第14話『品評会まで、あと七日』
札は、容赦なく減る。
工房の梁から吊るした木片に、太い炭の字で書いた数字。
昨日は「7」だった。今朝、レンが起きて最初に見たのは「6」だ。
「……品評会まで、あと七日」
口に出したのは、わざとだった。言葉にしないと、恐怖が形にならない。形にならない恐怖は、背中から刺してくる。
ミアが炉の前で鉄を返しながら言った。
「カウントすんな。手が遅くなる」
「遅くなってるのは、手じゃなくて材料だろ」
マルコが机の上の帳面を閉じる音は、釘を打つ音より重い。
「……止められてる間も、金は減る。燃料も減る。食い物も減る。だから“七日”は、脅しじゃない。現実だ」
セラが測定具の袋を抱えたまま、淡々と補足した。
「現実なら、分解して処理する。工程に落とす」
レンは机の上の紙束を見た。第13話で形にしたBSS案。紙の上では、もう勝っている。
でも、勝負は紙じゃない。現場だ。
BSSを“検査できる形”にする。
それはつまり――誰が作っても、誰が検査しても、同じ結果になるようにするということだ。
言い換えれば、地獄の手作業で「同じ」を作ることだった。
1日目:治具がないと、同じにならない
ブリキ坂の朝は、鍛冶場の火より先に、湯気が立つ。
路地の端の食堂で、ドロテアが鍋をかき回す音がする。薄い粥の匂い。焦げかけたパンの匂い。水で伸ばしたスープ。冬の匂いは、どれも貧しい。
「ほら、食ってけ。倒れたら“安全”もへったくれもないよ」
ドロテアが木椀を突き出す。レンは礼を言って受け取った。温かいのに、腹に落ちると軽い。軽いから、すぐに手が震える。
ミアが舌打ちした。
「こっちは腹に入れても、手が追いつかねえ。レン、治具の図面!」
「……これ!」
レンは紙を広げた。治具――位置決めの型。穴を開ける位置、刻印を打つ位置、金具を付ける位置。全部がズレたら、全部が“別物”になる。
今までのブリキ坂は、“一個作れりゃ腕前”の世界だ。十個同じに作る文化が薄い。だからこそ治具が革命になる。
だが革命は、時間を食う。
木工のユルゲンが、工房の入口から顔を出した。手は木屑だらけ、眉は白い粉を被っている。
「坊や、これが“治具”かい。面白いが……木は急ぐと割れるぞ」
「急がないと、期限が割れます」
レンが言うと、ユルゲンは笑わなかった。
「割れるのは木だけじゃない。人の指も割れる」
ミアが「だから治具がいるんだろ」と吐き捨て、木枠にクランプをかける。ギュッと締まる音が、背筋に来る。
治具作りは、治具がないと難しい。皮肉だ。
レンは手を動かしながら、頭で工程を組んだ。
刻印位置治具(扉内側・蝶番近く)
蝶番穴位置治具
放熱板取り付け位置治具
封印蝋押し型の“押す深さ”治具(押し込みすぎると割れる、浅いと偽造される)
セラが覗き込み、呟いた。
「治具が増えるほど、検査が楽になる。検査が楽なら、検査票が嘘をつかない」
マルコが言った。
「治具は金になる。だが今は金を生まない。だから“必要最小限”でいけ」
必要最小限。BSS案と同じだ。
削って、削って、それでも残るものだけが、商売を守る。
2日目:小ロット量産(2〜5台)の地獄
治具が一つ出来るたび、ミアの肩が少しだけ上がる。上がるのは疲労だ。
炉の火が落ちるころ、工房の床には木屑と金属粉と蝋の欠片が混ざって積もる。
「……一台目、枠できた」
ミアが言う。声が枯れている。
レンが検査票を机に置いた。まだ空欄ばかりの紙。
紙が空欄なのは怖い。でも空欄を埋めれば戦える。埋めなければ殺される。
「次。二台目。同じ寸法」
レンが言うと、ミアが睨む。
「言うな。やる」
セラが測定具を取り出す。
「組み上がったら、漏魔の測定を入れる。組み立て途中で測ると、意味がない」
「分かってる」
