66.消灯
「新たな囚人の収容に伴い、幽谷監獄の警備強化を実行する判断になった。その費用を捻出するため、囚人の生活水準が多少低下してしまうのは致し方ない。監獄が存在する意味を考えろ。看守という立場であれば、別に反対する話でもないはずだ」
「……」
「そもそも、囚人番号四○九に対する厚遇は今まで黙認していただけに過ぎない。まさか、特定の囚人を贔屓するような差別をしろと言うわけではないだろう?」
嫌いな大人だ。差別という言葉を都合良く使用する。
「最後に、自動音声応答システムによるメッセージは緊急事に使用しろ。くだらないことで、わざわざ連絡をするな」
最初からわかってはいたが、薄情な奴らだ。どうせ何を言っても、今回の変更が覆ることはないだろう。
「返答は以上です。追加で、天老にメッセージを送りますか?」
直後、狛は会話を拒否するように受話器を戻し、システムを終了させる。
「何が、くだらないことだ……」
狛の呟きからは、確かな憤りが感じられた。
数分後、狛は特別房の檻の前にいた。
「……こんな時間にどうした?」
檻の中にいる人物が不思議そうに尋ねた。普段なら、もう消灯の時間だ。長く監獄にいると、嫌でも健康的な生活習慣が身に付いていく。実際、檻の中にいる人物の声には眠気すら感じられた。
「出よう」
「は?」
「ここから出よう」
狛の言葉は明確に聞き取れた。しかし、檻の中にいる人物はまだ意味がわからない。
「……俺に脱獄しろとでも?」
「違うよ。合法的に出る」
「……何を企んでいる?」
単に刑期を終えて出ようという意味ではないだろう。
「再審請求」
「……なるほどな」
檻の中にいる人物は狛が何をしようとしているか、理解した。
「一応言っておくが、無駄な努力は止めた方が良い」
「やってみないと、わからない」
「大前提、再審請求が通るのは非常に稀な例だ。しかも、そこから裁判で勝つ必要がある」
余程の理由がないと、再審請求は通らないのが常識である。
「別に、俺の刑期は無限じゃねえ。気長に待てば良いと思わないか?」
「……早く出るに越したことはない。私は本気だよ」
やけに深刻な表情の狛に、檻の中の人物は違和感を抱いた。この三年間、何事もなく過ごしてきた。だからこそ、なぜ狛が再審請求という話を持ってきたか、不審に思っていたのだ。
「お前、何かあっただろ?」
「……」
図星を突かれるように、狛の口が一瞬閉じる。
「……特別房の囚人生活に関する費用の大幅削減が決まった」
「監視とか脱獄防止の方に力を入れていくということか?」
「天老曰く、そういうことらしい」
天老の判断は正しい。そもそも、特別房の警備に関する費用は、今までが少なすぎたのだ。これまで、その状態で許されていたのは、天老もわかっていたからだろう。檻の中にいる人物が、一切脱獄する気がないということを。
「俺の日常が悪い方に変化することは理解した。ただ、どれだけ水準が下がろうが、他棟の囚人より低い状態になるわけじゃねえだろ?」
「言っておくけど、他棟の囚人の扱いは終わっているよ。国内でも最低レベル」
幽谷監獄は名の通り、刑務所ではない。監獄の他棟に収監されているのは、死刑囚や他所で問題起こした凶悪犯が大半だ。つまり、人を人として扱わないような処遇であることは間違いない。
「少なくとも、そういう環境で暮らす姿を私は見ていられない」
「だが、実際にどう変化するかはわからねえ」
「今回の費用削減が実際には大したことないものだとしても、今後はわからない。結局、特別房に凶悪犯が増えると、その危険な輩と同格に扱われることになる」
費用削減が今回で最後とは限らないのだ。
「とにかく、今回の変更が良いきっかけだと、私は思った。再審請求は必ず通すから、そのつもりでよろしく」
檻の中にいる人物が何を言おうと、狛の行動が変化することはない。この場所に来たのも、宣言をして覚悟を決めるためだ。
「そもそも、お前もここから簡単には離れることができねえ。それで、再審請求のための準備が進められると思うのか?」
「そ、それは直霊の誰かに協力を頼むから……」
狛は痛い部分を指摘されて、少し勢いを失った。檻の中にいる人物の言う通り、監獄の中で籠っている間は、再調査にも限界がある。つまり、狛一人の努力でどうにかできる話ではないのだ。
「なら、一つ約束しろ」
「何を?」
透かさず、狛が尋ねた。
「もし、直霊に協力者を見つけることができなかったら、潔く諦めろ」
「何で?」
「良いから、約束しろ」
おそらく、直霊には協力できるだけの時間がある者がいないと、檻の中にいる人物は考えているのだろう。それで、狛に再審請求を諦めさせようとしている。
「……わかった。私の人望、舐めないでよ?」
「人望とかの話じゃねえ。俺に割く時間があるなら、直霊は他にやるべきことがある」
一人の囚人のために尽力する理由など、あるはずもない。
「檻の中で徒に過ごすよりも、他にやるべきことがあるのは、そっちだよ」
狛は檻の中にいる人物に対して、人差し指の先を向ける。
「……買い被り過ぎだ」
そう言い残して、檻の中にいる人物は寝具がある奥の方に歩いていく。人の影が毛布で包み隠されるように消えた後、欠伸が聞こえた。
「おやすみ、また明日」
「……ああ」
それは、眠気のせいなのか、曖昧な返事だった。




