第4話『木屑は空気を抱く』
ブリキ坂の冬は、乾いているようで乾いていない。
外の空気は冷たく澄んでいるのに、工房の中は別だ。
火床の熱で湯気が立ち、冷たい壁で水になる。息も、汗も、蒸気も――全部が「水」に戻って、木と鉄を静かに殺す。
レンは、その水滴を見つめていた。
結露。腐食。漏魔。冷え不足。
全部が箱の中で絡まって、失敗という形になっている。
「……じゃあ、今日の目的は二つ」
セラ・リンデが紙に短く書いて、指で示した。
「一、断熱を変えて冷えが上がるか。二、結露の水を“逃がす”道を作れるか」
ミアが腕を組んで言う。
「三つ目。チビが倒れないか、だ」
レンが苦笑する前に、セラが頷いた。
「それも。……漏魔は昨日より減ってる。でも油断すると戻る」
レンは自分の手のひらを見た。
指先は冷えている。だけど、昨日みたいな胸のざわつきはない。
減ったのだ。封止と乾燥で。
(減らせる。なら、増やさない方法も作れる)
レンは箱を指差した。
「木屑断熱、やってみたいです」
ミアが鼻で笑う。
「言い出したのはセラだろ。……木屑ならユルゲンのとこだ。腐るほどある」
三人は工房を出た。
表通りの露店を抜けると、木の匂いが濃くなる。
鉋屑が雪みたいに舞う店先。
木工のユルゲン・ウッドが、太い手で板を撫でていた。
「おう。ボルツの嬢ちゃんか。今日は箱か?」
ミアが顎をしゃくる。
「木屑、くれ。乾いたやつ」
ユルゲンが眉を上げる。
「乾いたやつか。……冬でも湿気るぞ。工房の中は特にな」
セラが一歩前に出た。
「だから乾燥して詰め直す。濡れたら交換。消耗品にする」
ユルゲンがセラの外套を見て、苦笑した。
「学院さんか。紙の人が、木屑をありがたがるとは」
「紙も木も、湿気るとダメになる」
セラの返しに、ユルゲンが声を出して笑った。
「違いねえ」
ユルゲンは店の奥から麻袋を二つ出してきた。
乾いた木屑。細かい粉が多すぎないよう、少し粗めの屑も混ぜてある。
「これなら空気を抱く。詰めすぎるなよ。空気が仕事する」
レンが目を輝かせる。
「……空気が断熱材」
ユルゲンは頷いた。
「箱ってのはな、坊主。中身より隙間で決まる」
ミアが舌打ちした。
「またその話かよ」
「いい話だろ」
ユルゲンは笑って、麻袋をレンに渡した。
「持ってけ。代わりに今度、坊主の変な箱、見せろ」
レンは頭を下げた。
「……はい。必ず」
工房に戻る道すがら、ドロテアの食堂の前が騒がしいのが見えた。
湯気と声が混じっている。
「ねえ聞いた? ギルドの人がうろついてるって!」
「また監査局かよ……」
噂はもう走っている。
噂は、敵を連れてくる。
レンは麻袋の紐を握り直した。
重い。木屑なんて安いはずなのに、今のレンには重い。
それは、材料の重さだけじゃない。
(時間がない)
工房に入ると、ミアがすぐに作業に入った。
薄板を叩き、箱の内壁用の板を揃える。
「断熱を変えるってことは、構造を変えるってことだ。……チビ、図面」
レンは紙に線を引く。
昨日の布層の代わりに、木屑袋を入れる空間を作る。
内壁と外壁の間に空気層。さらに木屑層。
ただし詰めすぎない。空気を残す。
「袋……作れますか?」
レンが言うと、ミアが顎で指した。
「ノーラに頼む。皮革じゃなくて布でもいい。こぼれなきゃな」
セラが頷く。
「袋は交換式にできる。湿気ったら取り替え。……管理できる断熱は強い」
レンの胸が熱くなる。
(交換できる。修理できる。……商会として回る)
まずは試作。袋は仮でいい。
レンは工房にあった古い麻袋を裂き、木屑を詰めて紐で縛った。
粒子が舞う。喉が痛い。
ミアが布を投げて寄越す。
「口押さえろ。吸うと咳が止まらねえぞ」
レンは頷き、布で口を覆う。