レンは頷き、治具を触った。治具は冷たい。冷たいほど正しい。感情を挟まないからだ。
外では、ブリキ坂の生活が続く。
子どもが走り、鍛冶場から怒鳴り声が飛び、夜警が棒を鳴らして通る。
その生活の中で、レンたちだけが時間の外にいる。
工房の中は、ずっと同じ匂いだ。木屑の匂い、油の匂い、樹脂の匂い。
そして、焦げ油の匂いが混ざるときだけ、全員の呼吸が止まる。
「……匂い、した」
ミアが言うと、レンの背筋が凍る。
セラがすぐ測定具をかざした。
「大丈夫。これは炉の匂い。装置の匂いじゃない」
言い切れるのは、測っているからだ。
測っているから、恐怖を切り分けられる。
小ロット量産の地獄は、失敗の形が“量”で出ることだ。
一台なら誤差で済む。二台目で誤差が傷になる。三台目で傷が癖になる。
癖は模倣に食われる。
レンが言った。
「検査手順、固定しよう。組み立て→目視→漏魔→連続稼働→遮断→記録」
「順番を紙に貼れ」
マルコが即答した。
レンは壁に紙を貼った。手順表。たった五行の紙が、工房の動きを揃える。
紙が、現場を動かす。
それが“商会”になる瞬間だと、レンは思った。
3日目:検査手順の整備(見せるための検査)
検査は、秘密じゃない。見せるためにある。
監査官に見せる。客に見せる。町に見せる。
レンは、検査票の束を机に並べ、番号の空欄を見つめた。刻印番号、封印番号、測定者署名。
その番号を“打つ”のが、今日の作業だ。
ミアが刻印具を握り、治具に合わせて扉の内側に当てた。
「位置、よし。……打つぞ」
カン、と澄んだ音がした。
その音は、いつもの鍛冶音と違う。
“同じを作る”音だ。
セラが封印蝋を垂らし、押し型を押す。
蝋が固まる数秒、全員の目が一点に集まる。
割れ方が制度の命だ。
「二段、番号欠けの構造、確認」
セラが短く言う。
レンが検査票に番号を書き込み、署名欄にセラがサインする。
その一連の流れが、工房の中で“作業”として回り始めたとき、レンは背中が熱くなるのを感じた。
「……これだ。BSSを現場に落とした」
レンの声は小さい。
でも、その小ささが本物だ。大声で言う必要がない。回っているから。
マルコが言った。
「回る形になったら、次は“足りるか”だ。品評会には何台持ち込む?」
「……三台」
レンが答える。
「一台は展示。二台は実演と検査。壊れても止まるを見せる」
ミアが「壊すな」と睨むが、レンは引かなかった。
「壊さないために、止まるを見せるんだ」
レンは自分の決め台詞を、もう一度噛んだ。
冷えるかどうかじゃない。止まるかどうかだ。
安全は願いじゃない。条件だ。
4日目:地獄の現実(材料と魔石)
その日の夕方、マルコが戻ってきた。
外套の裾に雪がついている。顔がいつもより無表情だ。無表情なマルコほど、悪い知らせを持っている。
ミアが先に聞いた。
「……材料、来たか」
マルコは首を振った。
セラが眉を動かす。
「物流? 雪?」
「雪だけじゃない」
マルコは机に帳面を置き、指で一行を叩いた。
「魔石が――ない」
工房の空気が、凍る。
レンの喉が鳴った。
「C級が……?」
「流通が詰まってる。冬で需要が増えた。ギルドが締めた可能性もある。理由は複数だ。だが結果は一つ」
マルコが言った。
「材料が足りない。……魔石が枯渇した」
レンは、目の前が白くなるのを感じた。
紙は揃えた。治具も作った。手順も回り始めた。
なのに、動力がない。
“赤でも動く”という囁きが、耳の奥で笑った。
セラが言った。
「……D以下を使えば、動く。けどBSSの条件から外れる」
ミアが拳を握り、言う。
「外れるなら、燃える。川べりみたいに」
レンは、机の上のカウント札を見た。
「6」が、また減っていく。
品評会まで、あと七日。
なのに、材料が足りない。
(つづく)




