本人は、「単に二+二+六=十だから、名前に十の入った酒が飲みたいだけ」と言っていた記憶が、曖昧に残っている。

「はい、お待たせ」

煙草を三分の一辺りまで吸ったところで、注文していたタンカレーが運ばれてきた。無色透明のきつい酒に、鮮やかな緑色のライムが浮いている。きらきらと、特に色もないのにその液体は鮮やかで、どこか神聖さを帯びていた。おそるおそる口を付けると、すっきりした苦味と甘みが、すうっと口いっぱいに広がった。久しぶりの味だ。僕は妙な懐かしさに虚を衝かれ、気付いたら無意識に煙草を消していた。なるほど、今の煙草は酒の味の邪魔になるらしい。それならお望み通り、ゆっくりとこいつの味を楽しんでやろうじゃないか。

「タンカレーなんて珍しいね。いつもは焼酎ばかり飲んでいるのに」

僕がちびちびと飲っていると、手すきになったらしいマスターが話し掛けてきた。僕は口内に残っていた分をじっくり飲み落としてから答える。

「今日はね、験担ぎをする日なんですよ。だからまあ、たまにはこいつも悪くないかな、って」

「なるほど。ああ、そう言えばなんていったっけ、君の友人で、タンカレーが好きな人、いたよね? 最近見ないけど。元気にしているのかい?」

マスターの何気ない言葉に、僕は時計を流し見た。ぴったり、短針は長針の裏に隠れてしまっている。

「――さあ? まあ、殺しても死なないようなやつですから、きっと大丈夫でしょうよ」

「ひどい言い草だなあ、君も」

マスターは唇の端だけを上げる、彼特有のニヒルな笑みを浮かべて言った。事実だから仕方ない。僕は何となく、ぐっと残りのタンカレーを空けてしまい、グラスも氷もライムもそのままにして、二杯目を注文した。胃の辺りに、ぽっと火が点った風になって、僕は細く息を吐く。徐々に思考が解れて、想像力ばかりが膨らんでいく。

「おいおいペース早いなあ。大丈夫?」

「ええ。今日は特別な日ですから」

「……特別な日? 誰かの誕生日とか?」

「らしいですけどね。誰の誕生日かは忘れちゃいました」

肩を竦めておどけてみせると、ちょうど長針が、ほんの少しだけ十二を過ぎた。――やれやれ、二月二十六日のお出ましだ。

マスターの運んできた二杯目のタンカレーを持ち上げて、僕は一人でとりあえず、乾杯をしようとして――やっぱり、止めておいた。今日はまだ、二十三時間と五十何分も残っているじゃあないか。ただただ待つのが好きな僕なのだ、ここで乾杯をしてしまうのは勿体ない。二月二十六日が来たのなら、今度は二月二十六日の去り際を待つべきだろうさ。

「……大丈夫かい? 結構、酔ってるみたいだけど」

「ええ、まあ。でも、今日は、これでいいんです」

僕はグラスを掲げながら、彼の顔を思い描く。乾杯、とグラスを合わせる瞬間の彼の顔を想像する。シャイなあいつの、困ったと言わんばかりの顔がありありと浮かんできて、僕はくすりと笑った。待ち侘びているときの醍醐味を、僕は今、堪能していた。なあに、もし来なければ来なかったで、たったもう一年、待てばいいだけなのだ。もちろん僕には何の損もない。だって、待てば待つだけ、僕は自身の頭に、無数の未来を持つことが出来るのだから。

何かを待つというのは、僕にとって、傍らに理想の鏡像を積み上げる行為に他ならない。

人は何かを待っているから希望を携えて、今を生き続けていられるのだ。そうだろう?

さあさあ、待ってばかりでいい。僕はひっそりと、僕の今日を進めていこう。

「何だ、随分とご機嫌だね。本当にずいぶんと特別な日みたいじゃないか。女の子でも待ってるのかい?」

「まさか、そんなことは」

マスターの軽口に首を振って、僕はタンカレーを一気に飲み干した。グラスを高々と持ち上げてからグラスをマスターに手渡し、僕は珍しく、満面の笑みを作って言った。来るべきときと、茫洋とした可能性の数々と、方向性のない前向きさだけを、両手一杯に広げて待ち構えながら。

「僕が待っているのは、タンカレーのお代わりと――ナンバーテンの、あいつですよ」

楽しんでいただけたら幸いです。

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