7話 梨花に染み込む恍惚と毒 #谷間見せてみた
◇ 動画の中の私
気がついたら、家の布団だった。
どうやって帰ったのか──曖昧だった。
でも、それはもうどうでもよかった。
ひどく重たく、気持ち悪く、息苦しい“この身体”が。
(……ウチ、なにしてたんだっけ)
手に握っていたスマホが震えた気がした。
ひとつだけ、はっきりしていた──動画。
見たくなかった。チラつく記憶に寒気がした。
(なに、これ……)
スマホの中の“動画”が、昨夜の“現実”を証明していた。
ウチは、男の膝に乗って、“いい女”の仮面をかぶっていた。
(……ウチ、なにしてんの……?)
動画の中で、甲高い声で、男の袖を引っ張っていた。
ズレたタイミング笑って──ひとりで盛り上がっていた。
男たちの手も、視線も、そこにはなかった。
(……気味が、悪い……)
心臓がキュッと縮んだ。
次の瞬間、胃の奥から押し寄せる嘔気に堪えきれず、洗面所に駆け込んだ。
便器にしがみつきながら吐いた。昨夜の過ちを、笑いを。
胃の中に何もなくても、何度も、喉が切れるほどに。
“間違えた身体”そのものを、消えてしまえばいいと願いながら、涙とともに吐き出した。
鏡を見た。鏡の中には、誰だか分からない顔がいた。
(違う……ウチじゃない。誰……これ)
よれた髪、どこかよそよそしい目、滲んだ口紅。
「梨花」としての誇らしさも、「ウチ」としての勢いも、どこにもなかった。
「女になれた」なんて思った顔が、いまはもう──どこの誰かわからない。
(なんで……こんなこと、したんだろ……)
思い出そうとしても、動機が霧の中にあった。
ゆーきに会いたかった?
「女」って証明が、ほしかった?
──でも、それはぜんぶ、本当じゃない気がした。
(……ウチ、誰でもよかったの……?)
わたしは、なにかを選んだのに、
それがどうしてなのかも説明できない。
スマホの通知音が鳴る──男たちとのグループLINE。
「昨日の梨花ちゃん、マジでヤバかったな」
軽い文字列の羅列が、ウチを“ただのネタ”に変えていく。
──その瞬間、何かが壊れる音がした…
笑って、盛って、媚びたのに。誰ひとり、触れてくれなかった。
「求めてるふり」はしたのに、誰からも求められなかった。
(ウチが、気持ち悪かったんだ)
はじめてそう思った。
それは罵倒ではなく──理解だった。
いい女になろうとして、失敗した。
ギャルとして振る舞って、自爆した。
どれも、自分じゃなかった。
(こんな自分、“梨花”なんて名前、もういらない……)
ただ残ったのは、「求められない身体」。
そんな身体で、必死に脚を開いて男を誘ってしまった。
その事実が痛かった。
(……もう、どこにも帰れない)
ゆーきが好きだった。
そう信じてた。
でも、あの夜、他の男に会いに行った。
(……なにやってんの、ウチ)
脚を開けば、誰かに「女」として認められる気がした。
それだけだったのに──
その夜、梨花は、何も得られなかった。
普通の女の子にも、もう戻れない。
(変わりたかったんじゃないの?)
わたしは、なにを目指してた?
なにを信じてた?
なにを欲しがってた?
(……なんで、こんなに、からっぽなの……)
もう誰にも聞けなかった。
問いをぶつけられる相手は、
あの夜の前から──ウチの前から──消えていた。
梨花は、SNSに逃げた。
♡がうれしかった。顔も名前も知らない人がくれる、いいねが。
ここなら本音を話してもいい。誰かが♡をくれる。
もう、ほんとの“梨花”なんて、必要なかった。
アカウント名──ゆーこ。
◇ 完璧な女
──ここなら自分を分かってもらえるかもしれない。
梨花はそう思い込むように、スマホの画面に向かって笑顔をつくった。
前髪の分け目を整え、自然光がきれいに差す角度を探し、ポートレートモードを選ぶ。
片手で顔を隠しながら脇を締め、もう片方の手にはスタバのキャラメルフラペチーノ。
首を少し傾けて、視線はレンズを避け、ほんの少しだけ外す──
カシャッ。
■ Phase 1. 最初の♡
写真:制服姿でカップを持ちながらピース
本文:今日はトール・キャラメルフラペチーノ・ノンファットミルク・ウィズ チョコレートソース・チョコレートチップ。少し髪巻いてみた☺
ゆーことしての初投稿。顔はフィルターでボカシた。
それでも、スマホの投稿ボタンに向けた指先は、少し震えていた。
(だいじょうぶ?反応、あるかな……)
―――ブッブッ。
♡:2
コメント:「はじめまして~!かわいい!」「スタバ呪文、かっこよ」
来た。
通知の振動だけで、喉の奥がじわっと熱くなった。
”誰かに届いた”という感触が、全身に染み込んできた。
(よかった。うれしいよ……)
■ Phase 2. 毎日の投稿
写真:リボン柄のフットネイル
本文:今日のネイル、見て!
