71.救出
「あの、正直なところ、私たちも鏡の実物を確認しないことには、何とも返事できません」
会話に割り込むように、狛が口を開いた。牧と話していた我妻も、声に反応するように顔を向ける。
「もちろん、破壊や奪取などは考えていません。離れた場所から、少し見せていただけるだけで、大丈夫です」
「現在、あの鏡は布で覆うように封印している状態です。それでも構わないと言うのなら……」
「問題ありません」
神器が持つと考えられる能力の都合上、元から目で直接確かめるつもりはない。
「……わかりました。ご案内します」
「ありがとうございます」
直後、我妻は立ち上がる。同様に、狛と真狐もソファーから体を離した。
「牧さんと瀬川さんも来ますか?」
「いや、僕は娘さんの容態の方を確認しようと思う。瀬川君も一緒に来てくれるかい?」
「……はい」
その後、我妻の奥方も合流し、狛たちは二手に分かれることになった。直霊の二人は我妻の案内で神器がある場所に向かい、警察の二人は奥方の案内で娘がいる場所に向かうということである。
空間が歪むように、屋敷の階層を繋ぐ螺旋の階段。我妻を先頭として、狛と真狐は円を描くように、二階へと上がっていく。
「……真狐は、我妻さんの話を無視する気でしょ?」
道中、前を進む我妻には聞こえないように、小声で狛が真狐に話しかけた。
「当然」
「……だと思った。でも、話を聞いたからには、私は娘さんを助けてあげたい」
「俺にもそういう感情はある。ただ、それよりも優先するべきことがあるというだけの話だ」
あくまでも、真狐は一刻も早く神器を無力化することを最優先としているようだ。それも、直霊としては正しい判断であるだろう。
「そもそも、あの男が全面的に信用できるのか?」
「……」
「警戒心があるからこそ、お前は最初に術の準備をした。違うか?」
痛い部分を突かれて、狛は黙る。
「結局、あの男が神器を悪用する可能性を考えると、直霊は強引にでも回収する必要がある。正直、兵器を所持しているようなものだろ?」
神器を銃などの武器と同等に考えるならば、譲渡の交渉をするような案件ではない。
「別に、私も強制的な回収に反対するつもりはない。ただ、我妻さんの話が真実で、実際に困っているなら、純粋に協力したいと思っているだけ……」
救いを求める手を見て見ぬ振りをするのが、忍びない。それだけのことだ。
その後、二階の奥へと進み、狛たちは神器がある倉庫まで辿り着いた。我妻が錠を解き、前に押す力を加えると、軋む音を立てながら扉が開く。
「そちらの奥にあるのが、例の鏡です」
開いた扉の隙間から覗き込むように、我妻が指差す方向に目を向けると、厳重に封印されるような板状の物体が確認できた。単純に布で全面が隠されているだけではなく、多数の御札まで貼付されている。
「……どう? 本物っぽい?」
神器に目を釘付けながら、狛は真狐に尋ねた。しかし、返答が聞こえない。疑問に思い、狛は隣にいる真狐の方を振り返る。次の瞬間、狛の目に映ったのは、真狐の唖然とした表情だった。
「え、どうしたの? 大丈夫?」
真狐がここまで驚いているのは、狛も初めて見た。
「あれは、想像以上だ……」
「えっと、本物で間違いないってこと?」
「ああ、桁違いのエネルギーを含有している。なぜ形を保っているのか、わからないほどに……」
真狐の深刻な様子から、狛にも神器の禍々しさが徐々に伝わるようだった。
神器の実物が確認できたので、狛と真狐は天老への報告を済ませる。特に、能力の危険性は強調されていただろう。そして、天老からの指示を待つ間、狛と真狐は警察の二人に合流していた。客室の中で、四人が中央の机を囲うように座している。
「牧さん。娘さんの方はどうでした?」
「自発呼吸はしているが、周囲への反応はない。傍から見れば、通常の意識障害と変わらないようには感じた」
「……なるほど」
無意識的な生命維持機能は無事だが、それ以外は停止しているということだろう。
「おい、娘の心配をしている場合じゃねえと言っているだろ。あの鏡は確実に脅威になる。早急に回収した方が良いに決まっている」
鏡の実物を確認することで、真狐は自身の考えを強めたようだ。天老から押収許可が下りたなら、真狐は即刻神器を持ち帰るに違いない。
「……あの、破壊ではなく、回収なのですか?」
瀬川が真狐に質問した。確かに、脅威になるのであれば、破壊するのが確実である。
「これは俺の推測だが、あの鏡を破壊したら、内に秘められた怨念が爆発するように放出される。破壊した本人はもちろん、周囲にいる奴も無事で済む保証はねえ」
つまり、神器を回収した後、遠隔で破壊するか、地下や宇宙などの無人空間に放棄するのが安全だということだ。
「ちなみに、真狐の力で鏡自体を無力化できないの?」
「理論上可能だが、無力化が完了する前に、確実に俺の命が尽きる。それだけ莫大な怨念の集合体ということだ」
「……そう」
狛は残念そうに言った。霊魂術に似た力であることを考えると、神器を無力化できれば、我妻の娘が目を覚める可能性は高い。鏡自体を破壊せずに無力化できるなら最も良いと考えていたが、それも不可能であるようだ。
我妻の娘を救うためには、鏡自体を破壊するしかないのだろうか。しかし、我妻の娘の意識が鏡に囚われている状態だと推測できるので、鏡の破壊時に閉じ込められた意識まで壊れてしまう恐れがある。
他の選択肢を考える時間も限られている。なぜなら、あの危険な鏡を天老が放置するわけがないからだ。押収された後は、結局破壊されるか、封印されるかの二択。封印された場合、鏡に囚われた魂は以降どうにもできない。
「……狛。まだ、娘を助けることを考えているな?」
悩む表情の狛を見て、真狐が睨むように尋ねた。
「別に、考えるのは自由でしょ?」
「……とにかく、天老からの強制回収命令が出た場合、俺は一秒も無駄にしねえ。神器を狙う輩がいつ屋敷を強襲しても不思議じゃねえからな」
我妻の娘を救う手段を模索するのを待つことは絶対にしないという意味である。その後、真狐は席を立ち、部屋の入口に向かって歩き始める。
「どこ行くの?」
「……見晴らしの良い場所で、周囲の警戒でもしようと思っただけだ」
そして、真狐は部屋を後にした。我妻の娘を救う手段を一緒に考えるつもりはない。真狐の背中は、そう語っているようにも感じられた。




