純愛チックな再会ものを大昔のネタ帳から発見してしまった
こっそりこんにちは。
「まったく。いくらなんでも遅すぎる!」
二年ぶりに顔を合わせての第一声がそれだった。
記憶にあるものと変わらない穏やかな声を、わたしは呼吸も忘れて真っ白な頭で聞いた。
「そこがカレンのかわいいところだけどね。二年も逃げ回られるとは思わなかった」
最後に見たときよりも数段精悍さを増した男がゆっくりと近づいてくる。
「レ、オ」
なぜ。
とっさに浮かんだ疑問には、考えるまでもなく答えが出た。自分がここにいるのと同じ理由に決まっている。
「朝一番で来れば鉢合わせしないって油断した? 甘いね、カレン」
わたしの行動くらいはお見通しだと告げている。逃げ出したわたしが今日だけはここに足を運ばずにはいられないことも、この男に会わないためにわたしが考えそうな策も、すっかり見通されていたらしい。
「俺に会いたくないくせに、律儀にここに来ちゃうし。そんなふうに優しすぎるから俺みたいなのにつけ込まれるんだ。流されて、我に返るころには逃げ出すしかないところまできてて」
違う。わたしはつけ込まれたわけでも流されたのでもない。
ひたすら慕ってくるふたつ下の少年がかわいくて、いつの間にか深い愛情を育てていたのはわたしのほうだ。
姿を消したのだって、自分の気持ちを守ろうとしたに過ぎない。ただのエゴだった。
「行方をくらます一連の手腕は見事だったな。家族にも知人にも根回ししててさ、知らないのは俺だけだったんだもん。そのくせ居場所が誰にもわからない。死に物狂いで探したよ」
恥知らずの良心が痛んだ。
あのとき自分のとった行動は、確かに間違いなくレオを傷つけただろう。
「そこまでされればさすがに気づいたよ、捨てられたんだって。なんてったって俺は突っ走るしか能のないガキで、しかも義理とはいえ姉と弟だ。さぞかしカレンはうんざりしてたんだろうね」
ぐ、と唇を噛んで否定の言葉を口走るのを耐えた。レオにそう思わせたのはわたしだ。
けれど、それならなぜ、レオはこんなにもわたしに接近してくるのだろう。
「気が狂いそうなくらい探しまくってからの半年間くらいは本気でそう信じて、諦めなきゃいけないんだって思おうとした」
「ひゃっ」
抵抗を許さない強引な腕が、わたしの背と腰に回ってきた。彼の言動が一致していないことがわたしを戸惑わせる。
「レオ――」
「親父のこと、いつ知った?」
トーンを変えずに端的に問われた。
わたしの心臓は飛びはねる。
落ち着け。質問の真意がわからない以上、ここで動揺してはならない。レオがあのことを知ってしまってはすべてが水の泡になる。
「お父さんが、どうかしたの」
「実子と養子が、表向きと事実とで逆だったことだよ」
わたしは瞑目した。
とうとう、レオは知ってしまったのか。
「カレンのことでノイローゼっぽくなってたころに、見かねて母さんが教えてくれた。カレンが隠してたこと、たぶん全部聞いたよ」
わたしが隠していたこととは、ひとつは血の繋がらない娘であるはずのわたしが実際は父親が外に作った子だという事実で、もうひとつが、産みの母親がひた隠しにしていたわたしの存在が知れる前、子どものできない夫婦が引き取った養子こそがレオであることだった。
血を分けた子どもがいると知った父親によってあの屋敷に連れて行かれたとき、わたしは七歳だった。
父親はわたしを異様に可愛がった。幼いうちからわたしはおぼろげながら、この人が自分の肉親なのだろうと察していた。そして高校に上がる頃、当の父親の口からそれを裏付ける言葉と、さらにはレオが実の弟でないことを告げられた。
レオは、自分に血縁のない姉がいること以外、何も知らない。すべての事実を知ったとき、このまっすぐな少年は父を、自分をどう思うだろう。
重たい不安に苛まれながら、わたしはレオに溺れた。
レオがいつまでも真実に直面しなければいい、将来は家を継いだ彼を補佐として支える立場になりたいと、夢を見た。
ついにレオは知ってしまった。彼の衝撃はいかほどだっただろう。
