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第11話『燃えたのは、刻印のない箱』

「川べりで、箱が燃えた!」


ベニーの叫びが、工房前の空気を切り裂いた。


さっきまで人だかりがしていたのに、声だけが取り残される。誰かの喉が鳴り、誰かが一歩引き、誰かが「箱って、あの箱か」と呟く。噂が、今この瞬間に形を持ち始める。


レンは一瞬だけ足が動かなかった。第10話で“制度”を教えたばかりだ。刻印と封印蝋と検査票――それが街を守るはずだった。その直後に「燃えた」だなんて、悪い冗談みたいだった。


「どこだ、ベニー」


マルコの声が低い。怒鳴っていないのに、場を支配する。


「川べり! 荷車が止まってて、箱が――火ぃ噴いたみたいに……! すげぇ臭い、金属の臭い!」


金属臭。焦げた油。レンの脳裏に、セラが以前口にした言葉が刺さる。暴走熱の前兆――匂いが出る、音が変わる。そんな話を、確かにしていた。


「……行く」


レンが言う前に、ミアが工具袋を掴んで背負った。怒りの速度だ。


「レン、走れるか」


「走る」


走れないはずの体が、今だけは走れる気がした。怖さが足を動かす。


セラは測定具の袋を肩にかけた。


「測る。痕跡が残ってるなら、漏魔の反応も残る」


「よし」


マルコが工房の戸を閉め、外の野次馬を一瞥した。


「ついてくるな。事故は見物じゃない」


言い切って、四人はベニーの後を追った。


川べりは、ブリキ坂の賑わいから少し外れた場所だ。


冷たい水が流れ、湿った風が肌を刺す。冬は川の匂いを薄くするはずなのに、今日は違った。鼻に刺さる焦げの匂いが、遠くからでも分かる。


現場にはもう、人が輪を作っていた。輪の中心から、黒い煙がまだ細く立ち上っている。水をかけた跡が地面に広がり、泥がぬかるんでいる。


「おい、どけ! 夜警だ」


低い声が飛び、輪が割れた。


オルグが先に来ていた。棒を肩に担ぎ、眠そうな目で現場を睨む。酒の匂いがするのに、動きは早い。


「遅い。……坊主、来たか」


「オルグさん……!」


「火が出たって聞いたら、俺の首も飛ぶ。面倒が増える前に片付けろ」


口はぶっきらぼうだが、彼は現場を守っていた。踏み荒らされないように、燃え跡の周りに人を入れないように。


レンたちが輪の中心に入ると、そこに“箱”があった。


木箱の形は、確かに保冷庫に似ている。だが、似ているだけだ。


外板は焦げ、扉の縁の革は縮れて黒くなっている。金具は歪み、蝶番の片方が外れている。内側の板は一部が炭になり、そこから焦げた油の匂いが立ち上る。


レンの喉が鳴る。これは……事故だ。しかも、見せつけられる形で。


「誰の箱だ?」


マルコが周囲に問うと、震えた声が上がった。


「俺だ……魚屋の……。安く手に入るって言われて……」


第9話で手付金を拒んで帰った男と同じ匂いがした。金と焦りの匂い。レンの胸が痛くなる。怒りじゃない。哀れみでもない。怖さだ。これが広がったら、正規品もまとめて燃える。


