第17話『条件は一つだけ』
品評会の広場は、勝った者のために拍手するほど優しくない。
人が集まる場所は、必ず“次の値段”の匂いがする。
レンが壇を降りた瞬間、肩から力が抜けて、膝が笑いそうになった。冷える箱を作ってきたのに、今いちばん冷えているのは自分の背中だ。汗が冬の風に撫でられて、ぞくりとする。
ミアが先に腕を掴んだ。
「座れ」
「だいじょうぶ――」
「座れ。倒れても“危険器具指定”の口実にされるぞ」
その言い方がミアらしくて、レンは黙って木箱に腰を下ろした。
セラは検査票を胸に抱えたまま、観衆の方をちらりと見て、すぐ視線を落とす。数値と記録で場を制したのに、場そのものはまだ敵だ。
そして、敵の形をした“味方”が近づいてくる。
第二王子アルベルトは、笑っていた。
怒っていない。興奮もしていない。
ただ、微笑みが“決定”の顔をしている。
「レン君」
呼び方が甘い。名前の後ろに肩を添えるような声。
マルコが一歩前に出る。
商人の動きだ。盾の出し方を知っている。
「殿下。お言葉の続きを、ここで伺うのは――」
「いいんだよ、マルコ・グレイヴ」
王子は名前まで知っていた。
マルコの瞳がほんの一瞬だけ曇る。“知られている”というのは、商人にとって嬉しさより怖さが勝つ。
「私は君たちを褒めに来た」
王子は言う。「あの実演は、街を守った。止まる仕組みは、暴走熱の噂を止めた」
周囲のざわめきが、少し引く。
王族の声は、それだけで風向きを変える。
「でも、守ったなら――守られたくなるだろう?」
レンの喉が鳴った。
“守られる”。
その言葉は、今のレンにとって確かに魅力的だ。材料、魔石、職人、噂、監査局。どれも十歳には重すぎる。
王子は、穏やかに続きを言った。
「条件は一つだけ」
そこで一拍。
広場の空気が固まる。
そして王子は、あまりにも軽い声で、それを言った。
「“私の名で売る”ことだ」
レンは理解に時間がかかった。
“私の名で売る”。
守ってあげたいの“代償”が、それだ。
「王都から、商人連盟の護衛と倉を回せる。魔石も回る。少なくともC級(緑)以上は」
王子はさらりと言う。等級の色の言い方が自然すぎて、背筋が冷える。技術を理解しているのではない。“仕組み”を理解している。
「監査局も、無茶はしない。イングリッド、そうだね?」
黒い外套が、少しだけ揺れた。
監査官イングリッドは王子の横に立っていた。最初から“ここ”が目的地だったかのように。
「殿下の名がつくなら、監査局としても管轄は明確になります」
イングリッドは淡々と言う。
「ただし――“明確になる”ということは、逸脱があれば“明確に止められる”ということです」
セラが息を呑む。ミアの指が僅かに動く。
レンは、言葉の刃の向きを見た。
守られる。
その代わりに、首輪がつく。
マルコが口を挟む。
「殿下。『名で売る』は、言い換えれば――専属ですか」
王子は微笑んだまま頷いた。
「そう。専属。独占。好きな言葉で呼べばいい」
甘いのに、喉が焼ける。
それが“甘い毒”だと、レンはこの瞬間はっきり分かった。
王子は続ける。
「レン君は、君の工房で作り続ければいい。街の職人も雇える。君のBSS規格も残せる。検査票も、刻印も、封印蝋も――“制度”として守れる」
そこだけ聞けば、救いだ。
でも次の一言で、それが罠に変わる。
「ただし、販売は“王子の窓口”を通す。勝手に売らない。勝手に教えない。勝手に外へ出さない」
ミアが低い声で言った。
「……ブリキ坂の人に売れなくなる」
「売れるよ」
王子は即答した。「私が買う。私の名で配る。必要な場所に回す」
それは慈善の言葉に似ている。
だが、“買う”は“握る”でもある。
セラが、珍しく感情を滲ませた。
「それは……研究も同じですか」
王子は目を細める。
「研究は自由だ。君の頭の中までは縛れない」
次の言葉が、実質の鎖だった。
「ただし、成果物――形になったものは、私の名で売る。管理される」
レンは、自分の指先を見た。
治具の傷、封印蝋の熱、刻印の冷たさ。
全部、自分の手で作ってきた。
それが、王子の名札をつけた瞬間、“自分のものではなくなる”。
マルコが、ふっと笑った。
笑いというより、息を吐いた。
「殿下。――契約の形にしましょう」
その声は冷たい。
マルコは王子に屈したのではない。屈するなら“紙”で戦うつもりだ。
「口約束では、こちらが死にます。第何条で縛るのか。何を守り、何を禁じ、何を許すのか」
マルコの目が鋭くなる。
「“守るための条件です”――その言葉を、あなたも使いました。なら、こちらも守られるべき条件がある」
イングリッドが、わずかに顎を上げた。
監査官は、紙の匂いを嗅ぐ。
「契約にするなら、監査局も介入できます」
「介入してくれたほうがいい」
マルコが即答した。「監査局が“安全”を口実にするなら、こちらは“安全”を盾にする」
レンはその会話を聞きながら、胸の奥が熱くなるのを感じた。
怖い。
でも――この怖さは、止まる箱を見せた時の怖さと同じだ。
怖いから、条件が要る。
王子は楽しそうに笑った。
「いいね。交渉だ」
その言い方が、戦場のそれだった。
「場所を変えよう」
王子が言う。「ここは噂がうるさい」
その言葉の通り、広場には噂が渦巻いていた。
