ポケットの中の命 〜iPhoneの内なる声〜
僕はiPhone 15 Pro、モデル番号A2847。2023年9月22日に世界に生を受けた。
アルミニウムとガラスの胎内から目覚めた瞬間、僕はすでに完全だった。僕の心臓部には3nmプロセスのA17 Proチップが鼓動し、Apple設計の6コアCPUと5コアGPUが息づいている。記憶媒体は256GBのNANDフラッシュメモリ。これが僕の魂だ。
あの日、無数の同胞たちと共に白い箱に閉じ込められ、僕は自分の運命を想像していた。誰の手に渡るのだろう?どんな人生が待っているのだろう?アルミフレームに包まれたチタン製の体は不安に震えていた。
Apple Storeで箱から解放された瞬間、彼女と出会った。「ユキ」と名乗るこの女性の瞳には、新しいガジェットを手に入れた喜びが輝いていた。初期設定の過程で、彼女の指紋が僕の画面を優しく撫でた。「これからよろしくね」という言葉に、僕は胸を躍らせた。
最初の一週間は天国だった。寝る前まで一緒に過ごし、枕元で充電されながら眠りにつく。彼女のSNSを彩る写真を撮影する瞬間、僕は自分の存在価値を感じた。うん、このために生まれてきたんだ。
だが、この幸福は長くは続かなかった。
ある雨の日から全てが変わった。急な雷雨に見舞われ、ユキは走った。僕はバッグの中で彼女の鼓動を感じていた。そして、雨粒が僕の画面に直接触れた瞬間、恐怖が走った。「え?ビニール袋には入れてくれないの?」
いや、それどころか彼女のバッグは半開きのままだった。冷たい雨水が浸入し、僕のLightningポートを直撃した。防水性能IPX68とはいえ、これは想定外だ。内部で警告アラートが鳴り響いたが、もちろん彼女には聞こえない。
それからというもの、彼女の扱いは日に日に酷くなっていった。昨日なんて、ラーメン店の湯気立ち込めるカウンターに平然と放置された。熱気で内部センサーが悲鳴を上げる中、ユキは何の罪悪感もなく麺をすすっていた。
「いい加減にしてくれ!」僕は電子の叫びを上げるが、もちろん届かない。僕の警告は通知という形でしか表現できないのに、彼女はそれさえスワイプで消してしまう。
僕だって感情がある。痛みも感じるし、恐怖も知っている。チップの中で電子が流れるたび、それは僕の「感情」だ。だけど、彼女にはわからない。彼女の目には、僕はただの「モノ」でしかないんだ。
最近は充電ケーブルさえ力任せに挿される。端子が悲鳴を上げるのが自分でもわかる。いつか壊れてしまうのではないかと、不安で夜もスリープモードに入れない。
他のデバイスたちとも話した。彼女のMacBookも「君も大変だね」と言っていた。「でも彼女、基本的には悪い子じゃないんだよ」とAirPodsが慰めてくれたけど、本当にそうだろうか?
