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第19話『紙の戦闘、窓口の笑み』

商人連盟の窓口は、朝が早い。

 早いというより――“遅い者を待たない”。


レンはまだ眠りの糊が瞼の裏に残る時間に、マルコの背中について歩いていた。冬の空気は硬く、息は白い。ブリキ坂の路地はいつもの匂い――木屑、油、煮込みの残り香――を残したまま、今日だけは“紙”の匂いに押されている気がした。


商人連盟の建物は、工房と違って音がしない。

 床が鳴らない。壁が息をしない。

 その静けさが、契約の世界の冷たさを教える。


「レン」

 マルコが言った。歩きながら、振り返らずに。

「顔を上げろ。目は下げるな。十歳でも、“代表”だ」

「……うん」

「喋るな。必要なときだけ、短く。お前の言葉は“感情”になって、相手に売られる」


レンは頷いた。

 セラは横で、検査票の束を抱えている。紙の厚みが、盾の厚みに見える。

 ミアは一歩後ろ。工具袋ではなく、今日は何も持っていない。持っていない手が、逆に強い。現場は黙って見せるが、紙の場は黙って睨む。


通された部屋は、板壁ではなく石壁だった。机は硬く、角が直角で、紙が逃げない。

 そこに一人、窓口の男が座っていた。年齢は分からない。商人連盟の人間は、年齢を売らない。

 指に連盟印の指輪。机の隅には朱肉と印章。

 笑っているのに、笑みが“数”の形をしている。


「クラフト商会……いや、クラフト商会(仮)だったか」

 男は言った。「おはよう。期限は明日だ。よく来たね」


マルコが椅子に座る。レンを自分の斜め後ろに置く位置取り。契約弱者を守る配置だ。 Source


「草案の修正案を持ってきた」

 マルコは紙束を置いた。

 上には昨夜作った五つの反撃案――直販枠/BSS公開範囲/魔石供給保証/救済条項/仲裁条項強化――を条文化した案が載っている。


窓口の男は紙を見て、目だけで笑う。


「修正は歓迎だ。――だが覚えておくといい。独占契約は“守る契約”だ。守るためには、縛る」

「縛り方が悪いと、守るものが死ぬ」

 マルコは即答した。


その瞬間、扉がノックもなく開いた。

 黒い外套が入ってくる。

 監査官イングリッド・クロウ。


部屋の温度が一段下がる。

 合法の刃が来た。


「同席する」

 イングリッドはそれだけ言って椅子に座った。

 座り方が、点検の座り方だ。人を測る姿勢。


窓口の男が肩をすくめる。


「監査局が同席するなら、話は早い。――止めるのも早いがね」


ミアが小さく鼻で笑った。

 セラが言い返す前に、マルコが手で制す。

 今日は“早口の勝負”じゃない。条文の勝負だ。


「第一に、直販枠」

 マルコは修正案の最初の紙を押し出した。

「ブリキ坂への直販を“例外”から“権利”にする。台数を明記する。対象店舗は契約附属の名簿で管理。刻印番号と検査票で紐づける」

 レンは息を止めた。

 ガルドとエナの顔が浮かぶ。あの人たちに売れなくなる契約は、レンの心を折る。


窓口の男は紙をめくり、わざとらしく眉を上げた。


「直販……利益は薄い。王子の名で売れば、もっと高く売れる」

「高く売って、街に回らないなら次がない」

 マルコは言う。

「直販は“宣伝”でもある。街に実物があるから噂が止まる。模倣品の噂も止まる」


イングリッドが淡々と口を挟む。


「直販が増えれば、点検対象も増える」

「だから枠を決める」

 マルコは即答した。「枠がないと無限に増える。枠があるなら管理できる」


窓口の男は唇の端を持ち上げた。


「“管理”という言葉、君は嫌いじゃないらしい」

「管理されるなら、こちらの条件で管理する」

 マルコの声は冷たい。

 レンはその背中を見て、胸の奥が少し熱くなった。


「第二に、BSS公開範囲」

 マルコが次の紙を置く。

「BSS規格の公開は、安全の言語として必要だ。ただし、工程・治具・配線の詳細は秘匿。公開範囲は“合否基準・表示・検査票様式”まで」

 セラが一歩だけ前に出る。


「測れることが安全です。測れない安全は、口実になります」

 彼女の言葉は、監査官に向けた刃だ。 Source


イングリッドは目を細める。


「公開すれば、模倣も増える」

「増えます」

 セラは認めた。

「だからこそ、刻印と封印蝋と検査票で区別する。『刻印を見て。封印を見て。紙(検査票)を見て』――区別の制度を町に根付かせる」

 それは正規品証明の三点セットの思想そのものだ。 Source


窓口の男が指を鳴らす。


「ふむ。公開するのは“合否”だけ。作り方は教えない。……ずるいね」

「守るための条件です」

 マルコが言った。

 相手の言葉を、こちらの武器にする。資料にある“刺さる言い回し”そのままだ。 Source


「第三に、魔石供給保証」

 ここで空気が変わる。

 王子の“守ってあげたい”の中心は、魔石だ。供給だ。


マルコは草案の「推奨」を指で叩いた。


「“推奨”を“義務”に変える。最低C級(緑)以上。供給不能の場合は、納期責任は王家側。こちらに遅延違反を被せない」

 窓口の男が笑う。


「強気だ。供給事情は、国が決める」

「だから契約に書く」

 マルコは言う。「書けないなら、守ると言うな」