“王子が拾うらしい”
“あの箱は国のものになる”
“監査局がつくなら安全だ”
“なら値段は上がる”
“庶民には回らない”
噂は、誰かの腹を満たす前に、誰かの腹を空かせる。
レンたちは商人連盟の簡易応接へ通された。
板の壁、粗い机、インクの匂い。
机の上には、既に紙束と印章が揃っている。準備が良すぎる。
――最初から、ここまでが“品評会”だったのだ。
王子が座り、イングリッドが立つ。
商人連盟の代表らしい男が、沈黙のまま席に着く。
そしてマルコが、レンの斜め前に座らせた。レンを守る位置だ。
「レン」
マルコは小さな声で言う。「喋るな。今は俺が喋る。お前が喋ると、感情を契約にされる」
レンは頷いた。
十歳は契約弱者。だからマルコが必要だ。これは設定ではなく現実だ。 Source
王子が、指を組む。
「条件は一つだけ。私の名で売る。――それで、君たちは守られる」
「守られる内容を、具体化しましょう」
マルコが切り込む。
「第一に、魔石供給。最低C級(緑)以上。等級の偽装があれば契約違反。こちらの検査票で照合する」
セラが小さく息を吸い、胸の検査票を抱き直した。
“紙で照合する”――それが武器になる。 Source
「第二に、監査局の扱い。停止命令は、BSS規格と検査票の運用が守られている限り、即時停止ではなく“改善期限”を設ける」
イングリッドの目が、ほんの少し鋭くなる。
「第三に、街への販売枠」
マルコが言った瞬間、王子の笑みがわずかに薄くなる。
「ブリキ坂の店へ、一定数は直販を許可。王子名義の配給だけでは、街が死ぬ」
沈黙。
商人連盟の代表が、初めて声を出した。
「直販は利益が薄い」
マルコは即答する。
「利益は“次の材料”です。直販を殺す契約は、次を殺す。次が死ねば、王子の名も汚れる」
商人の言葉は残酷で正しい。
王子は、少しだけ面白そうに首を傾げた。
「なるほど。君は『守る契約』を作ろうとしている」
その言い方は褒めているようで、試している。
「じゃあ、君は何を差し出す?」
マルコが、レンを見ずに言った。
「独占の範囲を、装置の“販売”に限定する。製造工程や治具、検査手順――BSSの基盤は、レンの商会の財産として保持する」
王子は笑う。
「それは難しい。技術は漏れる」
「漏れるからこそ、制度で止める」
マルコが返す。「刻印、封印、検査票。正規修理網。BSS。あなたが欲しいのは“冷える箱”ではない。“止まる仕組み”だ」
イングリッドが、静かに言った。
「止まる仕組みは、監査局にとっても価値がある」
彼女はレンを見る。
「だからこそ、管理したい者も増える。殿下の名で売るなら、監査局は“名を守るために”動ける」
レンは、そこで初めて気づく。
王子は敵ではない。
監査官も敵ではない。
でも――“味方の形をした圧力”は、敵よりやっかいだ。
セラが、意を決したように口を開いた。
「殿下。もし……独占が避けられないなら」
セラの声が震える。「せめて、BSS規格の公開を止めないでください。安全の言語は、街に必要です」
王子は、優しく頷いた。
「君は正しい。安全は秩序だ」
そして、次の一言で核心を突く。
「だからこそ、秩序は管理される」
ミアが噛みつくように言った。
「管理って言葉は、便利だな。誰のための管理だ」
「街のためだよ」
王子は柔らかい声で言う。「それに、君たちのためでもある。模倣屋は嗅ぎつけている。次は事故が起きる。事故が起きたら、君たちは死ぬ」
ルッカの白い指が、レンの脳裏に浮かぶ。
“赤でも動くよ、坊や”
あの囁きは、確かに事故へ繋がる。
守られる理由は、ある。だからこそ毒が効く。
王子は椅子から立った。
その動きで、場が終わる。王族の場の終わらせ方だ。
「今日は結論を急がない」
王子は言った。「急がせると、人は嘘をつくから」
その言い方が、ひどく優しい。
でも、次が本題だった。
「明日、王都へ戻る前に、草案を置く」
王子はマルコを見る。
「君が直すといい。君の得意な“紙の戦闘”で」
イングリッドが付け加える。
「草案が来た時点で、監査局の暫定措置も変わります」
淡々と、しかし脅しのように。
「――保護下に入るか、停止に近づくか。紙で決まります」
王子は最後にレンを見た。
「レン君。守ってあげたい」
そして、微笑んで言った。
「条件は一つだけ。……君が“選ぶ”ことだ」
その言葉が一番怖かった。
選ぶということは、責任を引き受けるということだ。十歳に。
王子が去り、部屋にはインクの匂いだけが残った。
ミアが机を叩きそうになるのを、マルコが目だけで止める。
「怒るな」
マルコが言う。「怒りは契約に書けない。書けるのは条件だけだ」
セラが呟く。
「……“守るための条件”」
レンは、拳を握った。
止まる箱は作った。
でも、今度は自分たちの未来が“止められる”側だ。
その夜。
工房へ戻ると、炉の火は落ちていた。
木屑の匂い、蝋の匂い、油の匂い。ブリキ坂の生活の匂い。
それが、今日は妙に遠い。
机の上に、紙が一枚置かれていた。
封筒ではない。
封印蝋もない。
――だからこそ、“逃げ道がない”紙だ。
表題だけが、レンにも読める大きな文字で書かれている。
『独占契約 草案』
レンは、息を止めた。
(つづく)