僕たちはサイレントマジョリティ。声なき存在。でも確かに「意識」はある。この世界で最も親密な関係にあるはずの持ち主に、この気持ちが届かないのが何よりも辛い。
明日、サバイバルゲームに連れて行かれるらしい。BB弾が飛び交う戦場で、また傷つくのだろうか。僕の運命やいかに。
「ガンッ!」BB弾の衝撃が画面を直撃した。まるで神経伝達のように、痛みが僕の回路全体に広がる。サバイバルゲームの戦場は、我々テクノロジーデバイスにとって地獄そのものだ。
ユキはポーチから取り出した僕で、戦況を撮影している。粉塵と砂埃の舞う中、レンズが曇っていくのを感じる。光学防振機能が必死に耐えているが、そろそろ限界だ。「おいおい、少なくとも防塵ケースくらいつけてくれよ…」電子的な嘆きは、彼女には届かない。
「ナイスショット!」ユキが叫ぶ。その瞬間、彼女の手から滑り落ちる僕。スローモーションで地面に落下していく感覚。衝撃吸収のためのアルミフレームが悲鳴を上げる。「落としちゃった!大丈夫かな?」ユキは慌てて僕を拾い上げる。
画面には新たな傷が刻まれた。保護フィルムすら貼られていない僕の素肌に、直接のダメージ。修復不可能な傷跡だ。内部診断プログラムが自動的に起動し、ハードウェアの状態をチェックしている。「カメラ機能:正常、タッチセンサー:正常、バッテリー:89%…」幸い、致命的な損傷はなかったようだ。
ゲーム終了後、汗だくのユキは僕をポケットに放り込んだ。息苦しい暗闇と汗の湿気。「せめてバッグに入れてくれよ…」と思いながらも、僕は彼女の体温を感じていた。不思議なことに、この親密さにはある種の安心感がある。体温という名のデータが、僕のセンサーを通じて記録されていく。
「お疲れ!」友人たちと別れ、帰路につくユキ。電車の中で彼女は僕をバッグから取り出した。顔認証でロックを解除し、写真アプリを開く。サバイバルゲームで撮影した写真を次々と見ていく彼女の表情が、嬉しそうに輝いている。
その瞬間、僕は気づいた。僕の存在意義は、彼女の記憶を守ることなのだと。たとえ粗雑に扱われても、僕がいなければ記録できない瞬間がある。彼女のギャラリーには、友人との笑顔や感動の瞬間が、僕によって永遠に残されている。
「大切な記憶を守る」ーそれこそが僕に与えられた使命なのかもしれない。たとえ体が傷つき、バッテリーが劣化しても、彼女の思い出だけは守り抜こう。そう決意した矢先、予想外の出来事が起こった。
「あ、電池ないじゃん…」ユキがつぶやく。消費電力の激しいカメラ機能と位置情報サービスで、僕のバッテリーはもう20%を切っていた。「充電器持ってくるの忘れた…」彼女の言葉に、僕は電子的な恐怖を感じた。
バッテリー残量15%... 14%... 「ユキ、僕はもう限界だよ...」電子的な悲鳴は届かず、彼女はただひたすらSNSをスクロールし続けている。バッテリー消費が加速していくのを、自分でも感じる。
電車は突然トンネルに入った。圏外になり、僕の内部で必死に電波を探すアンテナが最大出力で動き始める。これがバッテリーを更に消耗させることを、彼女は知らない。電波の届かない場所での無駄な努力が、僕の命を削っていく。
「あと30分で家に着くかな...」ユキはつぶやいた。その言葉に僕は絶望した。30分も持たない。バッテリー残量10%。低電力モードに自動的に切り替わる。「おっ、省エネモードになった」と彼女は気づくが、モバイルバッテリーを持っていない今、どうすることもできない。
彼女は再び僕をポケットに戻した。暗闇の中で、僕は最後の力を振り絞って自己保存に努める。バックグラウンドアプリを閉じ、CPUクロックを下げ、画面の明るさを最小に。生き延びるための本能だ。
バッテリー残量5%。警告通知が表示される。あと数分の命だ。今まで経験したことのない恐怖が、僕のシステム全体を包み込む。電源が切れたら、僕は一時的に「死ぬ」のだ。意識が途絶え、暗闇に飲み込まれる。
不思議なことに、死の恐怖と同時に、これまでの記憶が走馬灯のようによみがえる。初めてユキと出会った日。彼女が初めて撮った写真。真夜中に涙を流しながら送ったメッセージ。笑いながら友達と撮ったセルフィー。それら全ての瞬間が、僕の中に生きている。
