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第15話『止まる箱は、街を守る』

札の数字が、ついに「1」になった。


工房の梁から吊るした木片は、昨日の夜にマルコが削った。削った瞬間、木屑が舞って、炉の火に吸い込まれた。火の中で数字だけが燃え残って、今朝のレンの目に刺さった。


品評会まで、あと一日。


そして――魔石がない。


レンの胃は、ずっと冷えたままだった。冷える箱を作ろうとしているのに、自分の腹が冷える。皮肉が笑えないくらい、現実が近い。


机の上には、三つの保冷庫が並んでいる。実演用の三台。治具で寸法を揃え、刻印位置を揃え、封印蝋の割れ方を揃え、検査票で番号を揃えた――“正規品の条件”が揃った三台だ。


揃っているのは箱だけだ。肝心の中身、C級以上の魔石が揃っていない。


「……足りない」


セラが測定具を置き、淡々と告げた。淡々としているのは、感情を殺しているからだ。感情を殺さないと、計算が狂う。


「C級が三つ。最低でも三つ。予備も要る」


「予備? 贅沢言うな」


ミアが噛みつくように言った。指は絆創膏だらけで、目の下が青い。それでも立っている。倒れたら、箱はただの木だ。


「贅沢じゃない」


セラが言い返す。敬語が剥がれている。彼女の怒りのスイッチは“証拠無視”だ。


「品評会は“見る”場。見る場では、事故の芽が拾われる。予備がなければ、検査の再現性が示せない」


レンはその言葉に頷いた。BSS。安全は願いじゃない、条件だ。条件は“何度でも同じ”でなければならない。


マルコが外套を羽織った。いつも通り軽い動きなのに、目だけが重い。


「俺が走る。正規ルートでしか、勝てない」


ミアが鼻で笑った。


「走って取れなきゃ終わりだぞ」


「終わらせない」


マルコは笑わない。笑う余裕は、金がある時だけだ。


「……ラザールと商人連盟だ。紙で殴る相手は、紙を持ってる奴に限る」


レンが言った。


「僕も行きます」


「ダメだ、坊主」


マルコが即答した。


「君はここに残れ。正規品の条件を“見せる形”にしておけ。俺が魔石を引っ張ってきたとき、受け取る紙がなければ意味がない」


レンは拳を握った。十歳の拳は軽い。でも、軽いからこそ紙を握れる。


「……分かりました。BSSと検査票で、条件を固定します」


マルコが頷き、戸口で振り返る。


「いいか。条件は“客を追い払うため”じゃない。“正規の魔石を流す理由”を作るためだ」


そう言って、マルコは雪のブリキ坂へ飛び出した。


工房に残った三人は、静かに動き始めた。


音が少ない。炉の火が小さい。

 でも手の動きは止まらない。止めたら、噂が先に走る。


レンは机に紙を広げた。BSS案――提出用ではなく、現場用。短い言葉で、読み間違えない形。


【BSS(現場用・品評会版)】

・刻印:扉内側(蝶番近く)/削れ痕=不合格

・封印:二段/割れ=改造疑い

・検査票:刻印番号・封印番号・測定者署名

・漏魔:基準箱以下(相対)

・暴走熱:異常兆候→遮断作動(止まる)

・魔石:C級以上(D以下は試験のみ/保証外)