♡:42
コメント:「かわいい~♡」 「すんごい素敵です!!!」 「うわー肌つるつるだね」
♡の数が増えるたび、身体が芯からじんわり温かくなっていった。
現実よりも、SNSのポストの方が、生きてるって感じられた。
ブッ。ブッ。通知が鳴るたび、背骨の奥がゾクッとした。
■ Phase 3. カメラの視線
写真:小さなネコのストラップ、指先のネイル、横顔でピース
本文:ふふ、ねこちゃん。私となんか似てない?
♡:120
コメント:「エモい!」「ゆーこちゃんに似合ってる♡ヨシ!」「横顔きれいすぎ」
褒められるのも、ネタコメントが返ってくるのも楽しかった。
気がつけば、生活のすべてに投稿ネタを探していた。
服装、メイク、カフェの頼み方、笑い方、歩き方まで。
「これ映える?」
常に、自分の仕草さえ演出するようになっていた。
Lineグループも、もう怖くなかった。
画面の中なら、私、ちゃんと笑える。
■ Phase 4. 映える構図
写真:ゆるく開いた袖口、やや煽りのアングル
本文:マジであつあつのあつ~。夏バテしんど~。
♡:267
「ゆーこちゃんが心配。水分とってね!」 「女神すぎ♡♡♡」 「……脇、合掌」
自撮りは”研究”になった。
角度、光、隠し方、見せ方。鎖骨と首筋、肘の曲げ方、唇の隙間——
「女」らしさ、「ギャル語」という”自然体の演出”を一枚の写真に詰め込んでいった。
♡の数が増えるたび、梨花の内側に何かが膨らんでいく。
(ふふっ、これでいいんだよね?)
ぼかし加工は、輪郭だけになり、やがて──なくなった。
■Phase 5. まわりを巻き込む
久しぶりの友達。みんなでプールに行くことにした。
「梨花、ひさしぶり~!」
「マジでごめん~。風邪と生理と夏バテで死んでた~。ぴえん」
「今日はもう、全力で楽しむっしょ!?乗るしかねぇ、このビーグウェーブに!」
「古っ!!!でもそんなの関係ねぇ!!イェー!!」
みんなは、変わらずおバカで、安心した。
──私、ほんとは寂しかったんだ。バカだった……
写真:プールサイドでうつ伏せ+サングラス
本文:みんなでプール~♡プニっててごめん!?
♡:532
コメント:「白っ!脚がまっまぶしくて、目が、目がぁぁ!」 「エッッ。保存した♡」 「好きすぎて無理」
誰よりも構図にうるさくなっていた。
「もっと笑って」 「その角度、光逆だから」 「その手、隠れてるよ」
―—だって、自分が一番、綺麗に写らないといけないから。
肌を見せることも、抵抗がなくなっていた。
(ねぇ……これが、”承認”ってやつなんでしょ?)
■Phase 6. SNSの仮面
かわいくない顔は、アプリが直してくれた。
「好き」って言われた唇は、写真の中で開いていた唇だった。
もう、”梨花”として見られることが怖かった。
“ゆーこ”なら、笑われても、消せばいいだけだった。
気づけば、♡ではなく“身体”を褒めてくれるコメントを探していた。
教室でも電車でも、あんな視線はもらえなかった。
でも、SNSの中には、“欲望の目”が溢れていた。
(もう、私は、気持ち悪くない……)
スマホが光るたびに、神経が疼いた。
通知を確認せずにはいられなかった。
10分♡がつかなければ、投稿は消した。
(この写真は……本当の私じゃない)
”ゆーこ”らしい写真であることが大事だった。
写真の笑顔の中に、梨花ではない、ほんとの自分がいる気がした。
これは、わたしが選んだ“完璧な女”の名前。
けれど、背中の奥が──寒かった。
次回 梨花の壊れる日
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