75.進入
数日後の夕方、相模の山道を走る車の中には、杜樹と烏の姿があった。道の整備はあまりされていないのか、車体の揺れを感じる。しかし、その心地悪い振動の中でも、後部座席で眠る烏が起きる気配は一切ない。如何なる環境に置かれても睡眠可能なのは、羨ましい体質である。
その後、車窓から無機質な巨大施設が見えてきた。周囲に存在する峰々は、まるで外部との境界を表しているようにも感じられる。俗世から隔離された空間。普通に生活していれば、訪れることのない場所。それを改めて実感したような気がした。
山中に佇む要塞を視界の奥に捉えながら近づいていくと、幽谷監獄の敷地であることを示す看板と、関係者以外の侵入を拒む金網門が目に入る。杜樹は門の前で車を停止させた後、運転席の窓を開けた。傍に設置された電子盤を操作し、認証を終了させると、門が開く仕組みである。もちろん、これは幽谷監獄に足を踏み入れる第一歩に過ぎない。
金網門を抜けた後も、しばらく車で進む必要があるようだ。しかし、今までとは違い、直進かつ道が整備されているので、走行自体は楽であった。
「烏、もう着くよ」
車内の鏡越しに、杜樹は烏に声をかけた。その声に反応するように、烏の体が動き始める。
「……ん、おはよう」
「よく眠れた?」
「うん……」
とは言いつつも、まだ眠そうだ。普段の起床時間を考えると、当然だろう。
幽谷監獄敷地内の駐車場まで到着した後、二人は車から降りる。まず視界に映るのは、人間には全く手が届かないであろう電気柵。この先が、囚人が暮らす世界だ。
杜樹と烏は案内図を確認しながら、電気柵の外周を歩いていく。その後、正面入口と思わしき場所の前で足を止めた。
「これが、入口? ただの壁にしか見えないけど……」
烏の言う通り、何の模様もない殺風景な白壁だ。扉があるようには感じられない。
「うーん。とりあえず、狛さんに到着の連絡を入れてみる」
杜樹は携帯を取り出し、手際の良い操作を見せる。数十秒後、狛からの返事を確認し、杜樹は携帯をしまう。
「向こうから、入口を開けてくれるみたい」
「このまま、待っていれば良いの?」
「……多分」
少し不安を感じながら待っていると、突如として地響きのような音が鳴った。何事かと思い、周囲を確認する杜樹と烏。次の瞬間、壁の一部が割れるように、施設内部への道が開かれた。
「え、凄……!」
幽谷監獄は想像以上に現代的な施設であるようだ。烏は驚きつつも、感動しているように見える。しかし、呆然としている時間はない。なぜなら、入口は既に閉鎖しようと動き始めているからだ。それに気づくと、二人は少し慌てながら、中に滑り込む。
施設内まで入ることはできたが、幽谷監獄に進入できたわけではない。杜樹と烏が駆け込んだ先は、出口が存在しないように見える部屋。入口も閉鎖されているので、完全に閉じ込められてしまったように感じられる。
「ようこそ、幽谷監獄へ!」
二人が困惑していると、スピーカーから部屋の中に音声が響いた。声は若い男性といったところだろうか。
「初めまして。この監獄で看守をしています、本街拓也です。スピーカー越しで申し訳ないです。この後、きちんと挨拶させていただきますね!」
声だけでも、溢れるような活気が伝わってくる。何となく看守というのは囚人から舐められないように圧力があるイメージだったが、本街はただの好青年のように感じられた。
「初めまして。こちらの声は聞こえていますか?」
「はい、聞こえていますよ!」
「あの、私たちはどうすれば良いのでしょうか?」
杜樹は本街に指示を仰いだ。
「その部屋自体が、生体認証のための空間になっています。そのまま動かないでいただけたら、直に認証が終了すると思います!」
「なるほど」
その後、本街の言う通りに待機していると、何かの機械音が聞こえてきた。生体認証が終了した合図だろうか。
「……認証できました。麟角杜樹さんと玄淵烏さんですね。二人とも幽谷監獄に進入可能な人物として、登録されています!」
「え、僕、登録した覚えはないけど……」
少し戸惑いながら、烏が呟いた。もちろん、杜樹にも登録をした記憶はない。
「直霊は全員登録されているらしいよ」
「あ、そういうことか」
術者を特別房まで連行するために、天老が予め登録しているのだろう。他にも、監獄に何かあったとき、応援として駆けつけることができる。
「続いて、手荷物検査をします。金属探知をするので、携帯などを部屋の壁にある窪みに入れていただけますか?」
「わかりました」
まるで、空港の搭乗前検査のようだ。そして、杜樹は側面の壁にある手荷物置場に携帯と腕時計を預ける。直後、預けた物体がベルトコンベアのように流れ始め、窪みの奥へと消えていった。おそらく、放射線による非破壊検査をするのだろう。
続いて、烏も携帯を手放す。ちなみに、刃物は監獄内に持ち込めないことが事前にわかっていたので、晦冥は最初から置いてきた。
「指輪も外した方が良いと思うよ」
「え?」
杜樹の言葉に、烏は思わず声を上げた。
「……そうですね。金属製であれば、一応外していただけると嬉しいです!」
本街の言葉に、烏は露骨に嫌な顔をした。その後、渋々ながらも、烏は右手の小指に嵌められた指輪を外し、手荷物置場に預けた。指輪が視界の届かない奥へと消えていくのを見て、烏は不安そうだった。
「本街さん。金属類は全て預けましたが、これで大丈夫ですか?」
「はい、こちらの方で部屋をスキャンします。少しお待ちください!」
暫しの間、沈黙の時間が流れる。
「……特に問題なかったです。ご協力ありがとうございました。預けていただいた方も確認できたので、部屋の出口を開けますね!」
直後、先ほどと同じように、入口とは反対の壁に出口が現れた。これで、ようやく監獄の内部まで入ることができるというわけだ。