「検査票は?」


マルコが即座に言った。


魚屋が口を開けて、閉じた。


「……ねぇ。紙なんか、渡されてねぇ」


レンの背中が冷たくなる。


セラが、測定具を取り出しながら言った。


「封印蝋は?」


ミアが扉の内側を覗き込み、歯を食いしばった。


「……封印の痕がない。そもそも蓋が雑だ。うちのじゃない」


レンは膝が抜けそうになるのを堪え、箱の内側へ目を凝らした。第10話で決めた刻印位置――扉の内側、蝶番の近く。覗けば見えるはずの場所。


だが、そこには何もない。


削れた跡すらない。ただ、焦げと煤があるだけ。


「刻印……ない」


声が、震えた。レンは“言ったこと”を思い出す。刻印と封印と紙を見ろ。それがなければただの箱だ。今日、その言葉が自分を守るはずなのに――同時に、自分の首を絞める。


周りの野次馬がざわめく。


「刻印? なんだそれ」 「坊やの箱が燃えたんだろ?」 「似てるじゃねぇか」 「ほら見ろ、危ねぇんだよ!」


言葉が、火より速い。


マルコが一歩前へ出て、凍った声で言った。


「静かにしろ。これは“うちの箱”じゃない可能性が高い。刻印がない。封印がない。検査票がない。――まずそれが事実だ」


だが事実は、いつも噂に負ける。噂は目で見るからだ。燃えた箱は“見える”。刻印のないことは“見えにくい”。


だから、レンは言わなければならない。


「皆さん、見てください。刻印の位置はここです」


レンは焦げた扉の内側、蝶番の近くを指で示した。煤で黒い板に、何もない場所。


「ここに刻印がなければ、正規品じゃありません」


ミアが続ける。


「封印蝋もない。正規品は蓋に封印がある。割れ方も決まってる。これは――最初から無い」


セラが測定具を箱の近くにかざし、針の震えを見る。


「漏魔の反応……強い。変だ。正規品なら、ここまで残らない」


セラの声は冷たい。数字の匂いがする。観衆の何人かが、顔色を変えた。“魔法の事故”は怖い。目に見えないから怖い。


オルグが棒で地面を叩き、怒鳴った。


「聞いたか! 刻印なし、封印なし、紙なし! これは“坊やの正規品”じゃねえ!」


夜警の声は、市の声より強い。人が黙る。だが、黙った分だけ別のものが動き始める。疑いだ。


魚屋が震えながら言った。


「……じゃあ、誰が売った。誰が作った」


マルコが答える。


「それを今から調べる。――だが先に、原因を見ろ。何が燃やしたか」


ミアが工具を取り出し、焦げた金具を慎重に外した。レンの喉が鳴る。壊すのは怖い。だが、壊れたものを開けなければ、真実は出ない。


ミアが扉を外し、内側の蓋へ手を伸ばす。


「……ここ、変だ」


彼女が指で示したのは、箱の外側にあるはずの“放熱”の痕跡だった。本来、レンたちの設計では熱を逃がす道がある。熱が逃げないと、暴走熱は起きる。


だが、この箱は――逃がすべき場所が塞がれている。


「逃がしがない。箱の中で全部抱え込んでる。……これ、わざと削ってる」


「安全部を……外した?」


レンの声が掠れた。第9話で、値切りのために安全部品を外す話をした。あれは机の上の話じゃなかった。現実は、もっと汚い形で出てくる。


セラが測定具を蓋の近くへ寄せた。


「魔力の波が荒い。低等級……Dか、もっと悪い」


レンの背中が凍る。


“赤でも動くよ、坊や”


赤――E級。事故の温床。闇市で流通しやすい。


オルグが舌打ちした。


「面倒が増える匂いがするな」


マルコが魚屋に問う。


「買った相手の顔、覚えてるか」


「……手袋してた。指が白かった気がする。甘い匂いがした」


レンの視界が一瞬揺れた。白い指。甘い匂い。ルッカだ。名前を言えば、今ここで燃えるのは箱だけじゃ済まないかもしれない。


マルコは表情を変えずに言った。


「分かった。夜警、売った相手の話は預かれ。ここで騒げば、証拠が消える」


オルグが肩をすくめた。


「……俺に面倒を押し付けるなよ。だが、まあ、分かった」


彼は周囲の人間を睨み、現場を封鎖するように動いた。棒一本で人を動かすのは、彼の才能だ。


レンは燃え跡を見つめた。刻印がない。封印がない。検査票がない。制度が、今この場で“効いている”。それだけが救いだった。


けれど救いは同時に、別の恐怖を連れてくる。


「……これ、広がる」


レンが呟くと、ミアが唇を噛んだ。


「広がる。燃えたって噂だけが走る。刻印がないって話は、遅れる」


セラが淡々と言う。


「だから、数字と事実を先に出す。検査票がないことを、紙にする」


マルコが頷いた。


「その通り。事故は“責任”を呼ぶ。責任は“権力”を呼ぶ」


その瞬間、川向こうの方から声が飛んできた。


「聞いたか!? 危険器具指定だってよ!」 「魔導ギルドの監査局が動くって!」 「冷える箱は危ねえって、役所が言い出すぞ!」


噂は、火より速い。今度は“燃えた箱”だけじゃない。“指定”という言葉が、人を縛る。


レンの胸が冷たくなる。


危険器具指定――それは、作る側を殺す札だ。

 正規品でも、偽物でも関係なく、“箱”がまとめて敵にされる。


オルグが、面倒そうな顔のまま、しかし真剣に言った。


「……監査局の影が立つ。坊主、覚悟しろ。ここからは、技術の勝負じゃない」


レンは燃え跡を見つめ、拳を握った。


制度を作った。制度で守る。

 だが次は、その制度ごと潰しに来る。


誰かが叫ぶ声が、風に乗った。


「危険器具指定だ!」


(つづく)



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