第3章 苦悩
帰路、メイは馬を駆った。供の者が追いつけぬことなど意に介すことなく、ひたすら駆け続けた。
彼女の頬は、悔し涙に濡れていた。
悔しかった。口惜しかった。これほどまでに貧弱でしかない自国の力を呪った。
ルーヴェラントの平和など、所詮は、人の良心に縋ったものでしかない。その弱さ、脆さを、今日、痛感させられたのだ。
女を道具としか考えぬルーヴェラントに、玩具としか思わぬチタールに、そして、そう思いながらも、それをはね除けることの出来なかった自分自身に、ぶつけようのない怒りを、風を切ることで紛らわした。
何時しか、城の城壁が微かに見えた。
姉妹達に、こんな顔を見せる訳にはいかない。か弱い彼女たちを護れるのは自分しかいないのだから。
メイは涙を拭うと、しっかりと顔を上げて正面を見据えた。
その視界を、突如、黒い影が横切る。
馬の手綱を引き、速度を弛めて眼を凝らす。
少年だ。
メイは、その顔に見覚えがあった。行きの道すがら、城壁前で暮らす流浪者の中にいた黒髪の少年だ。近づくにつれ、印象的な漆黒の瞳すら確認できる。
真っ直ぐにメイを見つめる少年の瞳は、今のメイの戸惑いを射抜いているようで、辛かった。
彼の脇を、そのままゆっくりと通り過ぎようとしたが、気付けば無意識に手綱に掛けた指先に力がこもっていた。馬を脚を止める。
「私に何か用か?」
気になり、問い掛けた。けれど、少年は無言のまま、正面からじっとメイを凝視し続けるだけ。
メイは苦笑いを漏らした。
「面白い子供だ。……私と共に、来るか?」
無意識に、そう口にしていた。
後で考えれば、その時、なぜそんな気持ちになったのか解らない。けれど、その少年の瞳の奥に煌めく強さに惹かれた。それだけは確かだった。
僅かに迷ったが、決断は早かった。
「お前のように、強い瞳の者に出会ったのは初めてだ。気に入った。どうだ? 私と共に来ないか?」
すぐに返事は無いものと思っていたが、予想外に少年は素直にコクリと頷いた。
供の者に指示し、供の馬に同乗させると、そのまま城へと急いだ。
口許には、微かに苦笑いが浮かんでいた。
「私も、相当ヤキがまわったものだ。伝説の『夜の神』は、きっとあの少年のような瞳をしているのではなかろうか、などと、詮無いことを思ってしまうなどと……」
呟く言葉は、しかし、軽快に響く馬の蹄の音に掻き消され、誰の耳にも届くことはなかった。
城に戻るとすぐに、メイは姉妹を集めた。病床の父には聞かせられない。それを配慮しての独断だった。
集まった姉妹を前に、メイは、チタールの言葉の要点だけを伝えた。おっとりとした姉、まだ幼い妹達。とても、下卑た言葉をそのまま伝えることなど出来ない。
掻い摘んだ話を、皆がどれだけ理解してくれたのだろうか。
メイはふと不安になった。しかし、少し困惑気味の妹達が、お互いに小さく頷き合った後、口にした言葉を耳にした瞬間、胸が詰まった。
「解ったわ、メイ姉様。姉様が残って。私達には国を治める才能なんて無いもの」
「私達なら平気よ。私達が我慢すれば、この国の平和を保てるというのなら、それで……」
今年十五才になったばかりのジュリーに続き、セパが言った。彼女はまだ十一歳だ。
「何をバカな事を……」深い後悔に心が塞がれる。「そんな事、いいはずが無い。誰かが苦しむ事でしか維持できない平和なんか、本当の平和じゃないんだ」
なぜ、こんなことを話してしまったのか。話せば、彼女達からどんな答えが返ってくるか、それは、初めから分かり切っっていたではないか。
大人達の世界の汚い駆け引き。色と欲にまみれた協調。こんなもの、彼女達に聞かせるのは早すぎた。妹達にはまだまだ、流れ星に掛けた願い事がきっと叶うという幻を夢見ていて欲しい。
「ごめん、みんな。大丈夫、心配しなくていい。何も心配いらない。私に任せて……」
やっと創った笑み。それが涙で曇らないうちにと、メイは俯き、踵を返した。
しっかりしなければ。自分自身に活を入れる。
自分しかいない。今、この国を護れるのは、自分だけなのだから……。