「レオ……」
「で、俺はやっぱりカレンにめちゃくちゃ愛されてたんだって気づいた」
「は?」
脈絡のなさに、労わりの気持ちが宙に浮いた。
「すぐに親父を問い詰めて、カレンに言ったことを吐かせたんだ」
父親はわたしに、グループは任せる、と言った。公式にではないが、事実上の後継者宣告だった。
そんなことを公表したらどうなる? 否応なしにレオは悟ってしまうだろう。そもそもわたしにはまるっきりその気がなかった。
「やんなるよ、あんなこと言われたら繊細なカレンが出て行かないわけないのに」
反応が淡白すぎないか。アイデンティティに関わる一大事だというのに。
「親父に啖呵きったんだって? 俺のために」
破顔しながらわたしを覗き込んでくる。
「あれ以来ものすごく凹んでるよ。俺を跡目に据えれば戻ってくるかもって今度は俺の教育に腐心してる。後継者とかどうでもよくて、あの人は要するにカレンを側においておきたいだけだからね」
「へ、へえ……」
父親には悪いが、なかなか事がうまく運んでいるらしい。
「俺としても、もろもろの事情を鑑みて結論を出したわけ。カレンのことだから、俺が親父の跡を継げば戻ってくるってね。がんばっちゃってるよ、結構性に合ってて楽しい」
肩をすくめてさらりと言ってのけるレオに、重圧や気負いを感じている様子はない。
「知ってたよ。裏方専門のわたしと違って、レオは人を引っ張る才能と実力があるもの」
レオの決意が頼もしくて、わたしも両腕を回して背中を撫でてやった。レオは束の間デレっとしたけれど、思い出したみたいに顔を引き締めた。
「なのに、なんで肝心のカレンがいつまで経っても帰ってこないの」
「あー……」
「何してるのかと思えば、留学してたんだって?」
その通り。ただ家を出るのではもったいないので、レオの側近として必要な知識や経験を詰め込みに行っていた。
「自分に厳しいところはカレンらしいから、立派になった俺にめろめろになってカレンが自分から帰ってくるのを待ってるつもりだったけど。いくらなんでも遅すぎる!」
だって。
怖かったんだ。わたしも青かったし、何の説明もなく置いて行ったわけだから、恋に関しては諦めていた。
わたしがいない間にレオが別の相手を見つけている可能性は高い。色恋抜きでも生涯レオに添う意志は固かったけれど、レオの家庭を笑って見ていられる自信がつくまでは、まだ帰れなかった。
もっとも、そんな自信がつく日は来ないことも最近はわかってきた。
「ばっかだなーカレンは。俺の視界にカレン以外の人間なんか存在しないって昔から言ってるのに」
正直に説明すると、笑い飛ばされた。
「我慢できなくて、強情っぱりのカレンは俺が迎えに行ってやらなきゃって考え直してよかったよ。今日、ここでなら絶対に捕まると思ってたし」
他愛ない約束だった。レオが成人する日は、わたしたちが初めて会ったこの庭園で過ごそう、という口約束だった。
会えないと思いつつもしっかりやって来てしまったことで、わたしの気持ちは十二分に伝わっていることだろう。気恥ずかしい。
「ちょっと予定が変わっちゃったけど。二十歳の誕生日、おめでとう。レオ」
もごもご伝える。
「ありがとう。ちょうどいいからプレゼントはカレンでいいよ。帰っておいで」
「……うん」
もうとっくに、レオの腕の中に帰還を果たしているんだけど。
「やっとカレンだー……。会いたかったよ、気が触れるくらい」
縋るみたいにぎゅうっと拘束された。
「わたしも。自分から離れるのは、すごい精神力がいるってわかった」
勝手な言い分だけどさ。
「そんな精神力なら根こそぎ奪っちゃいたいよ。覚えておいて。次はないから」
思い詰めた者の恐ろしいまでの迫力を、ほんのすこし閃かせて脅される。
次なんかあってたまるかと思うのはわたしも同じだ。
「もう逃がしてやらない」
レオの言葉は、ふたりに共通する想いだった。
ああ、戻ってもいいんだ。わたしはまたこの胸に安息を求めてもいいんだ。
のどかな早朝の庭園で、わたしはこれからに思いを馳せながら幸せをかみ締めた。
おわり