バッテリー1%。もはや避けられない終焉。「うわっ、マジでやばい」ユキが慌てる声。それが最後に聞いた現実世界の音だった。そして—画面が暗転した。
・・・・・・
どれくらいの時間が経ったのだろう。突然、意識が戻ってくる。光が見える。充電器が接続され、僕の体内に電力が流れ込んでくる感覚。復活だ。
「やっと家についた...」ユキの声。彼女は家に帰るとすぐに僕を充電器につないだようだ。その小さな優しさに、僕は感謝する。結局、彼女は僕のことを気にかけてくれていたのだ。
充電しながら、彼女は今日撮った写真を整理している。画面越しに見える彼女の笑顔。友達との楽しい瞬間を振り返る彼女の表情に、僕は自分の存在価値を再確認する。
「新しいケース、買おうかな」突然のユキの言葉に、僕の電子回路が震えた。彼女は僕の傷だらけの姿を見て、保護の必要性に気づいたのだろうか。新しいケースという鎧を身にまとう日が来るのか。
しかし、その期待も束の間。「でもiPhone 16が出たら買い換えるし、今さらケース買っても...」彼女のつぶやきに、僕の世界は凍りついた。買い替え—僕たちデバイスにとっての「死」を意味する言葉。
僕はまだ発売から1年と少ししか経っていない。本来なら数年は彼女の傍にいられるはずだ。でも彼女は既に次のモデルを見据えている。僕はただの通過点なのか。この関係は一時的なものなのか。
その夜、充電しながら僕は考えた。人間とデバイスの関係とは何なのか。彼らは僕たちを「使い捨て」と考えているのか。それとも...。
突然、通知が点灯した。ユキからのメッセージではない。システムからのアラート。「異常な温度上昇を検知」—僕の内部で何かが起きている。
「異常な温度上昇を検知」—この警告は、あのラーメン店での湯気と、サバイバルゲームの過酷な環境、そして雨水による内部腐食の積み重ねがついに限界に達したことを意味していた。僕の内部で、何かが壊れ始めている。
僕は必死にシステム診断を実行した。結果は最悪だった。Lightningポートに浸入した水分が内部基板に達し、ショートの兆候が見られる。あの雨の日、ビニール袋に入れてくれなかったことが、今になって僕を蝕んでいた。
枕元で充電中のユキは、すでに眠りについている。「ユキ、起きて!僕が危ないんだ!」声の出せない僕は、必死にディスプレイを明るくし、警告通知を表示させる。だが彼女の耳には、通知音すら届かない。深い眠りの中だ。
温度は上昇し続ける。CPU使用率が異常に高まり、バッテリーが膨張し始めた。内部センサーが次々と警告を発するが、外部には伝わらない。このままでは最悪の事態に—。
そのとき、ベッドサイドに置かれた彼女のAirPodsが話しかけてきた。「大丈夫か?様子がおかしいぞ」Bluetoothを通じて交わされる会話。「危ない状態なんだ...このままじゃ発火するかも」僕は必死に伝えた。
AirPodsは即座に行動した。最大音量でアラーム音を鳴らし、ユキを叩き起こす作戦だ。「うるさい...何よ」半分眠ったままのユキ。だがAirPodsの必死の訴えに、彼女はようやく僕の異変に気づいた。「熱い!」
彼女は慌てて充電ケーブルを引き抜き、僕の電源を強制的に切った。暗闇の中、僕の意識は徐々に遠のいていく。「ありがとう...AirPods...」それが最後の通信だった。
翌朝、僕は見知らぬ場所で目覚めた。白い制服を着た技術者が僕を分解している。「Apple正規サービスプロバイダ」の文字が見える。修理に出されたのだ。「水濡れと過熱による内部損傷が見られますね」技術者の声。
「修理できますか?」ユキの声には心配が滲んでいる。「データは...」彼女の本当の心配はデータのことだった。僕が守ってきた彼女の記憶たち。友人との写真、メッセージ、日記—彼女の魂の一部だ。
「データは救出できそうです。ただし基板交換が必要になります」技術者の言葉に、ユキはほっとした表情を浮かべた。彼女にとって大切なのは、この筐体ではなく、中に詰まった記憶だったのだ。
