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夏の終わり

作者: 雪羽 十縁

 ひっそりと静まった廊下に、西日がさして影ができて、ヒグラシの鳴き声が心地よく響いている。階段の踊り場には僕ともう一つの何かが腰かけていて、その二人以外の人の声は聞こえない。

彼女を表す単位を僕は知らないから、ここでは僕と同様に「人」と表現することにしよう。彼女は見た目においては人間の女性となんら変わりはないようだから、さして問題ないだろう。

言い直す。今、階段の踊り場には僕と彼女の二人の声しか聞こえない。

 彼女の素性は決して分からない。ただ、その存在はひっそりとこの学校の生徒の中に語り継がれていた。いつから続いているのかも定かではないが、ごくごくありふれた学校の怪談の中にそれは紛れ込んでいた。

怪談なんかを信じる人は今のご時世にはほとんどいない。信じない人が多いからこそ信じてみたい、というひねくれた発想の人がときどき現れるくらいに。だからこそ、彼女が実在するかもしれないと思った人もほとんどいなくて、興味本位で探してみようという僕のような人もまれにいた。

 彼女はずっと昔からこの学校にいる。姿はその時々によって多少変化するようだが、生徒と同年代の容姿をした女性である、という点は変化しないらしい。今の彼女の容姿は古めかしいものではなく、むしろ現代の生徒に近い。どうやら時代に合わせて変化しているようだ。

 彼女は影から湧いたように、いつの間にかそこにいる。そして、いつの間にかいなくなるのだという。

 彼女は長い休みの間だけ校内に現れる。年の初めから終わりまでの一年間でその姿を目にすることが出来るのは、この学校に通う生徒のうち一人だけらしい。そして、同じ生徒が別の年に彼女を見ることはありえないらしい。

「いつになっても、夏期休校中に学校が騒がしくなることはないわね。周辺はこれほどまでにさわがしいのに」

 この学校は、夏期講習まがいのことをするほど教育熱心ではない。なので、夏休み中に校内に頻繁に出入りする生徒も珍しい。それでも運動部の人たちはこの夏の暑い中、校舎の周りで精力的に汗を流している。

「もしこの学校の方向性が教育熱心なものにでもなって夏期講習のようなものでも始めようとしたら、君は数少ない表に出る機会をさらに制限されて困ってしまうだろうね」

「そうかしら。その時は私が表に出ることがなくなるだけよ」

 彼女はなんでもないことのように言う。

「へえ、案外そっけないね。まあ、当面はそんな心配すらないのだろうけどね」

「そう。どちらであろうと、私は特に何も思わないわ」

 日がさらに傾いて、彼女の顔が影に隠れる。廊下は相変わらず夕日の茜色に染められているが、影の占めている部分が確実に増えている。最近になって、日が落ちるのが早くなったと実感するようになってきた。

 夏休みが終わりに近づくとそれを残念に感じる生徒が多いことは、今も昔もそう変わらないようである。例にもれず、僕自身もこの貴重な期間が終わってしまうことが名残惜しい。

 残念がる気持ちの中には二つあるだろう。夏休み中にやりたいことをし切れなかったからもっと時間が欲しい、というものと、直前に迫った夏休み明けの授業から逃げたい、というものだ。僕の思っているものは前者である。後者の人間が一体何を考えてこの貴重な期間をすごしているのか、僕には理解ができない。

「休みが終わったら、またどこかに消えてしまうのかい?」

「当然よ。現れる必要がなくなるからね」

「生徒はかなりの人数がいるんだ。全員が全員を覚えているわけではない。少しくらいなら紛れ込んでもばれやしないと思うけどね」

「何を言い出すかと思えば。さっきも言ったことになるけどね、人が集まるようになったら私のいる意味はなくなるの」

 彼女は理解しがたいものを見るような目で僕を見る。

「君は人が嫌いなわけではないんだろう。それなのに、人に出合わない場合のほうが多い時にだけ姿を現している。それが疑問に思えたんだよ。この疑問にも意味はないかな?」

「いいえ、無意味ではないわ。私の行動にここまで疑問を投げかける人はあまりいなかったから、興味深いわ。でもね、その程度よ」

「そうか。残念」

 二人ともに沈黙する。ヒグラシの数が減ったのだろうか。鳴き声が薄く、小さく聞こえる。

彼女は階段から腰を上げた。

「じゃあ、私はそろそろ行くわ。ありがとう。短い間だったけど、久しぶりに暇を紛らわせたわ」

 彼女は階段を降り始めた。その頭が少し、また少しと下がっていくたびに、僕は何とも言えない焦りに襲われた。

「また、会えないのかな?」

 なんだか情けないような気もしたが、僕は彼女を振り向かせたかった。階段を降り切る一歩手前で、彼女はこちらを振り向いた。

「出会いは一度きりよ。もう会うこともないでしょう、そういうルールだから。それとも、それを知っていながら言っているのかしら?」

「だとしたら?」

「だとしたらそれは傲慢よ。私は次の暇つぶしの相手が見つかるまで、休ませてもらうことにするわ」

 彼女はくすくすと笑いながら、視界の外に消えていった。後を追って彼女の消えた廊下に降りると、既に彼女の姿はない。西日で出来た影にでも隠れてしまったのか。

 ヒグラシの鳴き声が騒がしくなったような気がした。僕は気のせいだと頭を振った。

 夏は、もう終わる。

「自分は特別だ」と思ってしまう時ってありますよね。それが周りに受け入れられるのかはわかりませんが。

一度受け入れられなかっただけで考えを改められる人っているのかな、となんとなく思います。

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