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第18話『紙の罠、紙の盾』

机の上に置かれた紙は、熱を持っていない。

 なのに、レンは指先が火傷しそうな気がした。


『独占契約 草案』


文字は大きい。読めるように書かれている。

 読める、ということは――逃げられない、ということだ。


工房の夜は、炉の火が落ちても匂いが残る。木屑と油と蝋。ブリキ坂の生活の匂い。

 けれど今夜はそこに、インクの匂いが混ざっている。王都の匂いだ。


「……読むぞ」

 マルコが低く言った。声はいつもの商人の調子だが、どこか硬い。


ミアは壁にもたれ、腕を組んだ。眉間に皺が寄っている。

 セラは椅子に座り、測定具ではなく筆記具を手元に置く。今日の武器は針じゃない。線だ。


レンは紙を見つめる。

 止まる箱を作った。

 でも今夜は、止められるのは箱じゃない。自分たちだ。


マルコが草案の冒頭を読み上げた。ゆっくり、噛み砕くように。


「――発行者、王家側窓口……買受人、クラフト商会(仮)……対象製品、保冷庫……」

 その時点で、レンは拳を握った。

 “仮”。まだ仮だ。なら、書き換えられる。


「条文はだいたい、いつもの形で並べてある」

 マルコは紙を指で叩く。「第何条、ってやつだ。ここが罠の置き場になる」

 契約テンプレの話をレンは思い出す。条文は武器。法が弱い世界では、紙と印が刃になる。 Source


「レン。喋りたいだろうが、まず聞け」

「うん」


マルコが続ける。


「第1条――代金。王家側が買う。買う、って書き方だ。売るじゃない。買う。つまり所有権が向こうに寄る」

 ミアが鼻で笑った。


「“買ってやる”の方だな」

「そう。次」

 マルコの指が滑る。


「第2条――納期・納品場所。王家側指定の倉、または商人連盟の倉へ。ブリキ坂の店への直接納品は、例外扱い」

 レンの胸が痛んだ。

 例外は、潰されるためにある。


「第3条――使用条件」

 マルコはここで一瞬、目を細くする。

「魔石はC級(緑)以上を“推奨”……で、次に小さく書いてある。『ただし供給事情により等級は調整され得る』」


セラが反射的に口を挟んだ。


「調整……? D級(黄)以下は危ない」

 彼女の声が鋭くなる。魔石等級は事故差だ。漏魔と暴走熱の差だ。 Source


「“推奨”は守らなくていい言葉だ」

 マルコが冷たく言う。「守る側が“守らなくても違反にならない”言葉」

 レンは息を呑む。

 守ってくれるはずの魔石供給が、紙の上では守られていない。


マルコの指が、さらに下へ。


「第4条――保証」

 ミアが身を乗り出す。


「保証って書いてあるのに?」

「保証するのは“王家側が指定した運用”を守った場合だけだ」

 マルコは読み上げる。「封印蝋破損は保証外、改造は保証外、不適切魔石は保証外……ここまでは普通。問題は次の一文だ。『監査局が不適切と判断した場合、保証は遡って無効』」