十歳の体は弱い。無理をするとすぐ壊れる。
だから、工夫する。
箱の壁を二重にし、木屑袋を挟む。
隙間を作る。空気を残す。
外壁は木。内壁は薄板。間は木屑と空気。
「……よし。次、結露の逃がし」
セラが紙を指で叩く。
「結露をゼロにするのは難しい。なら水を“集めて、逃がす”」
ミアが眉を寄せた。
「水の道なんて作ったら、そこから冷気も逃げるだろ」
「だから、道は“外へ開けない”。外へ抜くのは最後」
セラは言った。
「まずは水滴を集める。集まる場所を決める。腐食するなら、腐食してもいい部品にする。交換できるように」
レンが頷く。
「犠牲部品……」
「何だそれ」
ミアが言う。
「壊れてもいい場所を作る。壊れたらそこだけ替える。……箱全体が死ぬよりいい」
ミアはしばらく黙り、鼻で笑った。
「……修理屋みたいなこと言いやがる」
レンは一瞬、トビアスの顔を思い出した。
壊れ方は嘘をつかない。
壊れるなら、壊れ方を設計しろ。
ミアは薄板をもう一枚取り、内側の底板として使うことにした。
底板に浅い溝を叩き込む。水がそこを伝って集まるように。
「溝はこっちへ寄せる。端に小さい溜まりを作る」
ミアの指先が正確に動く。
レンには真似できない精度だ。
「ここに、取り外せる受け皿」
レンが提案すると、セラが頷く。
「受け皿は交換品。腐食したら替える。……それなら保証にもできる」
ミアが眉を上げる。
「保証?」
レンが少しだけ笑った。
「いつか。……でも最初から“替える”前提で作れば、壊れても直せる」
ミアは「面倒くせえ」と言いながら、否定はしなかった。
箱が形になった。
木屑断熱。二重壁。底の溝。受け皿。
残る問題は、冷やす力――魔石だ。
セラが革袋から、昨日のC寄り魔石を取り出した。
「同じ魔石で、断熱を変えて冷えが上がるかを見る。魔石を変えずに冷えが上がれば、断熱が効いている」
レンが頷く。
「上がらなかったら、魔石が足りない」
「そう。切り分け」
セラが測定具を置き、紙に書く。
条件A:旧箱+同魔石
条件B:新箱(木屑)+同魔石
条件C:新箱+D級(比較)
条件D:新箱+C寄り(安定)
(※Dは危険なので短時間だけ)
「……学院みたいだ」
レンが呟くと、セラが小さく笑った。
「学院は嫌い。……でも、測るのは好き」
ミアが舌打ちする。
「好き嫌いで生きていけるのは貴族だけだ」
セラは即答しなかった。
一瞬だけ表情が揺れた。
それが、彼女の“余裕のなさ”の証拠だった。
レンは話を戻す。
「冷えの測り方は……どうします?」
セラは工房の棚から、同じ形の小瓶を四つ探し出した。
中身は水で揃える。量も揃える。
「温度計なんてない。だから、比較する。触って比べるだけじゃダメ。――氷が張るまでの時間、蒸発の速さ、湯気の出方」
ミアが鼻で笑う。
「結局、感覚じゃねえか」
「違う。感覚を“条件を揃えて”使う。再現性を作る」
セラは言った。
「例えば、布を濡らして瓶に巻く。瓶が冷えていれば蒸発が遅い。暖かければ早い。……目に見える」
レンは頷く。
目に見える。ここが大事だ。
試験が始まった。
旧箱(布断熱)に同じ魔石。
新箱(木屑断熱)に同じ魔石。
それぞれに小瓶を入れ、蓋を閉める。
待つ。
レンは落ち着かない。
焦りが手を震わせる。
ミアが肩を叩く。
「待て。待つのも仕事だ」
「……はい」
セラは紙に時間を書き込み、時々測定具を継ぎ目に当てて漏魔の変化も見る。
封止が効いているかの確認だ。
一刻ほど経って、レンが蓋を開けた。
まず旧箱。
冷たい。だが、相変わらず弱い。
結露が出て、内壁が湿っている。底に水が溜まっている。
次に新箱。
「……っ」
レンの指先に、旧箱よりはっきり冷たさが刺さった。
