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5.四家

「灰音さん、どういうことですか!橘さんが死んだって!」


 昂る焔とは対照的に、灰音は冷静である。


「焔、落ち着いて。橘くんはパトカーの運転席で遺体として見つかった。そして、後部座席には誰も乗っていなかったらしい。」


 七瀬からの報告を、灰音は淡々と繰り返した。


「橘さんは人質の子を連れていったのですよね。逃げられたってことですか?」

「わからない、誰かに奪われた線もある。」


 灰音は自分の腕に自信を持っている。綺麗に気絶させた人間が短時間で動ける状態まで回復するとは考えにくい。だが、誘拐だったとしても納得がいかないことがある。


 術者が誘拐されるというのは別に不思議な話ではない。霊魂術の有用性は誰もが理解している。しかし、今回の場合、先ほど術者になったばかりの人間なのである。パトカーの後部座席に乗っている少女が術者だと知る方法がないはずだ。


 霊魂術関係なく誘拐された可能性もないわけではない。だが、警察を殺害してまで、一般人を誘拐することがあるだろうか。もちろん、殺されたと決まったわけではないのだが。


「脱走なのか、誘拐なのかはどっちでも良い。明らかに喧嘩売っているだろうが…」


 黙っていた椿も口を開く。弱気な態度から豹変した椿の姿に、焔は慄いた。まるで人が変わってしまったようだ。


「とりあえず現場は近い。焔、急いで七瀬さんに合流しよう。」

「わ、わかりました。」


 逆に今度は、焔が弱気になっている。それほどまでに、椿が放つ威圧感は凄まじい。それに、先ほどまで話していた人が死んだのだ。不安を感じるのも仕方ないだろう。しかし、直霊の捜査員に悲しむ時間などありはしない。


「待て、私も行く。舐めた輩は叩き斬らなければ、気が済まない。」

「わかった、椿も連れて三人で向かおう。」


 そして、三人を乗せた車が直霊本部を出た。到着までの間も、緊迫の時間は続いている。乗せる人が増えたというのに、むしろ静かになってしまった。




 橘が死亡した現場には、早く辿り着いた。それにしても、パトカーのサイレンを短い時間で二度も聞くことになるとは、さすがに予想していなかった。


 灰音たちが車を降りると、スーツにロングコート姿の女性が歩いて近づいてきた。この状況でも、冷静に見えるのはさすがというべきなのだろうか。


「灰音、久しぶり。ん、椿もいるのか。」

「お久しぶりです、七瀬さん。」


 灰音が挨拶を返した。灰音と椿が頭を下げるのを見て、焔も慌てて頭を下げる。椿は七瀬への挨拶を終えて、駆け足で遺体があるブルーシートの奥に向かっていった。これは大分、頭にきているように見える。


「そっちの子は初めまして、だよね?」


 七瀬が焔に声をかけた。


「は、はい。熾火焔です。初めまして。」


 焔は顔を上げて、挨拶をした。


「初めまして、私は七瀬重(ナナセカサネ)。一応、所属は直霊だけど、警察の仕事を主にしている。兼任みたいな感じかな。」

「よ、よろしくお願いします。」


 七瀬は直霊でも特殊な立ち位置にいる人物である。現在、直霊は警察の仕事を手伝うことがよくあるのだが、七瀬の場合はほとんどの仕事が警察の手伝いである。ちなみに、その理由は七瀬が持つ霊魂術にある。簡単に言えば、七瀬の霊魂術は警察の捜査に便利すぎるのだ。


 このため、七瀬は二十七歳という年齢で、直霊だけでなく警察でも上の立場を持っている。逆に、直霊に顔を出すことは滅多にないのだが、警察と直霊を繋ぐ架け橋として重要な役割を果たしていると言えるだろう。


「七瀬さん、調査の結果はどうでしたか?」


 灰音が本題を切り出した。


「橘は殺害だ。かなり突然だったように感じられた。それ以上、詳しく調べるためには、狗骨の力が必要になる。」

「なるほど。」


 淡々と会話が進んでいるが、とんでもないことが起きている。一人の若き警官が殺されているのだから。


「あの、橘さんはどうやって殺されたのですか?」


 焔は七瀬に純粋な疑問をぶつけた。


「見たところ、頭部への打撃だな。鈍器か何かで殴られたのだろう。その凶器が見つかっていたら、話が非常に早くて助かるのだけど…」


 七瀬は溜息を零した。


「近くの状況はどうでした?」

「気になったのは、近くの監視カメラが全て壊されていたことかな。目撃者も今のところ見つかっていない。」


 灰音の質問にも、答えを返す七瀬。そこまで人通りの少ない場所ではないはずだが、目撃者がいないというのは何とも不思議な話である。


「素人の仕業じゃない。人質の子が自力で脱走した線もまずないだろうな。」


 いつの間にか、椿が遺体の場所から戻ってきていた。椿の言う通り、これは少女一人で可能な所業じゃない。第三者が確実に関わっている。そして、狙いはおそらく術者として覚醒した人間であるだろう。