セラが紙を掴みかけて止まる。


「遡って……?」

「事故が起きたあとで、全部“無かったこと”にできる」

 マルコは言った。

 冷たい。現実だ。

 契約とは、未来だけじゃなく過去も殺せる。


ミアの指が震える。


「ふざけんな。現場は……今しかないんだぞ」

「分かってる」

 マルコは言う。「だから、ここは直す」


レンは唇を噛んだ。

 止まる箱を作ったのに。

 紙は止まらない。紙は、滑る。


「第5条――点検」

 マルコは淡々と読み上げる。「定期点検を受けること。点検者は――監査局、または監査局が指定する者」

 セラが小さく頷いた。

 点検自体は正しい。安全は倫理だ。

 でも、次が問題だ。


「……そしてここ」

 マルコは指先で文言をなぞる。

「『監査局の指示により、工房内に点検員の常駐を求める場合がある』」


空気が、凍った。


レンは思わずミアを見る。

 ミアが先に言った。


「常駐? 工房に?」

 彼女の声は怒りより先に、拒絶だった。

 工房は現場だ。現場は、手が止まったら死ぬ。

 そこに“他人の目”が居座ったら、手が固まる。


マルコは頷く。


「監査局常駐。これが“守られる”の正体だ。護衛じゃない。見張りだ」

 監査局が“危険”を理由に装置や部材を回収できる、という設定がレンの頭をよぎる。差し押さえの匂い。 Source


セラが、珍しく苛立ちを滲ませた。


「点検と研究は違う。常駐は、再現性ではなく萎縮を生む」

 彼女は自分の言葉を噛み直し、静かに言い直す。

「……“測れなくなる”」


レンは背筋が冷えた。

 測れなくなったら、BSSは死ぬ。

 BSSが死んだら、止まる箱もただの噂に戻る。


「第6条――模倣・転売」

 ここは一見、味方に見える。刻印、封印蝋、検査票。正規品証明の三点セットで戦う条だ。 Source


でも、マルコはここでも顔を歪めた。


「禁止事項が多い。刻印改ざん、封印蝋偽造、外装模倣……うん、いい。問題は最後だ」

 マルコは読み上げる。

「『模倣品対策のため、製造技術・治具・検査手順の一部を、王家側指定の工房に移管する場合がある』」


レンは、声が出なかった。

 移管。

 それは、“教える”じゃない。奪うだ。


ミアが爆発しかける。


「は? 治具を? 工程表を? 私が削ったやつを?」

「落ち着け」

 マルコは手で制した。「怒りは分かる。だが、怒りで条文は消えない」


セラが唇を噛み、レンを見る。

 レンは拳をほどいた。指先が白い。

 白い指――ルッカの手袋が頭をよぎって、気分が悪くなる。


「……これじゃ、模倣品と変わらない」

 レンは小さく言った。

 模倣は信用を殺す。

 なのに王家の紙は、合法の顔で信用を奪う。


「第7条――仲裁」

 マルコが最後を読む。

「紛争は商人連盟、または監査局の判断に従う。……“または”が怖い」

 ミアが眉を寄せる。


「どっちでもいいってこと?」

「どっちでもいいって書き方は、“都合のいい方を選ぶ”って意味だ」

 マルコは言った。「勝てる土俵を相手が選ぶ」


レンは、紙の上の罠が見えてきて、頭が痛くなってきた。

 直販が例外。

 魔石供給は推奨。

 監査局は遡及できる。

 常駐できる。

 技術は移管できる。

 仲裁は相手が選べる。


そして――読み落としそうな隅に、さらに一行。


セラが先に見つけた。

 彼女の指が、その一文をなぞる。


「……『用途は王家が指定する公的目的に限る』」

 セラは顔を上げる。

「公的目的、って……軍需も入る」


ミアが、低い声で吐き捨てた。


「軍事転用の余地か」

 レンの胃が沈む。

 冷蔵庫を作ってきたはずなのに。

 守るための箱が、殺すための仕組みに繋がる。

 それは、レンが一番嫌う未来だ。


マルコが、机の上に紙を揃え直した。

 その動きが、いつもの商人のそれに戻る。

 ――ここからが反撃だ。


「よし。罠は揃った」

 マルコが言う。「次は“盾”を作る。紙で」


レンは顔を上げた。


「……できるの?」

 マルコは、短く笑った。


「できなきゃ、俺はお前の隣に居ない」

 その言葉が、レンの背骨を支えた。


セラが、紙を一枚引き寄せる。

 検査票だ。BSSの項目が並んだ、自分たちの言語。


「まず、前提を固定します」

 セラは言う。「安全と記録は“こちらのルール”です。王家の名で売るなら尚更、BSS規格の条文内引用が必要」

