57.監獄
十月神社を出発して約半日後、灰音は相模に位置する幽谷監獄まで到着していた。そして、灰音は確保した身柄の引き渡しを完了させた後、看守室で誰かと話しているようだった。
「一旦はこれで安心ですね」
「うん。灰音も長時間お疲れ様」
灰音と話す女性の名は唐獅子狛、現在二十六歳。幽谷監獄南棟の奥に存在する特別房の看守である。
特別房とは、厳重な警戒が必要とされる人物が収監される場所。現在は、実質的に霊魂術者専用の独房として使用されている。その看守もまた並の人間で務まらないことは言うまでもない。
「ありがとうございます。少し後に、黛さんが訪ねると思うので、そのときはよろしくお願いします」
「はーい。えっと、黛さんって狗骨さんと一緒にいる子だっけ?」
自信がなかったのか、狛が灰音に尋ねた。
「はい、合っています」
「良かった。灰音より下の子はどうも名前と顔が一致しなくて……」
狛は胸を撫で下ろす仕草を見せる。
「まず会う機会がないですからね。というか、もしかして狛さんってここから出ること、滅多にないですか?」
「うーん、定期健診ぐらいかも。何か長期休暇を取るのも申し訳ないかなと思ってさ」
つまり、年に一回程度ということになる。
「絶対にもっと羽伸ばした方が良いですよ?」
「いやー、意外とここも居心地悪くないのだよね。静かだし、設備も結構充実しているし」
狛の担当は特別房のみ。収監されている人数も考えると、他の看守と比べて仕事量はそこまで多くないのかもしれない。しかし、危険な力を持つ人物が傍にいる環境という意味では、精神的ストレスは計り知れない。
「でも、近いうちに私も招集されそうだよね。話を聞く限り、捕まえた子と一緒にいた奴、相当厄介そうだし」
「正直、あれは正攻法では無理ですね」
灰音は戦闘を思い出したのか、苦々しい表情を浮かべている。
「まあ、会議には私もリモートで顔出すよ。また今度、詳しく話そう」
「助かります」
その後、灰音は部屋の扉に手をかける。
「では、失礼しますね。久しぶりに狛さんと話せて、嬉しかったです」
「私も。じゃあ、またね」
灰音はそのまま部屋を後にした。扉の閉まる音がするのと同時に、狛は被っていた看守帽を机に優しく置く。
「元気そうで何より……」
机を見つめるように俯いて、狛の表情が見えることはなかった。
閑散とした監獄の廊下で足音が反響している。一直線に配列された檻の前を通過するかと思いきや、とある独房の前で急に音が止まった。
「……今日は随分、慌ただしかったな」
檻の前にいる人物に対して、独房の奥から誰かが話しかけた。声からして、女性であることはわかる。
「新しい囚人が来たからね」
檻の前にいたのは、狛であるようだ。
「……そうか。せっかく俺の貸し切りだったのに、残念」
「仕方ないよ」
「それで、新人は何をやらかした?」
檻の中にいる人物が狛に尋ねた。もちろん、答える義理はないものだが。
「神器の窃盗犯だよ。正確には、神器を強奪した集団の仲間と思わしき人物を捕獲したって、灰音は言っていたけど」
捕まえた人物が共犯であることは確定ではないが、拘束に当たるだけの行為はしている。これからの処遇についてもまだわからないが、幽谷監獄から解放されることはないだろう。
「……ちょっと待て。神器自体は奪われたままなのか?」
「うん、宿が盗まれたらしい」
「緋桜が現場にいたんじゃねえのか?」
檻の中にいる人物は、狛に次々と質問をしていく。
「まあ、宿の護衛が主の目的というわけじゃなかったみたいだし」
「いやいや、神器の悪用を最優先で防がなければいけねえだろ。神器の防衛を達成できなかったなら、直霊は何をしていたという話になる」
「結局、宿の危険性が低いという前提があった上での判断だったと思うよ。実際、天老も十月神社に放置していたわけだし」
宿は悪用されても、たかが知れている。その考えがあったからこそ、十月神社から強引には回収しなかった。
「別に神器の能力は関係ねえ。どの神器も怨念の塊。それだけで、危険視する理由は十分だ」
「えっと、それはエネルギー源として利用される恐れがあるってこと?」
奇の霊魂術者であれば、怨念が持つ負のエネルギーを有効活用できる。よって、神器が莫大なエネルギー源という見方もできるだろう。尤も、通常であれば、あまりにも手に余り、逆に身を滅ぼす量ではあるが。
「それもある。後は、宿って手に収まる程度の水晶だろ?」
「うん、そのはず」
「なら、投擲で相手の体にぶつけて壊せば、そいつは一撃で再起不能になる。違うか?」
檻の中の人物の意見を聞いて、狛は少し考えた後、納得するように頷く。
「……なるほどね。確かに、言う通りかも」
「とにかく、緋桜がどう考えているかは知らねえが、この状況は焦った方が良い。敵の目的が不明なら、尚更な」
「うーん。神器が敵の手にある状況なら、むしろ慎重に動いた方が良いと私は思うけど……」
この対立は言い争っても意味がない。それが狛たちには身に染みるようにわかっている。
「……にしても、また神器の争奪戦かよ」
「前回は思い出したくないね」
直霊において、狛は灰音の先輩に当たる。鎮の件についても、当然把握しているということだ。
「結局、三年前に八剱が神社から力技で回収すれば良かった話じゃねえのか?」
「良くも悪くも、椿は命令に従順だからね。というか、もしもの話は止めようよ。誰が悪いというわけでもない」
狛の言うことを聞くように、檻の中にいる人物は一度口を閉じる。
「……誰が悪いという話なら、朱盃雨水に神器を作らせた奴らだな」
「それは間違いない。でも、既に滅びた組織をどうこう言ってもね」
檻の中にいる人物は大きな溜息を吐く。
「神器がこの世に存在しなければ……」
「……自分が檻の中にいることもなかったって?」
この狛の一言で、空気が凍るような感覚が二人を襲う。
「どうだろうな。悪意の矛先が神器だったというだけの話で、根源的な賊心が消えるわけじゃねえ」
「……そう」
これ以上、狛が何かを話すことはなかった。その後、足音が再び特別房内に響き渡る。檻の中にいる人物は、その音が確かに小さくなっていくのを感じた。