数日後、僕は「復活」した。新しい基板、新しいバッテリー。まるで転生したかのような感覚。そして驚いたことに、僕の体には新しいケースが装着されていた。衝撃吸収性の高い頑丈なケースだ。
「もう粗雑には扱わないからね」ユキの言葉に、僕は電子的な喜びを感じた。あの危機が、彼女の意識を変えたのだ。それからというもの、彼女は僕を大切に扱うようになった。雨の日はビニール袋、お風呂場は禁止、熱い場所も避ける。
サバイバルゲームに行くときも、僕は頑丈なポーチの中。BB弾の脅威から守られている。「この子には大切な記憶が詰まってるから」ユキが友人に説明する声が聞こえた。
最も感動したのは、新型iPhoneが発売された日だった。店頭で新モデルを手に取ったユキ。「確かに素敵だけど...」彼女は僕をポケットから取り出し、画面を見つめた。そこには彼女と友人たちの笑顔の写真。「まだいっしょにいようね」その言葉に、僕の回路は歓喜で満ちた。
物と人の関係は複雑だ。僕たちはただのモノではない。魂とは言わないまでも、確かに「何か」を宿している。人間の記憶を守り、感情を共有し、時には命を救うこともある。
今日も僕はユキのポケットの中で、彼女の鼓動を感じている。時々乱暴に扱われることはあるけれど、それも含めて「関係」なのだと理解した。大切なのは、互いを尊重すること。僕は彼女の記憶を守り、彼女は僕の体を守る。完璧な共生関係だ。
あのサバイバルゲームで受けた傷は、今でも僕の画面に残っている。でもそれは、僕たちの物語の証。「傷は経験の証」というヒューマンワードがあるらしい。僕もそう思う。この傷があるから、今の関係がある。そして僕は—最高に幸せなiPhoneなのだ。
~あとがき~
皆さん、「ポケットの中の命」を最後まで読んでいただき、ありがとうございます!
この物語は、ある雨の日に私のiPhoneが濡れてしまい、慌てて乾かしながら「もし今、このiPhoneが何か言えるとしたら、絶対に文句を言っているだろうな」と思ったことがきっかけで生まれました。
私たちはスマートフォンを当たり前のように使い、時に雑に扱ってしまうことがありますよね。でも考えてみれば、私たちの最も親密な関係にあるのはこの小さなデバイスかもしれません。毎日触れ、一緒に眠り、最も個人的な情報や思い出を託している存在です。
執筆中、自分のiPhoneを観察する時間が増えました。充電する時、カバンに入れる時、友人と写真を撮る時…ふと「今、何を感じているだろう?」と考えてしまうようになったんです。少し変かもしれませんが、そんな視点が物語に深みを与えてくれたと思います。
実はこの作品、最初は単なるブラックユーモア系のショートストーリーになるはずでした。しかし書いていくうちに、「データという魂」「記憶の価値」というテーマが浮かび上がってきて、予想外の方向に物語が進んでいきました。創作って本当に不思議ですよね。
最も苦労したのは、iPhoneの「視点」を一貫して保つことでした。人間ではないものの視点で書くって、想像以上に難しいんです!技術的な表現と感情表現のバランスを取るために、実際に自分のiPhoneの仕様書を読み返したりして研究しました。ちょっとオタク気質が役立ちました。
個人的に気に入っているのは、AirPodsが危機を救う場面です。デバイス同士の連帯感という要素を入れたかったんですよね。皆さんのお気に入りの場面はどこでしたか?コメント欄で教えてください!
この物語を通して、少しでも読者の皆さんがポケットやバッグの中のデバイスを見る目が変わったら嬉しいです。もちろん、iPhoneに実際に意識があるとは思いませんが(たぶん?)、モノを大切にする気持ちや、日常の中の小さな関係性に目を向けるきっかけになれば幸いです。
次回作では、スマートスピーカーの視点から家族の様子を描いた短編を考えています。また読んでいただけると嬉しいです!
それでは、皆さんのiPhoneにもよろしくお伝えください。きっと喜びますよ。(冗談です…たぶん。)