 彼女は早口になりそうなのを抑え、続ける。

「BSS規格と検査票を、契約の中に“組み込む”」


ミアが頷く。


「現場の話を、紙に縛り付けるってことだな」

「そう」

 セラの目が光る。「測定値と合否基準が、相手の気分で揺れないように」


マルコが指を折る。


「反撃案は五つにまとめる。お前らも覚えろ」

 レンは頷く。

 五つ。多すぎない。戦える数だ。


「一、直販枠」

 マルコは言う。「ブリキ坂への直販を“例外”じゃなく“権利”にする。台数、対象(肉屋・薬屋・食堂など)を明記。直販は次を作る血だ」

 商会経営の資料の言葉が脳裏に浮かぶ。利益は次の材料。直販を殺す契約は次を殺す。 Source


「二、BSS公開範囲」

 マルコは続ける。

「BSS規格は“安全の言語”。全部を渡す必要はない。公開するのは“合否基準と表示”まで。工程と治具は秘匿。ここを条文化する」


レンが口を挟む。


「刻印と封印蝋と検査票は、公開していい」

 自分でも驚くほど、声がしっかり出た。

「見分け方を知ってもらうのは、街を守るから。……でも、治具は渡さない」


ミアが、少し笑った。

 “削れ”と言ってきた人の笑いだ。


「三、魔石供給保証」

 セラが言う。「“推奨”はだめです。最低C級(緑)以上を“義務”。供給不能なら――こちらの納期責任を免除。検査票で等級を記録し、供給側の責任を可視化する」

 魔石等級は政治カードにもなり得る、と設定にある。だからこそ紙で縛る。 Source


マルコが頷く。


「四、違反時の救済」

 マルコは言う。「監査局が遡って無効? なら逆だ。監査局判断で停止が出た場合の“改善期限”と“再検査手順”を契約に書く。停止=死にしない」

 レンは第12話の“停止します”を思い出す。期限付き命令で追い詰められたあの感覚。F-015の鎖を、今度は条文で緩める。 Source


「五、仲裁条項強化」

 マルコは最後に言った。

「“または”を消す。仲裁は仲裁屋――ラザール、または商人連盟の指定仲裁。監査局は安全判定の参考意見まで。裁定は紙の土俵でやる」

 マルコの指が机を叩く。

「相手が土俵を選ぶ条文は、戦う前に負けてる」


ミアが腕を組み直し、低く言った。


「常駐の条は?」

 マルコが即答する。


「常駐は拒否だ。必要なら“立入検査”に限定。日時指定、範囲指定、検査票提出で代替。常駐は現場を殺す」

 ミアが頷く。

 セラも頷く。

 レンも頷く。


そして、一番重いもの。


レンが言った。


「軍事転用の余地――あれは、消せる?」

 マルコは一瞬だけ黙った。

 その沈黙が、現実の重さだ。


「消せない可能性は高い」

 マルコは正直に言う。「王家は“公的目的”を捨てない。捨てたら守る理由がなくなる」

 レンの心臓が沈む。


だがマルコは続けた。


「だから、縛り方を変える。用途を“安全と救命に資する用途”に限定する文言に寄せる。少なくとも“破壊目的の改造”は禁止。改造は封印蝋破損=保証外、だけじゃ弱い。契約違反にする」

 ミアが言った。


「封印が割れたら終わり、じゃなくて……割ったら犯罪に近い形にする?」

「そういうことだ」

 マルコは頷く。「法が弱いなら、仲裁の刃を立てる」


セラが、紙に線を引いた。

 レンはその線を見て、ようやく呼吸が戻るのを感じた。

 紙が怖いのは、紙が一方的だからだ。

 でも、紙は書き換えられる。

 書き換えられるなら、戦える。


ミアが、ふと呟いた。


「私たちは、止まる箱を作った」

 彼女の声は静かだ。

「なら次は――止まらない道を作れ」


レンは小さく笑った。

 笑ってしまうと涙が出そうだったから。


「……うん」

 レンは言う。「止められる前に、こっちの条件を作る」


その時、外で風が鳴った。

 ブリキ坂の夜は、いつも通り寒い。

 でも今夜は、寒さの中に時間が混ざっている。


マルコが紙の端を持ち上げた。

 草案の最後の方。小さな文字。

 そこに、期限が書いてある。


マルコが読み上げる。


「――署名期限。明日」


レンの背中が、もう一度冷えた。


明日。

 明日までに、この罠を盾に変えなければ。

 明日までに、“守られる代償”を“守る条件”に書き換えなければ。


炉の火は落ちている。

 でも、工房の中には今、別の火が灯った。


紙の火だ。


(つづく)

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