68.公平
数日後の夜、直霊本部の第二実験室には灰音の姿があった。黙々と作業する中で、突如として勢い良く部屋の扉が開く。灰音も思わず作業の手を止めて、振り返るほどである。
そして、灰音の目には、聖職者のような格好をした女性の姿が映った。背負った二本の木槌は、議会や法廷のガベルを連想させる。だが、その寸法は一般的なガベルの約五倍はあるだろうか。当然と言えば、当然である。彼女が持つ木槌は武器として使用するのだから。
「……どうしたの、杜樹?」
部屋を訪れたのは、杜樹だった。随分と動揺した様子にも見える。
「すみません、作業中でしたか?」
「いや、大丈夫だよ。何かあったの?」
灰音は明らかに只事ではない雰囲気を感じ取っていた。
「先ほど、狛さんから送られた事件の資料を確認しました」
「……なるほど。感想は?」
「まず、この資料は本当に事実なのですか?」
動揺の原因はどうやら資料にあったようだ。
「もちろん。何か疑わしいことでもあった?」
「疑わしいも何も、私の知っている話と全然違いましたが?」
「あれ? 杜樹は知らない話だったか」
杜樹が直霊に入った時期には、まだ事件の裁判が続いていたので、何となく話を聞いていると灰音は思っていた。だが、冷静に考えると、新人に伝えるような話でもなかったので、知らないのも当然だろう。
「知っていれば、ここまで動揺しませんよ。まさか、直霊の捜査員が迎に警察官の体をぶつけて、破壊したことが真実だとは……」
その警察官は神器の怨念に侵され、現在も廃人状態となっている。
「そもそも、なぜ迎の事件に関する真実が塗り替えられているのですか?」
「うーん。正義感溢れる警察官が迎に囚われた人を救うために犠牲になったシナリオの方が都合良いから?」
「直霊に都合の悪い話は隠蔽していると?」
杜樹が険しい表情に変化した。
「いやいや、そういうわけじゃない。警察側とも話し合って、直霊と警察が仲良くやるために隠匿するべきだという結論になったのさ」
「……そうですか。確かに、衝突の火種となるような事件であることは理解できます」
街の平和を守るため、直霊と警察が喧嘩をしている場合ではない。そのような理由もあって、機密事項として処理されているのだろう。
「実際、事件が発覚した当時、直霊と警察が行動を共にすることが、目に見えて減少した。その状況を解決するために、多少強引な情報統制が実施されたらしい。その甲斐あってか、最近は再び連携して動くようになったわけだし」
それでも、現在、警察と密に連携している直霊の捜査員は七瀬だけだ。
「あの、一つ質問しても良いですか?」
「ん、何?」
「灰音さんは、今回の依頼を成功させることが、直霊のためにもなると言っていましたよね?」
直霊にメリットがあると聞いたからこそ、杜樹も協力することにしたのだろう。
「うん」
「今の話を聞いて、益々納得できません。警察の一人を廃人状態にした囚人を解放しては、再び警察との関係が悪化するだけではないでしょうか?」
「確かにそうだね。少なくとも、天老は絶対に解放したくないと思っている。警察への体裁を保つため、あの人が重く罰せられた事実が欲しい」
狛も同じようなことを言っていた。一人を犠牲にしてしまった以上、軽い罰で済ませられては、警察側が納得しないと天老は考えているのだろう。
「では、何故に解放のメリットがあると?」
「単純に、あの人が再び直霊の戦力に加わることが大きいから」
檻から解放されたなら、天老も昔の事件を掘り返して、謹慎処分を下すことはできない。そもそも、裁判所で決定した罰を終了すれば、直霊として再活動を認める約束があったはずだ。
「例え、警察との連携が消えたとしても、合計では大幅な戦力上昇だと思う」
「……随分な評価ですね」
一人にそこまで価値があるとは思えない。杜樹はそう言いたげな様子だ。
「杜樹はあの人を知らないから、そう思うのも仕方ない。でも、あの人の実力は椿と同格と言っても良い」
「……椿さんと?」
「少なくとも、遠距離戦であの人の右に出る者はいない。術の出力も精度も桁違い。まあ、私は実際に戦闘場面を見たことあるわけじゃないけど」
灰音も噂に聞くほど、直霊内で実力が知れ渡っているということなのだろう。
「なるほど。しかし、幾ら戦闘に長けていようが、人格に問題があるなら、私は解放するべきではないと思います」
「そう言うと思ったから、私は杜樹に頼むことにした」
「どういう意味ですか?」
解放に賛成する人を協力者にするべきだと考えるのが、普通である。
「今の状況を考えるならば、何としてもあの人を解放するべきだと、私は思う」
「例の集団に勝つために、ですか?」
杜樹の質問に、灰音が無言で頷く。
「最初は、邪道でも、あの人を解放しようかなと思った」
「邪道?」
「例えば、証拠の捏造とかね」
正攻法で再審請求を通すのは、難しいだろう。だからこそ、再審に足る証拠をでっち上げた方が早い。
「……直霊の捜査員とは思えない発言ですね」
「そうかな? だって、直霊が負けたら、終わりだよ? 勝つためなら、何でもやるさ」
杜樹は灰音から妙な説得力を感じた。
「……では、どうして、それを諦めたのですか?」
「狛さんや私のように、あの人を解放したい人がいる反対に、絶対に解放したくない人がいると思ったから。犠牲になった警察の友人とか、家族とか」
別に、友人や家族がいなかったら、大丈夫だったという意味ではない。そう思っている人がいても不思議ではないほどに、あの人が犯した罪は簡単に許されるものではないということだ。
「ちなみに、諦めたわけでもない。結局、杜樹には公平な立場から、あの人を解放するべきかどうか、判断してほしいのさ」
「私が解放するべきだと判断したら、証拠の捏造などもすると?」
「それは正攻法の結果次第だね」
灰音は不敵な笑みを見せた。
「……わかりました。灰音さんが悪に手を染めないように、私も努力します」
「はは、助かるよ」
「資料を読み返したら、また来ます。内容が衝撃で、あまり頭に入らなかったので」
随分と話し込んでしまったが、時刻は既に夜であることを忘れてはいけない。そして、杜樹は部屋の入口の方へ戻るかと思いきや、とある机の前で足を止める。
「……ずっと気になっていたけど、烏はなぜ隠れているの?」
直後、机の影から烏が顔を出す。どうやら、最初から杜樹には気づかれていたようだ。
「……ごめん。何か、出るタイミングを見失ってさ」
自分が聞いても良い話なのか、烏は困っていたのだろう。
「別に謝ることない。それより、今から二人で話せる?」
「え、良いけど……」
烏は困惑しながらも、ゆっくりと立ち上がる。
「えっと、すみません、灰音さん。少し、席外します」
「大丈夫。メンテナンスが終わったら、晦冥は部屋の前にでも置いとくよ」
「ありがとうございます」
烏は一瞬頭を下げた後、杜樹と一緒に扉から出ようとする。
「二人とも、じゃあね」
灰音は手を振る仕草を見せた。
「はい、失礼します」
「お疲れ様でーす」
堅い返事と緩い返事。何かと対極な二人だと、灰音は思った。それで二人が持つ霊魂術が似ているのも、また面白い。