・禁止:放熱・遮断の取り外し/改造


ミアが言った。


「よし。次は“見せ方”だ。品評会は、口より目だろ」


レンは頷き、三台の箱の前に小さな札を置いた。札には番号を書いた。刻印番号と同じ番号。誰が見ても“対応”が分かるようにする。


セラが検査票の束を揃え、上から押さえた。


「順番。箱1→検査票1。箱2→検査票2。箱3→検査票3。混ぜると死ぬ」


「混ぜない」


レンは答えた。

 混ぜないために治具がある。混ぜないために工程表がある。混ぜないために検査票がある。


ミアが扉を開閉した。パッキンがきゅっと鳴る。密閉の音だ。音は嘘をつかない。


「封印の位置、もう一回見るぞ。……ここ、押し型深すぎ」


セラが目を細くする。


「深いと、割れやすい」


「割れやすいのは困る。割れたら保証外だ。客が泣く」


ミアの“客が泣く”は、珍しい言い方だった。普段は現場の怒りばかりなのに、今日は街の顔をしている。川べりの火事で、彼女も線を引く怖さを知ったのだ。


セラが封印蝋を温め、押し型の角度を調整した。


「深さは一定。治具で止める」


レンが頷く。


「深さ治具、使おう」


治具を置く。押し型が止まる。封印が揃う。

 たったそれだけの動きが、背骨を一本通す。


レンは思った。

 これは“便利な箱”を作っているんじゃない。便利が悪用されないための“仕組み”を作っている。


外から、ドロテアの声が飛んできた。


「坊や、食え! 頭は腹で動くんだよ!」


小さな椀が差し入れられる。薄いスープとパンの欠片。生活感のある温度が、指先に戻ってくる。


ミアが椀を受け取り、口だけで礼を言った。


「……ありがと」


ドロテアがにやりと笑う。


「礼は勝ってから言いな。噂は今日も走ってるよ。“監査局が止めた箱が、品評会に出る”ってね」


レンの胃がきゅっとなる。噂はいつも、こちらの心臓を狙う。


セラが淡々と言った。


「噂なら、数字で殴る」


レンは頷いた。


「だから検査票を並べる。刻印を見せる。封印を見せる。――紙を見せる」


そのとき、外から足音が戻ってきた。


マルコだ、と思って顔を上げたレンの視界に、先に入ってきたのは“紙の匂い”だった。


仲裁屋ラザールが、工房に立っていた。


痩せた背中。白い指。墨の人。

 紙を持っている者は、紙で世界を動かす。


「坊や」


ラザールはゆっくり言った。


「泣き言では裁けん。……刻印番号と検査票を出しなさい」


レンはすぐに検査票束を差し出した。ラザールは番号を追い、封印の押し型を見て、頷く。


「整っている。これは“条件”だ」


レンの喉が鳴る。


「魔石は……?」


ラザールは首を傾げた。


「商人連盟の倉庫には、在庫がある。だが出す理由がない。冬で高い。危険器具の噂もある。連盟は“火種”を避ける」


マルコの姿が、ラザールの後ろに見えた。息が荒い。走ってきたのが分かる。だが目は死んでいない。交渉の目だ。


「だから、坊主の紙が要る」


マルコが言った。


「連盟は“安全と記録”が欲しい。坊主のBSSと検査票が、正規ルートの理由になる」


レンは瞬間、理解した。

 魔石は石じゃない。信用だ。

 信用がないところに、C級は流れない。流れれば燃えるからだ。


ラザールが封筒を一つ出した。封印蝋が付いている。商人連盟の印だ。


「条件付きで、確保した。品評会用、C級三つ。番号付き。連盟の印。――ただし」


レンの背中が硬くなる。


「条件を守れ。BSSに反した使い方をした場合、責任は連盟ではない。坊や、お前だ」


マルコが頷く。


「契約だ。守る」


レンは喉が痛いほど息を吸い、頷いた。


「守ります。……守るために条件を作りました」


セラが魔石を受け取り、測定具をかざした。針が落ち着く。荒れていない。C級の緑は、目に見えないのに“静か”だ。


「……C級。安定してる」


ミアが小さく息を吐いた。


「これで、三台動く」


レンは震える指で、魔石カートリッジを箱に収めた。封印蝋を塗り、押し型を押す。固まる数秒が、人生みたいに長い。


そして、三台が揃った。


刻印。封印。検査票。魔石。

 “正規品の条件”が、ようやく全部揃った。


品評会の会場は、ブリキ坂の市より広かった。


天幕が高く、通路が広い。人の目が多い。

 ここは噂の器じゃない。判定の器だ。


監査局の印が貼られた掲示板。商人連盟の席。職人ギルドの席。

 そして、出展者の机がずらりと並ぶ。


レンたちの机の上には、三台の保冷庫と、検査票の束。

 紙が、箱の隣に立っている。紙が盾だ。


セラが囁いた。


「測定具、準備」


ミアが短く言う。


「工具、準備」


マルコが笑わずに言う。


「言葉、準備」


レンは、胸の中で自分に言い聞かせた。


(冷えるかどうかじゃない。止まるかどうか。安全は条件。条件は紙。紙は嘘をつかない)


そのとき、通路の向こうから視線が刺さった。


少年が一人、こちらを見ている。

 整った身なり。職人というより、教育を受けた“工房の子”。背筋がまっすぐで、目が冷たい。年はレンより上だが、同じ“若さ”の硬さを持つ。


クラウス・ヴァイス。


噂で知っていた。ギルドに繋がる工房の若い職人。

 便利を嫌う者。便利を管理したい者。


クラウスは、レンの机の上の検査票の束を見て、口角だけを動かした。


「……少年」


声は静かで、よく通る。

 周りの空気が、少しだけ固くなる。


「便利は、管理されるべきだ」


釘を刺すように言い切り、クラウスは自分の席へ戻っていった。

 その背中が告げている。今日は“箱の勝負”じゃない。秩序の勝負だ、と。


レンは検査票を握り直した。


(管理されるなら、こちらのルールで管理する)


品評会の鐘が、鳴る直前だった。


(つづく)

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