マゾクの王
生きることを許さぬ灼熱。マグマが崖下を泥のように流れているのを、少女は見下ろす。彼女を勇者と呼び慕う、虐げられし人々の声を思い出した。
ここは地獄の山と呼ばれる場所に隠された巨大な洞窟。大軍はけして渡ることの出来ないだろう細く切り立った道を、汗を拭うことも忘れてひたすら歩く。もうすぐ奴に会えるはずだと確信しながら。
――思いは現実となった。
「待ちわびていたぞ……」
陽炎の中に突然浮かび上がる影。洞窟の壁に伸びるそれはおぞましいほど巨大だった。まるで塔のように立ちはだかる影に、勇者は声を荒げる。
「私こそ。今日こそ裁きが下される日。魔王よ、覚悟!」
勇者は細い体に似合わぬ大剣を軽々と振り回し、切っ先を向けた。その所作に影が収束し、漆黒の長外套を纏う美しい青年へと変貌する。黒髪と黄金色の瞳が因美な青年、その薄い唇が僅かに動いたとき、鋭い牙が冷たく輝いた。
彼こそが、魔王。
「ふふ。……よろしい、望むところだ!」
青年は片手を掲げた。黒い霧がマグマから吹き上がり、細い帯となって空を踊る。
不気味な帯は瞬く間に太くなり、青年の片手に絡み付き、次の瞬間――、
――魔王を縛り上げた。
「さぁ、勇者よ! やってくれ!」
亀甲縛りに汗ばむ肉体。紅潮する頬に荒い息づかい。うっとりと潤む瞳に勇者は、
「え?」
ドン引きした。
「さぁ、早くその太くて逞しい剣で私をやつざきにしてくれ!」
「えっ、えっ、えっ?」
狼狽しながらも勇者は、目の前に起きていることを整理すべく頭をフル回転させた。
残虐非道な殺戮を繰り返し、幾つもの国や町を燃やしてきた恐るべき魔王。どんな槍も剣も魔法も効かず、最凶の存在として人々の生活を脅かす悪の存在が、今まさに勇者の前であられもない姿となって勇者の攻撃を待ちわびている。唾液タラタラです。
「な……なんでやねん!」
あまりのことに関西弁が出てしまった勇者に、
「大丈夫。好きにしていいから。思う存分殺していただけますと何よりです」
魔王は鼻息荒く近づいた。
「寄るな! さては罠か!」
「縄ならもう済んでいる」
「そういう意味でないんですけど!」
言葉のキャッチボールが出来ていない。互いの方向性が若干異なっている。
何故なんだ、と勇者は牽制しながら思案する。考えを巡らせて行き着いた答えは、
「まさか、お前は私の前に魔王と戦った勇者か。魔王を殺した者が次の魔王になってしまうという呪いが存在し、戦いの末に魔王になってしまったことを悲観して、死を望んでいるという設定で、お前を殺すと私は魔王になってしまうんだなっ!?」
「その設定でいこうかっ、さぁっ!」
「違うの!?」
衝撃を受ける勇者を尻目に、束縛を自ら強めていく魔王。その体はピクピクと痙攣していた。
「勇者め、さすがだ。イくにイケないっ」
腰をくいくい上げて誘ってくる魔王に、ますます混乱する勇者。牽制を長々としているうちに、ついに魔王は口を開いた。
「ああッ」
ひときわ大きく体をしならせる魔王。その姿は蠱惑的ですらあった。ひとしきりビクンビクンした後、魔王はぐったりと地にひれ伏した。
「じらしプレイとは、高度な……しかし。まだまだ欲しいぃぃぃぃ!」
「いやあああああああッ!!」
亀甲縛りされつつ芋虫よろしく這い寄る興奮マックスな魔王の姿に、勇者は悲鳴をあげながら逃げ出した。脱兎の如く走り、たちまち消え去ってしまった。
「……くっ」
勇者の後ろ姿を見送ってから、魔王は縄を引きちぎり、ゆっくりと立ち上がった。
「不死身で最強の私を追いつめてくれる素晴らしい勇者はではなかったか。あぁ、私の体をいたぶってくれる勇者はいないか……」
その大きな肩をしゅんと小さくしてから、
「いやいや、まだ諦めん!」
妖艶な視線をきらりと天へ注ぎ、拳を握る。そして世界中に散らばる魔物たちへと声を発した。
「者共であえ! 人間を襲うのだ! ……滅亡しない程度にお願いします!!」
真性でした。