「そうなると、可能性が高いのは『四家』の残党…?」

「同感だな。実物見た感じ、犯人は只者じゃないぞ。」


 灰音と椿は同意見のようだ。


「あの、四家というのは?」


 焔が灰音に尋ねた。新人が知らないのは当然だろう。


「焔も知っておいた方が良い。少し昔話をしよう…」




 霊魂術が世間に認識され始めたのは、そこまで昔のことではない。それ以前は、霊魂術が知られていなかったというわけではなく、そもそも霊魂術が存在していなかったと考えられている。


 人間の精神構造である四魂は本来、それぞれ均等なバランスを保っていた。しかし、突然変異で少しだけ一部の魂の傾向が強い人物が生まれ、その形質が長年の進化の過程で、霊魂術を発現させる可能性を秘めるまで大きくなった。その後、霊魂術を持った人物がこの世界で徐々に誕生し始めたのだ。


 そして、霊魂術という存在を世に深く知らしめることになったきっかけこそが、四家である。四家とは、数十年前に世間で猛威を振るった四つの家柄のことを表している。各家には当主として、一人の霊魂術者が添えられていた。逆に言えば、各家にはたった一人の霊魂術者しかいなかった。しかし、結果的に四家は世間を恐怖の底に陥れたのだ。


 四家は霊魂術を最大限活用し、大企業を強奪するなど勝手放題の悪事を働いた。それに敵対した企業が全滅の一途を辿ってしまったこともあった。最終的に、四家の刃は行政機関つまり政府の喉元まで届いていただろう。今でさえ、一部の人々が術者に嫌悪感を抱いているのは、この一連の騒動が原因と言って他ない。


 四家がここまで暴れることのできた理由として最も大きいのは、霊魂術が未知のものであったことだ。摩訶不思議な力の仕組みもわからなければ、対処法もわからない。当時の警察では刃が立たなかったのも、当然だろう。


 そして、唯一の救いだったのは全ての術者が悪というわけではなかったということだ。四家を倒し、術者が世間を脅かす存在であるという風潮を塗り替えようと、一部の術者たちが立ち上がったのだ。これが、直霊の始まりである。


 結局、四家も早くにして盛者必衰を体現することになった。四家の力が弱まった時期に、直霊によって四家の当主は抹殺されたのだ。直霊にとって幸運だったのは、四家がそれぞれ独立して動き、互いに協力していたわけではなかったということである。


 その後、当主を失ったことで四家は空中分解し、四家を討伐した功績によって、直霊は悪しき術者を正す存在として、広く認知されるようになった。それから時が流れて、現在ではご存知の通り、直霊は政府公認の治安維持組織として活動することになったのだ。


 ところが、近年、四家の残党が再び顔を見せ始めている。元々、四家の傘下に入っていた暴力団などの反社会的勢力が息を潜めていたのだ。そして、四家の残党は当時の復活を狙っている。つまり、直霊によって消滅させられた当主の穴を埋めるような霊魂術者を求めているのだ。もちろん、直霊による残党狩りは実施されている。しかし、それ以上に残党の数が多く、全滅させるまでには至っていないのだ。




「…なるほど。そのようなことがあったのですか。」


 灰音の説明を聞いて、焔は呆然とした表情をしている。


「とにかく、遺体現場の分析が終わるまでは何とも言えない。ここまでの大事だ。一つも証拠が出てこないことはまずないだろう。」


 七瀬の言葉を最後に、灰音たちは直霊本部に戻ることにした。その帰りには、灰音と焔も橘の遺体に手を合わせに行った。橘の死を無駄にはしない。そう心に固く誓ったのだ。


 こうして、灰音と焔の新人研修初日は幕を閉じた。あの子の霊魂術のように、人間が持つ負の感情は連鎖していくものだ。誰かの悲しみは、また誰かの悲しみを生み出してしまう。だからこそ、この悲しみはここで断ち切らなければいけない。

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