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煙の旅人  作者: さい
1章 忘れた世界
13/17

13.侵食する黒



 起床と共に爪先を見て驚く。

 

 

「……まずいな」

 

 両手の爪が黒化しかけている。


 黒化は、瘴気が溜まった合図だ。

 多少の倦怠感はあったが、そういう事か。


 瘴気の許容量は人それぞれだ。耐性があれば、それだけ溜め込める。


 

「耐性はあったが、さすがに無理をしてたか」


 ソルード大陸に落ちてきてから、生活基盤や人脈の確保と忙しい日々を過ごした。それに、思っていたよりも、瘴気の蓄積が早い。

 こちらに来て、まだ十日ほどしか経っていないんだが。


「朝食を食べたら、神殿に行かないとな」



 今日の朝食は、昨日狩ったファングボアの肉を挟んだパンとスープだ。


 アナベルがこの肉を好きだというから、ついついファングボアを狩ってしまう。たまには、違う肉の方が良いのだろうか。


 

 パンに浅くかぶりつく。

 適度に霜が乗る肉といくつかの野菜。手製のあっさりしたソースと抜群に相性がいい。


 

 向かいのテーブルに座る二人組の冒険者も、至福の顔で朝食を食べている。

 今日は彼らも休息日らしい。



 アナベルが厨房から出てきて、各テーブルの水を足す。

 

「今日は神殿に行くから、肉は店で買ってくれ」

「浄化ですか?」

「ああ、爪の黒化が始まった」


 ほら、と見せると、アナベルは思案顔で言う。


「井戸の浄化水では追いつかなかったんですね。ちゃんとお昼の水飲んでますか?」

「昼に汲んだ水を部屋には置いているが。まあ、吸ってる瘴気の方が多いんだろ」

「そうですが……。もし良ければ、ランとレイも一緒に神殿へ連れて行ってもらえませんか? 月水瓶が残り少なくて」


 月水瓶は小範囲の浄化ができる、濃縮聖水だ。

 皿を運んでいた双子が、テーブルに近づいてくる。呼ばれたと思ったようだ。


「それは構わないが、どれほど浄化に時間がかかるかわからんぞ」

「大丈夫です。黒化までしたらどれだけ面倒か、二人に見せてあげたいんです」

「……参ったな。俺は反面教師か」

 

「こうならないように、きちんとお昼のお水を飲むのよ」


 双子にそう諭すようにアナベルは言った。

 勉強の機会を逃さない母親だ。



「シガー、爪真っ黒ー! ソルさまのお使い!」

「シガー、お昼のお水飲んでないの? 魔物になる?」


 双子の言葉に思案する。

 

 ――ソル

 太陽神ソルの事だ。

 創造と理性を司る神。魔素と瘴気を生む存在。


 元いたミレナリアでは、魔力の源と資源を生む太陽神ソルは主神だった。

 このソルードでは、月神セラフィの名はよく耳にしたが、ソルの名を聞くのはこれが初めてだ。


 どうやら、主流の神は違うらしい。




 朝食を食べ終え、双子と共に神殿へ向かう。


「ラン、レイ。ソルは悪い神か?」

 

「んんー、怖い! 魔物生むもん!」

「でも、ランも魔物食べてるよ?」

「えー、だってシガーの爪黒くなっちゃったし」

「それはセラフィさまのお水、飲まなかったからでしょ?」


「じゃあ、シガーが悪い!」

「そうかも」


 双子の言い合いは、俺が悪者となって終わった。

 どうやら、住人はソルには畏怖を。セラフィには親しみと敬愛を抱いているようだ。



 そんな話をしながらしばらく歩くと、街の中心にある神殿に到着した。


 白を基調とした、厳かで意匠の少ない神殿だ。街の神殿としては、些か大きく思う。


 神殿に続く道には白砂が撒かれている。

 白砂に一歩足を踏み込むと、僅かに沈み跡が残る。


 歩みを進めると、双子の足跡は少しも残らない事に気づく。


 体重の差ではない。


「なぜ、お前たちの足跡は残らないんだ?」

「シガーは魔物になるから!」

「シガーは瘴気が多いから」


 二重の返事に、ようやく腑に落ちた。


 この砂で瘴気を測るのか。

 かなり仕様が異なる神殿に、勉強しているのはこちらだな、と苦笑いが浮かぶ。



 神殿に入ると、侍祭が問診と触診を行う。


「神殿は初めてなんだ。お布施はどの程度いる?」

「進度三ですので、司祭が浄化を行います。皆様は、銀貨一枚ほどを納められます」

「お布施はわかった。で、その進度ってやつはなんだ?」


 侍祭は一瞬きょとん、とした顔をしたがすぐに戻す。

 

「余程、セラフィ様のご加護を受けた地で過ごされたのでしょう。羨ましい限りです。進度とは予兆を五段階に分けたものです。一、二までは体調不良や悪夢など。三は角質、粘膜の黒化。四は衝動の激化、耳鳴り。五は意識混濁、他害です」