同じ魔石なのに、冷気が逃げていない。
ミアも手を入れて、短く言った。
「……冷たい」
セラは頷き、紙に丸を付けた。
「断熱が効いた。冷え不足の主因は“魔石だけ”じゃない。箱が逃がしてた」
レンの胸がじんと熱くなる。
成功だ。小さいけれど、確かな成功。
(切り分けできた)
そして結露。
レンは底を覗く。
水滴は出ている。出るのは仕方ない。
けれど――溝に沿って水が集まり、端の受け皿に落ちている。
「……逃げてる」
レンが言うと、ミアが鼻で笑った。
「逃がしてやったんだよ」
受け皿を引き抜くと、水が溜まっていた。
受け皿の表面は濡れているが、木箱そのものは、旧箱ほど湿っていない。
セラが測定具を当てる。
針はほとんど動かない。砂も濁らない。
「漏魔も増えてない。湿気が術式部に回ってない。……封止と水の道が効いてる」
レンは息を吐いた。白い息は出ない。けれど胸が軽い。
「……できた」
ミアが即座に言う。
「まだだ。冷えても、壊れたら終わりだ」
「分かってる」
レンは頷く。
まだ“冷蔵庫”ではない。
でも、冷える箱の土台ができた。
次は魔石の問題。
同じ魔石で冷えが上がったなら、魔石を良くしたらさらに冷える。
だが――高い。
セラが紙を指で叩く。
「ここからが金の問題。でも、切り分けできたのは大きい。……“箱が悪い”なら私たちは直せる。“石が悪い”なら金が要る」
ミアが腕を組む。
「金なら商人だ。……マルコを呼べ」
レンは思わず顔を上げた。
「マルコさん?」
「昨日も言ったろ。紙で守るやつ。金の匂いがしたらどこからでも来る」
ミアの言い方は乱暴だが、信頼も混じっている。
セラが箱の受け皿を見て、ぽつりと言った。
「……これ、交換部品にできる。腐食する前提で売る。そうすれば、魔石の質が少し悪くても安全に回せる」
レンは頷いた。
商会の形が、頭の中にちらつく。
そのとき、工房の外が静かになった。
ハンマーの音が遠い。
まるで雪が音を吸ったみたいに。
ミアが眉を寄せる。
「……何だ」
ドアの外から、硬い靴音が二つ、三つ。
そしてノック。
控えめなのに、拒めないノックだった。
ミアがドアを開ける。
そこに立っていたのは、黒い外套の女――イングリッド・クロウ。
書類鞄。手袋。視線の温度のない目。
「ボルツ鍛冶工房ですね」
ミアが顎を上げる。
「そうだが」
イングリッドは淡々と告げた。
「魔導ギルド監査局です。昨日の未認可修繕行為、および本日までの装置製作について、確認に来ました」
レンの心臓が跳ねた。
(早い。噂より早い)
セラが一歩前に出る。
彼女の顔から、さっきまでの柔らかさが消える。
「監査官。ここは工房です。確認の根拠は?」
イングリッドはセラを見て、僅かに目を細めた。
「学院の方ですか」
「はい。セラ・リンデ。測定と記録を取っています。危険なら止めます。……ただし、止めるのは“危険”が確認された場合だけ」
イングリッドは沈黙した。
沈黙は、質問への返答ではない。圧だ。
そして、鞄から紙を取り出した。
紙の上の文字が、世界を動かす。
「確認の根拠は、市場での噂と、通報です。――“冷える箱が人を倒す”と」
レンの喉が乾いた。
誰だ。通報したのは。
ミアが低く言う。
「倒してねえ。減らした。……今の箱は安全だ」
イングリッドの目が、箱へ向く。
木屑断熱。受け皿。封印蝋。継ぎ目。
「安全かどうかは、こちらが判断します」
彼女は静かに言った。
「確認を拒否するなら、危険器具指定の手続きに移行します」
セラの指が、測定具を握りしめた。
レンは受け皿を引き抜いたまま固まる。
ミアの拳が、鳴った。
工房の火が赤く揺れる。
その火の前で、紙が冷たく光った。
(つづく)