イングリッドが、そこだけは真面目な声になった。


「C級以下を混ぜれば事故が増える。事故が増えれば“危険器具指定”の根拠が増える」

 その一言が、レンの背中を刺す。

 危険器具指定――魔導ギルド監査局が出す販売停止措置。表向きは安全確保、実態は利権防衛のカード。 Source


マルコはその刃を受け止め、逆に返す。


「だから、供給保証は監査局にとっても得だ。事故が減る」

 窓口の男がわずかに黙る。

 利害が一致した瞬間、口が止まる。


「第四に、救済条項」

 マルコが次の紙を置く。

「監査局判断で停止が出た場合、即時停止ではなく“改善期限”を必ず付ける。再検査の手順と日程を明記する。遡及無効は禁止」

 これはイングリッドの縄を、条文で縛り返す提案だ。


イングリッドの目が冷える。


「遡及無効を禁じれば、悪質な隠蔽が増える」

「隠蔽は封印で暴く」

 ミアが初めて口を出した。短く、強く。

「封印蝋が割れてたら保証外。それはこっちのルールだ。隠蔽は“現場”で止める。紙で過去を殺すな」


窓口の男が楽しそうに頷く。


「現場の言葉だね」

「現場が死んだら、供給も売買も死ぬ」

 ミアは言った。「止まる箱は作った。止まらない現場が要る」


セラが続ける。


「測定値と検査票が残るなら、隠蔽は難しい。遡及より“記録”です」

 彼女は机上の検査票を軽く叩いた。

 紙が鳴る。今日はその音が、武器の音だ。


「第五に、仲裁条項強化」

 マルコは最後を出す。

「“または”を消す。仲裁は仲裁屋ラザール、または商人連盟の指定仲裁へ。監査局は安全判定の意見提出まで。裁定は紙の土俵で行う」

 仲裁屋ラザール――紙と印で世界を動かす裁定者。 Source


窓口の男が肩をすくめた。


「監査局を外したい、と」

「外さない。位置を正す」

 マルコは言う。「監査局は“安全判定”の刃。仲裁は“契約”の刃。刃が同じ鞘に入ると、誰かが好きに抜く」


イングリッドが静かに言った。


「監査局は、好きに抜かれた刃ではない」

「なら、条文で証明してください」

 マルコは視線を逸らさない。


しばらく沈黙が落ちる。

 部屋の外の足音が遠い。ここでは、街の生活音が届かない。

 だからこそ、紙の音が大きい。


窓口の男が紙束をまとめ、指で机を叩いた。


「結論は簡単だ」

 男は言う。「君は“守られたい”が、“縛られたくない”。王子は“守りたい”が、“管理したい”。監査局は“安全を守りたい”が、“止める権限を手放したくない”」


レンは、喉が渇く。

 この場にいる全員が、少しずつ正しい。

 だから話は決裂しない。

 だからこそ、危険だ。


「直販枠は――小さくなら飲める」

 窓口の男が言った。「BSS公開範囲も――合否基準と表示までなら。魔石供給保証は――“努力義務”なら」

「だめだ」

 マルコが即答する。「努力義務は推奨と同じ。守らないための言葉だ」


イングリッドが口を挟む。


「供給保証を義務にするなら、監査局側にも条件がいる。検査票の提出頻度、点検の受け入れ、封印の規格化……」

「それは受ける」

 セラが言う。

「測定は回します。記録は残します。BSS規格は、そのためにある」


窓口の男が笑い、紙を一枚引き抜いた。


「じゃあこうしよう。魔石はC級以上“原則”。例外は監査局が許可した場合のみ」

 マルコの目が鋭くなる。


「許可の条件は?」

「……そこを今決めるのが、君の仕事だろう?」

 窓口の男は楽しそうに言った。

 取引相手として、強い。


マルコが紙に赤線を引いた。


「例外は“試験運用”に限定。数量と期間を明記。保証外。直販には回さない」

 それはD級以下を扱うときの危険管理の形だ。設定でもD以下は危険、契約へ、という筋がある。 Source


イングリッドが小さく頷いた。

 初めて、相手の目が細くなる。数字と条件が揃うと、監査官は納得する。


攻防は続く。

 常駐条項は“立入検査”へ。

 技術移管は“合否基準の共有”までに縮小。

 軍事転用の余地は、文言の中で“破壊目的の改造は禁止、封印破損は契約違反”へ寄せる。

 仲裁の“または”は削れないまでも、“第一義は仲裁、監査局は意見提出”の順番に変える。


マルコは疲れを見せない。

 でもレンには分かる。

 これは、徹夜の疲れではない。

 “勝ちきれない”疲れだ。


窓口の男が紙を閉じ、椅子に深く座り直した。


「よし。今日の修正は、王子に上げる」

 その言葉で、レンの心臓が跳ねた。

 王子に上げる――つまり、ここから先は“窓口の商売”ではなく“王子の政治”になる。


イングリッドも立ち上がる。


「私も、監査局として条文案を確認する」

 その言い方は、協力にも脅しにも聞こえる。


そして。


扉の向こうが、ざわりとした。

 護衛の足音。布の擦れる音。

 この建物の静けさを壊す、重い気配。


窓口の男が立ち上がり、姿勢を正した。

 マルコの背筋も伸びる。

 セラが息を呑む。

 ミアが無言でレンの肩に手を置く。


扉が開く。


第二王子アルベルトが――直接、サイン席に現れた。


(つづく)

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