「ああ、よくわかった。ありがとな」

「お辛くはなかったのですか?普通でしたら神殿に駆け込むほどですよ」

「ただの疲れだと思ってたんだ」


 実際に、初期症状は風邪と似ている。


 お布施は多めに払う。こういうのは、先払いしておくと後に効く。


「これから浄化室にご案内しますが、お子様方はどうされますか?」

「この子たちは見学だ。いいか?」

「ええ、もちろん。いいお父様ですね」


 侍祭は微笑ましいものでも見るように、後半は双子に向けて言った。


「シガーはお父さまじゃなーい」

「ボクたちにお父さんはいないって、お母さん言ってた」

 

「侍祭、そんな顔で見るな。ただ預かってるだけだ」

「え、ええ、すみません。ではご案内します」



 案内された部屋は、飾り気一つない代わりに、床は白砂で埋まっている。

 中には司祭が一人と補佐の神官が一人。

 机の上には聖水と月水瓶が置いてある。


 

「だいぶ溜めているね。進度三と聞いたが本当かい?」

 

 司祭が白砂に残った足跡を見て、案内した侍祭に尋ねた。


「はい、問診と触診からそう判断しました。感情の激化や、耳鳴りはないと言う事なので」

「……そうか、では始めよう」


 

 聖水を使っての浄化は初めてだ。

 聖水を全身に振りかけられると、僅かに身体を刺すような冷感を感じた。

 聖水は肌に触れると、空気が抜けるような音を出して蒸発していく。

 

 月水瓶も同じように使うが、冷感は先ほどよりもはっきりと感じ、爪の縁がきしむ。


「やはり、聖水だけでは浄化しきれないね」


 

 司祭は手を組み、祝詞を捧げ始める。

 

 途端に、部屋を清涼で柔らかな風が抜けた。


 


 ――月の名において、影は離れ、息は澄む

 この身に絡む黒をほぐし

 爪の先より髄の底まで澄ませたまえ

 一息に影を離し、二息に水を受け、三息に光を宿す

 息は巡り、理は輪となる

 


 爪下の黒が薄墨、灰へと抜けていく。

 肺の拍動に同期して、少しずつ指先の冷えと痺れがなくなる。呼吸もしやすくなってきた。

 


 祝詞を終えると、疲れた顔をした司祭が椅子に腰掛ける。


「すまない、座らせてもらうよ。もう魔力が空っぽだ。……次に“進度三”で来たら、司教様に回すからね」

「肝に銘じとく」


 

 むしろ、司祭で浄化しきれたのが驚いた。聖水で多少の瘴気は落とせたのだろう。

 ミレナリアでは、定期的な浄化は司祭が。黒化まで進むと司教か、運が悪いと大司教に回されていた。当然、お布施はそれなりだ。


 

「……シガー、もう魔物にならない?」

「ああ、ならない。心配かけたな」

 

 黒が抜けた両手を、二つの頭に乗せる。

 二人とも、初めて見る黒化に不安だったのだろう。



 司祭に礼を告げ、侍祭に月水瓶を頼む。



 部屋を出ると外廊下の先に、服装が明らかに違う神官たちが歩いている。


 白色の軍服にも見える服だ。黒い手袋がよく目立つ。

 

 侍祭は俺の視線に気づいたのか、彼らについて話す。


「彼らは太陽神殿の信徒です。見ての通り、軍務や危険な魔導具の管理を担っています」

「なるほどな。月神殿の役割は浄化と運営ってとこか?」

 

「ご明察です。主に上水の管理などは月神殿で執り行っています。太陽神殿は迷宮の調査にも行きますので、いずれ関わり合いになるでしょう」



 ランが言っていた、“ソルの使い”というのは太陽神殿の信徒だったって事か。



 

 侍祭から月水瓶を受け取り、外に向かう。


「楽しかったか?」

「司祭さまがお願いしてる時、すごいきれいだった!」

「どうやって黒いのなくなったの?」


 二人の性格が分かれる返答だ。


「あれは、セラフィに魔力をあげて、代わりに願いを叶えてもらうんだ。まあ、金と一緒だ」


 

 レイに答えて気づく。


 神官は浄化を使えた。

 ではなぜ、外に作用する魔法が扱えないのか。

 

 この地は魔導具で溢れている。

 ミレナリアでは魔導具は造るものだ。だが、ここは違う。迷宮から“生まれる”。

 

 この世界の魔導具は、まるで魔法を失った者の杖だ。

 歩けないから杖をつく。

 あるいは、杖が先にあって、歩き方を手放した。



 いや、世界の道理など人が理解できる訳もないか。それに、歴史的に魔法が廃された可能性もある。


 どうやら、神殿に来たからか、考えが感化されたようだ。



「なんか買って帰るか?」

「おやつー!」

「お肉がいい」

 

 今は、この二人を家に届けるまでが俺の仕事だ。

 


 

「あれ、シガーの足跡残ってるよ」

「ん? まあ、そういう事もあるさ」


 

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